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【社説】

週のはじめに考える 時代が求める首相像

2008年9月14日

 自民党総裁選挙の最中です。直後に解散・総選挙が予定されますが、人気だけでなく、時代をリードする指導者選びの場にしてもらいたいものです。

 首相の出処進退で、今も鮮明に思い出すエピソードがあります。

 故大平正芳氏が一九七九年秋の衆院選挙で、現職首相として一般消費税構想を掲げて戦い、敗れた直後に福田康夫首相の実父、故福田赳夫元首相から退陣を迫られた時のことです。

 「辞めろとは、私に死ねということか」と大平氏は反撃します。クリスチャンで、日ごろの温和な態度からは想像もできない激しい言葉遣いです。

「俺の後に誰がいる」

 一時間四十分にわたって「辞めろ」「辞めない」の応酬を繰り返し、首相官邸に戻った大平首相は当時の加藤紘一官房副長官と遅い昼食を取りながら、こんな問い掛けを加藤氏にしました。

 「今、俺(おれ)が辞めたら、誰が懸案の解決に取り組むのか。加藤、俺以外に誰がいると思うか。言ってみろ」

 加藤氏は、何とも答えようがなく黙ったままでした。すると長い沈黙の後で大平氏は、こう言ったというのです。

 「やはり福田しかいないな」

 加藤氏は跳び上がらんばかりに驚きました。が同時に、国を思えば政敵といえども好き嫌いの私的感情では処すことができない最高責任者の複雑な胸の内を垣間見たと述懐しています。

 結局、大福両氏は和解せず、国会での首相指名選挙に自民党から二人が立つ「四十日抗争」に発展し、その延長戦で翌年、大平内閣不信任決議可決−衆参同日選挙−大平首相急死−自民圧勝につながっていくのです。

93年に似る政局流動化

 先の福田康夫首相の突然の退陣表明は、総選挙で民主党に対抗するには自分より人気が高い麻生太郎自民党幹事長の下での解散がベターと判断した捨て身の行動だったに違いありません。

 だが、その後の各種世論調査にみられるように、安倍晋三氏に次いで二代続きの政権投げ出しは、あまりにも無責任との批判が渦巻いています。

 どこが無責任か。内閣総理大臣という公人としての自覚が欠如している点です。政治家が民間人と違うのは、世のため人のため国のために働いている特別公務員だということです。特に首相は、その集団のトップに立つ人間ですから「公」のためには千万人といえども我行かんの気概が不可欠です。

 昔から首相官邸の主人には三つの病気がつきものといわれてきました。「権力病」「孤独病」「本当の病気」。なかでも権力病は厄介です。権力の座に執着して裸の王様になるのは国民にとって悲劇ですが、地位が持つ力を使いきれない首相も哀れです。

 現在の政治状況は、政局流動化という点で細川護熙政権が誕生した一九九三年政変の前夜に似たところがあります。二十二日の総裁選で自民新総裁が誕生しても、近くに迫った総選挙の結果しだいでは、首相が民主党の小沢一郎代表になる可能性もあるし、さらに自民、民主両党とも過半数を取れなければ一挙に政界秩序が液状化する公算も否定できません。

 しかも十五年前と決定的に違うのは「少子高齢化の進行」「破産状態の国・地方財政」「各面で広がる格差」「国際的存在感の希薄化」など日本が濃霧の中でダッチロールしていることです。それだけに余計、この時代のトップリーダーには、公人としての強じんな意志、適切な政策判断、ぶれない指導力が必須の要件となっています。しかも大衆化社会における首相は、行政の失敗もきちんと国民に説明できるインフォームドコンセント(十分な説明と同意)を心得ていなければなりません。

 歴代首相のタイプには「大統領型」と「タンカーの船長型」の二つがありました。田中角栄、中曽根康弘、小泉純一郎氏らが前者とすれば、後者は福田赳夫、大平正芳、竹下登氏らです。

 持ち前の個性を権力で倍加させる大統領タイプが今の時代向きなのか、それとも集団の力で船を定刻に寄港させる船長タイプがいいのかは、意見の分かれるところでしょう。依然根強い官僚政治に大きな風穴をあけるには大統領型リーダーが有効でしょうし、国民の自覚を高めて国力回復を図るには全員野球の船長型リーダーが効果的かもしれません。

「職場放棄」しない人を

 どのタイプであれ、指導者が「職場放棄」する事態だけは、御免こうむりたい。「日本劣化」が進む閉塞(へいそく)状況を打破できるのは、やはり政治の力であることを国民が自覚できる総裁選や総選挙にしてほしいと願うこと切です。

 

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