2008/09/10
皆さん、こんにちは。

今日は、畏友、川崎重行氏の翻訳した『子羊の晩餐』を紹介致します。
この種の本にしては好調な売れ行きだそうです。

私が紹介文を書くよりも、川崎さんご自身の文章を掲載します。この文章は『子羊の晩餐』の“あとがき”にあるものです。

明々後日(13日)より開催される「日本カトリック正義と平和協議会・全国大会」について、川崎さんから次のような情報が寄せられました。
事実なら、嘆かわしいことです。

2008.09.10
ところで、今回の正平協の大会では、妙なミサが仕組まれているようです。子供会議の決議をミサ中に奉献(きっと作文朗読でしょう)するそうですが、神聖な祭儀をあの手、この手でアレンジするやり方に私は憤慨しております。こういうのも一種の「演出ミサ」ではないでしょうか。『子羊の晩餐』はミサが地上の天国であることの証拠が網羅されています。硬い本ではありますが、正しい典礼の精神を身に付けるためには最適の本だと思っています。昨今の聖歌隊排斥運動などは天と地の連携プレーを自らシャットアウトするものではないかと思います。

この本は難しい本ではありますが、正平協の文書を読んだ直後に読むと心が洗われる思いがするかもしれません。本来、カトリックとはこういうものですよね。川崎重行

 

訳者あとがき

今をときめく新進気鋭の神学者、スコット・ハーン氏の名を英文字でインターネットの検索エンジン、ヤフーで検索にかけますと、驚くことに700万を超える関連記事が検出されます。これは世界的に名の知れた映画俳優顔負けのヒット数であり、一介の大学教授としては信じ難い数字でもあります。ところが、どういうわけか我が国ではあまり知られていません。このハーン教授が『子羊の晩餐』(原題The Lamb’s Supper)を上梓されたのは20世紀の扉が閉まりかかった1999年のことでした。世紀末の不安が世界中の人々の妄想を逞しくし、人類滅亡のシナリオ、核戦争による地球崩壊といった荒唐無稽な怪談が世間を震撼させた時期と重なり合います。これにノストラダムスの大予言をはじめとする様々な終末思想や当時、ローマ法王庁(ヴァチカン)が公開を控えていたファティマ第三の秘密など、玉石混交の情報が滅茶苦茶に結びつき、頭に血がのぼった狂信的な人々の間では、「キリストの再臨、最後の審判が近づいた」とか「ハルマゲドンの戦いが始まる」というようなエキセントリックな風説の数々がエスカレートしていったことは記憶に新しいところです。

世の終わりといえば、「ヨハネの黙示録」を連想する人が多いでしょう。本書は新約聖書の巻末を飾る、この黙示録に光を当て、斬新な視点で謎解きを試みる意欲的な作品に仕上がっています。著者の思惑通りなのか、はたまた思いもかけない僥倖(ぎょうこう)なのか、世紀末ブームの追い風を受け、本書は純粋な宗教書でありながら、一般大衆を巻き込み、米国で記録的なベストセラーとなりました。
その後、次々と各国語に翻訳され、遅まきながら我が国でも今頃になって発刊された次第ですが、私の遅筆が原因でこの期に及んでしまったことを、まずお詫びしたいと思います。

本書はミサ聖祭の神秘を黙示録というフィルターを通して読み解くものであり、神学者の間でも絶大な評価を受けています。ハーン教授の非凡なところは、通常、一般人には馴染みのない神学というものを、身近な距離に引き寄せ、超一流の職人芸ともいうべきドラマティックな文体と軽妙な語り口で、市井(しせい)の人まで虜(とりこ)にしてしまった功績にあるといえるでしょう。その結果、本書は学歴の高低、宗教・宗派の違い、信仰の多寡(たか)、老若男女を問わずアメリカ人を熱狂させ、読者はあたかも人気作家の推理小説でも読むかのような心境で、起床後、就寝前、通勤電車の中、あるいは喫茶店で、夢中になって本書を読みふけったと聞きます。

この本は顕微鏡と望遠鏡の機能を併せ持つ「不思議な書物」でもあります。古代ユダヤ教の伝統、太古の昔から伝わるカトリック教会の聖伝にメスを入れ、時は移れど変わることのない真理を探究しつつ、今、私たちはどう生きるべきかという切実な課題を提起するとともに、誰もがいつかは必ず迎える個人としての終末、すなわち死についても目を向けさせ、ひいては、死の先にある「時空を超えた世界」をも眺望する人生の指南書でもあります。

歴史の批判に必ずや耐えうるであろう、この大作の翻訳を終えて、私は今、正直な告白をしなければなりません。私は翻訳の世界に身を投じてから10年以上のキャリアを有しますが、今までに手掛けたあらゆるジャンルの翻訳の中で、本書の翻訳を上回るほど難儀なものはなかったと断言できます。幾層にも解釈の余地が広がる著者独特の表現技法や現代米語を基調としたアップテンポで躍動感溢れる言葉で綴られた原作の雰囲気を、どこまで日本語で再現できたかと問われれば、恐らく返事に窮してしまうことでしょう。又、堅物な学者とは思えない遊び心がこの著者にはあり、日本語でいうところの駄洒落のような言葉遊びがこの「神学書」の中には頻繁に散りばめられています。必然的に翻訳不可能な箇所が続出しました。ほんの一例だけ紹介させていただきますが、本書に「モリヤの出来事」という小見出しがあります。原文ではMoriah Carryとなっています。モリヤの山で焚き木を運んだアブラハムの物語はよく知られています。普通に訳せば、「モリヤでの焚き木運び」となりますが、敢えてcarry(=運び)という言葉を入れた著者の真意は全く別のところにありました。Moriah Carryをアメリカ人が発音すると人気歌手のマライア・キャリーとなるのです。他にも似たようなジョークがふんだんに使われており、完全にお手上げの状態となりました。

参考までにドイツ語版を参照したところ、ドイツの訳者も困惑したと見えて、この類のジョークには、苦し紛れに全然違う言葉が用いられていました。実に無念ではありましたが、こんな突拍子もないジョークまでは到底翻訳できませんので、著者の了承を得た上で、私もところどころに原文とは異なる語句を使用させていただいたことを予め断っておきます。

本書の翻訳にあたっては大勢の方々のお世話になりました。出版業界の慣例にならい、恩人の皆様を紹介させていただきます。
かつて「みこころの部屋」(インターネット上のコミュニティー)の運営に関し、私と労苦を分かち合った丹野里絵女史のお名前をはじめに挙げたいと思います。語学堪能で情報通の彼女は「アメリカで凄い本が出版されたので、ぜひ読んで!」と私に勧めて下さいました。私にとって、それがこの本との最初の出会いとなりました。運命の悪戯なのでしょうか。原書を読み進めている時、エンデルレ書店から自分が読んでいる最中の本の翻訳を依頼され、仰天しそうになりました。当時の私は公私ともに猫の手も借りたいほど忙しく、極力、仕事をお断りしている状態でした。もし原書の魅力を知らなければ、折角のご依頼もきっと辞退していたに違いありません。彼女のお蔭をもって、私はこの重大な使命を全うすることができたのです。

友人でもある、スチューベンヴィル司教区(米国)の教区司祭、ポール・レゾ神父には、国際電話や電子メールのやりとりを通じて、英語、神学に関して数多くの助言を賜りました。レゾ神父は日本にも数年滞在した経験を持つ親日家です。「この偉大な著作をアメリカ人だけのものにしてはならない。日本の隅々まで届けたいメッセージだ!」と彼は燃え、私への協力に惜しみもなく多大な時間を費やして下さいました。

師として仰ぐ内山恵介神父(御受難会)には、推薦のことばを執筆していただきました。昨年、海外で開催された国際神学シンポジウムに、私は内山神父の鞄持ちとして同行させていただいたのですが、出席者(司教、司祭等)の中には、本書を英語で読まれた方も少なくなく、皆一様に絶賛していました。不思議な運命の糸に操られ、私たちは人生の旅を続けていることを実感せずにはいられない出来事でした。黙想指導の達人として、全国区の知名度と人気を誇る内山神父に推薦のことばを寄せていただいたことを、私は大変光栄に思っております。

新田壮一郎神父(オプス・デイ日本総代理)には、本書の監修をお願い致しました。新田神父は名ばかりの監修者にとどまらず、積極的に私の翻訳業務をサポートして下さいました。又、プロ(聖職者)の目から数多くの示唆を与えて下さいました。プロ中のプロともいえる鋭い洞察に、この分野の知識にかけては一家言(いっかげん)を持つ私も己の力の限界を悟りました。

フィリップ・ボニファチオ神父(聖コロンバン会)は本書の出版が我が国のカトリック教会発展の鍵となると信じて疑わない人でした。ボニファショ神父はこの良書が無事に「日本語への衣替え」を果たすため、絶え間ない祈りを捧げて下さいました。日々、難解な翻訳作業に悩まされながら、最終的にはわりと簡単に読める日本語に仕上がったのを見るにつけ、ボニファチオ神父の真摯な祈りが天に届いたことの証左を見る思いがします。

オルガン製作家の須藤 宏氏からは私的な面で力強いご支援を賜りました。須藤氏は教会音楽において欠かすことのできないパイプオルガンの製作に深い祈りを込めて専心される傍ら、カトリックの正統信仰を次世代に継承することをライフワークとされている方です。

紙面を借りて、以上各氏に深甚なる謝意を表する次第です。主だった協力者のみをリストアップさせていただきましたが、実際にはここに書ききれないほど多数の方々からのご支援と激励が舞台裏にはあったことを申し添えます。ご覧の通り、本書は大勢の方々の祈りと願い、無私の精神と燃え盛る情熱が一体となった「合作」です。私はこの稀有な本をカトリックの信仰を持つ人だけの宝にはしたくありません。兄弟であるプロテスタントの方々はもちろんのこと、無宗教者ではあっても、心の奥底で神の存在を信じ、神の愛を希求してやまない不特定多数の方々にも読んでいただきたいと心より願っております。

最後になりましたが、本書の編集にあたり、地味で辛い作業にもかかわらず、最後まで頑張り通されたエンデルレ書店の清水朱美女史、ならびに同社社長で本書の出版に最も心血を注がれた方と申しても過言にはあたらないハンス・エンデルレ氏にも衷心よりお礼申し上げます。

2008年5月12日  川崎重行

 

【著者略歴】Scott Hahn (スコット・ハーン)

1957年生まれ。1979年、Grove City College(グローブ・シティー大学=プロテスタント)卒。同学にて神学、哲学、経済学の三学位を同時取得。
1982年、Gordon-Conwell Theological Seminary (ゴードン・コンウェル神学校=プロテスタント)にて修士号取得。
1995年、Marquette University(マーケット大学=カトリック)より組織神学で博士号を授与される。

プロテスタントの牧師からカトリックに改宗し、現在、Franciscan University of Steubenville(フランシススカン・スチューベンヴィル大学=カトリック)の神学教授として教鞭をとる。                                       
1993年、キンバリー夫人との共著、Rome Sweet Home (ローマ・スウィート・ホーム)が好評を博し、次第に知名度を増す。1999年に発表したThe Lamb’s Supper(子羊の晩餐)の大ヒットにより、一躍、時の人となり、以降、国内外における講演回数が800回を突破する。アメリカのカトリック系テレビ局、EWTNの売れっ子論客として人気爆発。カトリック信者の聖書知識とカトリック聖職者の聖書習熟度の向上を目的とするシンクタンク、St. Paul Center For Biblical Theology(聖パウロ聖書神学センター)を主宰し、インターネットを使った聖書指導、各教会が主催する聖書講座への講師派遣、教育ビデオ制作、巡礼企画等に参画する。自ら設立したInstitute of Applied Biblical Studies(応用聖書学研究所)の理事長としても活躍する。

A Father Who Keeps His Promises(約束を守る父)
Hail, Holy Queen(めでたし聖なる元后)
First Comes Love(はじめに愛ありき)
Lord Have Mercy(主よ、憐れみたまえ)
Swear to God (神への誓い)
Letter and Spirit(文字と聖霊)
Ordinary Work, Extraordinary Grace(平凡な労働、非凡な恵み)
Reasons to Believe(信ずる理由)   など著書多数。


【訳者略歴】川崎重行(かわさき しげゆき)

1965年生まれ、独協大学法学部卒。翻訳家。
大学卒業後、社会人の生涯学習を企画、立案する企業に就職し、セミナー、イベント等のプロデュースに携わる。のちにPR会社に転職、クライアントの広報・宣伝活動を支援する業務を展開する。
1996年に独立してから現職、現在に至る。主として産業翻訳を手掛ける一方、外国大使館の依頼による記者会見資料、パンフレット等の翻訳にも従事する。宣教メーリングリスト「みこころの部屋」管理人。護教誌『ヴァチカンの道』編集委員。東京大司教区・使徒職団体、カトリックアクション同志会理事。

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