(cache) イラクの大量破壊兵器計画
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*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

イラクの大量破壊兵器計画

(CIAリポート)

2002年10月

主要な判断:イラクの大量破壊兵器計画

考察:イラクの大量破壊兵器計画

監視・査察のための国連安全保障理事会決議と規定:理論と現実

核兵器計画

化学兵器計画

生物兵器計画

弾道ミサイル計画

無人機計画とその他の航空機

大量破壊兵器計画を支える調達

主要な判断:イラクの大量破壊兵器計画

 イラクは、国連の決議と制限を無視して、大量破壊兵器計画を継続している。イラクはまた、化学・生物兵器や射程距離が国連の制限を超えるミサイルを保有している。このまま放置すれば、おそらくイラクは、今後10年のうちに核兵器を所有することになるであろう。

 イラクは、大量破壊兵器開発の多くを隠匿している。湾岸戦争後、イラクの広範な隠ぺい工作が明らかになった。

 イラクは、1998年に査察が中止されて以降も化学兵器開発を継続し、ミサイル計画を促進し、生物兵器開発に大規模な投資をしている。多くの専門家は、イラクが核兵器計画を再構築していると分析している。

 イラクが最初の核兵器を入手する時期は、兵器に使用するのに十分なレベルの核分裂性物質をいつ入手できるかにかかっている。

−−イラクが、禁止されている硬化アルミニウム管を懸命に入手しようとしていることは、重大な懸念である。全ての情報専門家が、イラクは核兵器を求めており、硬化アルミニウム管が遠心分離濃縮計画に使用される可能性があると見ている。大半の専門家は、遠心分離が管の利用目的であると推測しているが、中には、通常兵器のためであろうと考えている者もいる。
−−イラクが調達しようとしている管のサイズを考えると、数万の遠心分離器があれば、年間数個の核兵器製造に必要な高濃縮ウランを生産できるであろう。

イラクは、化学兵器の生産を再開した。おそらくそれらには、マスタードガス、サリン、サイクロサリン、VXなどが含まれる。イラクの化学兵器生産能力は、国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)の査察期間中は低下し、また現在の能力は湾岸戦争時よりもさらに制限されていると思われる。しかしながら、VXの生産は増加し、兵器の保管可能期間は長くなっている。

 イラクの攻撃用生物兵器計画は、研究開発、生産および兵器化のあらゆる重要な側面で進展しており、それらの大半は湾岸戦争以前よりも大規模化かつ高度化している。

 イラクは、小規模のミサイル部隊を保有し、いくつかのミサイル開発計画を進めている。その中には、ほとんどの専門家が生物兵器の運搬を目的としているであろうと分析している無人飛行機が含まれる。

考察:イラクの大量破壊兵器計画

 1991年4月、国連安全保障理事会は、イラクに対し国連または国際原子力機関(IAEA)の監視の下に大量破壊兵器と生産インフラを申告、破棄、または無害化することを義務付ける決議687を採択した。国連安保理決議687はまた、イラクが大量破壊兵器の将来における開発または調達を行わないことを求めた。

 イラク政府の相当量残っている大量破壊兵器の兵器・物質・機器・技術をかたくなに保持しようとする態度が、長年にわたる隠ぺいと国連査察への妨害につながった。イラクの精鋭治安当局は、同国の大量破壊兵器計画に関する重要な問題の解決を阻んだ証拠書類・資材を隠ぺいしようと大規模な工作を画策した。


 イラク政府の湾岸戦争前の大量破壊兵器計画に関するイラク側による一連の報告は、1991年から1998年の間に次第に正確さを増してきたが、これは、国連制裁、連合軍の軍事力、そして協力国からの情報に基づく精力的で確固たる査察による継続的な圧力の結果である。にもかかわらず、イラクは、その申告にみられる大きな食い違いや矛盾について十分な説明をしたことがなく、イラクの兵器備蓄と生産インフラの完全廃棄を信じるに足る証拠を出してはいない。

監視・査察のための国連安全保障理事会決議と規定:理論と現実

決議事項 現実
決議687(1991年4月3日) すべての化学・生物兵器、射程距離150kmを超えるすべての弾道ミサイル、そして核兵器に使用可能な関連資材・機器・施設を含むすべての資材を国連またはIAEAの監視の下に申告、廃棄、撤去、無害化し、かつ使用、開発、製造または調達しないことをイラクに義務付ける。また、この決議は、特別委員会を設け、イラクの申告およびUNSCOMの追加施設の指定に基づき大量破壊兵器関連施設の即時現場査察を行う権限をIAEAに付与した。 イラク政府は、各大量破壊兵器計画のあらゆる部分の申告を拒み、査察官を拒否し、積極的に欺く活動の一環として数々の報告を提出し、計画の特定要素を隠した。射程距離150kmを超える運搬プラットフォームの開発禁止は、イラク政府に近距離システムの長距離システムへの応用を研究・開発させることになり、また通常の航空機を無人機に改造して150kmをはるかに超える射程の大量破壊兵器運搬システムとして利用しようとするイラクの活動に影響を与えなかった。
決議707(1991年8月15日) イラクに、国連・IAEA査察官が求めるあらゆる施設への即時・無制限アクセスの認可を義務付ける。大量破壊兵器計画のあらゆる側面について全面的・最終的・完全な情報を開示し、大量破壊兵器関連資材・機器の隠ぺい・移動・破壊の企図を即時停止し、UNSCOMやIAEAのチームにイラク全土での固定翼機・ヘリコプターによる飛行を認め、UNSCOMの質問・要求に全面的・完全・即時に回答することを求める。 1996年、イラク政府は、UNSCOMのエケウス委員長と、査察を遅らせ、イラク政府が「機密」と申告した場所への査察官の立ち入りを4人に制限し、主権があるとみなされる場所への査察官の立ち入りを禁止するのに使った方法について交渉した。これらの方法で、イラクは個々の査察に影響を及ぼした。その後、イラクはこうした施設に立ち入る査察官の増員を認めたが、それも各施設で長い交渉をした末であった。
決議715(1991年10月11日) イラクに対し、その大量破壊兵器計画をUNSCOMとIAEAによる長期監視の対象とすることを義務付ける。国連安保理決議687および707が求める長期監視についての詳細な計画を承認。 イラクは、おおむね申告施設での国連監視を受け入れたが、立ち入りの妨害や監視カメラを操作することがあった。現行の国連決議は、イラクの大量破壊兵器計画に対するUNSCOMとIAEAの監視に、期限を設けていない。
決議1051(1996年3月27日) イラクの輸出入を監視するシステムが設けられ、国連加盟国に対しては大量破壊兵器製造に利用可能な資材のイラクへの輸出に関する情報のIAEAとUNSCOMへの提供を、イラクに対しては軍民両用品目の輸入に関する報告を義務付けた。 イラクは、大量破壊兵器に利用可能な軍民両用品目を、国連管理の外で購入する契約交渉をしている。国連には、イラク国境で貨物を徹底的に検査し、イラク国内で輸入品を監視するのに必要なスタッフが不足している。
決議1060(1996年6月12日)および決議1115、1134、1137、1154、1194、1205 イラクのUNSCOMへの協力と、査察団に対する査察対象の施設への即時・無条件・無制限アクセスとイラク当局職員を聞き取り調査するためのアクセスの認可を要求。国連安保理決議1137は、国籍を理由にUNSCOM職員のイラクへの入国を拒否し、国連偵察機の安全を脅かすイラク政府を非難。 査察プロセス全体を通じ、イラク政府は、多数の施設へのアクセスを妨害し、同国内のUNSCOMの活動を執拗に妨害・制限しようとした。また、しばしば、査察官の到着前に施設の清掃をしたり、査察官が要求した施設や人物へのアクセスをいつも拒否しようとした。時には、その後のことをおそれて順守を約束することもあったが、その約束も後でほごにした。
決議1154(1998年3月2日) UNSCOMとIAEAの査察をイラクが順守するよう要求し、順守しない場合は「最も厳しい結果」を規定している国連事務総長のイラクとの覚書を確認。

決議1194(1998年9月9日) UNSCOM・IAEAとの協力を中断するというイラクの決定を非難。

決議1205(1998年11月5日) UNSCOMへの協力を中止するというイラクの決定を非難。

UNSCOMは、イラクの順守なしにその権限を行使できない。イラク政府は、UNSCOMへの協力を拒否し、イラクの要望に同情的だと思っていた事務総長と交渉した。
決議1284(1999年12月17日) 国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)をUNSCOMに代わり設置。イラクに対しUNMOVICチームによるイラクの大量破壊兵器計画のすべての側面に対する即時・無条件・無制限アクセスを要求。 イラクは、再三にわたり国連兵器査察官の再入国を拒み、既に武装解除に関する国連決議をすべて満たしていると主張。UNSCOMと比較すると、決議1284がUNMOVIC委員長に与えた権限はより小さいものであり、主要な武装解除作業を定める上で安全保障理事会により大きな役割を与え、また査察官が国連常勤職員であることを義務付けている。

 イラク政府は1998年12月以降、、安保理決議が要求している国連査察官のイラクへの入国を拒否してきた。イラクにおける大量破壊兵器・ミサイル施設として知られている施設、または疑いのある施設に国連が設置した技術的監視システムは、もはや作動していない。イラク政府は、安保理が指示した国連航空機・ヘリコプターによるイラク施設の上空監視を禁止している。同様に、イラクはIAEA査察の大半を1998年以降縮小しており、イラクの酸化ウラン備蓄を守るために年間のIAEAの立ち入りをごく少数の施設に限定している。

 査察官不在の間に、イラク政府は、発見されるリスクを犯すことなく、禁止されている計画に取り組む力を大幅に強めており、イラクが禁止されている計画を再構築しているという確かな証拠もある。イラク政府による懸命な隠ぺい工作は、イラクの大量破壊兵器計画の多くの側面に関する具体的な情報を今後も追い求めていく必要があることを意味している。湾岸戦争後明らかにされた実態は、イラクが行った広範囲の情報隠ぺい工作を物語っている。

核兵器計画


 10年以上にわたる国連制裁とIAEAの監視下で、イラクは目に見える核インフラの多くを放棄させられたにもかかわらず、フセインの核兵器獲得・開発への意欲は消えていない。

 湾岸戦争前に、イラクは、高濃度の濃縮ウランを用いる爆縮型兵器の製造に重点を置いた高度な核兵器開発計画を持っていた。イラク政府は、各種のウラン濃縮技術を試みていたが、最も成功したのは、電磁アイソトープ分離法(EMIS)とガス遠心分離法だった。クウェート侵攻後、イラクは、ソ連やフランスから供給された原子炉から得られた、IAEAの保障措置下にある高濃度濃縮ウランを転用する速成計画に着手したが、多国籍軍との戦争が始まったため、同計画は頓挫した。イラク側の申告とUNSCOM・IAEA査察により、イラクによる核兵器計画の多くが明るみになったが、イラク政府は依然として、核兵器開発計画の全容を明らかにしていない。

 IAEAはイラクを離れるに当たり、同国の核兵器計画解体に向け、またイラクの過去の核開発活動の特性や規模を明らかにする上で大きな成果を挙げた。しかし、査察官が不在の間に、イラクは核計画を再構築し、IAEAが苦労して積み上げた成果を無にしている、と大方のアナリストは判断している。

 イラクは、中心となる核科学者や技術者、計画文書、そして再構築された核兵器計画を続けるのに十分な軍民両用の製造能力を維持している。イラクのメディアは過去2年間、フセイン大統領と核科学者との間でたびたび会合が持たれたことを報じており、これは、イラク政府が引き続き核計画の再開に関心を持っていること示している。

 イラクが外国との貿易を拡大しているため、核関連技術・物資へのアクセスが増えており、また海外の核専門技術へのアクセスも増えるうる。近年、軍民両用物資の調達活動が盛んになっているのは、再構築された核兵器が稼動している可能性を示している。

 イラク政府が、核兵器製造に要する時間を大幅に短縮できるウラン濃縮能力を既に獲得した可能性がある。

イラクが公表した核施設▼

イラクが公表した核施設

化学兵器計画

 イラクは、おそらくいくつかの前駆物質を外部からの供給源に頼らなければならないが、化学兵器を自国で製造する能力を保持している。イラク政府は、民需生産の名の下、化学兵器製造能力の向上のためのインフラを拡大している。フセインは1980年代には、大量の化学兵器を製造する能力を有しており、これをイラン人とイラク国内のクルド人に対し使用した。イラク軍は、空襲用爆弾、122ミリ砲、大砲により、クルド人地域の戦術目標や居住地に向け化学兵器(マスタードガス【注1】や神経ガスであるサリンとタブン【注2】を含む)による攻撃を繰り返し、2万人を超える人々を殺傷した。イラクは、1991年の湾岸戦争以前には大量の化学兵器を保持しており、またそれら兵器を自国で生産する能力を保有していた。

報告されているイラクの化学兵器使用
時期     地域 物質 死傷者概数 目標
1983年8月 ハジウムラン マスタードガス 100人以下 イラン人、クルド人
1983年10・11月 パンジウィン   マスタードガス 3000人  イラン人、クルド人
1984年2・3月     マジヌーンアイランド マスタードガス 2500人 イラン人
1984年3月     アルバスラー タブン 50-100人 イラン人
1985年3月     ハウィザーマーシュ マスタードガス、タブン 3000人 イラン人
1986年2月     アルファウ マスタードガス、タブン 8000-10000人 イラン人
1986年12月    ウムアラサス マスタードガス 数千人  イラン人
1987年4月    アルバスラー マスタードガス、タブン 5000人  イラン人
1987年10月     スマール、メーラン マスタードガス、神経ガス 3000人 イラン人
1988年3月     ハラブジャー マスタードガス、神経ガス 数百人 イラン人、クルド人

イラクが公表した化学兵器▼

イラクが公表した化学兵器

 正確な情報が不足しているが、人権団体がクルド人から得た信頼性の高い説明によると、イラクは1987年から1988年の期間、1988年10月の数回の攻撃を1番最近のものとして、イランとトルコの国境近くで民間人に対し化学兵器を使用した。

 湾岸戦争後10年以上が経過した現在、兵器製造能力に関するイラクの報告と実際の能力との間の違いは、イラクが化学兵器、VX(注3)、サリン、サイクロサリン(注4)、およびマスタードガスなどの化学兵器を保有していることを強く示唆している。

 イラク政府は、化学兵器生産に即座に転換できる軍民両用インフラの再建や拡大を継続している。最も良い例が、ファルジャーII施設の塩素・フェノール工場である。塩素やフェノールは民需品として正当に認められてはいるものの、発疱・神経ガスの製造に使われる化学前駆物質合成の原料にもなる。イラクには、これ以外にも民需品生産に必要とされる以上の能力を有する3つの塩素工場がある。これらの工場での生産に輸入分を加えると、イラクにおける水処理の需要には十分過ぎる量になる。1997年以降、国連の原油・食料交換計画の下で輸入された1500万キログラムの塩素のうち、イラク政府が使用したのは1000万キロのみで、500万キロは貯蔵されている。これは、国内で生産された塩素の中には、化学兵器製造のような禁止された活動に転用されたものがあることを示している。

ファルジャーIIの塩素・フェノール工場▼

ファルジャーIIの塩素・フェノール工場

化学兵器関連製造施設および砂漠の嵐作戦時に配備されたアルコール・化学物質充てん兵器の公表されたサイト▼

化学兵器関連製造施設および砂漠の嵐作戦時に配備されたアルコール・化学物質充てん兵器の公表されたサイト

生物兵器計画

 イラクには、正当なワクチン・バイオ農薬工場を素早く生物兵器製造に転換する能力があり、すでに転換をした可能性もある。この能力は、イラクに、生物兵器活動を隠ぺいし、攻撃的な生物兵器計画の存在について偽ってきた過去があることを考慮すると、特に厄介な問題である。

 4年にわたりイラクは「小規模で防衛的」な研究を行っただけであると主張した後に、イラク当局は、1995年についに、査察官に対して生物物質の製造と兵器化を認めた。イラクがこのことを認めたのは、イラクが大量の培養基を購入した証拠を突きつけられ、イラクの軍事産業の幹部のフセイン・カミル氏が亡命した後のことである。

ムラサナ飛行場においてUNSCOM査察官が撮影した2個のR-400A爆弾▼

ムラサナ飛行場においてUNSCOM査察官が撮影した2個のR-400A爆弾

イラクが公表した生物兵器関連サイト▼

イラクが公表した生物兵器関連サイト

イラクが認めた生物兵器の屋外実験
場所・時期   物質 兵器
アルムハマディヤト・1988年3月   枯草(こそう)菌 (注5 250番径爆弾(容量65リットル)
アルムハマディヤト・1988年3月  ボツリヌス毒素 250番径爆弾(容量65リットル)
アルムハマディヤト・1989年11月   枯草菌 122ミリロケット(容量8リットル)
アルムハマディヤト・1989年11月  ボツリヌス毒素  122ミリロケット(容量8リットル)
アルムハマディヤト・1989年11月   アフラトキシン 122ミリロケット(容量8リットル)
カーンバニサード・1988年8月   枯草菌 煙霧発生器:改造農業用散布器搭載Mi-2ヘリコプター
アルムハマディヤト・1989年12月   枯草菌 R-400 爆弾(容量85リットル)
アルムハマディヤト・1989年11月   ボツリヌス毒素 R-400 爆弾(容量85リットル)
アルムハマディヤト・1989年11月   アフラトキシン R-400 爆弾(容量85リットル)
ジャーフアルサクル射撃練習場・1989年9月   リシン 155ミリ砲弾(容量3リットル)
アブオベイディ飛行場・1990年12月   改造型ミラージュF1投下タンク(容量2200リットル)
アブオベイディ飛行場・1990年12月   水・過マンガン酸カリ 改造型ミラージュF1投下タンク(容量2200リットル)
アブオベイディ飛行場・1991年1月   水・グリセリン 改造型ミラージュF1投下タンク(容量2200リットル)
アブオベイディ飛行場・1991年1月   枯草菌・グリセリン 改造型ミラージュF1投下タンク(容量2200リットル)

 イラク政府は、イラクが生物兵器を一方的に廃棄したとの主張の納得できる証拠を提示していない。UNSCOMの専門家は、イラクが生物兵器の製造を極めて過少に報告したと見ており、実際には製造を認めた兵器の量の2−4倍の製造を行ったと推定している。これには、炭疽病を引き起こす炭疽菌とボツリヌス毒素が含まれる。


 生物兵器に直接関連する多数の「民間」と称する施設の改善または拡張は、イラクの攻撃的生物兵器計画の主要部分は活動を続けており、その要素の大半が湾岸戦争(1990−1991年)前よりも高度化し、規模も拡大していることを示している。

ファルジャーIIIのヒマシ油抽出工場▼

ファルジャーIIIのヒマシ油抽出工場


 既知の施設での活動に関する疑問に加えて、他の場所、また移動製造施設・研究所における生物兵器活動に関して懸念せざるを得ない重大な理由がある。イラク政府は、生物兵器計画をよりうまく隠ぺいするために移動生物兵器研究・製造能力を求めている。

弾道ミサイル計画

 イラクは、国連安保理決議687で定められた射程距離制限150キロを上回る弾道ミサイル能力を開発した。イラクは1980年代、ソ連から射程距離300キロのスカッドBミサイル819基を購入した。このうち数百基が、イラン・イラク戦争の際にイランの都市攻撃に使用された。イラクは1987年以降、これらソ連製スカッドミサイルの多くに射程距離を延ばすための改良を加えた後、そのいくつかをテヘランに向け発射した。また、中には湾岸戦争でも使用されたものもあり、残りは、戦争終了時に備蓄として残された。イラクは、少なくとも75基のスカッドミサイルの弾頭に化学・生物兵器を装てんしたことを認め、1991年に多国籍軍やイスラエルなどの近隣の敵国に対して使用するため配備した。

 サダムフセインが、湾岸戦争時にイスラエル、サウジアラビア、バーレーンに向けて発射した約90基のスカッドミサイルの大半が、アルフセイン改良型ミサイルである。これは、イラクが全長を伸ばし、搭載燃料の容量を増やし、射程距離を650キロに延伸する改造を施したものである。

 イラク政府はスカッド技術を応用し、射程距離900キロのアルアバスを含め他の長距離ミサイルを開発していた。イラクは、後継基として、射程距離3000キロを目指した多段・多弾頭型中距離弾道ミサイル構想を描いていた。イラクはまた、射程距離が750キロから1000キロと推定されるバドル2000とよばれる固体燃料推進型2段ミサイルの開発計画を持っていた。

イラクの弾道ミサイル▼

イラクの弾道ミサイル

 イラクは、国連が認めている射程距離150キロ以下の短距離弾道ミサイルの開発を続けている。これは、射程距離の長いミサイルシステムの生産に必要な技術やインフラの開発・整備に資することになる。しかし、アル・サムード液体燃料推進型短距離弾道ミサイルとアバビル100固定燃料推進型短距離弾道ミサイルは、国連に認められた射程距離150キロを越える飛行能力を持つ。いずれのミサイルについても、実験が積極的に行われ、配備が間近である。これ以外にも、イラクが射程距離のより長いミサイル生産のためにミサイルの実験・生産施設の改良をしていることを強く示す証拠がある。

SA-2(アルサムード)エンジン試験▼

SA-2(アルサムード)エンジン試験

弾頭ミサイル関連施設▼

弾頭ミサイル関連施設

アルマムーン固体燃料エンジン製造工場▼

アルマムーン固体燃料エンジン製造工場

 イラクは、国連の制裁下にありながら、ミサイル開発に関わるインフラ整備を再構築・拡大してきた。イラクの代理人らは、武器禁輸に違反する形で、生産技術、工作機械、原料を求めてきた。

無人機計画とその他の航空機

 イラクは、多くの専門家がおそらく生物兵器運搬のためであろうと考えているその他の運搬形態の開発を継続している。湾岸戦争の直前に、イラク政府は、ミグ21を化学・生物兵器の散布ができる散布タンクを運ぶための無人機に改造することを試みた。UNSCOMは、散布システム開発計画は成功したものの、ミグ21の改造は成功しなかったと見ている。最近になって、イラク政府は、イラクのL29ジェット訓練機を無人機に改造する試みをしている。これは、以前のミグ21改造計画の継続と見られるもので、化学・生物兵器散布タンクに適合し得るものである。運搬形態としては弾道ミサイルよりも性能は低いものの、航空機は、有人であれ無人であれ、化学・生物兵器を遠距離かつ広範な地域に散布するための最も効率の高い手段である。

サメライースト航空基地におけるイラクのL-29無人機テストベッド機▼

サメライースト航空基地におけるイラクのL-29無人機テストベッド機

大量破壊兵器計画を支える調達

 イラクは、国連制裁枠の内外での調達を通じて、軍民両用、大量破壊兵器関連機器・資材の輸入を行うことができた。イラク政府は、人道支援の目的で毎年イラクに入ってくる100億ドル相当の物資の一部を軍事・大量破壊兵器計画に転用している。イラクの原油密売の手腕が上がるにつれ、イラク政府の大量破壊兵器計画への資金調達力が強化されている。過去4年間に、イラク政府の原油密売による収入は4倍以上に増え、今年は約30億ドルに達している。

ミラージュF-1搭載の改良型投下タンクからの化学兵器散布実験▼

ミラージュF-1搭載の改良型投下タンクからの化学兵器散布実験


 国連が認めている原油・食料交換計画の枠内においてさえも、イラクは、軍事および大量破壊兵器関連品目の購入の意向を隠してはいない。例えば、イラク政府は、民間支援のためにだけに承認されたにもかかわらず、国連承認のトラックを軍用に、建設機器を大量破壊兵器関連施設の修復に転用した。

 UNMOVICは、1999年12月の国連安保理決議1284に従って、契約の適正審査を開始した。それ以後、UNMOVICは、国連安保理決議1051により大量破壊兵器計画に転用可能であると定義された軍民両用物資を含む100を超える契約を特定した。UNMOVICはまた、軍民両用機器の悪用を憂慮して、これ以外にも数百にのぼる物資に関する技術情報の提供を納入業者に求めた。大量破壊兵器に使用できない物資に容易に代替できる時には、イラクが、申告している商用目的の要件を明らかに超えている技術を要求することが多々あった。


(注1)マスタードガスは、浴びてから数時間以内に、皮膚・目・肺・粘膜に火ぶくれや火傷(やけど)の症状を引き起こす発疱(はっぽう)物質である。症状が数日もの間続くことがある、残留性のある物質である。

(注2)サリン・シクロサリン・タブンは、皮膚や呼吸を通して吸入後数秒以内に作用するGシリーズの神経性ガスである。この神経性ガスは、神経から伝達された信号で筋肉や腺に過剰な刺激を与え、けいれんを引き起こしたり、意識を失わせたりする。タブンは残留性があり、数日間も症状が続く。サリンとシクロサリンは、残留性はなく、皮膚障害よりも呼吸障害を引き起こす。

(注3)VXは、Gシリーズ神経性ガスと類似しているが、より高度なVシリーズ神経性ガスである。VXが与える人体への影響は、同様ではあるものの毒性がより強く、より残留性が強い。したがって、VXは、Gシリーズガスよりもはるかに強い皮膚障害を引き起こす。VXは、地域を長期間汚染させるために使用することができる。

(注4)注5を参照。

(注5)草菌は、炭疽菌の類似物として通常使われる。

(注6)炭疽菌の感染必要量は、免疫障害をもっていない者に対しては約8000胞子、または100万分の1グラム以下である。従来は、炭疽菌を吸入すると、5日から7日の間に確実に死亡していた。しかし、最近の例では、積極的な治療により、死亡率が低下している。

(注7)リシンは、吸入後1日か2日で多臓器障害を引き起こす。