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灰になった新羅時代の14面体のサイコロ(上)

1975年、慶州の雁鴨池から出土した統一新羅時代のサイコロの複製品。宴席で罰ゲームを決めるのに使われたもの。本物は、残念ながら保存処理の過程で一握りの灰と化した。/写真=慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者

 現在、国家の大権を巡る争いは真っ盛り。大統領候補を決めたハンナラ党や民主労働党、そして大統合民主新党や民主党の予備候補たちは、皆口々に「賽は投げられた」と必勝を叫んでいる。

 シーザーが「賽は…」云々と言ったのは、西暦前1世紀中盤のこと。最も小さなサイコロが、それ以前にあったという話だ。サイコロは、エジプトなどオリエント地方に由来するものというのが定説だ。それならば、サイコロは韓国にいつ頃入って来たのだろうか?

 サイコロが最初に伝来した時期については明らかになっていないが、発掘品の中で最も古いサイコロは統一新羅時代のものだ。しかしこのサイコロは、現在複製品だけが伝わっている。

 このサイコロは、1975年新羅の太子の居所、東宮周辺に鑑賞目的で作られた「雁鴨池」から出土した。クヌギの木でできた本体に黒漆を塗って作ったものだ。高さは4.8センチで、手の中にぴったり納まる大きさだった。しかし、このサイコロは他のサイコロとは異なる特徴を持っていた。

 まず第1の特徴は、正6面体ではなく14面体という点だ。14面中6面は正四角形で、8面は六角形だった。次に、1面を除き残る13面にそれぞれ漢字が4文字書いてあった(残る1面には、5文字書いてあった)。書かれた文字を解釈すると、このサイコロは、宴席で使われた「罰ゲーム用」だったことが分かる。

 正四角形をした6面に書かれた罰ゲームの内容は、「飮盡大笑」(酒を飲んで大声で笑う)、「三盞一去」(酒を3杯、一気飲みする。あるいは酒を3杯飲んで一歩きする)、「自唱自飮」(独りで歌を唄い、酒を飲む)、「禁聲作舞」(声を出さずに踊る)、「衆人打鼻」(その場にいる全員から鼻を叩かれる)、「有犯空過」(その場にいる全員からけんかを売られたりいたずらされたりしても我慢する)だった。

慎亨浚(シン・ヒョンジュン)記者

アドバイザー=イ・ガンソプ壇国大教授、シン・グァンソプ国立民俗博物館長、イ・ギュシク国立文化財研究所保存科学研究室長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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