親子3代のトヨタ社員だった内野さんが30歳で急死した。遺族は月144時間を超える残業が原因と労災申請したのに対し、労基署は却下し、地裁に提訴した処分取消し請求がやっと認められた。労基署が控訴しないように協力要請した遺族に、トヨタの返事は「当事者でない。何も言えない」だった。
元気だったころの内野健一さんと一家の家族写真
資料や博子さんの話によると、健一さんは1989年にトヨタ自動車に入社した。01年4月から車体部品質物流課のEX(エキスパート=班長)として配属された。死亡したのは翌年2月9日。夕方4時10分から深夜の1時まである「2直」の残業中、午前4時20分ごろ、「椅子から崩れ落ちるように」倒れた。病院に搬送されたが、2時間後に死亡した。死因は不整脈による心停止とされている。
博子さんが計算したところ、死亡1ヶ月前の健一さんの労働状況は、残業時間だけで144時間35分。健一さんの死後、博子さんは豊田労働基準監督署に労災申請をした。労基署は残業の多数を占めたとされる「業務改善活動」を業務外と見なし、残業時間を45時間35分と判断した。労災認定を退けられて、博子さんは労働保険審査会に審査請求をした。
ライン作業のとりまとめ役をしていた健一さんは、部品の不具合や見落としの原因究明などの対応に追われ、また複数の業務改善活動を命じられた。過密な業務量とストレスが体調を悪化させたという。
「夫はいつも夜中の2時、3時に帰宅していた。家族が待つには難しい時間だ。酒をまったく飲まず、ギャンブルもしない人だった。子ども2人は当時1歳と3歳だった。これからかわいくなる時期だったのに、本当に残念でならない」
博子さんは労基署の処分の取り消しを求めて2005年7月に名古屋地裁に提訴。今年11月に出された判決は、残業時間を約106時間と認定、「業務と死亡には因果関係がある」と結論付けた。
全トヨタ労組の若月忠夫委員長(左)と内野さんの妻博子さん
労基署に労災申請するとき、「夢中で会社のために働いていた。夫の祖父も父も、親子3代でトヨタに力を尽くしてきた。それを認めてもらいたかった」と博子さんは言う。判決後、トヨタに「労基署が控訴しないようにしてほしい」と伝えた。だが、トヨタの返事は「訴訟の当事者でないので、何も言えない」だったという。
全トヨタ労組は昨年結成された新しい組織。若月忠夫委員長は現在の労働組合状況について、「主体性がなくなってしまった。本当は企業と対等でなければならないのに、飲み込まれてしまった。これが悲劇を生んでいる原因なのではないか」と話した。
若月委員長は会見に出席していた日本の報道陣に「トヨタについて、オープンな取材ができていますか」と問いかけた。今や国際語ともなった「カローシ」という言葉を知ってか、外国人記者らは苦笑していたようだった。