「市民の生活と安全のために」中国資本進出を拒否した仙台市長梅原克彦氏の英断
「わが故郷に中華街は作らせない」
2008年9月12日(金)0時0分配信 SAPIO
掲載: SAPIO 2008年8月20日・9月3日号
-PR-
文=山村明義(ジャーナリスト)
「オンブズマン制度日本発祥の地」といわれる仙台市。この地に、日本の保守の孤塁を守り、現在も一人、気を吐き続けている首長がいる。
05年8月に仙台市長に初当選した梅原克彦。06年2月、当時仙台市内に計画中だった「仙台空中中華街構想」に反対し、白紙に戻す「英断」を下した人物として、梅原は全国的に知名度を上げた。
一方、自民党国家戦略本部は、外国人の「1000万人移民計画」を打ち出した。中川秀直元幹事長らが推進し、少子高齢化で悩む日本の労働力不足を外国人労働者によって穴埋めしようという計画だ。それと呼応するように、中国では共産党指導部が、03年の全国人民代表大会(全人代)で、中国企業や資本の海外進出を奨励する「走出去」政策を打ち出した。日本国内に大量のチャイナ・マネーと中国人が流れ込み、特にバブル経済崩壊から立ち直れずに疲弊していた日本の地方経済は、積極的にこれを受け入れている。
仙台市以外でも札幌、神戸、福岡、東京といった大都市で、「新中華街構想」が続々と立ち上げられ、現在も計画が進行中のものもある。
そんな中、一見して時代の流れに逆行する決断を下した梅原。その真意に迫った。
まず、中国資本による「仙台中華街構想」の概要と経緯を振り返る。
中国側が最初に仙台市に目をつけたのは01年である。横浜の華僑系企業コンサルタントが仙台空港のある名取市に農業用地4万6000uを取得し、「仙台中華街」を作る構想を打ち立てたが、その時は誇大な計画が批判され、いったんは中止に追い込まれた。 しかし03年頃から、今度は前回と全く別の中国の投資グループである「中瑞財団」が、仙台市太白区の新副都心「あすと長町」で、藤井黎前市長時代から計画していた「空中中華街構想」の実現に動いた。
今回、本誌のインタビューで梅原は、その計画の端緒をこう振り返っている。
「05年秋頃、市の担当部局から報告が上がってきました。浙江省温州市の中瑞財団が、あすと長町再開発の目玉として、その土地を購入し、あたかも竜宮城のような外観を持つ派手な複合商業施設を建設する構想を進めているというのです」
- SAPIO
- 最新号
- SAPIOのホームページ