« 同窓会 | トップページ | 人類の最後 »

2008年9月11日 (木)

ずさんな行政のつけ

News&Letters118/

東洋町野根の漁港に設置されて、十年間以上稼働させていなかった活魚の畜養施設が会計検査員の検査にかかり、4200万円に上る補助金の返還が必至となってきた。この種施設は隣の室戸市など同様の理由で補助金返還の始末となっていた。

同和対策事業のやりっ放し、無駄事業のつけである。ずさんな行政の付けが何の罪科もない後代の者に回されてくる。政治的な圧力で無駄な施設を次々と作った。責任ある連中は退職金をたっぷりもらって悠々と暮らしている。

1945年8月15日第二次世界大戦の終結、ポツダム宣言の無条件受諾を天皇政府は発表した。
戦艦ミズーリでの実際の降伏文書の調印は9月2日であった。政府は8月15日に降伏を連合国に通告し発表したが、しかし、前線で休戦協定を結ばなかった。8月15日から9月2日までの2週間あまり、この間隙を縫って巨大な悲劇が展開された。
特に中国東北部では150万の同胞が大混乱に陥り、兵士50万人がとらわれの身となった。非命に倒れた犠牲者は数十万人に上る。

8月15日の降伏が遅かったことは別として、そのとき同時に全戦線で相手側と休戦協定を結んで戦争を実質的に停止する措置を必要とした。降伏の意志を発表すれば戦争は終わると思っていたのであろうか。戦争状態を終わらせる行政実務が必要だということが分からなかったのであろうか。帝国主義の世界戦争では、敵は容赦はしてくれない。

無責任な行政実務のつけは、不必要で無謀な鉄血の蹂躙の元に多くの国民を死地に追いやったのであった。
責任を全うするどころか我先に逃げ帰った官僚達。

行政に関わる者は、今自分らがやっていることで、負の荷物を後代の子孫に残さないようにしなければならない。責任の所在を明らかにし、いつでも弁済する覚悟で事に当たる必要がある。
金銭の負債は金銭であがない、血債はみずからの血でもってあがなわれなければならない。

|

日本の歴史」カテゴリの記事

東洋町の改革」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/408473/23660266

この記事へのトラックバック一覧です: ずさんな行政のつけ:

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。