前から読みたいと思っていた「市場・メディア・著作権」と副題された栗原裕一郎著『<盗作>の文学史』(3800円+税 新曜社刊)を昨日から読んでいたのだが、読了してまず思ったのは「この著者は文学というものをどう考えているのか」ということであった。
というのも、「索引」を含めると492ページという大部の著作で取り上げた「盗作」を問題視された作品を果たしてきちんと読んでいるのか、この本は「盗作」や「盗用」、あるいは「剽窃」の疑いを掛けられた作品に関する「情報」によって書かれたもので、それが本当に「盗作」なのか否か、自分の判断を捨象しているのではないか、と思ったからに他ならない。しかも、その「情報」も不十分で、僕がこれは問題だなと思ったのは、「盗作」疑惑をかけられた現存作家に例え断られルようなことがあったとしても、なぜ「取材」しなかったのか、彼ら・彼女らにも「言い分」があったのではないか、という点である。経験的に言って、メディアはそのメディアの「性格」「傾向」「思想」によって、いくらでも白を黒と言い、黒を白ということがある。だから、その「情報」に対する判断は、まず自分のその作品への「読み=鑑賞」があって初めて可能なのであって、他人の「情報」をいくら集めても、「事実めいた」ものは書けても、「情報」を「正しく」伝えられないのである。そのことにこの栗原裕一郎という物書きは気が付いていないのではないか、とおもったのである。
現に友人として、また批評家として「盗作問題」に関わってきた人間としてこの本を読むと、どうもセンセーショナリズム(もちろん、マスコミジャーナリズム的に)に気を取られて、あるいは著名人の「言動」や著名メディアの「情報」しか見ておらず、それらによって「偏った」判断を行っているのではないか、と思わざるを得ないのである。例えば、僕も巻き込まれた井伏鱒二の「『黒い雨』盗作疑惑」問題に関して、「盗作」を言い出した広島在住の老歌人豊田清史の言説が全くの「言いがかり」で、結論的には「目立ちたがり屋」の「世迷い言」であったというのは、この本の中でも取り上げられている相馬正一(太宰治・井伏鱒二の研究者)をはじめとして、広島在住の研究者や文学者(井伏が「黒い雨」を書くきっかけになったとされる「重松日記」の著者重松閑間氏の息子の証言なども含まれる)、あるいは僕(僕は、相馬正一より早く彼とは全く別な形で合計して200枚ぐらいの豊田清史批判を書いている)によって完膚無きまでに批判されていることに、全くこの本は目配りしていない。今夏ヒロシマから送られてきた雑誌(短歌誌)を見ていたら、自分の著書や書いた文章によって「被爆場所」がくるくる変わる被爆歌人豊田清史の「いい加減さ」を批判する実証的な文章が載っていた。今まで同じ歌人として我慢していたのだが、昨今の言動が余りにも「目に余る」ので書いた、と記されていた。そのような人物の「捏造」「誹謗中傷」をあたかも「正義」の如く取り上げて井伏批判を展開した猪瀬直樹や谷沢永一の「言」を大きく取り上げているこの本は、それだけ見ても「信用できない」と言わねばならない。
もう一つ、立松和平の『光の雨』事件についても、この小説の根幹をなす「連合赤軍事件・問題」には一切触れず、もっぱらどのようにこの「盗作事件」が処理されたのかに費やされており、事件が沈静化した後立松が全力を投入して書いた『光の雨』について、「盗作」が云々された「すばる」誌連載の作品とどう違うのかの検証さえ行わず、スキャンダルとしてしか扱っていないという、「文学」と無縁の説明になっている。また、一番新しい「盗作」疑惑に関して、2007年10月30日の「毎日新聞」に寄せられた茨城県の主婦の文章を、札幌在住の小檜山博がJR北海道の社内誌に連載している掌編小説で「盗作」(極似)していたという問題、現地で話を聞けば、当時北海道で部数獲得競争を繰り広げていた「毎日新聞」と「北海道新聞」(小檜山は長い間北海道新聞の社員だった。今でも小檜山と北海道新聞は切っても切れない関係にある)の「あおり」を受けたのではないか、ということで、およそ「文学」とは関係ない話になっている。このような本を出すということは、散り方によっては作家生命を脅かすことだってあるだろう。そのことを考えれば、栗原のフォローは足らなかったのではないか、と思和ざるを得なかった。それに僕の知る戦後文学の巨人による「盗作」問題(多くの文壇関係者には周知のこと)について1行も触れていないのも、ちょっと腑に落ちないことである。
忙しいのに、ついつい読んでしまった。誰しもスキャンダルが好き、ということか? だから「文学」は面白い、とも言えるのだが……。 |
お手紙受け取りました。ありがとうございます。
毎日これだけお忙しい中、お手紙までいただいて
感激しました。
私もそうでしたが先生とご連絡が途絶えている方でも
連絡を取りたいと思っている人はたくさんいるはずです。でも私のようにあまり良い学生でなかったり
その後連絡をとりづらいような出来事があったりするとなかなか…。
気にかけてくださっているのですから、
たまに連絡を差し上げたほうが失礼ではないのかも
しれないですね。
先生には感謝してもしても、尽きることはありません。これだけ多忙な中、あれだけ学生のために
時間を割いて丁寧に学生の言おうとしていることを
汲み取って指導してくれる先生など、そうそういないと思います。
また、先生に指導を直接受けたことがある方なら、
ここに書かれていること、先生が言おうとしていることはわかるはずです…
(時々コメントに変なお返事が来ているようですが。どうして直接のコミュニケーションじゃなくなると、ああも横暴になれるのか不思議です。たとえ異なる意見を持っていたとしても「言い方(書き方?)」というものがあると思います)
先生のお言葉を胸に、頑張ろうとあらためて思うことでした。元気が出ました。ありがとうございます。
追伸
お手紙に書かれていた祖母は、残念ながら1年半前に亡くなりました。
ついでになりますが、お祖母ちゃん、残念でしたね。今度お参りするとき、よろしくお伝え下さい。
また先生におかれては、「文学」という語を学問とは別個の何か神聖なものだとお考えのようですが、学問をしている人間にとって、そのような文芸評論家的態度は無縁のものであります。
「立松和平の盗作事件」の、真相はどうだったのでしょうか。テレビや新聞では、立松本人も盗作を認めてテレビでも謝罪していたようでしたが、立松和平は盗作をしていなかったのでしょうか???
確かに、マスコミというのは事実を歪めて、報じていることもままあるようです。ぜひ、立松和平の盗作事件の真相を教えてください.
そもそも、物書きたるもの、自分で考えたコンセプトこそ売りのはず。。。盗作なんて、最低最悪だと思います。立松和平の名誉のためにも是非。
それは、僕が「盗作疑惑」の作家に直接「取材」すべきだったのではないか、と書いたのは、亡くなった作家や行方不明の作家について「取材しろ」と言ったのではなく、現在もなお活躍している作家たちに取材すれば、彼ら彼女なりの「言い分」があるだろうということだし、仮に物故作家の場合でも関係者が生存している場合は、電話でも何でもいいから「取材」すべきではないか、といっているだけです。僕には栗原氏が余りに「情報」(メディア)に頼りすぎているのではないかという印象を持ったので、あのように書いたのです。小谷野さんも「谷崎潤一郎伝」などをお書きになったとき、現存関係者への取材の「大切さ」を痛感したのではないでしょうか。
なお、「盗作疑惑」を掛けられた作家がその問題について発言することの困難を僕は立松和平の「光の雨」事件で痛感させられました。「犯罪者」的な扱いしかしない既存のメディア(編集者たち)は、みな「逃げてしまい」四面楚歌になる、というのが現実だと僕は思っています(時間が経って、つまり「ほとぼりが冷めた頃」書かせてくれるメディアも無いではないようですが、栗原氏の本はその点のフォローも無いように僕には思えました)。
さて、戦後文学の巨人についてですが、20年ほど前中野孝次から「Hさんの本に俺の「実朝考」とそっくりの部分が数ページある。そのことをHさんに言ったら、俺に使われたのは本望と思え、といわれた」と聞いたことありますし、H氏のパプア・ニューギニアでの人肉食を扱った長編(岩波書店刊)は、読者から送られてきた体験記の引き写しで、印税をそっくりその読者に渡したというのは、文壇の「常識」と言われる出来事です。小谷野さんも栗原氏も「文壇」内事情に詳しいようですので、「H」とは誰か、推測してください。僕からは事情があって名前は言えません。ご勘弁下さい。
なお最後に、あの小谷野さんがまさか「文学」と「学問」を分けて考えているとは、信じられません。何かの間違いではありませんか。常に「引用」と「盗作」に気を遣っているはずの小谷野さんの発言とは思えませんが、いかがですか?
学生Bさんへ
立松がテレビで謝罪していたというのは「光の雨」事件の時のことでしょうか。もし、そうであったならば、それは「すばる」に連載したときの「光の雨」が連合赤軍事件の死刑囚坂口弘の「手記」に似ていると告発されたとき、その本や他に連合赤軍事件関係者の手記などを参考にして、結果的に「盗作」と言われるようなことになったことを「お詫び」下のだと思います。
このことは僕も別な箇所(「立松和平伝説」などでも書きましたが、立松の作品以前に立松の友人であり作家である三田誠広が「連合赤軍事件」をカリカチャライズした「漂流記1972」を書き、その戯画化があまりに酷かったので批評を買い、立松はそのことを近くにいてつぶさに見ていたので、自分たち世代の責任として「できる限り<事実>に近い形で」連合赤軍事件(1970年前後の「政治の季節」=全共闘運動)の本質を小説という形で問いたい、という思いから、坂口弘やその他の手記を使ったのです(そのようなことを「お詫び」という形でテレビで話したのではないかと僕は記憶しています)。
「引用」にすべきか、「参考」にした創作とすべきか、その方法は作家独自のものです。他人事でなく、難しい問題です。自分で考えたと思ったコンセプトが、実は既に他の人がもう使っていた(考えていた)というのは、良くあることです。どこまでが無意識による「コピー」か、そうではなく完全な「オリジナル」であるか、これも難しい問題です。
暴言をお許しください。しかしながら栗原氏著は私も関わって出た本ですから、それ相応の文句を言う権利はあります。
私の見る限り、栗原氏が、取材すれば引き出しえた事実を見落としているなどということはないと思いますが、さてたとえば立松和平について言うなら、立松にはいくらでも自著等で弁明する余地はあると思います。栗原氏は別にメディアの報道にだけ頼っているわけではなく、立松が何も弁明していないからそれを利用できなかっただけではありませんか。もし先生が、立松の言いたいことが何者かの圧力で言えない、などということをお考えでしたら、先生ご自身が立松に成り代わって書けばよいことではありませんか。
また「学問」と「文学」を分けるというのは当然のことで、学問は客観的事実を明らかにする科学であり、先生が「文学」と言っておられるのは、私にはドイツ・ロマン派的な意味での「批評」の類としか思えません。その辺のことは拙著『評論家入門』で十全に論じたので、お暇の折にでも御覧ください。
なお「文学」について言えば、私はそれはゴシップを淵源とする、と何度も書いております。
なお私も栗原氏も「文壇」とは関係ないので、事情には詳しくありません。(なぜ詳しいと考えたのでしょうか)
立松氏の創作に対する姿勢や、黒古先生の上記の一連の発言などから感じ取られてしまうのは、「文学」ならば許されるという「驕り」です。「文学」を神聖視・特権化するあまり、他者の創作物を搾取し、それを暴力的に奪っているということに対し極度に鈍感になっているとしか感じざるを得ませんでした。
それにしても学生Bのように、ここで問題になっている栗原氏の著作を読みもしないで質問してくるバカモノを相手にしていて、ご苦労なことです。私なら「読んでから言え」と怒鳴りつけますがね。
過日、栗原氏の「盗作の文学史」を読み終え、なかなか面白い本だと思い、他の人はどう感じたのだろうかと、あれこれネットを検索しているうち、貴殿のブログを拝読するに至りました。
貴殿は「盗作の文学史」を、「情報」によって書かれたものではないかと疑義を呈しておられますが、いったい全体、貴殿は、栗原氏のどの文章を読んでそう思われたのでしょうか。その文章が参照した「情報」とは何なのか、併せてご教示いただければ幸いです。
一例のみで結構です。
追伸
ある人の著作に対し、具体的な例を出さずに論難するのは卑怯だと、私には感じられます。その点についてどうお考えなのか、できればご教示たまわりたく存じます。
僕が「情報」と言っているのは、関係者への「直接取材」や地道な「資料探査」などとは異なる雑誌や新聞といったメディアに掲載された記事全般、という意味においてです。今回栗原裕一郎氏の「<盗作>の文学史」について「情報によって書かれたのではないか」という疑問を呈する際に使った「情報」という言葉の裏には、マスコミ・ジャーナリズムの「表層」に流れる「情報」しか扱っていないのではないか、という僕自身の「不信」があったからです。
例えば、僕が「当事者の一人」でもあった井伏鱒二の「黒い雨」盗作疑惑について、地元の広島で刊行されている「安芸文学」や「梶の葉」、あるいは「尊魚」において、栗原氏が名前を出した相馬正一氏をはじめ地元の原爆文学研究者や井伏鱒二研究者らが、「火種を蒔いた」豊田清史氏について繰り返し、彼の全く実証的でない「でたらめさ」や「いい加減さ」について指摘し続けてきたのに、そのことについて栗原氏が全く触れておらず、代わって谷沢永一や猪瀬直樹といった豊田清史氏の言説に頼った「井伏批判を目的とした」人たちの大メディアに載った「意見・考え」を紹介しているその姿勢について、僕は「情報に頼り過ぎているのではないか」といった意味の感想を書いたのです。
ついでに、これは山口さんからの疑問についてではありませんが、「言論封殺」について、豊田清史氏の「黒い雨」盗作説を(たぶん、編集委員である本多勝一氏の「大江健三郎批判」の延長線上で)載せた「週刊金曜日」に対して、この「良心的」と言われてきた論説週刊誌は「投稿歓迎」ということだったので、投稿規定に基づいて僕は「豊田説批判」の文章を投稿したが、掲載されず、その理由も伝えられることがなかった、ということがあります(なお付け足せば、僕は大江の評価を巡って本多氏と対立していて、「週刊金曜日」で氏から名指しで批判されるということがあったので、実は僕の「投稿」は無視されるだろうな、と思っていましたが)。
以上が、具体例を含めた僕の考えです。
学生Cさんへ
まず、あなたは立松和平が「創作家失格」のような言い方をしていますが、立松が「光の雨」事件の後書いた「光の雨」(新潮社刊、現在文庫で読める)を読みましたか。また「二荒」については、どうですか。もし、この2作を読んでいれば、軽々に「創作家失格」などとは言えないと思うのですが、どうでしょうか。あなたはどうやら「文壇通」のようなので、ご存知かと思うのですが、「二荒」のどの箇所がどの本からの「盗作」と責められたか、実態を知ってもなお立松を「創作家失格」というのでしょうか。僕としては「学生」と名乗っている以上「若い人」だと思うのですが、「情報」に惑わされることなく、自分の目できちんと「判断」することをお奨めします。もしあなたが僕の学生でしたら、小谷野さんのご教示に従って「読んでから言え」と怒鳴りつけるところです。
ただ私が疑問に思ったのは、小谷野さんが何故ここまでエキセントリックになるのだろうか、ということでした。端的に言えば、ここまで感情を剥き出しにしてまで乱入された意図が、さっぱり分からないのです。あまつさえ、ご自身のブログで悪口雑言ということに到っては何をか言わんやです。
通常の正当な論戦なら何も言うことはありません。それどころか、こちらも大いに勉強になりますので歓迎したいくらいです。
でもね、これじゃあんまりですよ。小谷野さんご自身の品性にも関わってくることですので、礼を失するようなことは避けられた方が宜しいかと思います。
栗原氏は、相馬正一と豊田某の論争を十全に紹介しているのに、上の黒古氏の文章はまるでそれがなかったかのように書いている。一体本当に『<盗作>の文学史』を読んで書いているのか。
他人の著作を批判するときは、
よくよくその著作を読まないといけない、
ということを改めて認識しました。