北京五輪が閉幕し半月以上たつが、日本女子ソフトボールの金メダルの記憶は色あせない。まさか、ここまで競技がメジャーになり、世界の頂点に立つとは。学生時代、プレーヤーの端くれだった身には感無量の出来事だ。
当時、私たちは兵庫県西宮市の武庫川河川敷で細々と練習していた。「愛好会」を名乗ってはいたが、硬式野球経験者が大半を占め、どこか退屈だったのだろう。各大学の体育会が集まる関西学生ソフトボール連盟に加盟することになった。
競技用ソフトへの挑戦―。ボールはゴムから革に変わった。先が異様に太いバット。ピッチャーを任され、ウインドミルの習得に向けて、肩の回転がスムーズになるようタオル回しが日課になった。
デビュー戦は、学らんの応援団に圧倒されて散々だったが、猛練習を積み、交流戦では2部チームを倒し、1部の京都産業大との互角の戦いが自信になった。ただ、相手エースの浮き上がるライズボールと、鋭く曲がる変化球は“野球観”を変えるような衝撃だった。
「塁間は短くてスピーディー。競技用ソフトはブームになるだろう」。翌日、リーグの記事が全国紙の片隅に載った。マイナーな競技が取り上げられ、うれしくなって、入部の勧誘にキャンパスを走り回ったものだ。
岡山県営球場で十三、十四日、上野由岐子選手らが出場する日本女子リーグ1部の試合が行われる。将来の活躍を夢見る多くの子どもたちも観戦に訪れるだろう。ロンドン五輪では正式競技から外れるが、各地域に、次世代にもっと普及すれば、復活への道は近い。
(社会部・広岡尚弥)