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声優黄金世代論

2008-09-04

「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法

別に関係の無い話として読んでもらってかまわないのですが、「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は××人である。だから○○はロクなもんじゃない」という論法への違和感について。

もちろん、虐殺という結果にいたった思想や体制はまったく擁護できないし、それは失敗であったと言わなければいけないと思います。しかしです。こうした議論の帰結は「だから○○思想を持ってるやつはロクなやつじゃない。反省せよ」になることが多くて、それにはとてつもなく違和感を覚えてしまうのです。え?それその思想を支持している人だけの問題なの?ということです。いやもちろん、その思想に対するつじつまを持ってない人はつける必要は無いわけですが、そうした思想社会に浸透することを問題化するならば、誰もが責任が無い傍観者ではいられなくなるのです。つまり、ある思想のもとで多くの虐殺が起こっているならば、それは思想そのものに虐殺を引き起こしうる内在的な何かがあるのだ、という議論は可能です。しかし、ある思想のもとである社会がつくられるとき、それはけして口のうまい扇動家がみんなを騙したり、みんなが反対しているのに軍事力で強引にそれを行ったりしただけでは(もちろんそのような場面もあったとしても)遂行可能ではないということです。

たとえば、デートレフ・ポイカートナチズム体制はけして不可避ではなかったけれども、ワイマール共和国の危機に対してとりうる選択肢をとっていった結果、どんどん選択肢が狭まっていき、すべての選択肢が尽きたときに、最終的にナチズムという急進的な選択肢が登場したと指摘しています。つまり、ナチズムを説得力のある選択肢に仕立て上げたのは、思想そのものというよりはむしろ社会の側です。

あるいは、ソ連の成立期を思い起こしてください。ソ連はどこか遠い無人島にいきなり成立した国家ではありませんでした。つまり、ソ連は周囲を資本主義諸国に囲まれていて、「干渉戦争」を受けていました。このときに、ソ連がとりうる権力体制はどのようなものがあったでしょうか。また、マオイズムポル・ポトだって、独立後も欧米宗主国に従属し続けている第三世界という問題意識があったわけです。

ことわっておきますが、ぼくは別にこうした議論を持ち出すことによってナチズムやコミュニズムの抑圧や虐殺を免罪したり正当化したりするつもりも、外的条件の制約を理由に思想そのものには責任はないと主張するつもりもありません。

言いたいことは要するにこういうことです。ある思想が問題であると指摘し、そのような思想に基づく体制を拒否するときに、その思想そのものの問題や過去にその体制が起こしてきた問題を批判するだけでは不十分である。その思想が、ある社会において説得力を持ち浸透していくその危機を問題にしなければいけない。そして今ある社会の危機を問題化するならば、われわれは当事者以外ではいられなくなる。

たとえば、『蟹工船』が今、売れゆきを伸ばしていることが問題であると感じるのならば(ぼくはまったくそうは思わないけれども)、共産主義はこんなに虐殺を云々って言えば事足りるはずはなくて、また末端労働者への搾取がもはやトリクルダウンだかトリアージだかトリカブトだかではもはやごまかせないところまで進行していることも問題にすべきでしょう。

ネトウヨだってそうですね。彼らは南京大虐殺無かったみたいなトンデモ無知がゆえに信じているのではなく、それを信じたいから信じているというのは、カウンターを発信することも重要ですがやはりおさえておかなければいけません。

ただ、あまりそうなってはいないのが現状です。思想社会的なものではなく属人的なものとしてみなされている気がします。たとえば、ファシズムを引き合いに出してある社会問題を批判すると、「××をファシズム呼ばわりか」と文句をつけられます。こちらとしては、××から読み取りうる潜在的な社会的危機を問題にしているのに、向こうは××を悪の根源であるとする誹謗中傷だと認識するのです。

しわれわれが歴史から学ぶことがあるとすれば、それは未来社会の抑圧体制は今ある社会の危機が産むということではないでしょうか。たとえば20世紀にあったそれは、もちろん急速な近代化による社会的危機でありました。その危機に対してそれぞれの社会がその社会に応じて対処した結果、さまざまなものが生じたわけです。

もしある思想危険性が内在しているなら、当然それは批判されるべきです。ただ、A思想は何人殺してB思想は何人殺したのでA思想のほうがヤバイというのは粗雑であると同時に、なんかこの人「社会」についての視点が抜け落ちてるんじゃねえのかなと、違和感を感じてしまうのです。

shinichiroinabashinichiroinaba 2008/09/05 05:24 「ネトウヨにも三分の理」ということですね、わかります。

それはさておき、このエントリ自体のご趣旨はごもっともだと存じます。というか信じてもらえるかどうかわからないけれど、「思想の機能はエコロジカルなファクターに左右されるものでしかない」というのはここしばらくのぼくの問題意識ではあるんですよ。だから共産主義が皮肉抜きで有意義で理にかなっていて人々を幸福にする局面もあると思う。ただそれは非常に例外的でしかない、とも。

nbnb 2008/09/05 09:41 この記事の主張には全面的に同意。誰かがいま言っておくべきことを理路整然と説いている。

ところで南京大虐殺「なかった」というのは「トンデモ」ですか。ははぁ・・・

わたしはついこないだのponkoみたいな「ネトウヨ」には憐憫とともに肌が粟立つような嫌悪を抱いており、ついぞ自分がネトウヨだとは思っておらないけども。

たとえば京都が焼け残ったのは連合軍がその文化財を守ろうとしたため、などという与太は、自分の生まれるはるか前のことであるからなにひとつじかに知るところはないのだけども、自分の持つ限りの伝聞知識との整合に照らして相手にしない。
それがウソだと「考えて」いる。
エロヒムに会ってなんとかかんとかしました、という話くらい、直接の検証抜きで相手にしない。

それと同じくらいに、ようやく陥落成った南京で、相応な軍事的・政治的理由もなく、また世界中のプレスや、敗軍にナショナルな一体感などまるで持ち合わせない周辺住民の目にとまることなく、魔法のような「大量虐殺」が行われたなどという与太話も信じられない。

でもその「判断」は「信仰」なわけですね。そちらから見れば。
まったくもって拍手をおくりたいような理性的な(と思える)文のなかに、「宗教戦争」のタネがひとつ埋め込んであるというこのとてつもない違和感。おそろしいな。

morimori_68morimori_68 2008/09/05 11:02 >nb様

こちらをお読み下さいね。

http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage

では。(^_^)

tnttnt 2008/09/05 11:08 >資本主義は、もちろん実際にはひどい失敗をいろいろと引き起こしていますが、原理的には、適切な介入や誘導、制度的基盤の確保によって
それなら共産主義も「適切な介入や誘導、制度的基盤の確保」があればOKだったんじゃないの?単に不適切だっただけでw

>総量としては、資本主義の成長過程での犠牲者の数が上回る可能性はあります
>それは資本主義が実行された歴史的時間や地域の広さに由来するところが大きく
資本主義の犠牲者の数が上回る可能性はあるんですよね。さらに歴史的時間というなら資本主義の歴史と同じくらいの時間をかけて「適切な介入や誘導、制度的基盤の確保」した上で共産主義をやってみたら平均すれば犠牲は少ないかもしれないですねえw
>共産主義が皮肉抜きで有意義で理にかなっていて人々を幸福にする局面もあると思う
とおっしゃっているわけですから異論はないんですよね?要ははやりかただと。

だったら「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は××人である。だから○○はロクなもんじゃない」みたいなことは言わない方がいいんじゃないでしょうか。でも言わずにはいられないってところにまあなんというか、若いって感じがw

shinichiroinabashinichiroinaba 2008/09/05 11:26 >tntさん
コメする場所間違ってるよ。
もちろんどちらも状況次第ではありますが、程度の差は大きい。共産主義が有用である局面は、資本主義が有用である局面に比べて、はるかに特殊であるということについてのぼく自身の見解は拙著に述べてありますので、そちらをお読みください。
というより、「現存した社会主義」とか、比較経済体制論の基本的な教科書をお読みになればよいのです。
塩川先生の本もありますし、お話的なものがよければ『コルナイ自伝』でもいいでしょう。それでもどうしてもこれからの社会主義の可能性について考えたければ、ジョン・ローマーの市場社会主義――というよりベーシックキャピタルつき資本主義構想でも勉強してください。

zames_makizames_maki 2008/09/05 11:46 このエントリ自体の論旨内容は素晴らしいと思います。共産主義を真面目に考えれば、有意義で理にかなっていて人々を幸福にする体制の一つだと思う。(以上は、稲葉氏への皮肉と同時に私の見方)
 しかしなぜか日本ではそれは論考抜きに原理的・絶対的に間違った思想とみなされているように思う。私はこういう事に関心はないので知らないが、共産主義が「その原理」故に、虐殺を招き、あるいは国家経営に失敗し国民全体を不幸にするような理論的に間違った体制だと検証した結果はあるのだろうか?すぐに想像できるのは20世紀初頭から冷戦期に西側で書かれたものだが、その中からイデオロギー対立(本来的には争っている国家間の対立、それは即ち敵への攻撃であり学術的・中立的な検討ではないと思う)を除いた上で、共産主義を原理的に検討できたものはあるのだろうか?
 ソ連が崩壊しまだ数十年しか経っていない今ではそういう、争う敵国への攻撃という視点を抜いた検討とそれに基づいた評価は大変難しいだろう。今日本で起きているいわゆる左翼への批判というのは、冷戦期の対立の延長線上に、相手がもう言い返してこないのを承知で、悪口を投げかけているのに過ぎないように思う。これらはさらに数十年たてば変わるものでしょう。

flurryflurry 2008/09/05 12:10 > shinichiroinabaさん。
エコロジカルなファクターなるものが何を指しているのは良く分からないので教えていただけると幸いです。ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」みたいなものを念頭に置けばよろしいでしょうか?
だとするならばそれは、ここでhokusyuさんが書いている「社会」とは大きく異なるものではないかと思うのですがどうでしょうか。

zames_makizames_maki 2008/09/05 12:21 稲葉氏へ
>共産主義が有用である局面は、資本主義が有用である局面に比べて、はるかに特殊であるという−ぼく自身の見解
私がコメントを書いている間に稲葉氏が回答のようなものを書いていますね。まあ、そういうものを読んだことはないから私は上記のようにコメントした。機会と時間があれば読んでみましょう。
ただこのコメント欄ですぐに稲葉氏に言えることは、
1その稲葉氏の見解はどれだけ確かで信ずべきものなのか?
2それは真にイデオロギー対立から自由になれているのか?
3それは現に共産主義を支持している国の人からも内容的に支持されるものなのか?
4特殊とは何か?状況の変化によりそれは普遍に変わりうるのではないか?
という疑問ですね、これをクリアできないとそれは私が想定した20世紀初頭からの西側の多くの見解と同じになるということです。そして恐らくそこで論じられていないことについて疑問を追加・提示しておきます
5人間が抱える悩みには老病死があげられるが、歴史を見ればすぐそこに貧乏を付け加えるのは容易でしょう。現在の世界でも全ての生産物を公平に分配すれば極端な貧困とそれに起因する争いはすぐになくせるのは理論的に妥当でしょう。即ち「貧乏あるいは富の偏在」は絶対悪の一つであるという思想や倫理観を立てるのは理論的に妥当に思える。それは今流通している言葉で言えば「人間の安全保障」の一つに入れられるかもしれません。現在それは日本では広く認められていない訳ですが、もし「貧乏=絶対悪」という絶対的な価値観にたった場合、共産主義は資本主義との関係でどう評価されるのか?

hokusyuhokusyu 2008/09/05 12:41 >nbさん
南京大虐殺否定はトンデモですよ。それはいかなる思想においても変わらないです。
 
>稲葉さん
共産主義が有用である局面が特殊であるとするなら、それは共産主義の問題だけでなく資本主義の問題でもある気がしますが。それこそ現存する(した)社会主義世界は資本主義世界に囲まれている(囲まれていた)わけだし、世界システム論的にはソ連は資本主義世界の産物で、東は西のオルタナティブではなくて補完に過ぎないということになるわけでして。

tanaka-daisuketanaka-daisuke 2008/09/05 14:22 私がちょっと前に(リアルで)遭遇したネトウヨ氏がやはり「南京大虐殺は無かった」と言っていたので、地雷を踏まないように注意しながら色々と質問してみたところ分かったのは、彼らの発言は「戦争論(小林よしのり)」や「嫌韓流」の劣化コピーにすぎないということです。

そして、発言が基本的にそういった劣化コピーの寄せ集めなので、話の論理構成がめちゃくちゃですし、こちらから質問をしても的の外れた返答しか返ってきません。おそらく劣化コピーの中でもっとも近そうなものをそのまま話すだけで、論理的な思考は行われていないと推測されます。

会話例:
<ウヨ> 100人斬りは日本刀では不可能、日本刀は数人斬っただけですぐに斬れなくなる
<私> へぇ、そうなんですか! ん?ということは日本刀って本当の戦闘では大して役に立たないんですか?
<ウヨ> いや、そんなことはない、日本刀は鉄でも斬れる最強の武器、ただ扱いが難しいから使いこなせるのは限られた人だけ
<私> あれ?ということはその限られた人なら100人斬りって可能なんじゃ?
<ウヨ> いや、日本刀で100人斬りは不可能

move2600move2600 2008/09/05 14:42 >hokusyuさん「南京大虐殺否定はトンデモですよ。それはいかなる思想においても変わらないです。」

「それはいかなる思想においても変わらないです」なんて大見得切ると恥かきますよ。中国の主張する30万人虐殺はありえません。広島の原爆被害でさえ10万ちょっとです。歴史を検証する際には、その時代背景や風俗などとともに、その時代の技術面からの検証も必要です。

move2600move2600 2008/09/05 14:53 ついでに>morimori_68さん
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage
も、2chなどで提起された疑問に後付で回答したようなWikiです。でも、回答内容がかなり苦しいでしょ。どうしても大虐殺があったことにしたい方がまだまだ多いようです。

demiandemian 2008/09/05 15:15 横からすいません。ちょっと待ってくださいよ。

1.南京大虐殺否定はトンデモである

という主張はただちに

2.中国の主張する30万人虐殺

を肯定するわけではないのですが、ご理解できますでしょうか。

実際どのくらいの犠牲者が出たかというのは歴史研究者のみなさまが色々議論してきて、まあ30万てことはないだろうけどこのくらいだろうね、というのが見えてきて云々、というのはそれこそhokusyuさんのブログやこちらによくいらっしゃるApemanさんのブログでさんざん取り上げられてきたお話でして、なんだか読んでいて

またゼロからスタートかよ orz

となってしまいました。お暇なときにお二方のブログの過去ログなり秦郁彦さんの南京に関する新書をご覧になることをお勧めします。

nbnb 2008/09/05 15:18 tanaka-daisuke さん。move2600 さん。
ここで実際におっぱじめるの、できればやめてほしいなあ。どうせすべてわたしのせいになるんだから…
わたしはここでその対立そのものをたたかっていません。どう見えようと、わたしは当記事へのわたしのコメントにとり必要だから「否定派」を名乗っただけです。

hokusyu さん。
もし仮に、南京大虐殺否定論/真実論は「トンデモ」か否か、という個別具体的なトピックを立てたとしたら…
「どの陣営が勝ったの負けたのという不毛な忠義立てトークを排し、虐殺という結果を見たそもそもの要因・機序をこそ理性的に検証しよう」という提言は、常に相手方が怠っているところの義務として投げつけられあい、また内輪で自分たちがいかにそれを履行しているかを言い合って消費されるに終わるのでしょう。わたしとあなたとでは。
そういいたい。
・・・
いや考えてみればそれ以前に。「南京」以前に。このエントリのありようがそういう仕掛けじゃないのか。
ネトウヨはカルトかアホかと断じ(うっかり賛成したいが)、自分の党派性は一時見えないところに温存してあるだけという。その上での『素敵な』主張。
さっきは絶賛しといて何の騒ぎだって感じですが、鈍いもんで。

move2600move2600 2008/09/05 15:19 ヒトラー、スターリン、毛沢東、ポルポトなど、かつて大規模な粛清ということをやらかしたリーダーを生み出した社会構造は、いつまでも、そういう色眼鏡で見られるさだめになると思います。ただ、ポルポト時代がよかったという声を放送したNHK番組もありましたし、時代はhokusyuさんの仰るような方向に進んでいるようです。

move2600move2600 2008/09/05 15:26 えーと、nbさんすみません。もうやめますね。
>demianさん
>1.南京大虐殺否定はトンデモである
>という主張はただちに
>2.中国の主張する30万人虐殺
>を肯定するわけではないのですが、ご理解できますでしょうか。
理解できますが、過去に、実際に、そうなったわけです。すなわち、中国で南京大虐殺記念館ができてしまった経緯がまさにこれです。そういうことを危惧しているだけです。

miraimirai 2008/09/05 22:24 数だけの話をするなら、
1.南京大虐殺否定はトンデモである
という主張はただちに
2.中国の主張する30万人虐殺
肯定するわけではない、
のと同じように、そもそも
1.南京大虐殺はなかった
という主張はただちに
2.全く虐殺がなかった
ことを意味しないと考えるのが普通だと思うのでトンデモというのは正直言いすぎだと思いますよ。
全く虐殺がなかったと主張する人がいることはもちろん事実だし、ジャンル内の文脈でそういうものなのは知っていますが。
でも、その状況で全てトンデモと言ってしまうのは、「だから○○思想を持ってるやつはロクなやつじゃない。反省せよ」と大して変わらない思想に思えます。
(hokusyu氏の主張する文脈とはだいぶ異なりそうですが)

gruza03gruza03 2008/09/06 09:46 よいエントリを読ませていただきありがとうございます。
最初にこちらが上程されていれば、あのようなことが起こらなかったのではと。惜しまれます。

トロープトロープ 2008/09/06 19:26  はじめまして。いつもブログは読ませていただいています。

>miraiさん
 日本語を素直に読むなら、「南京大虐殺はなかった」という主張はただちに「南京で大規模な虐殺はなかった」という意味になります。そんな無茶を主張する人は、まあトンデモと断定して構わないでしょう。「数千〜数万の人間が殺された程度では大虐殺とは言わない」と言い張るのも苦しいと思います。
 たまに「南京大虐殺」の条件を厳しくして「(その意味での)南京大虐殺はなかった」と主張する人もいますが、南京大虐殺は実在したという歴史学上の定説に対して、わざわざローカル定義を使って反論する行為もトンデモ寄りじゃないのかなあ、と個人的には思います。

ApemanApeman 2008/09/06 22:18 「思想の機能はエコロジカルなファクターに左右されるものでしかない」という問題意識があるのなら、ここにさっそく南京事件否定厨が湧いたという事実は自らの問題として引き受けるべき事柄だと思うんだけど、そのつもりはあるのかなぁ。

shinichiroinabashinichiroinaba 2008/09/07 10:28 わたしの議論の射程内だからと言って、それを私が自分の問題として引き受ける必然性はない。そうしたい人が、私の議論を利用して自分なりに考えればよい。
ちゅうか人畜無害の便所の落書き相手にそんなに気負ってどうするの、という気もしますがいかが。

shinichiroinabashinichiroinaba 2008/09/07 10:33 「世界システム論的にはソ連は資本主義世界の産物で、東は西のオルタナティブではなくて補完に過ぎない」
それはレトリックでおっしゃってる? それとも本気? どちらであるかに応じて、お答えのし方も変わってしまうのですが。
ぼく自身はウォーラーステインに対しては、少なくとも「システム論者」としてはまともに取り合ってはいけないと思います。歴史観の提示者としては面白いとしても。
「現存した社会主義」が悪かったとしても、それは「資本主義の補完にすぎなかったから」であるはずはないと思います。仮に資本主義の補完にすぎなかったとしても、その中で人々の自由と幸福を保証できていたとしたら、それはそれでよかったんじゃないですか。

shinichiroinabashinichiroinaba 2008/09/07 11:02 zames_maki様
残念ながら、あなたはあまりにも不勉強です。
私などの書いたものは信用できないし銭を投げてやる気にもなれん、というのであれば(まあ拙著『経済学という教養』はmojimoji氏も「面白い」とほめてくれてるんですが)、それはそれで構いません。そもそも私は社会主義の専門家ではないですから。
しかしせめて塩川先生のご本と『コルナイ自伝』くらいは目を通されるべきだと存じます。塩川先生は私見では最も信頼に足る社会主義・ソ連研究者のお一人ですし、コルナイはハンガリーにとどまりつつ社会主義体制全体に内側から風穴を開けた傑物であり、共産主義の歴史においては始祖マルクスに対して「墓掘り人」の栄誉を担う存在です。
塩川先生にはもう少し薄くて読みやすい『《20世紀史》を考える』という本もあります。

shinichiroinabashinichiroinaba 2008/09/07 11:15 どうしてもお金を払いたくないし図書館も嫌だという場合には、仕方がありませんのでこちらを;
http://web.archive.org/web/20030621233644/http://www.hotwired.co.jp/altbiz/inaba/030527/textonly.html
http://web.archive.org/web/20030831104734/www.hotwired.co.jp/altbiz/inaba/030610/textonly.html
http://web.archive.org/web/20031004073405/www.hotwired.co.jp/altbiz/inaba/030624/textonly.html

hokusyuhokusyu 2008/09/07 18:10 まあレトリックと取っていただいても問題ないのではないでしょうか。
つまりソ連は別に火星からの侵略者ではなくて、われわれの世界の歴史の中で生まれたということであるので。
(現存した)社会主義が悪かったのは(悪かったとして)資本主義の補完だからだとか、いややはり社会主義思想そのものが悪いのだとかそのような話をしたいのではなくて、
社会主義の悪は何が悪かったからにせよ、それは世界史の問題すなわちみんなの問題でしかありえないということです。少なくとも誰か(社会主義者とか)を説教して事足りるものではない。

miraimirai 2008/09/07 20:16 >トロープさん
> 、「南京大虐殺はなかった」という主張はただちに「南京で大規模な虐殺はなかった」という意味になります。

これって「大規模な虐殺はないけど、小規模なら虐殺はあった」という可能性を残した言葉だと思うんですが。「全く虐殺がなかったにはらない」というのはそういう意味です。
もちろん何をもって大規模とするかは主観次第ですが、少なくとも「(中国側が主張するような)そんな大規模さ」はなかった、という意味で普通に日本語として成立します。
条件を厳しくするのがローカル定義でトンデモとのことですが、これは「中国側の主張する大規模虐殺」を厳密な定義とした場合なので、ローカル定義とは言い切れません。
でもって、そういう場合に頭ごなしに無条件で「トンデモ」と言うのであれば、(相手の話を聞かない意味では)「虐殺は全くなかった」と言ってる人と、あまり変わりないように思えます。(他の意味でも同じと思っているわけではありません)
そういう意味で「いかなる思想においても」はいいすぎだと言っています。
hokusyuさんの発言はパフォーマティブなので本心はよくわかりませんが。

ApemanApeman 2008/09/07 20:22 都合のいい時には頼まれもしないのに口をはさんでおいて、都合の悪い局面では

>ちゅうか人畜無害の便所の落書き相手にそんなに気負ってどうするの、という気もしますがいかが。

こうやってだんまりを決め込む、というわけですか。とりあえず

>わたしの議論の射程内だからと言って、それを私が自分の問題として引き受ける必然性はない。

とか言っちゃうなら「スターリニズムやポルポトの所業をわが痛みとして感じることのない「左翼」をぼくはいっさい信用しません」なんていうのもやめては如何か、もはや左翼ではないんだし。つか、自分は藁人形打ちしておいて「人畜無害の便所の落書き相手にそんなに気負ってどうするの」ですかぁ。

norisunorisu 2008/09/07 20:25 まず最低限ふまえておかなければならないことは、一連の論争に対して共産主義の悪を叫ぶことを持ってきた稲葉氏の態度は非常にズレた態度であるということです。
これがズレた態度でないとみなせるのは、現在が共産主義の脅威の前に資本主義が危機に瀕した「例外状態」であるとみなした場合だけです。

そして、トリアージ論争のキモは「例外状態」に関する認識であったわけです。

tnttnt 2008/09/07 21:27 shinichiroinabaさんともあろうかたでもこうもあからさまにダブスタをだだ漏れさせてしまうなんて(泣)
Halタンと全く同じような反応じゃないですか。
これって「左翼嫌い」の宿命とか業のようなものなのでしょうかw

トロープトロープ 2008/09/07 21:39 >miraiさん
 了解しました。「30万虐殺に比べたら、数千〜数万人を殺すのは大規模な虐殺ではない」が日本語として成立するかどうかは主観の問題になるでしょうけど、個人的には苦しいように思えます。
 なお、どうしても中国説を否定したいのであれば、「南京大虐殺が起こったのは事実だが、中国の言うほどの規模ではない」と述べるのが常識的な態度です。「(中国のいうような)南京大虐殺はなかった」の括弧の中を伏せて議論するのは不誠実と言われてもしかたありません。仮に括弧内を隠さないとしても、でも中国の言わないような南京大虐殺はあったんだろ、と指摘されるだけだと思います。
 念のためですが、「中国側の言うほどの死者は出なかっただろう」で踏みとどまるならトンデモ扱いされることはありません。歴史学者によって認められている事件をアクロバット的に「なかった」と断定するからトンデモ認定されるのだと思います。

zames_makizames_maki 2008/09/09 03:44 少し話がずれますが、2008年9月6日に放送されたNHKの番組「日本のこれから・税金」で、富裕層への税金を低く維持するのが「正常」だという竹中平蔵氏が、現状でも経済活性を維持しながら富裕層や大企業からもっと税金を取れるしそうすべきだとする森永卓郎氏に対して「社会主義ですね」と発言され、それについて森永卓郎氏は「社会主義ではなく社会民主主義です」と言い返したところ、竹中平蔵氏は、再度「それは社会主義ですね」と言っていましたね。

これをさして『このように新自由主義者の考える世界には、「新自由主義に反対する考えは全て社会主義か共産主義」だという短絡的な二分法しか存在しないように思えます』
http://blogs.yahoo.co.jp/reformwithlove/45164116.html
と感じている人もいますね。

この番組は社会主義を論じるものではありませんでしたが、最後の「理想の国家は大きな政府による計画された高福祉高負担(スェーデン型)か、低負担低福祉(アメリカ型)か」では、会場の熱気はほぼスェーデン型に傾いていました。視聴者も60%はそれを望んでいましたね。

自他自他 2008/09/10 00:51 参考までに、稲葉氏の活動に関するコメントを引用致します。

>自他 2008/09/09 23:15
>削除で対応ね。自分の配下についてる馬鹿には、蓋をする訳だね。
>知識人の責務があきれるわ。
(魚拓)/2008-0909-2315-36/d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080909

その前コメント
(魚拓)/2008-0909-2012-30/d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080909

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