まず、プロデューサー増加の遠因となっているのは、全体の作品数の増加です。
これは地上波の他に、衛星(CS)、ケーブルなど多くの放送局が増えたこと、さらにTV各局も、制作会社も、方々に支部を置き、各々で作品を生み出しているため・・・などです。プラットホーム(放送媒体)が多くなるのに比例して、作品数も増える一方なのです(これは、現在、日本でも進行していることですから、おわかりいただけるかでしょう)。
しかし、それだけ点数が多いと、内容がダブってしまうことも多くあります。現在米国で放送されている作品には、過去にどこかで見た話に、少しだけ味付けを変えたものが数多く見られます。
例えば、殺人事件が起きて、刑事や探偵が解決するという“事件もの”は、いつの時代もそれなりに見てくれる人がいる定番のジャンルです。でも、そうした番組は過去に何作も発表されており、それだけではありきたりで、何の面白味もありません。
そこで、事件を捜査する主人公を刑事ではなく、その他の役職にして制作される番組が出てきました。そうした中でも鑑識官にスポットを当てて成功したのが『CSI』シリーズです。また、『名探偵モンク』では、主人公が恐怖症というユニークな設定のおかげで、キャラクターに新鮮味が出て、いわゆるシャーロック・ホームズタイプのドラマとはちょっと違った印象を出すことに成功しました。
とはいえ、今までと少しでも違うことをしようとすると、その“少し”のために準備をしなくてはいけません。作品が専門的に複雑化すれば、それだけリサーチなどの仕事も増えるのです。そこで必要となってくるのが、まとめ役となるプロデューサーなのです。
基本的に“1つのお話”を作る映画では、権限の関係もあり、各プロデューサーの業務内容は、ある程度は区切ることも可能です。しかし、TVシリーズは長丁場。1シーズンあたり平均20本前後のお話を用意しなければなりません。スケジュールの都合で複数のエピソードを同時進行しているので、何人ものプロデューサーがいないと追いつかない場合が多いのです。
さらに、視聴者を飽きさせないために、臨時で異色エピソードを入れるなどの工夫をするのが、今では普通となりました。シリアスなシリーズの流れの中で、いきなりコメディ的なエピソードがあったり、豪華なゲストが登場したり、そうした番外編的なエピソードをご覧になった経験は、誰でもあると思います。そうしたエピソードをカバーするために、また新たなスタッフを投入し、それをまとめる人に“プロデューサー”と肩書きをつけ・・・といった具合に増えていくのです。
そうして雇われたプロデューサーたちは、エピソード内容によって臨機応変に動くので、その業務内容も明確には区切れない場合が多いようです。
しかし、そういう真っ当な理由ばかりでもありません。これは映画にも言えることなのですが、出演俳優がプロデューサーとしてのクレジットを欲しがったり、単にお金を出した(制作資金を出資した)だけで、制作にはノータッチの人までもがプロデューサーの肩書きを与えられてしまったりするケースが、最近は増えているのです。
前者の場合は、その俳優が出演して人気が出た場合に多く、プロデューサーとしてクレジットされることにより、権利が派生し、出演料以外にもお金が入るシステムです。シリーズの途中から、主演俳優がプロデューサーとしてクレジットされるようになるのは、ほとんどがこのケースです。最近の人気作では、『24』シリーズの“Producer”に主演のキーファー・サザーランドが名を連ねているのが典型です。制作スタジオ側は拒否も出来ますが、そうすると看板俳優が降板してしまう場合もあり、なかなかうまくはいかないようです。もちろん、俳優業の他に、きっちりプロデュースもこなす俳優さんも中にはいます。
ところで、制作資金を出すだけの後者は、それだけで名前をクレジットさせるだけなので、肩書きをお金で買っているようなものだと言われています。日本の映画でも、製作に○○製作委員会とクレジットされ、そこに名を連ねる会社(企業)の人が、プロデューサーとしてクレジットされている場合が多くなりました。しかし、そうした企業プロデューサーのほとんどは名義貸しだけで、現場に一度も来ない人も少なくありません。
企画に最初から関わって業務をこなす人が“プロデューサー”を名乗るのは当然のことですが、最近では、以上のように中途協力者が増える度に、プロデューサーが増えています。また、皆がプロデューサーという肩書きを欲しがるので、プロデューサー名義が雪だるま式に膨らんでいくのが現実です。
ところで、昔から仕事を手がけてきたベテランのプロデューサーたちは、「どんなに複雑で、大規模な制作チームでも、プロデューサー名義の人なんて3人もいれば充分」と口をそろえて言っています。
そして、それを裏付けるように最近では、こうした流れに待ったをかける声も出始めています。ハリウッド、ロサンゼルス、NYなどの映像製作の拠点となる地域はもちろん、それ以外でも、米国の都市部にはプロデューサーの組合があります。その組合に入っておけば、若手でも仕事が回してもらえる仕組みになっていますが、そうした組合では「プロデューサーとは何なのか」ということを再考する動きが始まっているのです。
TV局にも、プロデューサーを名乗るための新たなガイドラインを設けるように働きかけるなど、作っている当事者たちも現状を変えるべきと感じているようです。
近い将来、実力が無く肩書きだけのプロデューサーは追放される日がくるかもしれませんね。
参考文献:
「This Business of Television」Howard J. Blumenthal, Oliver .Goodenough著 Watson-Guptill Publications刊