桜井淳所長の最近の講演内容-国内外の社会科学の原著論文を熟読・吟味して気付いたこと-
テーマ:ブログ桜井淳所長は、いまでも、定期的に、世界の代表的な理工系学会論文誌と科学技術社会論系学会論文誌の文献調査を継続していますが、最近では、後者に該当する欧州の"Social Studied of Science"(1976-2008, 約1600編、査読付ですが学会論文誌ではありません)と米国の"Science, Technology & Human Values"(1971-2008, 約1600編)を熟読・吟味したそうですが、それに拠ると、最初に気付くことは、日本人の掲載論文が極めて少ないことで、前者の論文誌では4編(Kazuo Tomita, Miwao Matsumoto, Atsushi Akeda, Yasushi Sato)、後者の論文誌では1編(Keiko Tanaka)のみで、それも知っている名前は、たった1名(Miwao Matsumoto)しかなく、その原因は、日本人の投稿が極めて少ないのではなくて、多く投稿しても、査読でリジェクトされ、掲載されないだけで、社会科学の世界的論文誌に原著論文が掲載されることの難しさ示しており、つぎに気付いたことは、両誌とも、世界的に著名なWiebe E. BijkerやTrevor Pinch, Sheila Jasanoff等の論文は、数編掲載されていることで、その原因は、研究者としての実力の高さと英語圏の研究者であることであり、社会科学の論文に欠かせない非微妙な表現による論理展開での有利さがあるためで、つぎに、気づいたことは、査読付原著論文と言えども、文献の引用が不正確であったり、作為的であったりする場合があるため、論文の記載内容をそのまま鵜呑みにせず、自身で引用文献まで遡り、熟読・吟味しなければならないことで、そのようなことは、日本の査読付論文に著しく、たとえば、吉岡斉「戦後日本のプルトニウム政策史を考える」(『年報 科学・技術・社会』、Vol.2, pp.1-36(1993))において、文献引用の範囲からすれば、「これは原研にとって大きな痛手となり、原研は研究開発プロジェクトの企画運営能力を疑問視されるようになった。それに追い討ちをかけたのが人事管理問題の深刻化である。原研では59年6月以来ストライキが頻発し労使関係が極度に悪化したため、原研首脳陣の人事管理能力の欠如が政官界から厳しく問われたのである。この「原研問題」は64年春に収拾されたが、それ以後原研は政府系の原子力開発の中枢機関としての地位を剥奪された(文献19)」までであり、しかし、文献19(原産編『原子力は、いま(上)』のpp.111-124)には、原研のあり方・プロジェクト・人事問題の記載はあるものの、「原子力開発の中枢機関としての地位を剥奪された」かそれに匹敵する表現はなく、明らかに文献引用範囲を間違えており、正しくは、「・・・原研首脳陣の人事管理能力の欠如が政官界から厳しく問われたのである(文献19)。この「原研問題」は64年春に収拾されたが、それ以後原研は政府系の原子力開発の中枢機関としての地位を剥奪された。」とすべきであり、吉岡の描く、非常に重要な「この「原研問題」は64年春に収拾されたが、それ以後原研は政府系の原子力開発の中枢機関としての地位を剥奪された。」ことがあたかも真実かのように、客観的な文献があるかのように、意識的に引用範囲を拡張(査読者に能力がないため、見破れない)したとしか考えられません(文献引用の不適切な例や間違った例は、原著論文より桁外れに、エッセー(査読を経ていない単行本)に多くあり、村上陽一郎のエッセーは、その代表的な例です)。