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数か月前、流産しました。
職場の産婦人科部長に相談しようと思ったのですが、
気を遣って頂くもの何だか申し訳ないし、とためらっている間に、自然に出ました。
あまりの痛さに、びっくり。
とても立っていられないし、あぶら汗がにじむし。
でも、お産の痛さはこんなものじゃないのでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
広美さん(仮名)は、妊娠14週の妊婦さんです。
非常に残念なことに、破水してしまい、ご入院されました。
この週数での破水は、ほぼ絶望的です。
当然のことですが、悲しみ、苦しみ、混乱し、気持ちが全くついて行きません。
まずは病院で安静にして、心と身体を落ち着けてもらうことにしました。
しかし、あまり待たずに出血が始まり、一緒に組織塊も出てくるようになります。
「悲しいし残念だけれど、こうなるともう、どうにもしてあげられないのですよ・・・」
そう話すと、広美さんは、わあっと泣き出しました。
泣いて泣いて泣いて、泣きじゃくっている間に、
今度は陣痛のような痛みが始まってしまいました。
痛みに泣いているのか、悲しみで泣いているのか、
もう、ぐしゃぐしゃに泣き崩れて、わかりません。
自分が流産した時の、あの痛みを思い出しました。
出たのは明け方に、一人で病院にいる時でした。
一人でその時を迎えた心細さと、痛みそのものが、たまらなく辛かった。
妹のような年齢の広美さんが、やはり一人でその時を迎えようとしている姿に、
いてもたってもいられません。
こんな時、自分だったら、どうしてほしいだろう。
「痛いね・・・」と言いながら、ただ背中をさするしか、ありませんでした。
体長15cmほどの、ちいさなちいさな赤ちゃんでした。
夕方の出来事でしたが、帰宅しようとしていた師長が更衣室から引き返して来ました。
師長は、果てしなくやさしい、助産師です。
赤ちゃんをきれいにして、ちいさな箱に入れて、ガーゼで綿帽子を作って、
サクランボくらいの大きさの頭に、かぶせてあげていました。
研修医が、見慣れないその光景を見て
「え、患者さんに見せるんですか?」と、驚きます。
「先生、”見せる”じゃないのよ、”会わせる”、ね」
私にそう言われて、はっとしていたようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
広美さんに、充分なケアができたかどうか、わかりません。
研修医の先生も、どれだけのことを学んでくれたでしょう。
しかし、私自身が流産の痛みと苦しみを、身を持って体験し、
より患者さんの気持ちに寄り添うことができた、流産の「再体験」でした。
この世に生まれ出ることのなかった二つの生命に、そう思いを馳せています。
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コメント
コメント一覧
いつも楽しみに読ませていただいています。
先生の優しくも厳しいご指摘に同じ医療者として、はっとさせられることがたくさんあります。
妊婦さんの辛いご経験は先生や師長さんの思いやりに包まれ和らいだと思います。
研修医の先生と同じく、私もなな先生からまた一つ優しさを学びました。
お体大丈夫ですか?無理ないように(といっても産婦人科医の激務は想像を絶しますが)お過ごしください。
丁度10年前の夏のこと。いわゆる「想定外」の妊娠。引越しを控えていたこともあって、産婦人科を受診するのは、引越しが済んで落ち着いてからにしよう、と思っていました。
ところが引越しがすみ、産婦人科を受診しようと思っていた矢先、突然の出血で受診することになりました。
結果は稽留流産。受精卵は育たないまま、子宮内に留まっている状態とのことでした。
既に3人の子どもに恵まれていた私は、赤ちゃんは無事産まれてくるのが当然のことと思っていました。
けれどこのとき、この世に生を受けるということは、奇跡的に素晴らしいことなんだと思い知らされました。
流産から2年後、息子を無事出産しました。そして彼は、私にとって、かけがえなく大切なことを教えてくれました。
命の巡り合わせは、自分のために必然として、悲しみや喜びを、上手い具合で与えてくれているような気がします。
なぜなら、もしもあの子が無事に生まれていたら、私の傍に息子は居なかったかもしれないのだから。
広美さんと私の体験に、何かを感じて下さる方がいらっしゃることは、
なくなった生命に、ひとつの価値を与えて下さいます。
こちらこそ、ありがとうございます。
今は、どの科も大変ですよね。
お互い、身体を大切に、頑張りましょうね。
奥様がご流産なさったのですか。
ご本人の辛さもさることながら、
こんな時になす術なく、痛みを代わってあげることもできない
ご主人もまた、違う辛さがあるものだと思います。
やさしいお言葉を、ありがとうございました。
>この世に生を受けるということは、奇跡的に素晴らしいことなんだ
本当に、その通りですね。
無事な妊娠・出産のように、ついそのありがたさが忘れられがちですが、
この「奇跡的に素晴しいのだ」ということを、
折に触れ、発信して行きたいと思っています。
私が尊敬する心身医学の大家の先生が、ご著書の中で
「偶然の出会いはない」とお書きになっています。
産婦人科医である私が流産を体験したことも、何かしらの意味があるのでしょう。
患者さんの気持ちがあんなにわかる方法は、ありませんから。
・・・とすると、お産も味わってみるべきかな、やっぱり(笑)
そんな風に考えてくれる先生って、
なかなかいないと思います。
なな先生、お体大事になさってくださいね。
「”見せる”じゃないのよ、”会わせる”、ね」
今日は、これにしびれました。
書き込んだのは、ご自身の流産のお見舞いです。数ヶ月前って、幸せ絶頂時だったでしょうに。
振り返ってみると、流産とか死産の話題があったのはそういうことかと、感じ入りました。ご自分のことを乗り越えるためにも必要なことだったのかもしれませんね。
ご職業柄、お身体を大切になんていえませんが、なな先生のおかげで何人もの生命が生まれましたが、その影で、ご自身のかけがえのない生命がと考えますので、なおいっそう、医療者の待遇改善のために、非医療者の私は何ができるのか、考えていきたいと思います。
なな先生にそんな辛い出来事があったなんて・・・
ご自身の経験を胸に患者さんの気持ちに寄り添う先生の姿に清らかな優しさを感じます。
>「先生、”見せる”じゃないのよ、”会わせる”、ね」
この言葉が心にズシンときました。
たとえ生きて生まれることができなくても、女性にとってお腹にできた新しい命はかけがえのない我が子ですよね。医学的には間違った考え方なのかも知れませんが、私は体外受精で妊娠できなかった受精卵にさえそんな感情を抱きましたから…。
お仕事がお忙しいと思いますが、お身体お大事にしてくださいね。
お体は大丈夫ですか?心配です。
私も看護師時代に自分が体験した経験を、患者さんがまた体験するという経験をしました。家族背景も何もかも違うけれども、つらい気持ちはわかりあえますよね。
その患者さん、先生に助けられたと思います。
お体に気をつけて、お仕事されてください。体は何よりも最優先です。
私も今でこそ3児の母になれましたが、
3人とも切迫流産、切迫早産で出血とおなかの張りに怯える日々、ウテメリンの副作用と点滴の痛みと戦う毎日を乗り越えてやっとこの手に抱きました。
辛い日々でも乗り越えられたのは、たった数センチでも小さなわが子への愛情と心に寄り添ってくれた人たちがいたからだと思います。
命って奇跡と愛情の積み重ねなんですね。
お忙しい日々かと思いますが、どうぞお体ご自愛ください。
先生より少し?年上の内科医です。卒後は産休以外フルタイムで何とか仕事を続けています。このブログのアクセス件数が多い理由は先生の真摯な人柄と冷静かつ鋭い記事内容によるものだと思っています。
>「先生、”見せる”じゃないのよ、”会わせる”、ね」
この言葉には先生の命への深い思いがこめられていると感じます。師長さんの配慮も素晴らしいです。この研修医さんにとって生涯忘れられない経験になったでしょうね。
私は、長い不妊期間を経てICSIで子どもを授かりましたが前後で辛い経験がありました。お気持ちお察しいたします。
なな先生、お体大切に、そして新しい命に巡り会えますように・・・・
大丈夫ですか?
私も流産の経験があります。
一人目が生まれしばらくして仕事を復帰しなくてはならず、
嫌いな高速道路を運転して研修に参加して・・・その後でした。
無理したかな・・・という思いと共にしっかりお腹で育ててあげることができずにごめんね。と、いう思いがずっと続きました。
やっぱり今、生まれるの、よそうかなっ・・・て赤ちゃんが遠慮したのかな・・・とも。
そして、そのあと、二人の赤ちゃんがちゃんと来てくれました。長女にはその時の話をしています。
名前をつけてくれました。「会いたかったな。」って言っています。
その赤ちゃんが産まれていたら私はどうなっていたのかな・・・と、複雑な事も考えたり・・・・。
”縁”です。人と人との出逢いは縁です。
身体の痛み、心の痛みを乗り越えて次に来てくれる”縁”を大切にして下さい。
なな先生、赤ちゃんは少し休んでもいいんじゃない?って
メッセージを置いていかれたのでは。
お体は大丈夫ですか?休養は取れましたか?
流産に際し、産科の先生は言いました。『ま、こういうこともある。でも、欲しいなら、歳も歳だし次は早めにね。』まあそうなんでしょうけど。
仕事もあったし、上の子もいるし、体が回復したかどうかでそのまま普段の生活に戻ってゆきました。ところが、体が言うことを利かない。偏頭痛は今までになくひどく、風邪から気管支炎になったり中耳炎になったり、とにかく体調が整う暇がありませんでした。『早く元気になって次の子を作らなきゃ』とばかり考えていました。
流産して2ヵ月後、夫が『お前、流産しても全然平気そうな顔して普段どおりやっていたが、本当は大丈夫じゃなかったのではないか?』と言いました。
そのときになって初めて、せっかく自分のところにやってきたのに会うことのできなかった命を思って涙を流しました。
不思議なことに十分泣けたら急に体調もよくなり、それから1ヶ月ほどで次の命がやってきました。
やはり、理性では大丈夫と思っても心が事実を受け止めるためのプロセスはすごく大事なんだと感じたことでした。
先生も、患者さんのお気持ちも大事でしょうが、どうかご自分のお気持ちも十分癒す時を作ってくださいね。数週間だけでも先生のところにやってきた子もきっとそう思っていると思います。
私は娘の出産時、臍帯巻絡で危ない所を吸引分娩で助けて頂いてから医療に興味を持つ様になりました。
先生、流産なさっていたのですね。
どうか体も心もお大事になさって下さい。
私は最近「確率」について思う所があります。
流産の確率、ある病気に罹る確率、交通事故に遭う確率…。
私が今の所それらに当たらないで居るのは単に運が良いだけの様に思うのです。
信号無視で車にはねられた、という様に過失によって起こる事も勿論ある訳ですが、そうでない事も沢山、本当に沢山あると思うのです。
誰かが引き当てる悲しい事は、もしかすると私が引き当てていた事かも知れない。
こんな事を書くのは不謹慎かも知れませんが、誰かが代わりに請け負ってくれている悲しみの上に今の私が成り立っている、そんな気がしてしまうのです。
今回の記事で私の命は私だけの物ではない、との思いを再確認しました。
気分を害される事を書いてしまっていたらごめんなさい。
いつも楽しみに拝読しておりますが、どうぞご無理なさらず更新なさって下さい。
そのときは、24週の死産体験から不安と戦っている35週の妊婦でした。
なな先生、お仕事中にひとりぼっちで大事なかわいい赤ちゃんと会わなければならなかったこと、
本当につらくて、心細かったことと思います。
一番泣きたいときに涙をこらえて、お仕事を続けたことについては、
ふとしたときに小さな後悔を感じさせるかもしれませんが
でも、きっと先生の赤ちゃんは、最前線で活躍するお母さんを
とても尊敬しているとおもいますよ。
心と身体を十分に休めて、新たな力がみなぎったときには
きっと、たくさんの奇跡を乗り越えて辿り着いてくれる赤ちゃんを
信じて待つことができるはずですから、どうか今はお大事になさってください。
私は、ヘパリン注射など不育症治療をしながら、無事に出産しました。
娘が無事に産まれるまで、子どもを亡くす不安はなくならず
分娩中も胎児心拍計を気にしてばかりいました。
出産した夜は一睡もできなかったのですが、出産の喜びよりも、
声もなくひっそりと産まれた息子のことを思い出して
泣けて泣けて仕方ありませんでした。
たとえ受精卵の段階でも、授かった女性の心には
成長する赤ちゃんの姿がたくさん映し出されているものだと思います
なな先生や師長さんの行動は、つらい試練を与えられた女性たちの
その後の人生で救いの部分として残っていくと思います。
研修医の先生も同じように感じて学んでくれることを願っています。
私が大切な人に心の中で、よく贈った言葉です。 悲しかったこと、辛かったこと、どうしようもなくて途方に暮れたことも乗り越えた分、幸せになろうね。
喜びも悲しみも受け止めてきた、なな先生の強さに包まれてくる命は、数えきれないものです。 その命を大切にしてほしいと思います。 なな先生もお身体だけは、大事になさって下さいね。
ご自身の流産のときも職場にいらっしゃったのですね。心より敬服するとともに、先生のお体と心の回復をお祈りします。
いえ、プロとしての身の処し方がわからず、
こう考えるしかなかったのですよ、きっと(笑)
素敵なお義姉様ですね。
やさしい女性が女の子をかわいがる姿は、
見ている者が癒されます。
人によると思いますが、流産は忘れることはできなくても
乗り越えられるものだと思っています。
改めて、「お見舞い」って、温かいいい言葉ですね。
しびれて頂いたあの言葉は、私自身はあまり意識せずに口にした言葉でした。
しかし研修医の先生が、明らかにはっとしてくれたので、
その表情に、私の方が教えてもらったような感じです。
医療は、医療者と患者が、共同で作って行くものです。
それぞれが努力をして、より良い医療を実現したいですね。
>数ヶ月前って、幸せ絶頂時だったでしょうに。
今も幸せ絶頂期ですので、ご安心下さい(笑)
コメント、ありがとうございました。
2人のお嬢ちゃんのママのさくらんぼさん、
育たなかった受精卵が、あったのですね・・・
受精卵て、凍結保存することがあるのです。
マイナス70度くらいで。
それを知った患者さんが「寒くないのかな・・・」
と言うのを聞いたことがあります(笑)
なんだか、共感できる感覚だと思いませんか。
温かい言葉を、ありがとうございました。
似たようなご体験があるのですか。
自分で体験することほど、患者さんの気持ちに肉迫できるものはありませんね。
しかし今回の場合、産婦人科の専門的知識がありましたから、
本当の患者さんの苦しみは、理解できていないかも知れません。
患者理解の限界を意識しつつ、無理せず、頑張ります。
コメントありがとうございました。
もうすっかり元気ですので、ご安心下さい。
>出血とおなかの張りに怯える日々
この気持ちも、今回の流産があって初めて理解できました。
まさに「怯える」という言葉が、ぴったりです。
妊娠中は、少量の出血や軽度のおなかの張りなど、いくらでも起きるのですが、
妊婦さんはその度に、怯える思いをしているのですね。
お産から年月を過ぎても尚、怯えた思いと、
周囲の方々の愛情を覚えていらっしゃるたけ吉さんのお話をお聞きすると
どの妊婦さんにも、より真摯に接したいという気持ちが湧いてきます。
師長の素晴らしい配慮と、
研修医に伝えたかったこと。
今回の記事で言いたかったことに目を止めてくれた目上の先生がいらしたことに
報われた思いです。
短い文に認めていらっしゃいますが、長い不妊期間もICSIも、
大変な思いをなさったのではないでしょうか。
そんなご体験を経た先生のやさしさが伝わってくるような、温かいコメントです。
ありがとうございます。
かなり時間が経っていますので、もうすっかり元気です。
ありがとうございます。
先生、感無量ですよ。
誰にも気づかれることがなかったはずの生命に
こんなに多くの方が、お気を止めて下さったのですから。
やさしいお嬢ちゃんのお話に、心和みます。
この世に生まれることのなかったぴょん先生の赤ちゃんも
何かを残して行ってくれたのかな。
縁、私もそう思います。
「産婦人科医として、より患者さんの気持ちを理解し、真摯に生きよ」
というメッセージだったのかな~、などと勝手なことを思っています(笑)。
素敵なご主人ですね。
そしてそれに応えるように、きちんと泣いて、事実を受け止める作業をしたみきさんも
素敵な女性だと思います。
みきさんのお話に、心の不思議を感じます。
本当にそのようなことって、あるんですよね。
心の健康は、身体を支配します。
心が健康でなければ、身体も回復しません。
だからこそ、心と感情を、大切にしたいですね。
記事中の、広美さんの流産に向き合ったことで、
自分の流産から始まった一連のエピソードの、最後の1ピースが
ぴたっとはまったような感じです。
この出来事が自分に起きた意味を、はっと悟りました。
すっかり本調子ですので、ご安心下さい。
思いやりあるメッセージを、ありがとうございました。
確率のお話、よく理解できます。
大分前、大きな飛行機墜落事故があった時に、
その便に乗る予定だったけれどキャンセルしたというご夫婦が、
「自分たちの代わりに誰かが犠牲になったのかと思うといたたまれない」と、
全く縁故のない人たちの鎮魂にお出かけになったというお話を聞いたことがあります。
>誰かが代わりに請け負ってくれている悲しみの上に今の私が成り立っている、そんな気がしてしまうのです。
気分を害するなんてとんでもない(笑)、
こう思って下さる方がいて、救われる思いです。
ありがとうございました。
24週の死産、ヘパリン注射、
そして、出産の喜びよりもお坊ちゃんのことを思ってお泣きになったこと。
本当に、辛い思いを・・・
辛い経験をするとやさしくなれる、と聞いたことがありますが、
やさしくなれるというよりは、とにかく他人の辛さを理解できるようにはなりますね。
こういうのが「年を取る」ということなのかも知れません。
今回の記事で伝えたかったメッセージのひとつに、
「産婦人科医でも、妊娠のことをよく知っているはずの者でも
流産してしまうのだ」ということがあります。
流産して、人知れず自分を責めている方の辛さを、少しでも和らげることができますように。
何時もやさしい言葉を、ありがとうございます。
本物のEさんは、どんな素敵な女性なのでしょうね。
Atsullow-s caffee先生のブログでの、Eさんと先生のやり取りを見て、
感動しましたよ。
Eさんもしあわせになあれ!
育児でお忙しい中お気遣い下さって、ありがとうございます。
もうすっかり元気ですので、ご安心下さい。
みどりさん、少しはお身体を休める暇はありますか。
ご自身のことも、大切になさって下さいね。
先生をお見舞いしたつもりだったのに、逆に私が癒されてしまいました(笑)
なな先生に出会えてよかったです♪
先生大好き!!!!!
先生が結婚されたと知ったとき、これから先生が産婦人科医をされる上で、妊娠、出産という過程をたどることはとってもエキサイティングなことだろうな、どんな記事がでてくるかなとのんきに期待しておりました。
悲しくて寂しい気持ちも十分に経験された先生だからこそ、もっと患者さんの気持ちに寄り添えると思います。
お忙しいでしょうが、どうかご自愛くださいね。
>大好き!!!!!
いい言葉ですね(笑)
素直な感性に、感動。
今回の体験は、産婦人科医としても意味のあるものでした。
また、新米夫婦が一緒に泣けるものを持ったことにも、
とても意味があったと思っています。
身体はもうすっかり良く、フルパワーで働いています。
ありがとうございます。
お互い身体を大切に、頑張り過ぎない程度にやりましょうね。
私はARTで妊娠して何度か稽留流産になりました。PG坐剤を入れてもらい、帰宅後に腹痛5-6時間、出血とともに胎嚢を出したことがあります。自分も医師(専門外ですが)で、長年産婦人科にかかっているので、状況はわかります。前に先生が書かれていた、「初期流産は胎児要因で不可抗力なので、用心しても防げない」ことも、流産についての間違った認識が患者を苦しめていることも、それゆえ先生が自分の体験に基づいてメッセージを発信されることも、よく理解しています。その上で、思ったことを書くのですが、誤解や失礼があったらどうか許して下さい。
妊娠に気づいてからも普通に働いておられて、稽留流産を指摘され自分の病院にかかるかどうか迷っていて、「病院でひとり」っていうのは、その日も当直していて明け方にお腹が痛くなったのではないですか。
仕事で無理をしたことが流産の原因とは思いませんが、いくら専門家でも、不死身ではないのですよ。釈迦に説法で恐縮ですが、妊娠が継続していた場合は、勤務体系をかえて十分な睡眠・規則正しい生活をして、妊娠中毒症にならないように用心しないといけない。自分の健康を守るのは自分しかいません。
偶然的な確率でおこる事故や病気についての「自分の身におこったかもしれないことを他の誰かが経験している」という捉え方とは別に、世の中には、必然的なリスクを請け負う職業があります。私には火の中に飛び込んで人命救助はできない、一方で、消防士は常に自分の生命を危険にさらし、時には殉職される人がいる。医療従事者も、消防、警察、自衛官よりも直接的な生命のリスクはずっと少ないとしても、市井の人々に代わり種々のリスクを負う職業です。医療従事者がどうかに関わらず、流産はおこります。しかし、自分の流産が進行しているときに他の人のケアをすることは市井の人にはないはず。妊娠して流産しても十分休養なされたのか、それ以前に「患者」になることができなかったのではないか、と心配になりました。
先生は私よりもずっとお若いと思うのですが、健康を過信して無理をしないでほしい、ひとりの人間として妊娠出産できる可能性を大事にしてほしいと思います。
おっしゃること、よくわかります。
私自身も、自分のしたことが決して正しかったとは思っていません。
しかし、私には、ああすることしかできませんでした・・・
流産ではなく切迫流産であれば、地球をひっくり返してでも休業していたと思いますが(笑)。
妊娠中には充分な睡眠・規則正しい生活を送るのが理想ですが、
個人の体力に合わせて、多少の幅はあっていいと思います。
ただし、医師や看護師に多いのですが、張り止めのみながら勤務している妊婦さんがいますが
これには反対派です
張り止めをのむくらいなら、休むべきだと思っています。
姉のような視点からの思いやりあるコメントを、ありがとうございました。
ききょう先生、流産した母を責めないでほしいのです。
わが子に何かあると母性は必ず自分を責めながら生活します。後悔の念が続いてしまってはいけないのです。
今回のことは”用心しても防げない”ことだったと感じます。
なな先生は確かに激務だと思われます。新婚さんなのに大丈夫だろうか・・・と私達は心配することしかできない。でも、だからこそ、しっかり支えてくださるだんな様とめぐりあい、ますますお仕事に磨きがかかって・・・。
大丈夫ですよ。なな先生は。
相手を大切に想う事が出来る方はちゃんとご自分をも大切にできると。
さきほど、今回の先生のブログを親友に紹介しました。
読んでくれたようで、ほっとしたところです。
先生のやさしさに触れ、少しでも元気になってくれることを願っています。
なな先生、もうお体大丈夫ですか?
本当はご主人とおふたりだけのことにしておきたかったのではありませんか?
先生の真摯な告白を、かみしめて読ませていただきました。
>心の健康は、身体を支配します。
>心が健康でなければ、身体も回復しません。
>だからこそ、心と感情を、大切にしたいですね。
う〜ん、考えさせられます。
「『病は気から』と言うだろう、気の持ちようだよ。」と上司に言われて、大変凹んでいるところです。
「心の病」は寛解状態であるのに、(残業制限を記述している)会社からの健康管理措置票には元疾患の「うつ病」と書いてあります。
線維筋痛症は「身体の病」であるにもかかわらずです。
さらに、自身のアダルト・チルドレンと共依存により、他者とのコミュニケーションが、なかなか上手くとれないという状況。
「心」と「身体」と「感情」
このどれもが少しずつ不健康で、それがお互いに影響しあっている。
困ったものです。
すみません、ACの得意技で話題が飛んでますね(笑)
さて、私も忙しい日常が流産という現実を確実に過去にしていってくれてます。まずは、ふっきれております
いろいろ書こうかと思いましたが、ひとこと
からだとこころ、どっちもお大事に。。。。。
よっしゃ~~
今年40なんで、もう一分張りできそうです!自暴自棄な頑張りではなく・・・・・(若いころは、そうでしたので。ほほ)
毎日お忙しい中で、ご自分とそしてご主人と向かい合う時間をお取りになれていらっしゃいますでしょうか。
いつも患者さんのことを思って、ご自分だったら…と自分の立場に置き換えて考えてくださる
やさしいやさしいなな先生。
でも、ご自分のお身体が第一です。
本当に本当に大切になさってくださいね。
私事ですが、先日妹が稽留流産で処置を受けました。
私には大丈夫と言っていましたが、私とメールしながら、自室でボロボロ泣いていたと母から伝え聞きました。
なんと声をかけていいかわからず、
(医療従事者としては失格ですね…)
ただ事実を受け止め、妹と、もうすぐ結婚する彼の気持ちについてだけ、心配の言葉を伝えました。
子供を授かることの素晴らしさと、今いる子供たちを大切にしなければいけないのだということを
改めて痛感いたしました。
なな先生とご主人に幸せがたくさん訪れますよう、心よりお祈り申し上げます。
先生はわかって下さると思うのですが、責めてなどいません。
私自身も働きながらの流産でしたし、胎児要因は不可抗力なので、悲しみや絶望感はありましたが、自分を責めたことはありません。どれほどつらくて受容し難いことでも、不可抗力として受け止めるしかないと、思っていますので。
実際に妊娠しても働き続ける人は多いし、そう簡単に勤務体系を変えられない場合も多いと思います。しかし、平素でもリスクや負担の多い仕事に従事している女性が無理をしていたことを、私たちが軽視してはいけないと、言いたかったのです。専門教育をうけたエキスパートで私たちの社会のために大切な人材だからこそ、一般の人のようには無理だとしても、せめて、十分な睡眠とある程度規則正しい生活が出来るようにならないかと、思うのです。
コメントを読んで、先生のやさしさに、ただ泣きました。
>流産した母を責めないでほしいのです。
わが子に何かあると母性は必ず自分を責めながら生活します。後悔の念が続いてしまってはいけないのです。
これは、普段患者さんと接しながら強く感じていたことでした。
感じてはいたけれど、ぴょん先生のようにうまく言語化できずにいました。
流産された方のご家族の中には、このアドバイスが必要な方がいます。
先生の言葉は、現場にそのまま持って行きます。
重ねて感謝です。
ありがとうございます。
お友達にブログを紹介して下さったなんて、嬉しいです!
このブログは、コメント欄が命です。
コメント欄を読んで下さるといいな~
やさしい心遣いをありがとうございます。
私が発信したかったことを真摯に受け止めて下さる方がいて、
あえてこの体験を綴った甲斐がありました。
報われた思いです。ありがとうございます。
最近ブログを書いていて、言葉の難しさを実感しています。
決して「病は気から」と言いたかったわけではなく、
むしろこの言葉は懐疑的に思っています。
2つ目の文の「身体も回復しません」が不適切でした。
これを「真の意味では健康と言えません」とすればよかったのかな。
先生も同じご体験をなさっているのですね。
でもこの体験、先生のおっしゃるようにきちんとふっきれるものだと私も感じています。
我々は、心身共に良い状態でなければ、いい医療が提供できません。
なので、メンテは手をぬかずにやってますので(笑)、ご安心を。
やれるとこまで、頑張りましょうね。
ききょう先生、ごめんなさい。私の言葉が少しきつかったですね。
なな先生の”どんな場面でも真摯な姿勢を持ち続けようとする姿勢”に私はあこがれています。
その姿勢をずっと続けていけることができますように。
その姿勢をサポートしてくれる小さな天使がまたなな先生のもとに訪ねてきてくれますように。
幸い、その間に一子をもうけることが出来、今は中学生です。
今更ながら、私はどれだけ妻の気持ちを理解できていたのかな、と思います。
なな先生はお強いですね。
でも、体は正直です。こんど生まれてくる命には、やすらいだ環境を用意してあげられるといいですね。
なお、なな先生のDNAは絶滅危惧種,天然記念物?なみの保護が必要な貴重なものです。大切に子孫に継承して下さいまし。
私もぴょん先生の言葉が一番この場にぴったりのお言葉だと思いました。(ちゃっかり保存!)
医者であること、同士だから仰ることもあると思いますが、
ここでのなな先生は、産婦人科医でもあり、ママになる一人の女性としての面もあると思います。 だから、ママになられる人には、やさしい言葉がいいな〜と私自身思いました。まだ数ヶ月しかたってないことですし・・・
それでも、現場にもどられているなな先生は、きっとその辛い体験を活かせていくはずだと思っています。もちろん、ご自身のお身体だけはお大事に、ママになる先生を楽しみにしている人がいっぱいいますから〜
思っていることを上手く伝えることは難しいと、日々思っています。
>これを「真の意味では健康と言えません」とすればよかったのかな。
「心の健康は、身体を支配します。」
「心と身体が健康でなければ、真の意味では健康と言えません」
「心の呼吸が感情です」
「だからこそ、心と感情も、大切にしたいですね。」
な〜んてまとめてみました。かっこ良すぎですかね?
>なんと声をかけていいかわからず
先生でも、そうなんですね。
私も、本文に書いた広美さんにどうしてあげたらいいか、わかりませんでした。
妹さんのことを思い遣る気持ちもさることながら、
お相手の男性のことまでお気遣いなさったBluesapphire先生は
とってもやさしく、頼りになるお姉様なのでしょうね。
きちんと泣くことができた妹さんは、きっと大丈夫。
妹さんを、どうかお大事になさって下さい。
>辛いこともまた、ひとつの経験。
本当にそうですね。
幸いにして私は、この経験を智恵に替えることができたと思っています。
Jさんも、しあわせになあれ。
妊婦さんは、みんなで大切にするべき存在です。
それでも、お腹が大きいのに無理をして働いている女性はかなりいらっしゃるようで、
心が痛みます。
最近は看護師不足のせいか、大きな病院の看護管理職の人ですら
妊娠中の休業に難色を示すケースが見られます。
しかし妊娠も十人十色です。
お腹が大きくなってきても、生き生きと当直をしている産婦人科の後輩ドクターたちを見ると
あれはあれでいいのだろうと思っています。
ききょう先生もおっしゃるように
妊婦さん本人が休みたいと思った時に、スムーズに休める勤務体制と雰囲気が
きちんと実現できるといいですね。
すんなりと「ごめんなさい」と言っちゃう先生の素直さに
しびれています(笑)。
先生は私よりちょっと年上だと思っているのですが、
私もX年たったら、ぴょん先生のような女性に……なれるかな〜。
ぴょん先生は、私の中では
「ふわふわでほんのり甘い砂糖菓子」のようなイメージです(笑)
妊娠・出産に関する認識については、男女の間では絶望的な隔たりがあります。
おそらく、「気持ちがわからなくて普通」なのではないでしょうか。
私の同期男性医師で、元々他人の心の機微に敏感で、類稀な愛妻家がいますが、
その上、産婦人科の知識と経験を持っている彼ですら、
奥様の妊娠・出産の時はどうしていいのかわからず、
「離婚寸前」だったそうです。
私の場合は、専門的知識が自分を強くしてくれました。
これは、幸いでした。
>DNA
あはははっ、先生、面白いです〜〜
ぴょん先生、素敵でしょう(笑)
お年寄りのケアをお仕事になさっていますが、
産婦人科の現場にスカウトしたいんです〜本当は。
Eさんとこうしてやりとりをしていると、思います。
お互いの関係は、お互いの態度を示す鏡なのだ、ということです。
Eさんがやさしく思い遣りのある言葉をかけて下さるので、
私もつられるのですよ(笑)
Atsullow-s caffee先生も、きっと同じ気持ちでは?
ありがとうございます。
十数年前、妹が死産となった時のことを思い出してしまい
ました。臨月のある夜、夜中に電話がかかってきました。
すぐ病院まで駆けつけました。胎動がなくなり、救急車で
搬送、病院に着いた時、既に胎児は亡くなっていました。
死んで生まれてくる子供を生むために分娩室に向かう前の
妹と、分娩室から出てきた妹に立ち会ったものです。病院
でも、私が精神科医なのは、周知のことですから・・・
端正で美しい顔立ちの児でしたが、この世との縁が薄かった
のが残念だね、ということで、皆が納得するまで数年の時が
必要だったのを思い出します。死産に立ち会ってくれた産科
の先生には皆が感謝し、その思いは、今も変わりません。
妹にかける言葉は何もありませんでした。言いたいことを
全て聞いていました。なな先生の思い、私が言えることは
何もありません。
もともとの記事からずれてすみません。
今朝は、なぜか午前五時半頃に、すっきり目覚めてしまい
ました。体調を崩す前は、夜更かしした翌朝以外は、これが
普通でした。三年振りくらいでしょうか・・・
今月から、当直は週に一回で変わりないようにしてくれ、と
いうこと以外はルーチン業務に復帰しているのですが、三年
前と同じくらいで、暇でした。一日に診察するのは、五十人
程度で、楽になりました。
なな先生の宝物のようなお言葉のひとつひとつに、いつも私のほうが励ましていただいています。
コメントさせていただいているのに、すみません。
なな先生に先生と呼んでいただきましたが、医療従事者ではありますが、先生と呼ばれる立場ではないのです。
そして、頼りない姉であることも白状しておきます。
言葉は宝物としての使い方も、そうではない使い方もできるから、
だから、みなさんおっしゃっているようにやさしい言葉を
やさしい使い方で使える人になりたいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。
公表されるということはもう立ち直られたのでしょうか。妊娠しても過酷な勤務状況は変わらないのでしょうか・・・(涙)。どうかどうか、ご自身のお身体を大切に。。。
>ぴょん先生は、私の中では「ふわふわでほんのり甘い砂糖菓子」のようなイメージです(笑)
ぴょん先生ってホントに素敵でしょぅ。
産婦人科だけじゃなくって、みんなスカウトしたいと思っているはずですよ〜。
でも、少しは休ませてあげて下さいね〜。
撫ですぎて、つるつるにしないで下さいね〜。
ふわふわでほんのり甘いところがいいんですからね〜。
>妹にかける言葉は何もありませんでした。言いたいことを
全て聞いていました。
このような場合に、混乱する思いを言語化させることの大切さをご存知なK&R先生にしか
いい得ない言葉だと思います。
Bluesapphire先生もおっしゃっていますが、こんな時、かける言葉なんて、ないのですよね。
先日外来に、生後1ヶ月のお嬢ちゃんを亡くされた方がいらっしゃいました。
著しい憔悴ぶりで、行動もちょっと普通ではありませんでした。
訴えも、お話の内容も脈絡がなく、どうしていいのかわかりませんでしたが、
ただ、心して聴きました。
長いお話が終わった時、母子手帳を見ると、お嬢ちゃんの名前が書いてあります。
意味はなかったのですが、フルネームで読み上げました。
「山田花子ちゃん、ですか」
それまで焦点の定まらない目で話していたその方に、突然生気が戻って、わっと泣き出しました。
1時間近くお話ししましたが、私が発した言葉はお嬢ちゃんの名前だけでした。
精神科の患者さんの50人は、とてつもなく大変なのではないでしょうか。
先生が心静かにお過ごしになれますように。
「先生」がくすぐったいといけませんので、こうしますね(笑)
とんでもない、励まして頂いているのは間違いなく私の方です。
「やさしい人でありたい」と心がける医療従事者の姿は、美しいですね。
基本的に病気の人と接する仕事ですから、医療者がやさしいと、患者さんも周囲の人も、
みんなほっとします。
私も頑張ります(笑)
いつもやさしいお心遣いをありがとうございます。
もう完全に元通りですので、ご安心下さい。
今回の記事を書く時に、先生がIVFのお話をなさっていたことを思い出しました。
先生の周囲の悩みを持った人たちは、どんなに救われただろう、と。
よし、じゃあ私も産婦人科医自身の流産の話を、と思ったのです。
はい、ぴょん先生も皆様も、お休みしたいと思った時にお休みできる世の中になるといいですね(笑)。
私は繋留流産でした。初期は染色体異常などが多いということはわかっていましたが、その時は自分の仕事のせいだとか、人の子供を診るのに自分の子供は死なせてしまったとかなどと悶々と考えていました。でも、どうしてもしたかったことが一つありました。子宮掻は後の組織でも絶対自分の子はこの手で抱いて、見ようとと思っていました。もちろん、病理用の瓶に入っていましたが、見たいと看護婦さんにお願いしたら、組織だけですが、赤ちゃんをバスタオルでくるむようにして私のところに来て下さいました。その時の看護婦さんの気遣いには非常に感謝しています。流産に立ち会うことは少ないので、私の少ない経験で書いていますが、流産後の赤ちゃんはお母さんに会えない、会わないことが多い気がします(なな先生どうでしょうか?)。でもこの世に少しの間でも生を受けてお母さんのおなかの中で生きていた証として私はお母さんに面会して、抱っこしてほしいと思います。もちろんお母さんの心情に配慮しないといけないことはわかっていますが・・・。少しの時間だけでも母親に幸せをくれた赤ちゃんに感謝して、生きていきたいですね。
今の職場でお暇を出されても引き取り手がある・・・安心しました(笑)
なな先生の勇気あるメッセージにはいつもいろんな事を考えさせられます。
妊婦は病人じゃない・・・と、言われるけれどやっぱり周囲の人達に支えられて心身共に健康で過ごしてほしいこと。
妊娠を通してさまざまな経験をされた方がたくさんいらっしゃること。
自分の辛い経験をフィードバックしてワンランクアップした関わりができると暖かい世の中になりますよね。
わたしも、仕事をしつつ、はじめての妊娠で授かった命を失いました。
まだ、手術から1ヶ月たっていないため
まわりに可愛い赤ちゃんを見かけると
「私の赤ちゃんは、お空に帰っちゃった」
と考えて号泣してしまう自分がいます。
こちらのブログで
「赤ちゃんをきれいにして、ちいさな箱に入れて、ガーゼで綿帽子を作って、
サクランボくらいの大きさの頭に、かぶせてあげていました。」
というメッセージを読み、感動して涙がとまりませんでした。
男の人から見たら「ちゃんと育たなかったの見せてどーする」
なんて、思われて、理解できないかもしれませんが、
お母さんにとっては、どんなに小さくても大切な大切な命ですもの。
きっと、そのお母さんは喜んだと思います。
私の場合は、病理検査に廻された、と聞かされただけで、
会うことが出来ませんでした。
「お空に帰った赤ちゃんが教えてくれたこと」について、書きます。
たくさんありました。
つわりの大変さ、
おなかが大きくならないと電車で席をゆずってもらえないこと、
妊婦で仕事を続けることの難しさ、
無事に生まれるまでは不安と背中合わせの日々であること、
ほかにも、今まで認識のなかった色々に気付くことができました。
今の時代でも出産は100%安全ではないこと、
産婦人科の多忙さ、
産婦人科と訴訟問題、
医学部の産婦人科希望者の減少
医療現場の苦悩
漫画の中に出てくるお医者さんのイメージは現実ではないこと。
医者も人の子、患者に「ありがとう」って言われると嬉しいこと。
などなど
長くなりましたが、
なな先生、これからもブログ楽しみに読ませていただきます。
大丈夫ですか? なな先生ご自身の流産の話を聞いて、心を痛めている一人です。
私も女医ですが、幸い研究留学中だったので、無理をすることがなく、体を休めることが可能でした。
たくさんの女医の流産の話を聞きます。ききょう先生のおっしゃる意見にほぼ賛成(同感)です。。。
なな先生にもしあわせになっていただきたいです!(ファンの一人として。。。)
私が結婚したときに年配の技師さん(女性)がやさしくつぶやいてくれた言葉があります。
”やっぱり、自分(医者)が幸せじゃないと患者さんも幸せにできないのよね。。先生(私のこと)にも幸せがくるとと信じていたの~。よかった。”
なな先生、やっぱり、自分の体(赤ちゃんもふくめて)は自分でしか守れないので、どうぞご自愛くださいね。。。。
びょん先生、謝ってくださることはありません。
休みたくとも休めずに仕事をしている人に、「働き過ぎはいけないよ」と言っても何の解決にもならないし、かえって気分を害され、責めているように受け取られることもよくわかりました。
「子どもに何かあったら母性は自分を責め続ける」という言葉は、最初、お子さんを育てていく過程のことかと思いました。前にも申しましたように、自分自身が何度か、体外受精で妊娠して流産を繰り返したのですが、自分を責めてはいません。「初期流産の胎児要因は用心しても防げない」ことを全く言葉通りに受け取っているので、まして他の人を「責める」という発想自体がないのです。
自責の念にかられることは、自分の身に起こったつらいことを受け入れ、悲しみや苦痛に耐えていくプロセスなのかもしれません。しかし、世の中はあまりにも偏見が多いので、女性が「自分が至らないためにこんなことになった」と言わねばならないような精神風土が、今でも続いているのだと思います。
さらに実際に、子どもが出来にくい、流産しやすい素地は自分の側にあったのですが、それは治療の対象になる・ならない、といった、あくまで「医学的な母体要因」だと割り切って考えないと、流産の原因を調べて治療することが、大変な負荷になってしまいます。ですから、「お腹の子どもに何かあったら自分を責めるのが母性」という考え方をしない立場の者もいることを、知って下さい。
先日私が流産のことでご相談し、先生に励ましていただいていたその時、実は先生もお辛い経験の後だったのですね・・・とても胸が痛みます。
私は今まで「先生」と呼ばれる職業の方々を、「先生」としてしか見たことがなく、「先生」でしかないという錯覚さえ持ってしまいそうになっていました。
しかしほんとうは「先生」にも家庭があって、大切な人達がいて、喜びも悲しみも、辛いことや苦しいこともある生身の人間なんだという当たり前のことにあらためて気づかされました。
そして、辛さや苦しさを私たち患者には全く見せず、優しく、真摯に接してくださる先生方に、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
コメント欄からなのですが、先生の「切迫流産であれば、地球をひっくり返してでも休業していたと思いますが(笑)」という言葉に、お母さんとしてのとても強い愛情を感じ、温かい気持ちになりました。
私も流産から2ヶ月以上たち、心身ともに元気になってきました。
流産直後は、喪失感とともに、「この悲しみや寂しさもいずれ時間とともに癒されていき、忘れていってしまうのだろう」ということが自分で分かっていて、それが逆に、辛く、赤ちゃんを忘れていくのがかわいそうでたまりませんでした。
けれど、時間がたってみて、喪失感や辛さは消えても、赤ちゃんが教えてくれた大切な思いや、自分がその子の母親であるという気持ちは消えないということが分かり、穏やかな気持ちで生活できるようになりました。
長くなってしまいすみません。
先生も、大変ご多忙かと思いますが、患者さんとともに、ご自身のお心とお体にも優しくしてあげてくださいね。えらそうなことを言ってすみません・・・
先生もまた、辛いご経験をなさったのですね。
こうしてコメント欄を見るだけでも、流産の経験がある方がこんなにいらっしゃることに
改めて驚きます。
病理用の瓶に入っているご自分の赤ちゃんを抱いた、という先生のお話に、感服しました。
このお話には、産婦人科医として考えさせられました。
今まで、そこまで気が回ったことがありませんでした。
迂闊でしたね。
今後は、ご本人にそうしてみたいかどうか聞いてみようかな。
ご希望される方、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
貴重なヒントを、ありがとうございました。
働いてみたくなったら、是非ご連絡下さい(笑)
>自分の辛い経験をフィードバックしてワンランクアップした関わりができると暖かい世の中になりますよね。
本当に、そうですね。
上手に言えませんが、これが先人の叡智を受け継ぐというか、
人としてあるべき姿なのでしょうね。
お辛い最中に、心の篭った丁寧なコメントをありがとうございます。
お身体の具合はもういいのでしょうか。
夜は眠れていますか。
こんな時に、周りのかわいい赤ちゃんを見たら、
泣きたくなって当然ですよね。
私もそうでした。
うちの師長、素敵でしょう?
これに感じて下さった方がいらっしゃって、
私も嬉しくなります。
> 「お空に帰った赤ちゃんが教えてくれたこと」
貴重なメッセージです。
我々産婦人科医にとっては、当事者の生の声は、格別の重みがあります。
特に、
> おなかが大きくならないと電車で席をゆずってもらえないこと
私自身は、味わうことがありませんでした。
時々提起されている問題ですが、未だに解決していないですものね。
他にも、赤ちゃんが教えてくれたことに気づいたら、教えて下さい。
コメントありがとうございました。
おはようございます。
本当にまだまだ世間は偏見が多いですね。
ききょう先生の様に知識がちゃんとおありで割り切って考えることが出来ると世の中スムーズに動きそうです。
なな先生
生まれたての赤ちゃん・・・イメージするだけでも元気がもらえますね。
その多くのやさしさに包まれて生まれてくる赤ちゃんって幸せそのものですよね〜 なな先生のまわりには、いつもいっぱい幸せのメッセージがあるのも、先生の前向きで暖かい気持ちに伝わってくるものあるからだと思ってます。
明け方の病院でひとり、どんなに心細く、悲しかったことでしょう…。
小さな命のご冥福と、なな先生のご健康をお祈り致します。
やさしいメッセージをありがとうございます。
>なな先生にもしあわせになっていただきたいです!(ファンの一人として。。。)
ありがとうございます(笑)。
今回のことは、私よりも兼ねてから子供を欲しがっている夫の方が気の毒でした。
私自身はすっかり元気になって、しあわせに過ごしています。
海外はいいですね。
休みたい人も働き続けたい人も、個人の気持ちと体力に合わせて
心地良く妊娠生活が送れるといいですね。
自分は少しウェット過ぎる部分があると思っています。
ですので、理知的なききょう先生のお気持ちを、わかっていないところがあるでしょう。
だからかも知れません、
>あくまで「医学的な母体要因」だと割り切って考えないと
この境地に達するまでの先生のお気持ちを思うと、どうしても切なくなってしまうのです。
いえ、もしかしたら先生にとっては、私が思うようなものではなかったのかも知れませんが。
しかし、そんなご経験あっての上のアドバイスです。
真摯に受け止めます。
重ねてのコメント、ありがとうございました。
とても心のこもったメッセージを、ありがとうございます。
いいえ、あの時ゆっぴーさんが私のブログを目にして下さったことは
とても嬉しかったのですよ。
何かのめぐり合わせかも知れませんね(笑)。
今のゆっぴーさんの気持ちにも、深く共感します。
忘れるのは悲しみだけであって、赤ちゃんの存在ではありません。
私の外来には70歳・80歳の患者さんが受診されることがあります。
皆さん、妊娠回数と出産回数を、正確に覚えていらっしゃいます。
赤ちゃんのことは一生、心の中に大切に残るものだと思っています。
そして、今回頂戴したコメントでは、「医師も生身の人間」ということについて
素直な言葉で綴っていらっしゃることに、とても感動しました。
日本中の患者さんが、みなこのことに気づいて下さったら
もしかしたら、壊れかけた医療の救いの光になるかも知れません。
お互い、心と身体を大切にしましょうね。
コメントありがとうございました。
>なな先生が、ぴょん先生のことをふわふわな砂糖菓子のようなって言われるのがよ〜くわかりました(笑)
そうでしょうそうでしょう(笑)。
ずっとこのブログと私を見守って下さっている方です。
Eさんのおっしゃる通り、医者たちの激務を支えているのは
人のやさしい思いやりだと思っています。
小さな命に、気をとめる方がいて下さったことに、心癒されます。
ありがとうございます。
私は、なにかしてあげられる立場ではありませんが、
先生のところに、また、コウノトリが、一直線に、飛んできますようにと、お祈り申し上げます。
何時も優しいお心遣いを、ありがとうございます。
もうすっかり元通りですので、ご安心下さい。
green leaves先生にも、更にいいことがいっぱいありますように。
お体、大切になさってください。
お元気になられたようで何よりですが・・・。
うちは、娘と息子が一人ずつです。
一時期、1勝3敗になりました。
妻も自分も、暗黙のうちにあきらめていました。
一人いるだけでいいじゃないか、そんな雰囲気でした。
流産の度に、夫婦で泣き明かしていました。
辛くて悲しい経験です。
みんな元気だったら大家族だったんですけれどね・・・
時が・・・、解決してくれます。
流産、私は自宅で一人でいるときに経験しました。
ほんとに初期だったので妊娠したことを誰にも告げる前でした。
後日夫にだけは話しましたが…。
一人で抱え込んだので、頭ではよくあること、と思いながらかなりひきずった気がします。
今は私以外誰も知らない我が子が弟、妹が生まれるのを見守ってくれたのだと感謝しています。
流産の痛みはほんとにびっくりですね。
その痛みこそ我が子の存在の証だったですが。
妊娠、出産、育児にまつわる痛みこそ、産科医療従事者としての学びが大きいことはないですね。
どうぞお体大切にお過ごし下さいね。
お気遣い、ありがとうございます。
なんだか、嬉しい。
先生も、辛い思いをなさったのですね。
流産なさった方のご主人が、年月を経てそのように振り返っていらっしゃることに
深く感じるものがあります。
私たちは新米夫婦ですが、一緒に泣ける経験を持てたことは
自分たちにとって必ずプラスになってくれると思っています。
男性の立場からの流産のご経験は、大変貴重なお話でした。
ありがとうございました。
ピンクと紫のかわいらしいブーケが、目に浮かぶようです(笑)
ちいまめさんが、同じご経験をなさっていたなんて。
「あの痛みはわが子の存在の証」という言葉に、目からうろこです。
まさにそんな感じでした。
それから、今回の経験で、母性についてまるで理解していなかったことを思い知りました。
また、専門的知識があったために、流産経験の辛さの核である「不安」から、
かなり免れていたと思います。
これで、患者さんの気持ちをわかったつもりになってはならないと自戒しています。
やっぱり、妊娠・出産・産褥を、一度は味わってみるべきかな~
何時も思い遣りとウィットに富んだメッセージを、ありがとうございます。
いつもROMばかりですが、先生の綴る言葉とそこからにじみ出る人柄に惹かれて時々読ませて頂いてます(^^)
私も第1子の際に同じ体験をしましたが、身体だけでなく、心も辛い出来事ですよね。その後は少し心身ともに休む時間は持てたのか、とても気になります。
私を担当してくれたドクターは男性でしたが、最終的に流産が決まった際、ぽつんと「私も同じ経験を2度しているのです」とつぶやかれました。術後はしばらく立ち直れませんでしたが、ドクターである先生にも救えない運命にある命も存在するのだ、とこの言葉に慰められたところが大きいです。
その後、2年余りして再妊娠した際、ドクターが診察室に入ってくるなり「生理止まったんだって~!!」とすっごく嬉しそうな顔をしてたのが今でもとても印象に残っています。
なな先生の赤ちゃんも空の上から先生の奮闘振りを微笑みながら眺めているのではないかと思います。
これからも心と体を大切に。ブログも楽しみにしています☆
>「私も同じ経験を2度しているのです」
男性ドクターのこの言葉に、驚いています。
なんてやさしい方なのでしょう。
自分のいたみとして捉えていらっしゃるだけではなく、
これほど患者さんへの共感を示す言葉が、他にあるでしょうか。
素晴らしさに圧倒されます。
流産を経験された患者さんの、新たな妊娠の知らせは、
もう、ただただ嬉しいのですよね(笑)。よくわかります。
これからもよろしくお願い致します。
なな先生のところにも、いつか生まれ来る命がすぐそばで待っているような気がします。
先日、友人が3人目の赤ちゃんを妊娠したのですが、胎のうは確認できたものの出血が止まらず、そのまま流産してしまいました。とてもほしがっていたのでショックを受けていました。でも、その後も出血は治まるどころか量が増し、そのうち肛門の近くが激痛という症状になり、検査したところ、もうひとつの受精卵が子宮外妊娠していて、その場所が卵管ではなく子宮の後ろ側に落ちてしまったようなのです。痛みの原因は子宮の下のほうに血腫がたまったものでした。すぐにオペということになり、それも腹腔内手術でないと命にかかわるというのです。驚いたことに近くの大きな大学病院にはその技術をもつドクターが不在で(たぶん、なな先生もご存じの方だと思いますが)神奈川では第一人者というドクターがいる病院を紹介されました。再び驚いたことには、なんと個人病院に近い規模の駅からバスでというところでした。患者さんは遠いところからもいらっしゃるようで、先生のオペの数も一日に5-6回は行うそうです。
その先生に友人は助けていただきました。あと一日遅ければ大出血と子宮破裂で命がなかったということでした。傷口を見せてもらいましたが、とても小さく、三度驚いたことに全摘出もできるそうですね。想像の域を超えています。
あれからひと月がたち、快活な彼女はすっかりもとの生活に現役復帰していますが、ふと思い出しては、今お腹にあのままいたらどれくらい大きくなっていたのかなって考えると涙が止まらなくなるそうです。
彼女にメールしました。
「小さな命も大事だけど、母体ももっと大事。今、目の前にいる子供達のお母さんでいられることに感謝しなくちゃね」
そしたら
「私が元気ならまだ望みはあるし、赤ちゃんは来なくても今の生活は続けられることに感謝してこれからの命を大切に生きていきます。辛い時に励ましてくれたことはずっと忘れません。一生ついていきます」って返信メール。
最後の言葉はリップサービスいやいやフィンガーサービスだとしても、これ読んで両目から大粒の涙が溢れました。
あらためて、大事な友人を救ってくれた若手なのに偉大なお医者様と素晴らしい技術に感謝です。
なな先生、この技術をもっとたくさんのドクターに取得してほしいけど、人手不足と激務ではなかなか難しいのでしょうね。
お心遣いありがとうございます。
私の方はもうすっかり元気ですので、ご安心下さい。
お友達は、大変でしたね。
もとの生活に復帰していらっしゃるとのことですが、
それでもたまに涙されているご様子、心が癒えるまでには、
まだ時間がかかるかも知れません。
お話からすると、腹腔鏡手術でしょうか。
恐らくこれから拡がって行く技術だろうと思います。
しかし、腹腔鏡経験のあるドクター2人はいないと
新規導入は難しいかも知れません。
ニーズは多数あって、実施している施設はどこも手術待ち数ヶ月、というレベルのようです。
>赤ちゃんは来なくても今の生活は続けられることに感謝してこれからの命を大切に生きていきます。
素晴らしいですね。
私もmizuhoさんのお友達を見習わなくちゃ(笑)
心のこもったコメントを、ありがとうございました。
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