「市民の生活と安全のために」中国資本進出を拒否した仙台市長梅原克彦氏の英断
「わが故郷に中華街は作らせない」
2008年9月12日(金)0時0分配信 SAPIO
掲載: SAPIO 2008年8月20日・9月3日号
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しかし梅原は、この投資話が他の自治体に波及することに強い危機感を抱いていた。
「自治体の長も中国については、まだまだ勉強不足です。確かに仙台市は、中国とは、文学者の魯迅が医学生として東北大に留学して以来のご縁があります。私もそうですが、仙台市民にはもともと、中国に対する差別や偏見はありません。
しかし、個人と個人との話は、国と国との話とは別なんだから良いではないか、という単純な話ではない。中国のアジア戦略のなかには、自治体同士の交流も、民間レベルの交流も、大前提として組み込まれているわけですよ。中国共産党には、対日戦略が存在し、自治体同士の友好都市とか姉妹都市を活用し、取り込んでいく戦略を持っているのです。それに安易に利用されてはいけない」
梅原は、周囲を説得するために、中華街構想を推進した中瑞財団を独自に調べた。すると、「100億元(約1500億円)の資金を動かせる」と豪語していたはずの中瑞財団は、すでに05年段階で、中国国内でも資金面で苦境に立ち、未払い問題を起こしていたことが判明したのである。
「温州市のある投資プロジェクトで、中瑞財団の子会社が市政府に対し7億6000万元の未払い金があり、不良債務者リストのトップにランクされていたのです」
梅原は中華街構想についての考え方や懸念を、根気よく丁寧に説明して回った。そして最終的には多くの推進派や仙台市民にも受け入れられるようになった。
当初は計画の積極推進派だったある市会議員は、この問題を収束させるため奔走した。計画が頓挫した後、梅原は中国のメディアから「右翼」と評されたが、市民の批判は次第に消えていった。
結局、06年2月、中華街構想は市側が「助言、協力を表明できる状況にない」と中瑞財団に協力撤回を伝え、財団は計画を断念したのである。
梅原は東大に入学する前年の72年に日中国交正常化を経験。その影響を受けた学生時代は、第二外国語に中国語を選んだ。教材は共産党の指導文書。マルクス・レーニン主義や文化大革命の本も、数え切れないほど読んでいた。中国とは30年来のつき合いでたくさんの友人もいる。
その一方で官僚時代の梅原は、APECや「ASEANプラス3(日中韓)」などの外交の現場で、中国と厳しい外交交渉を行なう中で、それまで抱いていた中国観が変化していった。
「私は経済産業省での仕事を通じて、現在に至るまでの中国共産党の世界戦略、対日戦略を長い間観察してきました。そこでわかったことは、『抗日戦を戦い抜いたこと』が、中国人民にとって、自らの『正当性』を主張する根拠になっているということです。
とりわけ江沢民の時代から、中国は歴史問題を蒸し返すことで日本と日本人を悪者にし、日米間を離反させ、日本を極東の片隅に封じ込めておくことで、日本より外交上優位に立つ戦略をとってきたのです」
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