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小生、谷さん(さいたま司教)に次のようなメールを送りました。サボテンさんの谷師批判の一文をつけて。
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谷司教へ
角田信三郎、(通称自称彦左衛門、元東京教区神父、元日本大学法学部教授,
専攻、新約聖書学、宗教学、です)。
以下にお送りするのはある教区民による司教批判です、しっかり読んでください。
谷さん、あんたは、憲法の話をミサ中するために司教になったわけではないでしょう。 ろくに説教も用意せず、ミサ中は3択クイズなどで、ミサ聖祭を冒涜するような司教を教会は必要としません。
どうか、さっさと司教職を教皇様にお返しして、祈りと苦行、償いの生活に入ることをお勧めします。それが地獄に堕ちない唯一の方法ですよ。
信徒をあまりに舐めてはいけません。
小生司教たちのための祈りの中に、師を特に含めています。嘗て聖パウロが教会迫害者から、主の使徒に変ったように、谷師が、教会破壊者から、主の宮の素晴らしい建築者に変わるように、主に願って。
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投稿日:2008年 8月27日(水)15
先日、司教訪問がありました。
今の教会では谷司教は、態度が大きいです。ミサ中の説教で、憲法20条を守る話を、堂々とされました。くだらない三択クイズもされました。ミサを司式する司教様なのに、ミトラ(三角の司教帽)もパクルス(牧者の杖)も丸い小さな司教帽さえ、持ってこられませんでした。指輪は、はめておられました。ある方が質問すると、「忘れたんです・・」と言って、笑わせようとされます。
笑っている場合ではありません。
説教の中で、殉教者についてのとらえ方について、疑問を感じました。
「迫害の時代、神への信仰を貫き通して、命までささげられた」
という見方をしないで、
「江戸時代の政治体制には、信教の自由を保障する法が存在しなかった。殉教者は、悪い政治体制の犠牲者だ、被害者だ」
と、言われました。
被害者、(⇔加害者)・・、出ました!!
お決まりの、マルクス主義、教条的理解です。
本当にあの有名な大学を卒業されたのですか? 何を専攻されたのでしょう。(単なるつぶやき・・)
社会の事象を見る時に、マルクス主義のステレオタイプのものの見方にあてはめる方など、頭の良い方には、いらっしゃらないと思うのですけどね・・・・。
殉教者は神様に大きな「犠牲」をささげられたのであって、
信仰者なら、
憲法20条がなかったために生み出された「政治体制の被害者」であるという理解はしません。
命までさし出された殉教者の信仰の強さを、たたえるべきではないのでしょうか。
一般信者の殉教者は、踏み絵を踏めば、棄教すると宣言すれば、自分の命は救えたわけです。
外国人宣教師に対しても、幕府は、帰国せよ、と再三警告は出していたわけです。でも、神父様方は、信仰を求める日本の信徒を放ってはおけず、身の危険を百も承知で日本に潜伏されたわけです。
江戸幕府は、少しキリスト教に足を突っ込んだ者を見つけては片っ端から処刑したのではないです。逃げ道は十分あったのに、敢えて殉教の道を選んだ殉教者の信仰の強さを、しっかり説教するべきなのではないのですか、司教様?
また、カクレキリシタンが200年間信仰を守り通せたのは、
緊密な「共同体」が組織できていたからだ、
と言われました。
浄土真宗の講のような人間関係、分かち合いをする共同体があったからだと。だから、皆さんも、分かち合いをして、共同体の形成に努力しましょう、と。
とても大事な観点が抜けていませんか、司教様?
★「信仰」です。
連帯感よりも大事なものは、信仰の強さだったのではないでしょうか。
・人格的に立派な宣教師がカトリックの信仰を初期の信者にきちんと伝えた。
・その信仰を守り抜こうという強い信念が、信者に、存在した。
どんなことがあっても、神を信じ、神に祈り、神の教えを守る、神の掟を守るという強い信仰があったから、禁教下においても信仰の火を絶やさなかったということが、谷司教の話からは、全く伝わってこなかったですね。
憲法20条があれば、カトリックの信仰は守られる??? 甘いです!!!
今、20条は存在します。現実はどうですか?信仰は守られていますか? 司祭・修道者の召命は増えていますか? ノーです。
以下略(彦)
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