樹崎聖先生プロフィール!

プロフィール

きさき たかし

生年月日 昭和40年2月1日
出身地 兵庫県
デビュー作 1987年「ff(フォルテッシモ)」
週刊少年ジャンプ「ホップステップ賞」に入選
好きな歌手 小島麻由美、JUDY AND MARY
好きな漫画家 黒田硫黄、とりみき、山田芳裕、岡崎京子、すぎむらしんいち、坂口尚、萩尾望都、南Q太、柴田良家、ちばあきおなどなど。

なお、ホップステップ賞の評を引用すると…

「MAGIC BOYキオ」という迷作をもって上京してきた彼の、これが2作目。「キオ」は、ホップステップ賞の最終候補には残ったものの、こじんまりと、まとめすぎた、彼らしくない作品で、そうした反省の上に、自分の持ち味を大切にして、かいてきたものだ。技術的には荒削りで、未完成だったものの、そんな欠点を吹き飛ばすだけの勢いと熱さがあり、読む者を圧倒する力を持った作品に仕上がっている。

とありました。本当にその通り、私は作品の持つ熱さに圧倒されてしまった訳です。「漫画は基本(セオリー)や技術(テクニック)じゃない!魂の叫び(ボルテージ)なんだ!!」と、いう感じですね。
あれ?どっかで聞いた台詞…
そして、気になるのが「MAGIC BOYキオ」。読んでみたい…

(参考文献:ホップステップ賞セレクション1巻)

質問に答えていただきましたコーナー

なんとなんとなんと!恐れ多くも樹崎先生ご自身が、私のした非常に面倒くさい質問に答えてくださいました!しかもサイト掲載OKとのこと。お言葉に甘えて、載せちゃいます。感謝感激!樹崎先生、ありがとうございましたっ!
なお、いただいたお手紙の文面を100%引用しているわけではありませんので、一部、文面とは表現が異なる部分がありますがご了承ください。(あくまで表現方法です。中身はばっちりお答えの通りです。お手紙は我が家の家宝っす。)

Q1、デビュー前の華々しい受賞歴を教えてください。
A、昔のことなので、特に受賞歴ははっきりしないのですが、
  • 少年ジャンプ月例マンガ賞佳作「田舎のCITY BOY」
    ・・・ギャグマンガで、いわばおふざけで描いた作品ですが、ROSSOの同人誌の中で掲載する予定です。
  • 週刊少年マガジン月例賞佳作「イチバン!」
  • 週刊少年マガジン月例賞入選「イチバン!」
    ・・・バスケットボールマンガだったのですが、実はこの2作は、「ガンバロォ!」という作品としてリメイクしています。
  • 週刊少年ジャンプホップステップ賞入選「ff」
他に最終選考止まりの作品がたぶん5本ありますが、手元に残っているのは2本だけでその一本が「あいすばぁんあどべんちあ」(注:ROSSO1に収録)でした。

(ここで挙げた賞以外にも小さな賞をいくつかとっているそうです。)


Q2、先生のアシスタント歴を教えてください。
  • 克 亜樹先生
    大学時代に大阪芸大のデザイン科で一年先輩の克 亜樹さんの原稿を手伝ったのが最初で、根性・根気がマンガ家になるのに最も必要なことであることを学ばせてもらいました。
    「メルティレモン」なる本に載った読み切りと、月刊少年サンデーの「まぼろし右げん」なるマンガを手伝いました。
  • 次原 隆二先生
    東京に出てきて最初が次原 隆二先生で、マンガ家とはどう生活し、どうアシスタントを使い、どんなシステムで描くのかはそこで学びました。
    2度目にアシスタントに行った時に一人の高卒の若い天才新人がはじめてのアシスタントとして手伝いに来て、切磋琢磨を繰り広げた(・・・とオレは思っていたが、むこうはどうだったかわからない)のですが、その天才こそ今の名で小畑 健先生でした。
    当時は次原先生の細かい絵を見て、とてもマネはできないと思いました。まさか自分も後に車の細かい絵を描くことになろうとは思いもしませんでした。
    手伝ったマンガは、SUPER PATROLでした。全部で2回、合わせて10日間ぐらいですかね。
その後助っ人として、1日〜2日ほど行ったのが、
  • 宮下 あきら先生
    「この原稿きれいだな、汚そう!」と言って先生が吹き付けなどなさっているのを見て、原稿はきれいに描けばいいんじゃないことを教えられました。「ff」が載った後だったので、「オレのマンガより人気あったりしてなぁ!」なんて笑っておっしゃる宮下先生にちょっと失礼だけど「笑い事じゃねーぜ!」なんて言ってやりました。(心の中でね)。
  • YT先生(注:伏字っす。)
    YT先生の所では、それが○で先生なのか、□□ご先生なのかわからずイライラしましたが、マンガ家もこうなっちゃ落ちる一方なんだな・・・なんて反面教師となっていただきました。(とってもやる気のない甘い仕事場だったので)
    担当氏も「あそこはただのこづかいかせぎだと思え!」と正直に送り出してくれました。こづかいかせぎました。
そしてその後は自分の連載に入ります。
「ハードラック」連載終了後、修行のため、
  • 萩原一至先生
    「バスタード」第1話ともう一回手伝いに行きました。(ワク外にはアンタは天才とか描いてくださいました(笑))
    これは自分から担当に頼んで実現したもので、萩原さんの圧倒的パワーを学びました。
    正に少年ジャンプのマンガは命をかけて描くものであることを知りました。
そしてその経験を大切に最初の10週に全てをぶち込んで途中でキレてしまった「とびっきり!」が生まれました。
その後は、
  • 光原 伸先生
    「とびっきり!」でチーフアシをしてくれていた光原先生の連載を2回分手伝いました。(注:アウターゾーンですね。第1話、第2話のコマの外に樹崎先生のお名前が出てます)光原先生とは今も戦友のような特別の感情を持つ友人です。余談ですが、光原先生と浅美先生を紹介したのは私だったりします。お二人は現在夫婦です。結婚式では挨拶などさせられました。(自分ですすんでしたという説も…)
  • 岩村 俊也先生
    「民暴の鷹」なんてものも友情手伝いしています。ここでは横着の仕方を学びました。
あと、特筆すべき先生が一人
  • 日野日出志先生
    あのホラーの巨匠です。修行シリーズ第2弾として自らすすんで紹介してもらい手伝いました。作品名は忘れましたが、便器をタイルもびっちりと5つぐらい描いたと思います。
    日野先生の所は「個性とは何ぞや!?」ということを学ぼうと行ったのですが、とてもおもしろい人でした。
    居合いをたしなんでおられる日野先生はマンガ界で誰か自分と真剣で立ち合ってくれないものかとマジメに話してくださいました。真剣を振るお姿も見せてくださいました。
    肩が凝るから「スマンが…」と言いつつビールをあおりながらマンガを描くそのお姿は個性そのものでした。
その後は修行シリーズ第3弾として漫(F)画太郎先生のところに手伝いに行く約束もあったのですが、これは「タマリン」の連載に入ってしまったために実現しませんでした。

「才能は有限、しかしテクニックは無限!」がオレのモットーの一つです。そんなわけでこれからもチャンスがあればまた人を手伝ってみたいと思っています。

樹崎先生、ありがとうございました!90%近く本文をそのまま掲載させていただきました。


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