■島人の若者の転落と後悔・・・
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一面に広がるサトウキビ畑は、収穫期を迎えていた。鹿児島県・奄美大島。琵琶湖よりも大きな面積を持つ島は、温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、なだらかな山の裾野におよそ7万人が暮らす。
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島最大の町・名瀬市。島出身の若者が逮捕という全国ニュースは、小さな町を駆け巡った。
【町の人は・・・】
「知ってます。地元も一緒なんで・・・」
「『人情の島』というイメージがある所の若い子たちというのは、ショックです」
「考えられんな・・・」
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グループは、リーダーで指示役の川畑 将容疑者。その下に、取立て役の同級生・南 勇介容疑者。他に、後輩の2人と、当時19歳の少年を加えた5人のメンバーで構成されていた。
グループは、組織内で『島人』と呼ばれ、結束力が強く、その取立ては凄まじかったという。
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【グループを知る関係者は・・・】
「『殺すぞ』は当たり前。声が漏れるのを気にして、クローゼットの中に入って、タオルで口を押さえて・・・」
彼らを犯行に駆り立てたのは何だったのか・・・。
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川畑容疑者と南容疑者は、同じ日、同じ病院で産まれたという。共に、両親は離婚。やんちゃだった2人は、幼い頃から仲が良かった。
【2人の知人は・・・】
「(川畑容疑者は)明るく人気者。ムードメーカーみたいな・・・。勇介は、盛り上がれば面白い」
川畑容疑者は、スナックで働いていた20歳の頃、島を出た。大阪・川崎、そして、東京へ。
同じ頃、南容疑者も、尼崎で内装業の働き口を見つけていた。東京にいた川畑容疑者は、南容疑者をこう誘ったという。
『がんばった分だけ、稼げる仕事がある。東京に来ないか?』
魅力的な言葉だった。
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島の仕事は少なく、平均年収は200万円あまり。彼らだけでなく、若者の多くが、夢や希望を胸に島を出る。
【島の人は・・・】
「仕事がないじゃない。8割くらいの人が島を出る」
「私は内地に出たかった。狭い社会では嫌だった」
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だが、希薄な人間関係や習慣の違いに戸惑い、都会に馴染めないのも少なくない。
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川畑容疑者の仲間に対する指示は、厳しさを増していったという。
【2人の知人は・・・】
「勇介は、八尾の事件前から2回くらい逃げたみたいだけど、将が勇介の彼女にまで脅しの電話をしていた。それで、勇介は迷惑をかけたくないから、戻った」
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そして、2003年6月。八尾で、あの事件が起こった。
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事件後、南容疑者は島に戻り、再び内装業に就いていた。
事務員「2004年の4月までいたかな?5月にいなくなった気がするけど・・・」
社長「全然気がつかなかった。電話一本で稼げる社会になっているから、そういうのに引っ張られていくのではないかなあ」
明細には、『2万円の前借り』とあった。生活にすら、困っていたのだろうか?
友人「『ここで仕事ないか?』と。最初の頃は、夜の商売とか・・・」
事件から2年と9ヵ月。捜査本部は、島のパチンコ店で南容疑者を逮捕した。調べに対し、「後悔している」という。
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指名手配中の川畑容疑者も、事件後、島に戻っていた。疲れきった様子で、八尾の事件への関与を知人に告白していた。
【2人の知人は・・・】
「『実は、俺らが追い込んだ客だ』って。目の下にクマを作って、『寝れない』って言ってた」
島の仲間たちは、まるで、自分のことのように、今回の事件を悲しみ、怒り、そして、彼らを思う。
【2人の知人は・・・】
「将1人が逃げているのが許せない。罪をちゃんと償ったら、みんな温かく迎えてくれるはず。出てきて欲しい・・・」
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夫婦ら3人を死に追いやったヤミ金事件。彼らは、巨大な組織の末端でしかなかった。『島人』の誇りは、どこへ行ったのか?川畑容疑者からの連絡は、途絶えたままだ。
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