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平成18年2月18日、福島県立大野病院の産婦人科医、加藤先生が逮捕されて
もうすぐ2年経ちます。
平成16年12月、加藤先生は前置胎盤の妊婦さんの帝王切開を執刀されました。
手術中に、胎盤が子宮壁に強固に癒着していることが判明し、剥離の際に大量出血、
加藤先生と手術スタッフたちは、懸命の治療をしますが、
非常に悲しく残念なことに、産婦さんは亡くなりました。
まずは、亡くなった産婦さんに、心から哀悼の意を捧げます。
手術から1年2ヶ月の後、加藤先生は業務上過失致死等で、福島県警に逮捕されました。
手術から1年以上経っているのに「証拠隠滅の恐れあり」、
ご自宅では、臨月の奥様がお待ちになっているのに「逃亡の恐れあり」として、
在宅起訴ではない、逮捕でした。
逮捕には、100を超える医学系学会が、抗議声明を表明しました。
現在も裁判は続いており、証拠調べは終了、次回は論告求刑が予定されています。
裁判では、癒着胎盤の術前診断や、胎盤剥離にクーパーを使ったことの可否が争われていますが、
何だか違う気がするのです。
この他に、ずっと思っていることがあります。
① 加藤先生は、出血に対する処置は、最終的には完遂しています。
手術経過を見直してみましょう。
------------------------------------------------
14:50 児娩出、濃厚赤血球5単位輸血
16:30 濃厚赤血球10単位輸血し、子宮全摘開始
17:30 濃厚赤血球10単位輸血、子宮全摘終了
18:00頃 心室細動、蘇生開始
19:01 死亡確認
------------------------------------------------
出血を止められず、輸血も間に合わずに、血圧が低下して死亡しているのであれば、
過失の有無が問題になるのも、まだわかります。
しかし、胎盤剥離に固執せずに子宮摘出に切り替えることによって、止血を得ており、
その後、心室細動が起こって、亡くなっているのです。
加藤先生に、あれ以上何をし得たでしょうか。
② 医療が介入していなかったら、母児共に救命し得なかったケースであることが、
忘れられていないでしょうか。
麻酔下でも剥離できなかった、前置胎盤・癒着胎盤です。
しかし、医療が介入した結果、児だけは救命できました。
「母児共に救命できない」ことと、「母児共に救命できる」ことの間には、大きな溝があります。
医療が介入すれば、その大きな溝を一足飛びに埋めることができて当然、
できなければ犯罪行為なのでしょうか。
医学はまだまだ発展途上、不確実なものです。
発展を追求する途上で、追求者たちが犯罪者として裁かれるのであれば、
誰が医学を発展させて行けると言うのでしょうか。
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コメント
コメント一覧
一生懸命頑張っても、報われないことってたくさんあると思います
先生は、一生懸命処置され、それでも救えなかった・・・
ご家族同様に先生も悲しかったはずです
逮捕ってことは、ご家族が訴えたってことですよね
死の悲しみと怒りと子供の親がいない不憫さを誰かのせいにしたくって先生にぶつけたのでしょうか・・・
こうやって、また1人優秀な先生が医療界から消えていく・・・
残念でなりません
ご遺族の悲しみ、痛いほどにわかります
でも、お子様を救っていただいたのでは?
感謝を忘れてはいけないですよね・・・
幼い頃、母のない子と子のない母はいつも身近なものでした。小学生の頃、ある同級生は出産の時に母が亡なくなり、いつも、どことなく寂しそうでしたから、両親と一緒に畑仕事に出かける時、みかけたら、いつも誘っていたものでした。その同級生の父は、周囲から訴えろとそそのかされたそうですが、「訴えても妻が生き返る訳ではないし、死んだ妻は悲しむだけだろうし、子は後で苦しい思いをするだけだし、良いことは何もない」と相手にしなかったとの話を、最近、知りました。
私が生まれた時は、母子ともに元気で、私を出産した後、母は、しばらく休んだら、すぐに家事をしていたそうです。太陽が明るく暑い夏、7月のことだったそうです。島の生まれですから、生まれて潮に浴して、浪を子守の歌と聞き・・・
私は幸運でしたが、不運に見舞われた人は、周囲がいろいろと大切にして当然、といった記憶が、ずっと心の底に残っています。
大野病院の加藤医師は、とても誠実な医師だと思います。
『その時考えられる全てを、尽くされた』のだと、私も思います。
出産というものは、何回経験しても、妊婦さんにとっては、たとえ安産であったとしても、やはり命がけのものです。あくまで結果としてそうであっただけで、一歩、メカニズムが狂うと、それこそ母子ともに、命さえ危ぶまれる一大事です。
出産するたび、「もしかしたらこのまま死んでしまうのではないか?」という考えがよぎりました。それでも、赤ちゃんだけはこの世に無事に送り出して、それから死のう・・・と。
赤ちゃんが無事生まれて、産声を聞いたとき、ああ、自分も生きているんだ、よかった・・・と、ほっとしたものです。
すべて妊婦さんが、無事出産出来るようになれば、素晴らしいことだと思います。けれど、その反面で、それがあまりにあたりまえになってしまうことを恐れます。
外科医であれば止血を完遂、そして母子共に死亡という最悪の事態からの回避策が出来ています。なのに告訴されてしまう日本社会。日本の産科医が声を上げて立ち上がった理由が正にここにあるのですね。
この事件の問題点を頭の中ですっきりと整理してくれました。ありがとうございました。
今回の日記で初めてこの事件の「手術経過」を知り、この事件に興味を持ちました。
思うに、一般の人たちは「起きた結果」しか知らない人がほとんどだと思います。「起きた結果」だけセンセーショナルに報道し、あとは放置の報道産業。「ひどい医者もいるもんだ」という印象を植え付けて、たとえそれが間違った印象だったと気づいても、センセーショナルに訂正記事を出すことはなく・・・。
社会がおかしくなっていく一つの要因として、情報産業が「裏を取らない、責任のない報道」をしていることがあまりに多いことがあげられると感じています。手術経過をしっかり追って、どこにどのような問題があったのか、追求し、説明をしようとした報道機関はあったのだろうかと。
守秘義務の問題があり、医療事故は裏を取るのが難しいかもしれません。それならば、事実だけを報道すればいいのですが、妊婦受け入れのニュースなどをみても、現状を説明せず、妙なバイアスをかけて報道する報道産業の人たちは、誇りをもって仕事をしているのだろうかと考えさせられます。
ちいさな事かもしれませんが、医療関係者なり、個人がブログで発信し、ログを半永久的に残すという行為は、とても意味があることだと思います。事実、少なくとも私はここ「ななのつぶやき」を見て、何が問題だったのか考えさせられているのですから。
これからは、医療業界の人がより一層の団結を求められる時代なのではないかと思います。医療はより良い生活を生きていく上で必要なものです。学校、もしくは地域教育でも必要な分野なのでは・・・と思いました。
事後報告ですが、当方のブログにリンクさせていただきました。医療現場での問題点が、より多くの人に届き、より良い医療に変わっていくことを願っております。
産科医のお仕事は激務だと聞いております。無理は承知とはいえども、お医者さんの体あっての良質の医療だと思います。第一に、やはりご自身の体調優先です。お体には十分お気をつけください。
>手術から1年2ヶ月の後、加藤先生は業務上過失致死等で、福島県警に逮捕されました。
手術から1年以上経っているのに「証拠隠滅の恐れあり」、
ご自宅では、臨月の奥様がお待ちになっているのに「逃亡の恐れあり」として、
在宅起訴ではない、逮捕でした。
なにも医者だけに「医療行為は危険な行為であるが、正当業務行為としてすべからく免責される」という論調にはいささか疑問があります。
実際問題として理由はどうであれ、「人が一人死亡した」事実がある以上、その状況の評価は、前置胎盤の帝王切開の危険性を充分知っている産科医であればなおさら、感情論に左右されることなく、慎重に判断するべきです。
交通事故で人一人跳ねて死亡させれば、理由はどうであれ「現場で現行犯逮捕」で即「新聞に実名報道」ですよ。「人を死亡させた」という事実がある以上「業務上過失致死」に医療行為か自動車の運転かの違いはありません。
高速で移動する自動車の運転もひとたび誤れば患者の生命を危険にさらす医療行為も、その正当性は起訴され刑事訴訟が始まった以上。法廷で粛々と「自身の正当性を主張」すれば済む話ではないかと思います。
そういった意味では「逮捕」も「起訴」もある意味法治国家においては、適切な手順を踏んだものといえ、なんら違法ではありません。ただそういったことに医者がなれていなかったから違和感を強く感じたにすぎませんし、言い換えれば、逮捕まで時間を要したのは当局も相手が医者であるからこそ「慎重に対応した」からに他なりません。
この裁判の結果次第で、現在の医療情勢における産科医の意識も、大きく変わらなければならないと思います。
「不幸な結果が発生しなければ手順に誤りがあっても(最近はそうでもありませんが)やられません」が、「結果が悪ければ徹底的にやられます」から、産科医も対策を採るべきです。(先日も先生の「クーパー使用して胎盤剥離」について意見したしだいです)
失礼いたします。
この事件の問題点をご理解下さって、ありがとうございます。
大変心強い思いがします。
母体死亡は、本当に悲しいものです。
生まれたばかりの赤ちゃんと、若いパパが残されてしまいます。
あんな切ないものは、ありません。
人は必ず死にます。
一生懸命やっても救えない生命は、存在します。
そして一生懸命やった医療行為に問題が、適切なものだったのかどうか、
後で時間をかけて専門家が検討しても、意見が分かれるようなことに関して
賠償責任ではなく、犯罪行為として問おうとしているのがこの事件です。
この点に、激しい理不尽さを感じています。
KEIさん,
免責という意味を「刑事罰」に関して考えて頂きたい.少なくとも「医療行為に対して刑事罰を科す国は先進国にはほとんどない」というのが世界の情勢だということです.「故意でない」限り,刑事罰から免責というのはおかしな議論ではないと思いますが.
日本では航空事故調でもその調査内容が刑事に転用されており非難されています.日本以外では「免責」を条件に「原因究明」を行ない「再発防止」を主眼としているからです.医療事故でも起こってしまった事故を「個人の責任」として押し付けるだけでは「再発防止にはなり得ません」.何が最も重要事項であるかをよく考えてみることではないでしょうか?
医療事故を0にするには「医療を行なわないこと」以外に方法はありません.「個人を糾弾してそれでおしまい」というのは日本人の悪しき風習であると思います.
佳いお話を、ありがとうございます。
さらに時代を遡り、先日、昭和20年代の分娩台帳を開きました。
セピア色のその台帳には、分娩担当者のほとんどは「産婆」、
そして100件中15件くらいの割合で「死亡胎児娩出」の記載がありました。
医学を発展させ、ほとんどのお産が無事に済むになったら
無事でないと、訴えられるようになってしまいました。
何だか、皮肉です。
> 不運に見舞われた人は、周囲がいろいろと大切にして当然、といった記憶が、ずっと心の底に残っています。
こんな思いやりを自然と分けられる時代が、あったのですね。
本件のご遺族も、我々を含め周囲は大切にしないといけませんね。
> それでも、赤ちゃんだけはこの世に無事に送り出して、それから死のう・・・と。
お産を経験された女性からのコメントは、私にとって特別の重みがありますが、
この言葉をお聞きして、妊婦さんの思いを改めて胸に迫ってきました。
毎日接する妊婦さんたちは、お産の時、こんな思いでいらっしゃるのですよね・・・
襟を正す思いです。
ありがとうございます。
加藤先生は、大変誠実に対応されたと私も思うのです。
亡くなった産婦さんの墓前に通っていらっしゃることは知られていますが、
墓前で土下座をなさったことも、
「強要されたのではなく、申し訳ないと思ったら自然と膝が折れた」ということを、
法廷でおっしゃっていました。
加藤先生もネットをご覧になっており、
応援の声は確実に届いているようです。
azukiさんのブログはきっと、また違った意味で加藤先生を
励ましているのではないかと思います。
ああ、やっぱり先生はわかって下さいました。
外科医であり、先輩医師であり、
そして私がブログを始めた背景や性格的なものもご理解下さっている先生に
こうして思いが伝わって、本当に嬉しいのです。
産婦人科医が産婦人科の道具をどう使うかとか、
解釈が一定していない異常死の届出がどうとか、
そんなことが裁判で議論されていることに、ずっと違和感を持っていました。
もっと根本的で重要なものがあるのではないか、と。
先進国において医療行為に対して刑事罰を科す国はほとんどない」と「故意でない限り刑事罰から免責という議論」は明らかに矛盾します。
最初から「故意」は問題ではなく、「業務上必要な注意を怠り、人を死亡させた」事実そのものが問題となっているのです。その議論に「医療行為は除外される(違法性が阻却される)」というのはおかしいと申し上げているのです。
また航空機事故を引き合いに出されますが、たとえば米国の国家運輸安全委員会(NTSB)は国家からまったく独立した機関です。一方日本の「航空機鉄道事故調査委員会」は読んで字のごとく国土交通省の一機関にすぎません。従って、日本と特に米国とを比較すると、まったく話になりません。
さらに産科婦人科学会もこの事例に対して理事長名で声明を公にしただけで、学会でシンポジウムを行うなど「産科医の中での症例の評価」を行ったとは言い難く、「再発防止策を議論」せず、「刑事被告人のおかれた立場を学会として支援することなく傍観」し、結局「医療行為における刑事訴追の可能性」を追認しているとも言えます。(産婦人科医会は論外です)
>医療事故を0にするには「医療を行なわないこと」以外に方法はありません.「個人を糾弾してそれでおしまい」というのは日本人の悪しき風習であると思います.
いやしくも今後産科医療に関わっていきたいのであれば、「いかにして医療事故を限りなくゼロにするべく努力するか」、言い換えれば「どうすれば刑事訴追の亡霊から逃げられるか」ではないでしょうか。そうできないのであればそのときが「産科医療」から足を洗う時期なのかもしれません。
見渡せば今回の事例に限られません。「CVで動脈穿刺し止血できず死亡」、「骨髄穿刺で心膜損傷にきずかず死亡」、「CTで脳出血を見落とし死亡」、「産後出血で適切な対応をせず、搬送が遅れて死亡」などなど。全て業務上過失致死で罰金刑。行政処分として医業停止(詳しくは医道審議会議事録参照)。時ここに至ってはさすがに対岸の火事とは言えません。
外堀は埋められているのです。古きよき時代の医者の旧態依然とした考えではこれから先の医療情勢を生き残れません。
長々と失礼しました。
「CTで脳出血を見落とし死亡」
「産後出血で適切な対応をせず、搬送が遅れて死亡」
は、業務上必要な注意を十分に払った上でも、なおかつ、起りえる可能性があることを、KEIさんには、認めていただきたいと思います。
医師は熟練者であっても神ではありません。
医療行為で患者が死亡するのは、必ず、医療者が過失を犯したから起るというものではありません。
医師であるからこそ、医療行為は危険な行為であるが、正当業務行為としてすべからく免責されることが必要ではないかと思います。
KEIさん,
機関の問題ではなく,「考え方の問題」です.また米国一国の問題ではなくInternationalな問題として捉えるべきものです.機関の構造や属性に問題があるというなら,そちらが改められるべきものでしょう.
国際民間航空条約第13付属書は「事故又は重大なインシデント調査の唯一の目的は、将来の事故又はインシデントの防止にある。罪や責任を課するのが調査活動の目的ではない」としています。日本は条約の承認国です.
>「いかにして医療事故を限りなくゼロにするべく努力するか」、言い換えれば「どうすれば刑事訴追の亡霊から逃げられるか」
ゼロにする努力が必要であることは言うまでもありませんが,それでは現状が変らない限り「掲示訴追」はあり得るわけです.
緊急の場合などは「いちかばちか」の対応をせざるを得ない状況がいくらも存在します.K検事のような脳天気な言葉は逆立ちしても出て来ないものです.
「ほっとけば確実に死亡する」けど「助けられたらラッキー」というような博打的治療は一切できません.例えほとんどうまく行くと思えるような状況でもどこに「落とし穴」があったり「地雷」が埋まっていたりするか正確に予測することなど不可能です.こう考えていけば「医療事故を無くすには医療そのものを無くすことに他ならない」ことに気付くべきです.臨床医をやっていればどんな分野であってもそのことは解っているはずです.
「モンスターペイシェントたちの論理」に医療側が屈してはいけないのです.一般医療に刑事の介入を許すことは医療を破壊することに他ならないのです.
医療事故を限りなくゼロにする努力をするとしても、絶対に医療事故はゼロにはなりません。
人体は個体差が大きくこうすればよいというマニュアルを作れば解決するものではありません。また人はエラーをするものです。そして後から言えばなんとでも言えますが、現在の医療システム上の限界というものもあります。誰もが事故を起こしうる。そこを謙虚に認めなければ建設的な解決にはならないのではないでしょうか。
医療事故を起こさないように、防衛医療を行うことによって不利益を得るのは結局国民なのではないか、ということを危惧する臨床医は多いと思います。だからこそみな声を上げているのです。
医療裁判でも結局はとんでも鑑定医がいることが問題とされます。
国民の間でもそして医師の間でも、医療に対するある一定のコンセンサスが得られない限り迷走が続くことででしょう。
本当にご無沙汰しておりました。
随分とネットから離れておりまして、リアルで多忙な毎日を過ごしておりました。
福島の…あの逮捕から2年。あまりにも長いです。
人の命は確かに何をもっても代えられませんが、加藤先生の医師としての人生間で起こっている、失くしたこの2年も無念です。
さすがに最近は某掲示板を閲覧してませんが…センセーショナルなタレントの失言やら、ニュースやらで踊るマスゴミさんたちに、常に今の産科医の現状を忘れずにいてくれる良心が在るやなしやと常に問いたいです…。
コメント違いになってしまいますが…なな先生、ご結婚おめでとうございます。お幸せになってくださいね…。
KEIさん
>「結果が悪ければ徹底的にやられます」
福島県内6つの県立病院全てで産婦人科が休診になりそうですが、この結果についてはどのようにお考えでしょうか。
http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51118106.html
>「業務上必要な注意を怠り、人を死亡させた」事実そのものが問題となっているのです。
と書いておられますが、大野病院事件の場合、どのような点が「業務上必要な注意を怠った」ことに相当するとお考えか、ぜひ教えていただけませんでしょうか。私には加藤先生が逮捕された理由がさっぱりわかりません。産科専門外の者にも分かるように、詳しくご教示願います。
正直申し上げて、今回のあなたのご意見は、あまりに乱暴すぎると感じます。
加藤医師の医療行為は、わたしたち医師から見て、落ち度があるとか、業務上必要な注意を怠ったとか、非難される面があるとは到底思えません。ですから全国の医師がこぞって逮捕の理由が分からないと怒り苦しむのです。
腕のいいドライバーが法定速度を遵守し、十分な注意を払って見通しのいい道路で大型車をを走らせてるとき、まさに突然、対向車が進路を変え、大型車にぶつかった、それくらい回避困難な事態だったのではないでしょうか。
加藤医師がドライバーとすれば、正面衝突で対向車の運転席、助手席のふたりとも即死のところ、とっさのハンドルさばきで助手席の一人だけは助けられたと考えて頂きたいのです。F1ドライバーなら二人とも助けられた、としても、F1ドライバーなど全国に数人。
加藤医師は通常の医療として十分レベルの高い処置をされていると思うのです。
死亡事故弟子から、上のドライバーはもしかしたら、書類送検されるかもしれません。
しかし、法治国家なら、そのドライバーに手錠をかけ、逮捕し、収監するようなことがあってはならないのです。
読んでいて少し疑問に思ったのでコメントさせて下さい。
KEIさんのおっしゃりたいことは、非医療者の立場から見て加藤先生に罰せられるべき過失があったか否かと云う論点ではない様に思います。
諸先生方は、長期的視野に立って医療の限界やそれにまつわる社会のあり方を論じておられることと思います。
KEIさんの論点は短期的視野において、医師に過失があると見なされる時代になったということを念頭に置いて医師がどう振る舞うべきか、と云うことにあると思います。
つまり社会対して医療を伝えることも大事であるが、それは長期的な話しであり、まず明日から行える短期的な方法として社会からの厳しい(誤解に満ちた)視線を受け入れ、防衛医療もやむを得ない。
そう云うことではないでしょうか。
その意味での視点を変えてのコメントではないでしょうか。
エクセリアさん,
もはや「防衛医療」では生温い対応にしかならない情勢です.だから「逃散」しているのです.「医療を行なわない」以外の選択枝がなくなりつつあるということなんです.
このままでは医療を受けるために海外に行かなければならなくなる時代が来てもなんら不思議ではありません.当然救急患者は助からなくなるでしょう.それが「国民の選択」であるならそれもやむを得ないのでしょうね.
「大切なもの」は失って初めて解るのでしょうか.その時にはもはや手遅れです.
医師は神ではなく職業であって、その前に私達と同様の人であって、経験を積むまでに、人はミスは犯さないのでしょうか。
医師は、そのミスを未然に防ぎたいのは十分思っていても、起こり得る不測の事態まで防ぐことはできません。
でも、あ〜こさんが言う医師と協力するのことで、今、医療に関する問題となっていることも含め、未然に防げることもあると思います。
今、私達ができることはそれではないかと、できることから始めるのが一番大切だと思います。
エクセリアさんのお書きになったことが私の発言の真意に近いものになろうかと思います。
>KEIさんの論点は短期的視野において、医師に過失があると見なされる時代になったということを念頭に置いて医師がどう振る舞うべきか、と云うことにあると思います。
業務上過失致死とは「人の生命・身体に危害を加えるおそれのある行為に対しては高度の注意義務を課し、重く処罰する」ことに他なりません。交通死亡事故では言うにおよばず、現行犯逮捕・刑事訴追。現実的に医療行為で医師・看護師が日本国内で逮捕こそされませんが業務上過失致死で書類送検は報道されているだけでも少なくありませんし、刑事罰や行政処分を受けた医師は医道審議会の資料を見る限り現実的にいます。
従って、私は医者の特権よろしく医療行為が除外される必要があるのかと思うのです。今回弁護側は「医療行為は免責」という主張を裁判経過を見る限り行っていないと思いますが。つまり当事者間においてその点に争いはないわけでし、必要な注意義務を果たしたかを証明することが、弁護側に勝利をもたらすわけです裁判は真実を明らかにする場ではないのです。訴因が正当なものかどうか攻撃防御方法を駆使して行う合法的喧嘩です。
一方、産科婦人科学会でさえ統一見解を出せずに事実上「刑事訴追の是」を追認し、当該大学医局ができたことは「総員退避」よろしく集約化です。結局現在の医療環境を総合的に判断すると「消極的対応」に終始するしかなく、またそうするのが賢明と正直思います。
今後法改正なり学会主導でガイドラインなりができて、あるべき医療の形を具体的に議論できればいうことはありませんが、どうやらそうする体力が現場の産科医を含め当の産科婦人科学会にありません。
他にとりうるべき手段があるのであれば、その選択を取ることが必ずしも患者にとって不利益になるわけではないと思います。それが一方で「防衛医療・萎縮医療」というそしりを受けても、結果が悪ければ後出しじゃんけんで痛くもない腹を探られるわけですから、医者も腹をくくる必要があると申し上げているのです。
以上ご理解いただけたでしょうか。長々と失礼いたしました。
10年後の日本で私達は笑顔でいられるのでしょうか・・・。
裁判を起こしたのはご家族ですよね。
よく言われるように”本当のことが知りたい。”だったと
思うのです。
裁判の中での難しいやり取り・・・ご家族は今、どんなお気持ちでいらっしゃるのでしょう。
なんだか蚊帳の外の感があります。
人間である限り続く命のリレー。
”あなたをこの世に送り出すためにママ、がんばったよ。”
母はわが子が無事であれば・・・元気に生きてさえいれば使命を果たせたと・・・だんな様やご家族には裁判に費やす時間を子供と共に一生懸命過ごすために使ってほしい・・・そう感じていらっしゃるのでは・・・・と。勝手にすみません。
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/08/07080204/001.htm
を見ていただければわかると思いますが、定員は増えていないと思います。あーこさんが言われているのは、受験生の数では?
もしくは医学部の看護学科などを含めた数ではないかと思いましたが。。。
共感できる事としては救急医も最も訴えれる科の一つにあげられます。『医療事故』は現場で大小はあれど必ず起こります。どんなに注意を払ってもです。事故をゼロにする努力は惜しみませんが、将来的に見ても短期的に見ても事故をゼロになるには日本での医療行為(診療)が無くならない限りないと思います。もし、事故なく医師道を貫かれ引退された先輩が居られればその方は『事故に気付かなかった』か『偶然、回避できた貴重な存在だと思います』・・・何せ患者は『なかなか静脈が確保できない時の点滴の刺し直し』や『点滴抜針後の皮下血腫』も医療事故と認識しかねないですから・・・・
独り言と思って聞き流してもらってもいいです。
すみません。
「周産期医療の崩壊をくい止める会HPの「第12回公判について」http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi?page=%C2%E8
をごらん頂ければ、家族の現時点のお心が分かるかと思います。
もはや「本当のこと」を知りたいのではなく「家族にとって都合のいいこと=K医師が何もかも悪いんだ!」と言って欲しいという心情に至っているようです。墓前に土下座までしているのに、それでも医師がにくいという一心に凝り固まっています。
このご家族に必要なのは「グリーフケア」(死を受容するにいたるためのケア)であって、裁判ではなかったと思います。このままでは、たとえ最高裁にまで裁判を持ち込んでも、一生ご家族は医師を恨み続けるでしょう。不毛な戦いです。
新聞の発表は医学科、看護学科、保健学科も含めた医学部全体の募集数です。
たとえば、京大の243名というのは、医学科100名と保健学科(看護師や臨床検査技師)をあわせた募集数を表しています。
他の大学の医学部も同じです。
ですから医者になるための医学部医学科を目指す受験生には新聞発表はあてにならず、志望大学のホームページで医学科出願者数を確認するしかありません。
単に新聞社が不親切なのか、各学部の学科別の詳細まで面倒見切れないのか、不明です。
各大学のホームページを見ればわかるように、医者になるための医学科の定員は一部を除いて増えていません。
殆どがの医学科定員は100名前後ですから、未来永劫に医者の数は不足します。
医学科の定員も増えず、卒業後に産科医を目指す医師も激減していますから、将来の日本の産科医療には赤信号が点滅しています。
医学部の中には看護学科があったのですね。すっかり忘れていました。
東大理Ⅲが90名でだったので(ここは進振りによって3年生から医学部保健学科に進んでいるのでしたね)つい同じように京大医学部や他の医学部を見てしまいました。
なな先生、私の書き込みを見られた人たちが、勘違いされるといけないので申し訳ありませんが、削除お願いします。
自分が時々このような勘違いをするのを自覚しています。
その時、一刻を争う人の命を預かる仕事についていなくてよかったと胸をなでおろします。今回もそうです。
ミスの責任を問われるのは当然だと思いますが、突発的な出来事に一生懸命対処したのに、不幸な結果になったからと言って訴えられたらやっていられないと思います。
医師不足に対して、政府は動いていたんですね。
医学部には看護学科、理学・作業療法学科などが含まれるので医学科定員100から200に増えているというのは誤解です。特に医師不足に対して政府が定員を増やすようなことはしていないと思います。
ありがとうございます。
”公判について”を読んでみました。
このままではどのような説明をしたにせよ、娘さんを亡くされた感情はおさまらない・・・といった平行線を辿りそうですね。
本当に・・・裁判に至るまでの間に精神的にフォローする機関が入っていたらとか・・・具体的には手術中のご家族の心情を支える役割の方がいなかったのか・・・・。
日本はまだまだ”察して”の文化ですよね。
”空気が読めない”を悪いこととはやし立てる。
そのタイミングに適切な言葉を出せる誰かがいたらもしかして・・・と、思ってしまいます。
医療は完璧ではないのでなおさらそう思います。
すくすく育っているであろうそのお子さんが被害者意識を感じることなく元気で前向きに成長してほしいと願います。
ER99先生,
C/Sでは胎児娩出の後,胎盤を娩出させなければなりません.そうしなければ子宮が収縮せずに弛緩出血するからです.
癒着胎盤で胎盤が剥がれないといつまでも出血することが問題となるのです.DIC云々はこの時点でのものではありません.大量出血となり,血液を待って子宮全摘に移行しております.
高K血症の可能性は否定できませんが,血液が暖められていればこのくらいの輸血で致命的な高K値症が起こる可能性はそれほど高いものではありません.我々麻酔科医は時に万単位の輸血を行なうことがありますが,高K値症で循環に問題が生じたような経験はありません.(注意はしていますが.)もちろん冷えたままで急速輸血しますと,そういったことも起こるでしょうけど.
この症例では子宮摘出後比較的状態の落ち着いたところで突然Vfになっているようです.少なくともhypovolemiaによるarrest(Vf)ではなさそうです.Vfの原因ははっきりしていないのです.
さて、今回の記事ですが、なんか、小説「ノーフォールト」とどっか似ているような似ていないような。まあ、この手の医療事故はままあることなんでしょうね。
思うんですが、仮にこの加藤氏が何らかのミスを犯したとしても、「ミスを犯す=犯罪者」ではないはずなんですがね。それだったら、警察も誤認逮捕してますよね。誤認逮捕した人間を犯罪者扱いしてるか、と言えばそうではないですよね。「そのときの捜査に問題はなかった」とおっしゃるわけで。いつぞやの松本・サリン事件で河野さんを誤認逮捕したとき、そのときの長野県警が犯罪者扱いされましたか?されてませんよね。やっぱり、おかしいですよね。頭のいい奈々先生に教えて欲しいです。
早速の返事ありがとうございます。
hypovolemic shock、凝固異常、代謝性アシドーシス、低体温いわゆる“死の三徴”過程に思えますが・・・
結局のところの原因は分からないのでしょうね・・・
医師が振る舞うべきこと=医療を辞めること
と私は思っています。交通事故と医療事故を同列に扱っている段階で「ハイさよなら」です。
だって、運転しなければ、事故の発生率は常にゼロ%でございますよん。医者を辞めればすべて解決ですから、あなたの望む「短期解決」が図れますね。
はーい。KEIさんのご要望にお応えした結果、お産をとる産科医はおろか、日本から医師はいなくなりましたとさ。めでたし、めでたし。
それで、よござんすか?
前提条件が間違っているので、そのあとの全てのお話は読むことが出来ませんでしたとさ・・。
おしまい。
心ある丁寧なコメントを、ありがとうございます。
こういうコメントを頂戴すると、ああ、ブログを書いていて良かった、と思います。
ご指摘通り、医療崩壊に対する情報産業の功罪は、計り知れません。
「何故、あれだけ徹底して悪辣な書き方をするのだろう、
売れさえすればよいという価値観を貫くとこうなるのだろうか。」
少し前までは、そう思っていました。
しかし末端の記者と話をしていると、どうも様子が違います。
「もしかしたらメディアの上層部は、国策、あるいは政治家か財界人の意図として
医療を崩壊させようとしているのではないか、
先の戦争時のような、情報操作をしているのではないだろうか。」
最近は、そんな風に思うようになりました。
あくまでも私の想像ですが。
いずれにしても個人がブログで真実を綴っていくのは重要なことだと考えます。
また、「国家のなんらかの意図」があるのだとしたら、脅威になりえるブログを書いている先生が
何人かいらっしゃいます。
本件の経過に興味を持って下さったことのお礼に、もうひとつ書き添えておきたいことがあります。
県立大野病院医療事故調査委員会から出された報告書では、
このような経過であるにも関わらず、事故原因は
「癒着胎盤の剥離による出血性ショック。出血性ショックに陥り輸液が不足し循環血液量が減少し、
心筋の虚血性変化が起こり心室性不整脈をおこし死亡に至ったと考えられる。」
となっています。
何らかの意図が働いていることが想像されます。
今後ともよろしくお願い致します。
医療行為に業務上過失を適用することの是非に関しては、
他のところではるかに深い議論がなされていますし、
ここのコメント欄にも諸先生方が、叡智豊かなご意見を下さっているので、
私が何かを言うまでもないかと思います。
最初の時点で、私の文章に誤解されやすい記載があったのでしょう。
>なにも医者だけに「医療行為は危険な行為であるが、正当業務行為としてすべからく免責される」という論調にはいささか疑問があります。
そもそも、このような論調で書いたつもりはありません。
「在宅起訴ではない、逮捕」という点が書きたかったものです。
書類送検でなく逮捕にした理由は、「逃亡の恐れあり、証拠隠滅の恐れあり」ですから、
この点が不当だと言いたかったのです。
ちなみに個人的には、福島県警のスタンドプレイであろうと思っています。
もう1点。
この事件に対して、産婦人科学会は一見何もしていないように見えますが、
恐らく、徹底抗戦できない理由があるのだろうと思います。
検察側証人になっている人物も産婦人科学会の重鎮であることと、
弁護側証人として出ている先生方の顔ぶれを見て、
私が想像したことに過ぎませんが。
最後にひとつ。
私自身も、医療行為に対する業務上過失は免責すべきという考えです。
うろうろドクター先生のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/19925720.html
の、この記載が、大変クリアに書いてあるかと思います。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2002dir/n2497dir/n2497_02.htm
医療行為を何故刑事罰に処してはいけないのか、
自分の中で、より深く理解することができましたし、
やはり医療行為の刑事罰適用は危険なことなのだと、
再認識することができました。
先生ご自身のお考えに接することができたのも、嬉しいことでした。
先生には何時も、先輩医師の立場から見た考え方や、専門的な知識まで教えて頂いて
何とお礼を申し上げたらよろしいのか、わかりません。
ありがとうございます。
Vfの原因は、やはり不明なのですね。
医者としては、ゼクがなされなかったことが残念でなりません。
真実を知る、唯一の手段なのに。
しかし、最も優先されるべきことは、真実を知ることではなく、
ご家族のお気持ちを尊重することですから、
これでよかったのだと信じています。
今後ともよろしくお願い致します。
あまりにその通りすぎて、コメントの余地がないので(笑)
お返事に代えて、こんなお話を。
絶滅危惧種と言われて久しい、我々産婦人科医です。
私は、せいぜい仕事が好きで希望を持ってやっていますが、
それでもいつだめになるか、わかりません。
「では、何があれば続けていけるか」と聞かれたら……
やはり、賠償することや処罰されることそのものよりも、
法廷で患者さんと対峙しなくてはならないという、悲しい場面がないこと、です。
絵空事かも知れませんね。
そのひと言に、勇気づけられます。
先生のおっしゃる通り、医療事故は絶対にゼロにできません。
母体死亡も新生児死亡も、ゼロにできません。
これらを限りなくゼロに近づける努力をするだけでは不充分で、
起きてしまった時にどう対応するか、コンセンサスの構築が重要なのだと思います。
この観点からすると某国のように、何でもかんでもガイドラインというやり方も
理解できる気がします。
「とんでも医療裁判の影に、必ずとんでも鑑定医あり」です。
例えばこんな↓。
http://kazu-dai.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_fab4.html
お元気でしたか。
あれから2年、ですね……
加藤先生のこの2年間を思うと、言葉もありませんが、
加藤先生は大変鷹揚な方で、
仕事ばかりの生活ではなく、逮捕直後に産まれたお子さんとゆっくり過ごす時間が持ててよかった、とおっしゃっていると
支持者のHPか何かで読みました。
結婚、しましたよ〜! イケメンのけんちゃんじゃない人と(^^;。
来夢さんもしあわせになあれ
福島県立南会津病院が、3月で産科を撤収することによって
福島県立病院でお産ができるところは、ゼロになります。
とても、恐ろしいことだと思うのです。
私にも、加藤先生が逮捕された理由がさっぱりわかりません。
胎盤の剥離がどうの、輸血準備がどうのと議論されていますが、
①に書いたように、失血死ではないと思われるからです。
異常死の届出義務違反に関しては、お話にもなりませんし。
TB下さった記事は、もちろんアップされた直後に拝読しました。
「真実を知りたい」という気持ちと、「ゼクはしたくない」
という気持ちは、両方とも理解できますが、
残念ながら両立しません。
このことも、我々医療者はもっと啓蒙していくべきかも知れませんね。
ちなみに「天国へのビザ」は、コロラドさんへのお返事に書いた
「脅威になり得るブログ」のひとつですので〜(笑)
何時も先生らしい、思いやりあるわかりやすい文章に、
ほっと心が和らぎます。
F1ドライバーの例も、とてもわかりやすいですね。
私のブログは、医療者でない方も見て下さっていますので、
今回の先生が挙げられた例は、とてもありがたく、頼りになるものです。
そんな文章の中のひと言、「怒り苦しむ」。
まさに、言い得てぴったりです。
私自身も、この事件に怒り苦しみました。
そのエネルギーが、私を情報収集に掻き立て、m3に突き当たり、
ブログというものを知りました。
「医者のホンネを語りたい」
「マイアミの青い空」
「さあ 立ち上がろう」
のタイトルが踊るのを見て、心ときめかせ、
「わあ、私もこんなの、書いてみたいな」
これが、ブログを始めた経緯です。
想像だにしなかった豊かな世界を持つことができて、良かったと思っています。
わかりやすい整理を、ありがとうございます。
エクセリアさんのコメントがなかったら、私も誤解したかも知れません。
> 社会からの厳しい(誤解に満ちた)視線を受け入れ
でも、この姿勢はどうでしょう。
後にLevel3先生もお書きになっていますが、防衛医療では済まなくなっているのが現状です。
「no doctor、no error」
は、例え短期的にでも、あるべき姿ではないと思うのです。
車を運転しなければ交通事故はゼロになります。
しかし,医療は,それを行わなければ,病気そのものによって命を落とします。
車を運転するという自発的な営みと,医療行為はまったく別物です。
医療現場では,何もしなければ数時間以内に患者が命を落とすような状況がしばしばあります。
車は運転しなくても誰も死にません。
しかし,医療行為は行わなければ,病気によって死んでしまうのです。
車の運転と医療行為を同列に考えるほど愚かなことはありません。
病気や生命の本質を無視した主張により,死亡リスクの高いところから医師が消えていっています。
とてもいいご意見で削除するのは勿体ないので、
ここだけは再掲載させて下さいね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
医師不足を数合わせで乗り切ろうとしても根本的な解決にはなりません。ますます現場にしわ寄せがいくだけだと思います。
こんな状況を知ったら、患者としては医師に協力しないとだめだと思うのですが。。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
医師不足もそうですが、どんなことでも数だけ合わせていては
根本的な解決にはなりませんね。
あ~こさんのおっしゃるように、ますます現場にしわ寄せが行くだけになってしまうかも知れません。
新人の数を増やすことより、今現場に生き残っている医師を大事にしてほしいな~、と
現場に生き残っている医師は、思うのですが(笑)
患者さんが、自分たちにできることは何か、と考えてくれるようになったのは、
大変心強く、嬉しいことです。
そんな患者さんたちの活動について書いたのが、2つ前の記事
「どんな病院で働きたいか」です。是非お読みになって下さい。
追伸:人間、誰でもまちがいはありますもん。
私だって実はこの記事、書いた当初は事件の年月日の記載が間違っていて、
こっそり友人が指摘してくれて、直したんです~
医療者ではない女性たちが、ここまで医療者の苦悩をご理解下さっていることに、
とても励まされます。ありがとうございます。
こんな心ある患者さんたちのためにも、我々は引き続き
より良い医療を提供していかなくてはなりませんね。
Eさんのおっしゃる「医師と協力していく」という視点が、今後は更に大切になっていくのではないでしょうか。
限られた医療資源は、みんなで守っていかなくてはならないのですから。
寒い日が続いていますが、体調は如何ですか。
前回公判でのご遺族の陳述を読むと、埋めがたい溝を感じて
絶望的な気持ちになります。
術中のケアのことは、私もぴょん先生と同じように思います。
しかし修羅場になっていて、子宮全摘になったことすらご家族には説明できなかったのが現状のようです。
救命に必死になっていたら、ope中に手を下ろして説明に行くのは厳しいでしょう。
> すくすく育っているであろうそのお子さんが被害者意識を感じることなく元気で前向きに成長してほしいと願います。
ぴょん先生らしい、やさしい視点ですね(笑)。
ほっとします。
そして、その通りですね。
この裁判、恐らく加藤先生の無罪になると思っているのですが、
そうなった場合、ご遺族がどんな気持ちを抱えて生きていかないとならないのか。
そう考えると、真に必要なのは家族のケアではないかと思うのです。
こうしてどなたかが見て下さっていることがわかると
ちょっと嬉しくなります。
ありがとうございます。
前段、Leve3先生がご教授下さったので私は略します。
Level3先生は、尊敬する麻酔科の先生です。
> 事故なく医師道を貫かれ引退された先輩が居られれば
事故なく引退まで行き着く先生なんて・・・う~ん、いない気が。
「引退まで行き着く先生」は大勢いらっしゃいますが、
運よく訴訟に巻き込まれなかったか、
訴訟に巻き込まれても壊れなかったか、どちらかということになりましょうか。
あるいは、訴訟の重大さが今ほど重視されなくなるか。
何だか、考えたくないですね。
> 『なかなか静脈が確保できない時の点滴の刺し直し』や『点滴抜針後の皮下血腫』も医療事故と認識しかねないですから・・・・
これはさらに、考えたくないです~
本当に、不毛な戦いですね。
真実を知りたいのであれば、ゼクは外せなかったはずなのに。
こうなってしまった以上、グリーフケアが必要なのだと私も思います。
この裁判がもたらしたものは、ご遺族の癒しにもなっておらす、社会的正義にも適合していません。
何らプラスがないことに対して、誰が責任を負うのでしょう・・・
先生が見守って下さっていると思うと、心強くなります。
> 殆どがの医学科定員は100名前後ですから、未来永劫に医者の数は不足します。
何だか、絶望的な気持ちになりますね。
今後も不足が見込まれるし、今いる医者を大切にしようともしていないし。
> 将来の日本の産科医療には赤信号が点滅しています。
何事も、繁栄のために必要なのはマンパワーと経済的支援が基本と思います。
そのどちらもないのですから、産科医療は衰退の一途を辿ってしまうのは、明白なのですね・・・
ちなみに3月にはまた、大量に離職者が出るはずです。
産婦人科だけではないのだと思いますが。
本当に医療は、どこに行くのでしょうね・・・
ひと言でもコメントを頂戴すると、励みになります。
ありがとうございます。
松本サリン事件に限らず、冤罪に対して法は極めて寛容です。
逮捕拘留され、後に無罪が確定した場合に、
冤罪被害者に対する補償は「日当」と称されて国から支払われます。
一日1万円数千円です。
損害賠償でもなければ、誤認逮捕した警察や起訴した検察が処罰されることはありません。
当然、謝罪もなされません。
ついでに書きますが、誤った報道をしたマスメディアにも
「業務上過失」は適用されません。
医療も不確実なものですが、法も不確実なものと考え、納得するようにしています。
ちなみに逆子=さかごです(笑)。
医学用語では「骨盤位」といいます。
交通事故と医療事故を同列に扱うことは、間違っていると私も思います。
侵襲的行為が前提になっているのが医療行為ですから。
TB、2つも送って下さってありがとうございます。
感激です。
改めて拝読して、特に「あなたは殺人者だ」のエントリーは
何度読んでもふつふつとした怒りが湧いてきます。
「臍帯と靭帯の区別も出来ないド素人集団=検察側」の記載に
胸のすく思いをしつつ、ですが。
怒りも含めて、胸に迫る記事は、
先生のブログの読者の皆様にとっても、私にとっても
とても貴重なものです。
今後ともよろしくお願い致します。
Atsullow-s caffee先生もおっしゃっていますが、
医療行為と車の運転は、決して同列には扱えないですね。
その根拠は、先生がおっしゃるように
病気や生命の本質を無視してはならない、ということではないでしょうか。
医療行為は特殊で、他のものと比較することはできません。
人のお腹や骨を切ったり、毒薬を与えたりするのは
唯一医療行為だけなのですから。
「人間は運命で死ぬ」のです。医者はその運命を少しでもいい方向に変えようと努力しますが、運命は医者の力では変えられないこともあります。
うまく行けば、患者は救われます。患者とその家族はそれを望んでいます。(患者のExpectation)
時に運命を少しでもいい方向に変えることができても完全でない事があります。母が死んで赤子が生き残った場合などです。医者がいなければ両方死んでいたでしょう。
医療事故と、交通事故の根本的な違いはここにあると思います。事故が起こったとしても医者はいい方向に変えようと努力していたのですから。
完全な人間はいないのですから、野球選手がエラーをするのと同様、医者もまちがいを回避することは不可能です。それらの間違い一つ一つで訴訟に負けるような社会では医者は営業を続けることはできなくなるでしょうね。
患者は自分の運命を受け入れる腹を持たなくてはなりません。太古の人は自然とそれを受け入れていたのに、なまじ医療が発達して現代人はそれを受け入れることができなくなってしまったのでしょう。
交通事故と医療事故を同列に扱うことに批判がありますが、現実的に「同列に刑法を適用し、裁かれている」のが日本であり、年間数人の同士(あえてこう書きます)がその生贄になっています。能天気に構えている方は身近にそういう方がいないか、自らは安全な領域にいて「対岸の火事」よろしく他人事なんだと思います。
ですから私は、「医療事故がゼロにできない以上、医療行為をゼロにするのではなく、言い換えれば医療行為をせざるを得ないのであれば、安全確実な方法を選択し、刑事訴追の亡霊から逃れるべく、痛くもない腹を探られないようにしましょうよ」と言っているにすぎません。「自身が安全確実と判断し医療行為の結果にも責任を持ちましょうよ」と言っているのです。
従って、今回の加藤医師の判断も処置もなんら批判を加える意図はありませんし、それは法廷で行えば済む話です。
一部に、m3のようなおよそ医者とは思えないよう暴言をかかれる方がいらっしゃいますが、「だから医者はダメなんだよ」と正直そう思います。
でもななせんせいの一言にはいつもほっとします。
失礼しました。
常識です。
別にあなたに言われるまでもありません。
結局あなたは火事の見物人にすぎません。
燃えているのをみるだけのだるまに過ぎません。
そこで何が出来るかというもう一つ高いレベルのハードルと戦おうとしている人間の熱意は、あなたのような見物人には理解できないでしょう。
かわいそうに。
No doctor, No error
以外の安全確実な方法を教えてください。自分が安全確実と思っても、警察や裁判所はそう思わないかもしれない。今の日本では安全確実な方法と言ったら臨床医をやめるしかない。
それに絶望感を感じます。
いやいや、そんな鬼の首取った風に言われなくてもみーんなわかってますって(笑)みんな刑事事件にならないように、患者さんのためになりつつもその場で一番突っ込まれ所のない治療を選ぶべく勉強して、「何か起きたら俺も訴えられるかな・・・」と腹くくりながら、不安を抱えながらもがんばってますよ。
でもこのままじゃそのうち回らなくなるでしょう??
っていう話を2年位前からずーっとしてると思うんです。
「だから現場にいない人間はダメなんだよ」と正直思ってもいいですか??なーんて。皮肉も言いたくなりますって(笑)
医療に安全は必要不可欠ですが、100%安全はあり得ない、いわゆる地雷疾患が隠れていたり、どんな優秀な医師でも思い違いをするかも知れない、まして慢性睡眠不足、慢性過労の状態で、安全確実な方法で治療するなど、現場を経験すれば、いかに無理な話であるかがわかるのでしょうが...。
患者の病状は刻々と変わる、それに対し、現場の医師は自分の知識と経験で判断し、予測し、治療してゆくわけですが、個々の医師のカバーする領域ですべて賄うことは不可能です。そのたびに専門の医師を叩き起こして病院に呼びつけることはさらに非現実的です。
今のような法的整備が不完全な状態で100%安全を守るなどと言えば、それは萎縮医療、ひいてはホントのたらい回し、さらには医師逃散を引き起こすことは必死です。
だからこそ、全国医師連盟が結成され、正しい情報を発信し、医療破壊を阻止しようと立ち上がっているのだと思います。
その姿勢は、医療の発展を著しく妨げています。
副作用、合併症の報告が激減しているのです。
http://blog.m3.com/Fight/20080128/1
これは、再発防止という観点からすると、真逆の状態です。隠蔽に他なりません。
数年前のJR西日本の横転事件の際に、メディアでも個人を罰することの無意味さを伝えていたはずなのですが、どうも人間というのは、「人のフリ見て我がフリ直す」ことが苦手のようです。
>Dr.Takechanさん
患者のExpectationと、現代の人が自分の運命を受け入れることができなくなったお話、
大変わかりやすく、また興味深く拝読しました。
ミスがなくとも、正しい医療行為がなされようとも、
患者さんを救えないことはあり得ます。
産科領域における母体死亡は、健康な若い女性が突然亡くなりますので、
その死はとてつもなく、受け入れ難いものなのでしょう。
> それらの間違い一つ一つで訴訟に負けるような社会では医者は営業を続けることはできなくなる
これも我々医者であれば、容易に理解できることです。
しかし、ご存知かも知れませんが、
これを以下のように曲解している国会議員が日本には存在します。
「医者は一生懸命やってるんだから免責にしろ」という意見はやっぱり非常識だ と思うんです。
(http://blog.m3.com/Fight/20080208/2より)
これはまた別の意味で、暗澹たる気持ちになります。
この記事に最初のコメントを頂戴した時は、KEIさんの真意が理解できていませんでした。
でも途中でエクセリアさんが整理して下さって、
KEIさんご自身からもお話をよくお聞きして、
ようやく以下の意味がわかりました。
>安全確実な方法を選択し、刑事訴追の亡霊から逃れるべく、痛くもない腹を探られないようにしましょう
>自身が安全確実と判断し医療行為の結果にも責任を持ちましょう
思えばKEIさんは、以前からそうおっしゃっていましたから。
私が早剥C/Sを17分で強行した時も、胎盤をクーパーで剥離した時も。
http://blog.m3.com/nana/20071015/1
http://blog.m3.com/nana/20071231/1
安全確実は、常に念頭に置かなければいけないはずですが、
私自身は修羅場になると、脊髄反射的に救命に夢中になってしまう傾向があります。
自重しなくてはいけませんね。
ただ、「いつかは我が身か」と、腹はくくれているかも知れません。
(↑ これを言うと夫に「やめてぇ〜」と言われますが(苦笑))。
>そこで何が出来るかというもう一つ高いレベルのハードルと戦おうとしている人間の熱意
いつもぎりぎりの確率に賭けて、救命に必死の力を注いでいらっしゃる
Atsullow-s caffee先生ならではの、重い言葉です。
だからこそこういう医者たちが、力及ばなかった暁に刑事罰に処されるのは
やはり間違っていると思うのです。
紫色の顔の友達を助けたい先生の言葉です。
「医療行為に刑事罰を適用されないようにしたのは、21世紀初頭の医師たちの尽力だ、と言われるようになりたいですね」。
この流れに、小さな力を添えたいと思っています。
>自分が安全確実と思っても、警察や裁判所はそう思わないかもしれない。
そもそもこれが、おかしいと思うのです。
「自分が安全確実と思っても、上級医師たちはそう思わないかもしれない」
なら、理解できるのですが。
乱訴の時代を迎えた今こそ、
医事紛争は医師の手に戻すべきだと思っています。
>「何か起きたら俺も訴えられるかな・・・」
なんだか、みんなこんなことを思っているんですね。
こんな職業って、他にあるでしょうか。
そう考えると、やはり異常です。
そう言えば某サイトで
「訴訟が怖くてお産が取れるか〜!」という強烈なコピーを見たことがあります。
ちょっと、気持ちがわかったりします(笑)。
以下、以前KEIさんが下さったコメントです。
これもとっても共感します。
>ピンチをチャンスに変えて残った者が10年後にも産科医をやっていると思います。
http://blog.m3.com/nana/20080116/1
>法的整備が不完全な状態
これはひとつのkey wordですね。
我々を苦しめているのは
治らない病気、救えない生命と健康
患者さんの過度の期待
そして
理不尽な法律ではないでしょうか。
厳しい労働環境や低い報酬は、三重苦の中には入っていないと
個人的には思っています。
このままでは確実に医療は崩壊し、荒廃します。
今でも既に、病院の産科閉鎖のために、妊娠30週代後半の妊婦さんが
「お産は他のところでやって下さい」なんていうことが起きています。
いつ暴動が起きても不思議ではありません。
お話が横道に逸れました(笑)
全国医師連盟には、私も期待しています。
引用されたAtsullow-s caffee先生のブログは、私もショッキングでした。
元は、大野病院事件の支援団体がによる研究なのだそうです。
http://expres.umin.jp/files/genba/ishuku.pdf
この件は、萎縮医療に直結したことの裏付けとなるデータですね。
妊娠6ヶ月になった一般人(笑)です。
自分が妊娠したことで医療ブログに関心をもち、大野病院事件のことも知りました。
「周産期医療の崩壊を食い止める会」の記事も一生懸命読んで、素人なりに、「医師に過失がないのに逮捕され刑事罰を問われている」大変なケースであることは分かりました。
加藤先生には、是非無罪の判決がおりて欲しいと思います。
しかし、正直言うと、その時の遺族の気持ちを考えると悲しくもなります。
肉親の死を受け入れられず、医師を憎むしかなかったのでしょうが・・・
「医師は一生懸命やってくれた。子供が助かっただけでもありがたかったんだ」と思えなかった遺族がすごく哀れです。
(普通周りの人間は、そう思えるように一生懸命励ますと思うのですが…)
しかも裁判を起こすには、すごいエネルギーが必要です。
「誰かあおった人がいたんだろうか?」と思うとやり切れないです。
何でこうなってしまったんでしょう…
加藤先生も遺族も、何とか救われて欲しいと願っています。
話変わります。
「自分の担当医に、ちゃんと感謝の気持ちを伝えたいな」と思ったので
妊婦検診の時に「いつも丁寧に診てくれて嬉しいです」と言い、
病院の意見箱にも、医師と看護師さんへの感謝の念と
ここの病院で良かった!という気持ちを書いてきました。
(ちゃんと相手に伝わってくれているかしら?)
意見箱の意見が公表されている病院もありますが、
それを見ると、「意見箱=クレーム箱」のようで嫌に思います。
嬉しかったことを書く人って、少ないみたいですね…
意見箱=感謝箱のようになれば、
辛い勤務に耐えているお医者さんの力に、少しはなれるのではないでしょうか?
一患者にできることは少ないですが、できることからやっていきたく思います。
一般の方が福島事件に興味を持って下さることに
産婦人科医として、大変心強く思っています。
>加藤先生も遺族も、何とか救われて欲しいと願っています。
本当に、そうですね。
真の意味で救われるのは困難としても、
例えば、母子の安全を願うとか、周産期医療の充実を目指すとか
positeiveな流れのきっかけとして、持って行くことはできないかな、と思っています。
>「いつも丁寧に診てくれて嬉しいです」
これは、とてもいいですね。
言われた医師が嬉しいのは言うまでもありませんが
嬉しいと同時に「さあ、丁寧に診なくでは」という気持ちになります。
そしてmiyuさんご自身にも、他の患者さんにも
より丁寧な診察という形で返ってきて、より良い循環ができていくのだと思います。
> 意見箱=感謝箱のようになれば
これは、新しい、素敵なアイディアです!
投書箱を2つにして、苦情箱と感謝箱と分けて設置しようかしら(笑)
いえ、これは僭越ですね。
6ヶ月なんですね。
そろそろ胎動がわかるようになってきた頃でしょうか。
お身体を大切に、そして良いお産をなさいますように。
時折、お腹の赤ちゃんが「もそっもそっ」と動きます。
胎動って面白いですね(笑)
今回のコメント欄は、私には難しいですが、「防衛的医療=患者が困る」のは分かります。
年末に紹介状を持って、羊水検査を周産期センターに受けにいったのですが、そこは「防衛が完璧!」な病院でした。
*検査の説明を文書を元に詳しく受け、
*文書には想定する限りのリスクと検査効果の不確実性が書かれ
*検査結果も、説明用紙に記入しながら詳しく説明され
*「できないことはできない」と言われ
*セカンドオピニオンも勧められました。
私の場合、筋腫が邪魔して検査そのものができなかったのですが
「こんな状態でちゃんと産めるんでしょうか?」と聞く私に、
*出産時のリスクをたくさん教えてくれました。
*100%大丈夫なんてないので、「大丈夫」「心配いりません」なんて言われません。
ここの病院のロビーには、意見箱に寄せられたクレームが、たくさん張り出されていました。
「裁判のことを考えると、リスクありきの説明になるのは仕方ない。不用意に大丈夫なんて言えない。ここは症例も裁判もハイリスクだし・・・」と頭では分かりましたが、ショックで不安で、夫の顔を見るなりボロボロ泣いてしまいました。
#医者が悪いのではなく、むしろ誠実な方でした。
で、後日。かかりつけ病院で、
「センターで、ああ言われてこう言われて、私不安で・・・」と訴えていたら
途中で、担当医に笑い出されてしまいまして(あれ?私笑われてる?)
「多分考えられるリスクを、ずらっと並べただけですよ」と、
一つ一つ不安を取り除いてくれました。
で、夫の顔を見るなり、「大丈夫って言われた~」と泣きました(そして夫にも笑われた)
防衛という点では、前者が良く、後者は危険なのでしょう。
でも、私は、安心させてくれる後者の病院の方がいいです。
一方で、医者が防衛しないといけない現実がある。
それが、私を初めとする一般人の無理解や、一部の人のクレームや、法の不備、理不尽な裁判と敗訴にあるのなら、これ以上悪化する前に何とかしないといけない。
という訳で、私は今日も医療ブログをうろうろしてます(笑)
長文失礼しました(ぺこり)
医療事故に関しての私の考えは、ことり先生やあつかふぇ先生のブログに欧米の先進国やWHOのpatient Safetyについての資料の提供の際(patient Safetyは診療関連死を刑事事件とはせず、blame-freeの報告制度により、医者が情報を共有することで達成される。もちろん診療関連死そのものがゼロになることはない)にコメントしたことでわかっていただけると思います。
私も先生と同じ思いです。
さて、いまNHKの大河ドラマ(日曜の夜8時)では徳川幕府末期に江戸城の無血引渡しの陰の功労者として知られる島津藩出身の篤姫が主人公になっています。
彼女は、養育係にしつけを受けています。
昨日(2月10日)は、篤姫を送り出したあと養育係の菊本がお屋敷で自害するところで終わっています。
菊本が最期に篤姫に残した言葉・・「女の道は一本道、前に進むしかありません。引き返すことは女の恥でございます」
たかがドラマのセリフに過ぎないといえばそれきりですが。この言葉はズシーーンと心に響きました。
例えば、なな先生にあてはめると、「産婦人科女医の道は一本道、前に進むしかありません。引き返すことは女医の恥でございます」
女の道を男である私に言い換えると、「臨床医の道は一本道、前に進むしかありません。引き返すことは臨床医の恥でございます」。
臨床医になったのは運命、臨床医を続けるのは使命、そう思います。
初めて書き込みさせていただきます。
以前から拝見していて先生の温かい文章にいつも励まされていました。
先生、遅ればせながらご結婚おめでとうございます。
私は、現在、3歳半と1歳半の子ども達を育てている元病理の潜在医師です。
上の子の出産前に一回流産もしていて、丸5年間近く妊娠出産育児に専念していました。
年齢は、(多分?)なな先生より少し上ですが、医学部入学前に他学部に行っていたので医師になったのは30代です。
育児中に今後の身の振り方をいろいろ悩んだ末に、4月から、子ども達を出産する時にお世話になった近くの大学病院の内科研修医として勤務し始めることにしました。
基礎出身幼児持ち高齢新米医師ですが体力の続く限り頑張りたいと思っています。
新しく自分の飛び込もうとしている世界が10年前と比べてもかなり厳しい状況になっているのを見て、内心かなり怯えてもいますが、なな先生はじめ諸先生方のブログを拝見してとても元気を頂いています。
きれい事かも知れませんが、医学部に進学する時の動機となった「目の前の困っている人を助けたい」という気持ちを絶対に忘れないようにして仕事していきたいです。
(先輩方には甘っちょろいとお叱りを受けそうですが。)
ましてや不妊治療を経た高齢出産だったので、妊娠中は自分が無事に出産できる気が全くしませんでした。
20週後半以降の胎児の剖検は仕事とはいえ本当に辛く、小さな可愛い顔をまともに見ることができませんでした。
しかも染色体異常もなく胎児死亡の原因が剖検でもはっきりしない症例が多すぎて…。
幸せの絶頂から地獄へ…この子を身ごもっていらっしゃった妊婦さんのお気持ちは…と考えると解剖させて頂きながら申し訳なくいたたまれない気持ちでした。
私自身、2回の妊娠中ずっと、いつ胎児の心臓が止まるか、怯えて怯えて一瞬も気持ちの休まる時がありませんでした。
妊婦としての幸せを感じつつも、あまり幸せを感じると残念な結果になった時に自分がどれほど落胆するか想像するのすら辛く、防衛的に幸せを感じないようにしていたように思います。
出産前は覚悟を決めて身辺整理をして簡単な遺書も書き、自分が戻って来れない時の準備もしていました。
一人目出産の時には自分の死も覚悟しつつ、『自分は死んでも構わないから子どもだけはなんとか無事に生まれて欲しい』と願い、産声を聞いた瞬間、自分はこのまま死んでもいい、と思うくらい幸福でした。
(子どもを置いては死ねない、という考えは退院後に初めて浮かびました。)
二人目出産の時には、陣発で病院に出発する際に娘の寝顔を見て『この子を置いては死ねない、なんとしてでも無事に生きて帰ってこの子をもう一度抱きしめたい』と無宗教者のくせに神様にお祈りしながら出たのを昨日の事のように思い出します。
私はたまたま2回とも母子ともに無事に、生きて分娩室を出ることができましたが、本当に運が良かっただけだというのを痛感しています。
産科の先生方のご尽力にも心から感謝しています。
周産期医療の崩壊をくい止める会の活動を知り医療従事者としての署名もさせて頂きました。
非医療従事者である夫には自分の考えをしっかり話し
「お産で私が死んだり植物状態になったとしてもやみくもに病院のせいにしないで、不可抗力か医療過誤か冷静に判断して行動して欲しい。
もし福島の事件のような事になってあなたが病院を訴えたら私は死んでも死に切れない。成仏できないからね!」と生前遺言のつもりで言い残しておきました。
ただ残念ながら、非医療職である夫には100%理解できなかったように思います。
私に何か起こっていたら夫が私の希望通りの行動をとってくれたか、実は半信半疑です。
(夫よ、信用できなくてごめん)
出産での死亡(母でも子でも)で幸福の絶頂から地獄へ。
自分が出産を経験してみて、家族の方の無念や死を容認できない精神状態はとても良く理解できます。
私自身だって、さっきまで元気だった子どもが突然死亡したら…将来娘が出産で命を落としたら…冷静に現状を判断できるか、実を言うと自信がありません。
そういう時が来て初めて、福島のご遺族の方の気持ちが100%分るのかもしれません。
ただ自分の身内に何か起こった時にも、医療従事者として、真実(自分の望む真実ではなく客観的な真実)を見据えるように努力するようになりたいとは思っています。
>この症例では子宮摘出後比較的状態の落ち着いたところで突然Vfになっているようです.少なくともhypovolemiaによるarrest(Vf)ではなさそうです.<
であるのに事故調査委員会の
>「癒着胎盤の剥離による出血性ショックに陥り輸液が不足し循環血液量が減少し、心筋の虚血性変化が起こり心室性不整脈をおこし死亡に至ったと考えられる。」<
との報告はちょっと解せない気がいたします。
子宮摘出後、30分ほどですが比較的状態は落ち着いていたんですよね。
確かに心筋に虚血性変化が生じていたと考えると、Vfになるのも納得できますが、果たして不可逆的な心筋細胞の壊死性変化が広範囲に発生し始めているのに、30分とはいえ、いったん状態が落ち着くという事はあるのでしょうか?
臨床未経験者ですので素朴に疑問に思っています。おバカな質問でしたらお許し下さい。
あとER99先生ご指摘の
>だだ、その後のMAP10単位2回・・・子宮摘出の段階で二つ疑問です。先ず元凶は取り除かれたかもしれないですが、その過程でDICに陥っている可能性<
こちらも気になります。腎臓肝臓はじめ重要臓器の毛細血管内にどの程度微小血栓が発生していたかどうか、が一つの鍵のような気がします。
本当に的外れな考えかも知れませんが、いったん全身状態が回復して(その時点では心筋細胞の虚血性変化はまだ起こっていない)、
その後、DICから凝固異常状態に起因する大きめの血栓が形成され、最終的にcoronaryのメインの枝を塞ぐように血栓が飛び、心筋梗塞に近い状態になり心筋の壊死性変化、それによってVfが発生した、という可能性はあり得るでしょうか?
状態が安定した後に突如Vf発生というのがどうしても解せないのです。
今となっては、亡くなられた時の、心筋の虚血性変化の有無やcoronary内部の血栓の有無、DICの有無が分らないのは本当に残念でなりません。
長々と申し訳ありませんでした。
出産にかかわらず、全力を尽くしてくれた医師を訴えるのは筋違いな気がします。
昨今、医療裁判において、カルテの改ざん、証拠隠滅、悪い医者に当たれば確かにあるとマスコミでも取り上げていますが、経過がおかしかったかどうかは、まず、患者側が勉強すべきことだと思います。人力で不可能なこと、いくらでもあります。お医者様を神とでも勘違いされているんでしょうか。
人間がやることに100%はない。100%を理想として目指している。これが私が心臓病を抱えながら妊娠、出産したときに得た教訓です。
私はお世話になったお医者様が全力を尽くしてくださっていたから、たとえ命を落としても後悔をしないという覚悟をして出産しました。ひとつの願いは、わが子を一目見れたらいいと思っていました。
もし私が命を落とすことによって、お医者様たちが訴えられたら・・・何よりの心残りだったと思います。
訴訟が多く、なり手がなくなっているといいう産婦人科、小児科医。ただなってくださればいいわけではなく、お医者様には情熱が必要だと思います。
そんなお医者様の足を引っ張ることは新しい命の足を引っ張ること。なんだか悲しいです。
患者さんの視点から見た、臨場感のある「防衛医療」の
まさに典型とも言える、貴重なお話です。
大変参考になり、考えさせられました。
ありがとうございます。
前者の医者の気持ちも、よくわかります。
しかしmiyuさんご自身もお感じになったように、後者の方が望ましいことも、
自分が患者になったら時のことを考えたら、当然のものと思います。
理想は、前者の医者のようにリスクをきちんと説明した上で、
そのリスクの起きる確率もできる限りで説明して、安心してもらうことではないでしょうか。
私自身、子宮筋腫の妊婦さん大勢数診て来ましたが、
正直なところ、合併症のない妊婦さんと比べて、
すごく危機感を持って診察しているかというと、
そんなことはありません。
まして6ヶ月になっていれば、大変な危険が及ぶ例はごくごく稀で、
ほとんどの妊婦さんは、無事お産されます。
だから、ゆったりと構えて、その妊婦さんと接します。
その姿勢を、正確に妊婦さんに伝えることができたら、
妊婦さんご自身も、安心して下さるはずです。
しかしこれを実現するには、妊婦さんにも医者にも、
もっともっと時間が必要になります。
現在の医療事情では、なかなか難しいですよね。
なので、私たちもなるべく効率よく説明できるよう、努力しなくてはなりません。
患者さんも普段から思っていることや、次の健診の時に聞こうと思っていること、
心にある不安を上手に伝えられるよう、是非工夫して下さい。
自分のところに来てくれる妊婦さんがかわいくない産婦人科医は、いません。
目の前の妊婦さんに、元気で、良いお産をしてほしい、という思いは
ご本人も医療者も、ぴたりと一致しています。
お互いに理解し合って、協力し合って、その願いを実現させて行きたいですね。
> 「臨床医の道は一本道、前に進むしかありません。引き返すことは臨床医の恥でございます」。
ジーーンと心に、響きました。
まさにこんな気持ちで、産婦人科医をやっていますので。
若輩者の自分が言うには不遜で憚られますが、
産婦人科の仕事は、天職と思っております。
ブログをやっていると、宝石のようなひと言に出会うことがあります。
先生からこの言葉を頂戴し、またひとつ、宝石が増えました。
ありがとうございます。
それにしても鶴亀先生は、どんな方なのでしょうね・・・
大変丁寧なコメントを、ありがとうございます。
お産の時は、大変な覚悟をなさいましたね。
本当は妊婦さんみんながそのくらいの気持ちを持って妊娠生活を送ってくれたら、
不摂生や、まして妊婦健診を受けない、などということはあり得ないのでしょうね。
また、医師として、母親として両方の立場から、
ご自身やお子さんが福島事件と同様のことになったら、
冷静な判断ができる自信がない、という言葉には、はっとしました。
たまにご遺族を批判するような意見も見かけますが、
我々は、ご遺族の気持ちを理解できていないのだ、ということを
自覚した上で、発言しないとなりません。
剖検をしなかったのは、返す返すも残念です。
先生もおっしゃるように、心筋の虚血性変化がありながら30分近くも安定することは、考えにくいと思います(間違っていたらすみません)。
Vfの起き方も、疑問が残ります。
覚醒時に体位を変換すると、Vfが起こることはあり得ますし、
塞栓(DICによる血栓あるいは羊水塞栓)の可能性も、否定できません。
Vf直前のSaO2は、どうだったのでしょうね。
剖検をしていたら、もしかしたらご遺族も、今のようなことにならなかったかも知れないのに。
> 基礎出身幼児持ち高齢新米医師
素晴らしいです!
今後は、医師になる人材も更に多様化していくのではないでしょうか。
先生、どうか頑張って下さい。
先生のような方は後達の礎、希望の星です(笑)。
一般の方が、「患者側が勉強すべき」と考えて下さることは、
大変嬉しいことです。
その方が患者さん側も、医学的な話を理解しやすいですし、
こちらも説明がしやすく、両方にとって幸せなことですね。
あっきぃさんのおっしゃるように、医療に100%はあり得ません。
しかし100%に近づけたら、今度はそれが当然になって
100%から外れると「ミスだ」と言われてしまう。
医学の発展に伴う、矛盾です。
> お医者様には情熱が必要だと思います。
本当に、その通りですね。
訴訟のリスクが高まり、労働環境が悪くなっている今、
医者たちを支えているのは情熱、つまり
使命感と誇りと、愛着だと思うのです。
昨日の「割りばし死亡事故」の民事裁判の第一審判決が出ましたね。賠償請求棄却です。
どちらにひいきをするというわけではありませんが(というか、医療のことは全くわからんので)、「割りばしが頭蓋内に突き刺さった例は過去に報告されておらず、当時の医療水準では頭蓋内損傷の可能性があると診断することはできなかった」のであれば、医療ミスと認定することには無理があるように思われます。そうでないと「100点満点、または100点満点の120点」の治療でないといけないことになりますから。
この判決がこの裁判の一例として終わるか、それとも今後の医療裁判の流れを作る判例となるか。忘れずに見て行きたいです。
福島の加藤氏の裁判も、「加藤医師の治療が、その当時の医療水準と照らし合わせて、適切なものだった」ことを証明できれば、裁判の勝敗はともかく、この医師の医師としての尊厳を傷つけない判決が期待できるかもしれません。
杏林大学割り箸事件は、私も注目していました。
この判決および報道の着目すべきポイントは、以下2点ではないかと思います。
まず、刑事裁判一審では、
「診察や検査が不充分な点に過失はあり(しかし、診断したところで救命はできなかったと思われるため無罪)」
と認定されているにも関わらず、今回の民事訴訟では過失なしとしているところです。
もうひとつは、報道各社によって、かなり報道も文言が違うことです。
見比べてみると、同じ事象を扱った報道でも、全く印象が違っていて、ちょっと愕然とします。
今後の流れ、見守って行きたいですね。
先生の書かれている事も、もっともだと思うのですが、少し疑問を持ちました。
これは、ただ遺族が、悲しみをぶつけて、いわゆる「ダダゴネ」しているのとは、違うと思います。
本当は、ここに書かれているように《助からなかった子供だけでも助かったのだから、感謝すべき》なのかもしれません。が、これは医療の技術の問題ではなく、心の問題だと思います。
医師の方に、とてもリスクが多い手術になるかもしれないという、心構えがあったら、事前の輸血の準備ももっと、しておいたでしょうし、心構えの上で、何かが足りなかった印象を受けています。
そして、その上で医師が患者家族とのコミニュケーションが十分出来ていれば、例えなくなったとしても、感謝される結果になっていたと思います。
せっかく助かった子供さんの将来を考えると、今のような親御さんたちの気持ちの中で状況で育てられるのは、とてもかわいそうです。
うそでもいいから、「先生は、十分なことをしてくれた。」
と、子供に伝えられるような精神状態に、遺族がなれるように、今後の展開を強く望みます。
この事件にご興味をお持ち下さったことを、嬉しく思っています。
まず、大前提確認を。
私が批判しているのは、福島県警、福島地検および一部の心ないメディアに対してです。
ご遺族に対してでは、決して、決してありません。
>本当は、ここに書かれているように《助からなかった子供だけでも助かったのだから、感謝すべき》なのかもしれません。
ですので、このような意図で書いたつもりは全くありません。
「助からなかった子供だけでも助かったのに、何故刑事責任を問うのだ」です。
民事ではなく、刑事訴訟になったことに、激しい不合理を感じるのです。
>事前の輸血の準備ももっと、しておいたでしょうし
事前に癒着胎盤であることが診断できていたら、輸血準備量はもっと多くなったかもしれません。
しかし現在の医学では、この癒着胎盤の術前診断は不可能だったのです。
輸血準備をもっとしておけばよかった、というのは、結果論です。
輸血は、薬品のように次々供給できるものではなく、輸血準備をして無駄になってしまった場合、
献血して下さった方の善意を無駄にすることになってしまいます。
さらに、癒着胎盤であることが術前に診断できていたにも関わらず、
高度周産期医療センターであったにも関わらず、
母体死亡になってしまった症例があります。
http://www.med-model.jp/kekka/jirei38.pdf
末文、同感します。
どのような形でもいい、このご遺族が心のバランスを取って行かれることを祈っています。
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