支社隣の公園では休日や放課後には、子どもの明るい声が響く。野球や鬼ごっこ…。見ていて楽しいし、なにより元気をくれる。同僚は珍しい光景だという。しかし、昔は皆そうだった。
―四十数年前。幼稚園や小学校の帰り、道草しながら四葉のクローバーを必死で探し、アメリカザリガニを釣った。蛇を捕まえ女の子を驚かせて得意顔の友もいた。ガキ大将がいて、けんかも日常茶飯事。友情をはぐくみ、上下関係や、ことの善悪などを、知らず知らずのうちに学んだ。とっておきの居場所だった。
取材先の学校で「道草する子を見なくなりましたね」と話を向けると、瞬時に「絶対ダメ」との答え。学校現場は学力向上やいじめ対策など課題山積、子どもへ向けられた残虐事件が相次ぐ中、何をのんきなことを? といわんばかり。神戸の児童連続殺傷事件以降、全国で子どもの安全を図る動きが一気に活発化した。井笠地域でも、登下校時には見守り隊などのボランティアが立つ。これほどにまでに監視されるのは窮屈だろうし、何か変だ。しかし、これほどまでにしないとかけがえのない地域の宝を守れなくなっている現実も連日の凶悪事件事故が物語る。
大人に干渉されず、悪さもした道草遊びは、子どもの成長には絶対必要だと思う。本紙連載「響き合う心」(土曜日)の佐々木正美・川崎医療福祉大教授も「子どもの社会的人格形成に不可欠」と遊びの大切さを繰り返す。昔の再現はかなわないとしても、子どもたちが安心して伸び伸びと遊べる“現代版道草”が考え出せないものか…。
(笠岡支社・浅沼慎太郎)