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「連行される尹奉吉」の写真をめぐる10年論争(下)

◆「顔の右側だけに傷」VS「血だらけ」 

 具体的な事実をめぐっても、両者の主張は食い違う。

 まず、「年を取って見える」という主張に対し、ユンジュさん側は「切迫した状況で撮られたためだ」と主張している。「尹奉吉ではない」とするカン教授は、「中国の有力紙・申報が32年4月30日付の第1面に載せた記事で“洋服を着た韓国の少年”と描写したほど、尹奉吉は幼く見えた」と反論した。

 またカン教授は、「袋だたきに遭って血を流し、連れて行かれた」という報道と写真の人物が一致しない、とも主張した。32年4月30日付の上海タイムズは、「こぶし・軍靴・こん棒がその朝鮮人の体を乱打した。白い洋服はズタズタに裂け、地面に落ちた。頭と足を抱えられ、荷物のように車の後部座席に押し込められた」と報じた。また1932年5月3日付ノースチャイナ・ヘラルドの記事は、「頭から腰の辺りまで血が流れていた」と伝えた。これに対しユンジュさん側は、「血が出ているのは顔の右側で、顔の左側が撮影されたため傷が見えていない」と主張した。

 ユンさんは、「現場から連行されたのは尹奉吉一人だけだったことから、尹奉吉本人であることは確実だ」とする。一方、カン教授は「当時あらゆる新聞が、現場から25‐40人が連行されたと報じている」と反論した。

 尹義士の弟に当たる故ユン・ナムイさんは生前、「写真の人物は兄であるのに間違いない」と語っていた。これについてもカン教授は、「ユンさんは事件の2年前、16歳のときに尹奉吉を間近で見たきりで、朝日新聞の写真が韓国国内に入って来たのは1970年代のことだ。40年前の記憶を真偽の証拠とみなすのは無理がある」と語った。

申晶善(シン・ジョンソン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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