今週から、BS2では新しい海外ドラマのシリーズが続々と始まっています。いつものことですが、この時期は、自分たちが選んだ作品が、果たして視聴者の皆さんに楽しんでいただけるかどうか? と気をもむ日々が続きます。でも、今にして思えば、そもそも初めて、海外のドラマを紹介する楽しさを知ったのは、あの作品と出会えたことがきっかけでした。今日は、少し時間を遡って、そのドラマ=『アリー・myラブ』についてお話しさせていただきます。
私が初めて海外ドラマの担当となったのは、97年の初めのことでした。NHKに入局して4年間、私が在籍していたのは科学番組部。『ためしてガッテン』などの生活科学番組を作るディレクターの仕事をしていました。その間に、NHKスペシャルの『映像の世紀』というシリーズで国際共同制作にかかわり、海外の番組に興味を持つようになったものの、あくまでもそれは“ノンフィクション”の世界。“ドラマ”というジャンルは、私の生活の中では一番遠い存在でした。外国はもとより、日本のTVドラマについてもあまり興味が無かったのです。もちろん、ドラマを見たことがないなどというわけではないのですが、それなりに面白いと思っても、その世界にのめり込むというような経験は全くありませんでした。いつもどこか「そんなわけないでしょ!」と一歩引いたところで冷めてドラマを見ている自分がいました。そんな“ドラマ素人”の私が、意図せずして、『海外ドラマ』の担当に。本当に私に務まるか、かなり不安をかかえたまま、抜き足差し足で踏み入れた世界でした。
とはいえ仕事は仕事。海外ドラマ担当として最初に出かけた出張が、97年3月のBBC主催のスクリーニング(試写会)。そこで『宇宙船 レッドドワーフ号』と出会い、その後放送に漕ぎつけることが出来たことについては、以前このコラムでお話しました(No.6)。もちろん、これも大好きな作品ですが、“共感してのめり込む”というよりは、シニカルなユーモアを斜にかまえて楽しむというタイプのコメディーです。
その2か月後の5月、ロサンゼルスで開催されたアメリカ新作ドラマのスクリーニングで『アリー・myラブ』に出逢いました。あれだけドラマ世界にのめり込めなかった自分が、あっという間に『アリー〜』の世界に共感し魅了されました。“女の本音”や“マンガチックなCG”、“主演キャリスタ・フロックハートの魅力”、“ファッション”と一通りこの作品の魅力を列挙するのは簡単ですが、私が""ハマった”のはもっと理屈を超えた“感情”の部分だった気がします。アリーの独り言や、女の子同士の会話の些細な点など、すべての部分で""そうそう、わかるわかる!”と共感していたのです。“私のために作られたドラマ?”と大きな勘違いをしそうになるほど、すべてのことに共感していました。開催期間内に50〜60本のドラマを試写するこのスクリーニングの中でこんなに強く印象に残ったのはこの作品だけでした。当然、何とかしてこの番組を日本でも紹介したい、と言う気持ちが強くなりました。
その後、他の担当者をはじめ、色々な人に『アリー〜』を見てもらいましたが、反応は賛否両論。しかし、万人受けではなくとも、少数でも“ものすごく気に入ってくれる人”がいる作品にチャレンジしてみるのも大切なのでは? と言う心の大きな上司に恵まれ(!?)、翌98年からの放送にいたりました。
第1シリーズは、平日深夜の遅い時間帯での放送というハンディもありましたが、視聴者の方からの直接の反応は上々でした。(当時は、まだインターネットが今ほど発達していない時代で、手紙や葉書がほとんどでした)しかも、予想通り20〜30代の女性を中心に好感を持っていただいたようで、何とか第2シリーズ以降の放送へとつなげることが出来たのです。そして、ネットのコミュニケーションが急速に広がりを見せる中で、“口コミ”での広がりも加わり、反響が大きくなっていきました。
3年目に入る頃には、新聞や雑誌の記者の人たち自身も、“アリーファン”を自認する人が増えていました。シリーズ開始前にマスコミ向けに開催する試写記者会見を“普通に質疑応答をするだけじゃつまらない!”ということで、日本語版アリー役若村麻由美さんやジョージア役唐沢潤さん、レネ役山像かおりさんの3人の“おしゃべり風”会見にしてみたこともありました。さらに記者発表用のプレス資料もはりきりすぎて止まらなくなり、どんどん分厚くなって28頁に・・・。(普通は10頁弱)夜な夜な、パソコンで「人物関係図」を手作りして「破局」とか「片思い」とかの矢印を書いていたのを覚えています。アリーのスカート丈が短くなれば、私のワードローブのスカートもどんどん短くなるほど、公私ともに、心身ともに、アリー一色に染まっていました。(残念ながらスタイルは“月とすっぽん”です…。)
ただ、そうした中で、一つだけ心残りだったことがありました。原案者/脚本家デビッド・E・ケリーへのインタビューを実現できなかったことです。
『アリー〜』の米本国での放送開始は、スクリーニングの数か月後となる97年の9月でした。デビッド・E・ケリーは、この時点で『ER 緊急救命室』のライバル番組といわれた医療ドラマ『シカゴ・ホープ』や法廷ドラマの傑作『ザ・プラクティス』を制作していて、そこに『アリー〜』が加わり、まさにカリスマ・プロデューサーとして人気絶頂だった人物でした(ケリーについては、以前のコラム=No.34で岸川靖さんが詳しく紹介しています)。『ザ・プラクティス』や『アリー〜』の脚本は、ほとんどが彼自身の手になるものでした。
ところが、“海外ドラマ・ド素人”の私は、彼のことなど全く知らずに『アリー〜』を最初に見ました。あまりにも“女性の気持ち”が手に取るようにわかるセリフのオンパレードなので、絶対女の人が書いた脚本だと思いました。ですから、この巨匠デビッド・E・ケリーという男性の手によるものだと知った時は正直、ちょっとショックでした。それと同時に、彼に非常に興味を持ち始めました。“どうして、こんなにも多くの女性の共感を得る話が作れるのか?”“もしや、実は奥様のミシェル・ファイファーがアリーのような人だったりして?”、“コミカルなCGで見せる『アリーの心のうち』は、日本のマンガからヒントを得たのではないか?”と聞いてみたいことは山ほどありました。もちろん、何度か、彼へのインタビューを申し込んだのですが、結果はことごとくNG。何本もの番組を抱えて、時間が無いと言うのが理由でした。ロケクルーとともに、アリーのセットにまで行っているのに涙を飲んだことも…。(でもインテリア担当と衣装担当の方には無事取材を敢行。それだけでも当時の私としては大満足でした!)テレビ局の仕事をしていながら、この時ほど“この人に取材したい!”と強く感じたことはありませんでした。今でもチャンスがあれば叶えてみたいことの一つです。
今から思うと、単に“初めてドラマに共感出来た”というだけでなく、アメリカのテレビドラマの様々な決まりごとやヒット・メーカーの存在を知り、ようやく“素人”から脱却させてもらえた番組でもありました。“pilot”(パイロット版)の意味(コラム=No.21参照)や、クロスオーバーなどという形式など、恥ずかしながらこのドラマを担当してから初めて知りました。(クロスオーバーとは、ドラマの登場人物たちが、そのままの役で別のドラマに登場すること。『アリー〜』の第1シリーズ第20話「刑事弁護士」には、『ザ・プラクティス』のキャストたちが登場します。しかも、その話の続きは、『ザ・プラクティス』の「斧殺人事件」というエピソードで、今度はアリーたちがこのドラマに登場する形で描かれました。しかし、当時日本で『ザ・プラクティス』は別のチャンネルで放送中。NHKでは当然『アリー〜』のみの放送しか出来ませんでした。)
でもなんといっても、一番の収穫は、自分がどっぷりハマれる作品に出会えたこと、そして、同じようにハマってくださる人が日本にたくさんいるということを初めて実感できたことでした。
その後、現在の私が“ハマっているもの”は、韓国ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』。『アリー〜』とは、全く違ったタイプのドラマですが、やはり今でも『アリー・myラブ』は、私にとってかけがいのない存在だと思います。今週から始まった新作はもちろんですが、さらにその次以降を目指して、作品探しは続いています。
NHKBSの新年度(3月28日から)の海外連続ドラマの放送予定を改めてお知らせいたします。いずれもBS2の放送です。
月曜夜10時『ERX 緊急救命室』
火曜夜10時『名探偵モンク2』
水曜夜10時『FBI 失踪者を追え!』
木曜夜10時『宮廷女官 チャングムの誓い』
木曜夜11時『初恋』
そして3月28日から始まった、「BS早起き館」では、月〜木の朝5時から『名探偵モンク』第1シリーズのアンコール放送をしています。
※コラムに含まれる番組の放送日時や告知の情報等は掲載時のものです。ご注意ください。