中島隆博(総合文化研究科・教養学部准教授/中国哲学)[東大教師が新入生にすすめる本 2008年「UP」4月号より]

(1) 『頼むから静かにしてくれ』レイモンド・カーヴァー/村上春樹訳(中央公論社、1991)
 ちょうど教養学部の学生だった頃、僕なんかが歯が立ちそうにもない仕方で、静かに、しかし決然と、リアリティを目の前に放り投げてくれた作家が、村上春樹であった。その村上春樹を、僕は勝手に戦争の作家だと定義していて、とりわけその訳業に感服している。数ある翻訳の中から選んだカーヴァーのこの短編集は、「救いのないハードさ」と「おかしさ」に貫かれている好篇である。人との距離を測りかねた時にでも読んでほしい。
(2) 『司馬遷─史記の世界』武田泰淳(講談社文庫、1972)
 「司馬遷は生き恥さらした男である」。この一文から始まる本書は、1943年に初版が出され、その後数版を重ねて今も読み継がれている。『ひかりごけ』や『快楽』もよいが、この本の帯びている熱は圧倒的だ。中国古典を読解するとはどういうことかを、つくづく教えてもらった一冊。
『勢 効力の歴史─中国文化横断』フランソワ・ジュリアン/中島隆博訳(知泉書館、2004)
 字義通りの拙訳で恐縮だが、中国を論じようとするときに、こういう方法もあるのかと気づかされる一冊。「勢」という一語に着目して、軍事・文学・哲学・歴史・政治・自然学を一筆で横断する速度が心地よい。
(3) 『デモクラシーの政治学』福田有広・谷口将紀編(2002)
 もう15年以上前のことだ。J・G・A・ポーコックを悪戦苦闘して読んでいたとき、福田有広もまたポーコックを通じてジェームズ・ハリントンと格闘していた。学部以来の古い友人ではあったが、学問的な接触はその時に始まろうとしていた。断続的に続けていた議論から、彼の共和主義に関する捉え直しはおぼろげに見えてはいたが、この本に収められた論文「共和主義」はそれを凝縮して表現したものだ。人が人に出会うには時間がかかる。時には鬼籍に入ってから出会うこともあるのだ。
(4) 『残響の中国哲学─言語と政治』(東京大学出版会、2007)
 「中国哲学」という、今ではすっかり聞くことの少なくなった学問の「救いのないハードさ」と「おかしさ」を何とか表現しようとした一冊。高校生もしくはかつて高校生だった人に読んでもらいたい。
The Chinese Turn in Philosophy(UTCP, 2007)
 ここ数年欧文で発表してきたものをまとめた一冊。哲学において「中国」という要素がどのように用いられたかを知りたい人には役に立つかもしれない。

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