尼崎JR脱線事故で、兵庫県警尼崎東署捜査本部はJR西日本の山崎正夫社長ら元担当幹部九人と、死亡した運転士の計十人を業務上過失致死傷容疑で書類送検した。二〇〇五年四月に事故が起きてから三年半近くに及んだ捜査は、大きな節目を迎えた。
鉄道事故で経営幹部を書類送検するのは異例である。乗客百六人が死亡、五百六十二人が負傷するというJR史上最悪の惨事だった。安全第一の公共交通機関として、引き起こした事故があまりに重大であることを重視した判断といえよう。
調べでは、十人のうち山崎社長ら五人は一九九六年十二月、現場を急カーブに付け替えた際、自動列車停止装置(ATS)を設置せず、安全対策を怠った疑い。県警はATSがあれば事故を回避できたと判断し、九六年前後に安全対策室長と鉄道本部長を歴任した山崎社長をはじめ、当時安全対策を統括していた鉄道本部長、安全対策室長、運輸部長ら計五人について、送検時に付ける意見のうち「相当処分」を付けた。明確な起訴を求める最も重い「厳重処分」に次ぎ、起訴の可能性がある。
残る元幹部四人は、ATS設置工事の遅れや懲罰的な日勤教育、過密なダイヤ編成に関与したが、県警は直接の因果関係はないと判断した。死亡した運転士を含めて事実上、刑事処分を求めない「しかるべき処分」との意見を付けた。
神戸地検は年内にも起訴の可否を判断する方針だが、捜査は難航が予想される。過去二十年の大規模な鉄道事故では、警察が鉄道会社の経営幹部を書類送検した例が少数あるものの、起訴には至っていない。業務上過失致死罪が個人を罰することを前提としており、当事者が「危険性を予測できた」とする予見可能性を立証しなければならないからだ。山崎社長らは「暴走を予測できなかった」と主張しており、当時はATSの設置義務もなかった。
書類送検の前に、県警は遺族と負傷者に捜査結果を直接訪問や文書郵送により説明した。これほど多数の被害者に捜査内容を伝えるのは極めて異例であり、遺族らの心情に配慮した対応といえる。神戸地検も、近くすべての遺族、負傷者に手紙を出し、要望や事故への思いを寄せてもらい、捜査を進めるという。被害者支援の一環として注目される試みだ。
山崎社長は記者会見し、当面は社長職にとどまる考えを示した。遺族らへの真摯(しんし)な対応と、安全優先の企業風土づくりにあらためて取り組んでいかなければならない。
大分県の教員汚職事件を受け、県教育委員会が二〇〇七年の採用試験で不正合格が確認された二十一人に対し、自主退職か、採用取り消しかを選ぶよう求めていた問題が決着した。
結果は既に辞職した一人を含む十五人が自主退職を、六人が採用取り消しを選択した。退職の場合は勤務歴が残るが、取り消しは採用自体が無効になるため記録は残らない。
「教員としての実績を残したい」「自分から退職は望まない」などと選択の判断が分かれたという。この問題で一定の結論が出たことにより、学校現場に広がっていた混乱は収束に向かう見通しだが、後味の悪さはぬぐい切れない。
まず公平性の面で首をかしげる。不正採用は〇六年の試験でもあったとされるが、県教委は裏付けが不十分として処分を見送った。
二十一人のほとんどのケースで、不正の構図が解明されていない点も問題だろう。県教委OBや県議らの口利きが横行する実態は判明したが、内部調査では「誰が合格を頼み、誰が口利きしたか」などの事実関係はほぼ闇の中だ。うみを出し切れなかったのは内部調査の限界といえ、釈然としない。本人が不正工作を知らない場合もあり、納得しがたい決断だったろう。
一番心配なのは子どもへの影響である。二十一人のうち十三人は本人の希望で臨時講師として同じ学校などで教壇に立つ。教職を退く人のいる学校には、教員を派遣するなどして授業に支障が出ないようにする。
不正を中途半端にごまかせば、子どもは不信感を募らすだけだ。率直に謝罪し、出直しを図るしかあるまい。口利きに弱い体質が露呈した教育界には、腐敗を根絶する強い決意と厳格な再発防止策が求められる。
(2008年9月10日掲載)