心のふるさと…というものがあるとすれば、私の場合は闇の恐怖だと思います。
現代ではなかなか味わうこともできないであろうものです。
真の闇。
3歳から7歳のはじめまで奄美大島諸島の中のある島で暮しました。
Dr.コトーのドラマが好きなのも、そのせいだと思います。
でもあのドラマでも味わえないものがあって、それが闇の恐怖なんです。
もちろん南の島も今は違うでしょうね。あらゆるところにライトが設置されてるでしょうから。
でも私が住んでた当時も、うちだって電灯でしたよ。
ただね事情があって、夜だけは別のところで眠らなくてはならない時期があったんです。
そこには電灯はおろか、子供たちだけだったのでランプも置かれてなかったんです。
窓があったかなかったかも全く覚えていません。とにかくそこで私は生れてはじめての真の闇というものを体験しました。
そこで感じたのは、部屋の隅に何かがいる…などという生易しいものではなく、
真黒い塊の恐ろしく強い存在が、ごおうごおう、というような音とともに私を脅しました。
まあ、子ども心にはそう感じたんです。もちろん錯覚でしょうけどね。
あれはなんだったんだろうと、この年になるまでずっと考えてきたものです。
今では少し答えらしいものも出てはいるんです。
生まれてきてから、私には全く与えられなかった父的存在、つまり男性的社会性というようなものだろうなと。
知恵がつき始めたばかりの子供がまず出会う社会というものの恐怖。
そしてそれから守ってくれる父性。
子供はその愛を得て育ち、社会と自分とのバランスをとって生きていくのではないかしら。
では父性が欠如してる子は、もしかしたら、
その恐怖そのものに引きつけられていくのではないかしら?とね。
ああ、だから私は恐怖の愛が好きなのね…。
そして私はこの生き方に結構満足してるんですよね。
父がいなくてよかったなと思っています、今ではね。
確かに私が引かれる愛って、恐怖を伴うみたいです。
平穏な愛って、それはそれでいいけれど、多分私にはあきたらないと思うから。
人にどう思われようが私は私だし、自分に正直に生きていこうと思う。
そう、恐怖の愛が好きなんです。
ロマンあふれる愛の恐怖漫画を描き続けます。
そしていつか必ず見つけます、美しい恐怖の恋人を!(おお〜)