幕末の頃、七飯の薬園の管理をしていた栗本鋤雲(じょうん)が、万延元年(1860)に江戸の医師の森立之にあてた手紙に、以下のような内容が書いてあったという。
「駒ケ岳のふもとのあたりに、不思議なけものが出るという。大きさはオスの牛くらい、額に一尺あまり(30センチ以上)の角があり、時々鹿部川を泳いでいるという。
ウグイが上流に上る時なので、その群れを追っているらしく、川を下る時には、その角がはっきりわかるという。 水に体を沈め、すごい速さで進むという。
私の友人のイギリス人とフランス人の二人が見に行ったが、里の人たちはあれは山の神だから話をすると祟りがあるかもしれないと、何も話してくれなかった。
二人の考えでは、そのけものは『サイ』に違いないとのことで、私は鉄砲のうまい侍を現地に留めておいた。」
その後、サイが見つかったということもなく、人々がそんな騒動もすっかり忘れていた頃、明治10年頃(1877)に再び駒ケ岳に不思議なけものが出るという噂が広がった。 あちこちの畑が荒らされたがその正体がさっぱりわからなかったという。
明治14年(1881)2月20日の朝、尾白内村(現在の森町)の西川勘五郎という人によって、ついに一頭のけものが捕らえられた。
体長167センチ、体重100キロ以上で、全身茶褐色の毛におおわれ、後ろに反った8センチほどの牙を持った、まるでいのししのようなけものだった。 駒ケ岳でいのししが捕れたというニュースは全国に流れ、北海道ではそれまでいのししはいないとされていたため、学界では大騒ぎとなった。
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