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法廷(Law School) フラッシュアップ


傲慢裁判官よ、畏れを抱け
― 裁判員制度を前に募る不安 ―

 裁判員制度を前にしてまた一つ、大きな不安材料を見てしまった。福島県立大野病院で帝王切開の手術中に妊婦が亡くなった事件で逮捕、起訴された医師に福島地裁が無罪判決を言い渡した。
日刊スポーツの実際の記事画像
 この事件は産婦人科医のみならず、多くの医師から「医療行為の中で事故が起きるのは、避け切れない。それを罪に問われたら医療は成り立たない」と猛反発を食らい、とりわけ産婦人科医師にはなり手がなくなるという事態を招いた。その一方でなぜ、きのうまで元気だった母親の命が突然絶たれたのか、なんとしてでも真相を知りたいという遺族の希望も強い。

 この無罪判決が妥当かどうかは、あちこちでずい分議論されているようなので、あえてここではふれない。ただし、強く感じることは逮捕した警察、起訴した検察、そして判決を下した裁判所がここまで傲慢でいいのか、ということである。

 福島県警がこの40歳の医師を逮捕したのは、06年2月である。もちろん医師はこの間、失業状態、無罪判決が出たからといって、そう簡単に医療の現場に戻る精神状態でないことは容易に想像がつく。果たして医療のような高度な専門性を持つものに対して、一体、警察、検察、裁判所にどれほどの知識と理解力があるというのだろうか。

 逮捕から判決までの2年半、それぞれが猛勉強したとは言うものの、それでもって人の一生を左右するような結論が果たして出せるのか。6年余りにわたって医学の基礎から学び、その上、10年20年と経験を積んで初めて一人前の医師と呼ばれる。そうした高度な専門知識を持つ者に対して「私たちも懸命に勉強したから、十分に判断を下せます」というのは、あまりに傲慢ではないのか。事件取材の長い私は警察、検察、裁判官のそれぞれとおつきあいがある。彼らが賢明で努力家であることも十分承知しているつもりだ。だからと言って、プロが何十年と培ってきた知識や技術を2年半で理解するというのは土台無理な話なのだ。そもそも患者の脈や血圧を計った経験のある判事は一体、何人いるのか。

 私たちの仕事の身近なところで言うと、楽曲や文章の盗用、あるいは剽窃をめぐる著作権裁判。はたまた、その文言が人の名誉を傷つけたか否かの名誉棄損事件。これらの事例でも、裁判官が妥当な判決を下せるとはおよそ思えない。裁判官の音楽的才能や文学的センスに舌を巻いた経験はこれまでただの一度もない。文章で言えば、判決文や起訴状を私は悪文中の悪文だと思っている。

 怖いのは来年5月に迫った裁判員制度である。会社員もOLも、商店主の方も裁判員になる。今回の医療事件はこの制度の対象外とはいえ、殺人などの重大事件を裁くときに「私たちにはすべてを理解する能力がある」と裁判官に権威をふりまわされたら、市民裁判員がそれに引きずられることは目に見えている。

 何よりも、裁くこと、裁かれることへの畏れが薄められて行くことに恐ろしさを感じるのである。

(日刊スポーツ・大阪エリア版「フラッシュアップ」平成20年8月25日掲載)


福島県立大野病院の医療事故問題について(日本医師会)
 http://www.med.or.jp/nichikara/fseimei/index.html
医療過誤(Yahoo!ニュース)
 http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/medical_malpractice/
裁判員制度(Wikipedia)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/裁判員制度


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