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恵子さん(仮名)は、高度不妊治療によってご妊娠された妊婦さんです。
いわゆる高齢妊娠の方には多いのですが、とにかく熱心です。
毎回、ご主人と2人で妊婦健診にいらっしゃって、
満面の笑顔で赤ちゃんのエコーに見入っています。
赤ちゃんが口など開けようものなら、もう、大はしゃぎ(笑)。
ご主人は、とにかく恵子さんが大事で大事で、
お腹の赤ちゃんが大事で大事で、
常に愛情あふれる表情で、恵子さんをいたわっていらっしゃいます。
とても微笑ましいご夫婦で、お会いする度に私の方が幸せな気持ちになっていました。
妊娠後期になると、今度はお母様もご一緒にいらっしゃるようになりました。
狭い診察室に大人3人、まあ入れなくはないですが、
お母様もおんなじ調子で、恵子さんとお腹の中の赤ちゃんをパワー全開でいたわります。
エコーが終わると、
ご主人とお母様と2人がかりでエコーゼリーを拭き拭きして、
ご主人が手を取って、お母様が背中を起こして差し上げています。
私の話も、皆さん全員で身を乗り出して
メモを取りながら、真剣な表情でお聞きになっていますので、
こちらもつい、説明に熱が入ります。
健診が終わると、恵子さんもご主人もお母様も私も
みんな一緒にぐったり、という感じでした(笑)。
分娩方式に関して、よく話し合いました。
恵子さんは、自然分娩をご希望されています。
いわゆる高齢初産ですので、微弱陣痛や分娩停止、胎児仮死のリスクがあること。
自然分娩にトライしても、途中で帝王切開になってしまう可能性があること。
恵子さんの場合、病院や産婦人科医によっては
最初から帝王切開を標準的方針にしているケースもあること。
その結果、自然分娩にトライし、
「ちょっとでも危険になったら、帝王切開にしましょう」ということになりました。
お産は、37週~41週くらいまでの間、いつ始まるかわかりません。
多少冒険的なお産ですので、その間、気が抜けません。
緊張半分と、
恵子さんご一家のことだから、どんな素敵なお産になるだろうというわくわく半分との心持ちで、
その日を待ちました。
ある日の夜中、恵子さんの陣痛が始まりました。
ご入院と一緒に、私も病院に入ります。
私より10歳は年上のご主人、それぞれのお母様、全員が徹夜です。
しかしこちらの心配をよそに、非常に順調に経過し、
普通にお産されました。
赤ちゃんも元気です。
リスクを伴いながらも、妊婦さんがご家族に囲まれて頑張ってお産をし、それを見守る。
産婦人科医の、ロマンです。
しかし今のような世の中になってしまって、こんなお産は、どんどん減ってきています。
私自身も、今回のようなお産はこれで最後になるかも知れない、と思いがなら
ここにしたためます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
産科医療を取り巻く環境は、年々厳しくなっています。
長時間勤務、緊急呼び出し、当直の多さに加えて、
どんどん離職者が出て、勤務条件は厳しくなる一方です。
加えて、訴訟に巻き込まれる割合が年々上昇し、
さらに産婦人科医全体の高齢化が進み、新人医師は減っています。
未来は明るくありません。
そんな中、産婦人科医に残されたものは、夢だと思うのです。
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コメント
コメント一覧
しれませんが、たぶん35歳くらいから、
高齢出産だったかな?
いつの頃からか、35歳でも高齢出産という
イメージが薄れている感じがします。
会社に入社してすぐ、会社の社長が、
「結婚したら、20代のうちに子供作った方がいいよ」
と言われ、同期で、「セクハラや~」なんて
言ってたけれど、今思えば、若いときの方が、
リスクが少ないんですよね。
今、30代・40代で産む人が増えているから、
産婦人科の先生も大変ですよね。
確かに大変な医療関係の中でも、特に大変なんだなと思います・・・
田舎ではどんどん個人の産科が減り、遠くの医者まで行かないといけない地区もあります
私の住んでいるところは新興住宅が多いところだからか、子供の人数がとても多いように思います
保育園も増えるくらいなので、やはり増えているのだと思いますが、やはり産科はありません
みんな近くにあればいいのにね~とは言っていますがどうにもならないのでしょうね
まず、前回のコメントでご心配いただきありがとうございました。あの出血は一昨年春のことで、現在はまずまずっていうところです。診察時に言われたのが「年齢的にホルモンのバランスが崩れてるんでしょう」でした。
そう!私も一人目の出産時、すでに高齢出産だったので早期の頃から帝王切開と決められていたようです。二人目も40になる直前でリスクは覚悟の上でしたが、ご存じのとおり大変な出産になってしまいました。
あらら、年がバレてしまいましたね。
たぶん、なな先生よりひと回り上かなぁ。
自然分娩が理想だけど、緊急事態から母体も赤ちゃんも助けるための処置とタイミングを一歩間違えると、たちまち訴訟の誘因になってしまうなら、いつだったか小児科の先生がコメントされたように全て帝王切開にした方が色んな意味で産科の先生方が楽になるのかもしれませんね。
ネットのサイトで話している顔も名前も知らない友達が、4人目を妊娠してご主人も含めて周りから反対されたのですが、押し切って産む決心をした人がいます。3人目を産んだ時点でドクターストップか゛かかったようで、今回の診察では母体の保証が70%の確率と宣告され、それでも宿った赤ちゃんに会いたいとの一心で出産に向けて日々を過ごしています。「お腹の子に会いたい気持ちはわかるけど、今、目の前にいる子供達のママでもあるのよ」って、余計なお世話かもしれないけど言ってあげたい。
なな先生、すごく心配なんです。
でも、彼女は本当に高齢出産だったんので、ビックリしたのですが、無事に生まれて本当に良かったと思います。
離れていて、連絡を取る機会がないのですが、きっとなな先生のような、素晴らしい産婦人科の先生に恵まれたのだと思います。
>そんな中、産婦人科医に残されたものは、お産に関わる夢だと思うのです。
その通りだと思います。
ほとんどの産科の先生方は、命の誕生に通して関われるということに夢をいだいてその道を選んだことでしょうね。
しかし、いまや学生や研修医の間では、産科や小児科に進むとなると、貴重を通り越して珍獣扱いされることもあります。
それは、夢をもっているからではなく、訴訟という立ち直れなくなるかもしれない危険の近くに足を踏み入れようとしているからですよね。
せめて、その点だけでも何とかなれば、夢をもって産科をやる若手たちも増えるのではと思ってしまうのです。
>私自身も、今回のようなお産はこれで最後になるかも知れない
そんなことないと思いますよー
先生の記事を読ませていただくと、素敵な妊婦さんがいろいろと登場してくるじゃないですか。
一部にはちょっと・・・、という方もおられるでしょうが、多数は「一緒にがんばりたい」という感情をいだくような相手ばかりではないですか? ただ、その一部の方から重いダメージを受けることもあるのがキツいですよね・・・。
小児科はそんな感じなのでちょっと想像で書いてしまいました^^;
産婦人科医とひとくくりにするのではなく、ピンチなのは「産科医」だと思います。
いまでこそマスコミも「産科医、小児科医不足」やら「救急医療がピンチ」とかやっていますが、遅すぎます。
現場はわかっていたんですよ。数年前からこうなることを。
ただ「ピンチ」であるからこそ「チャンス」ともいえるわけで、現状を悲観的に評価して右往左往するだけではどうにもなりません。(そういった意味でマスコミの一方的偏向報道はいただけません)
ピンチならピンチなりに対処の仕方があるわけで、それが自己防衛の処世術です。
例えば、「産科医退散」、「産科閉鎖」、「ハイリスク妊娠拒否」、究極は「産科施設の集約化」でしょうか、、、。
ここでピンチをチャンスに変えて残った者が10年後にも産科医をやっていると思います。
>産科医療を取り巻く環境は、年々厳しくなる一方です。
長時間勤務、緊急呼び出し、当直の多さに加えて、
どんどん離職者が出W手、勤務条件は厳しくなる一方です。
加えて、訴訟に巻き込まれる割合が年々上昇し、
さらに産婦人科医全体の高齢化が進み、新人医師は減っています。
未来は明るくありません。
そんな中、産婦人科医に残されたものは、夢だと思うのです。
そうですね、35歳以上を「高齢妊娠・高齢出産」と言います。
おっしゃる通り、30代40代の妊娠・出産は増えています。
それが、産婦人科医の仕事の増加につながっていることも否定できません。
甘いことばかりは言えませんし、うまくいく例ばかりではありません。
それでも、女性の人生の選択の幅が広がったことは、
進歩と考えて良いのではないか、と思っています。
> 田舎ではどんどん個人の産科が減り、遠くの医者まで行かないといけない地区もあります。
そうなんですよ〜。
里帰り分娩の妊婦さんを、送り出すことがあります。
お話をお聞きする際、「車で2時間行かないと産婦人科がない」などと聞いても
最近は驚かなくなってしまいました。
お腹の大きな女の人が、2時間も車を運転して健診に通わないとならないなんて。
送り出すのも、切なくなります。
同じくらいか、ちょっとmizuhoさんの方が若いくらいかな?と思ってましたので
意外でした(笑)。
4人目をご妊娠されたお友達は、3回帝王切開をお受けになっているということですね。
標準的には帝王切開は3回までですので、4回目となると確かに危険を伴うと思います。
お友達思いのmizuhoさんがご心配されるのも、当然でしょう。
それでもご本人がご出産に向かっている今、周囲の者に何ができるか、と考えます。
具体的なリスクは何か、それに対する対策は何か、ではないでしょうか。
まず怖いのは、子宮破裂だと思います。
3回子宮にメスを入れていますので、その部分が普通より脆くなっていて、
ちょっとしたお腹の張りでも、その部分が切れてしまうことがあるのです。
切れると大出血につながりますので、母児ともに危険です。
子宮破裂予防対策は、とにかくお腹が張らないようにすること。
3人もお子さんがいらっしゃると、動き回ってしまうと思いますが、
きちんと健診に通って、担当医に張り止めの薬や安静を勧められたら、
必ず守って下さい。守らないのは自殺行為です。
この時に、mizuhoさんのその言葉が必要になると思います。
もう一つは、手術時のトラブルです。
お腹の中は、癒着していることが予測されますので、
通常より大変な帝王切開になる可能性があります。
きっと担当医からも説明があるでしょう。
ご本人の力が及びにくい部分ではありますが、
例えば出血量が多くなる、手術時間がかかる、術後合併症(他の臓器を傷つけるなど)の可能性も高くなるなど、
心の準備が必要です。
また、月並みなアドバイスで恐縮ですが、担当医の話に従った方が安全です。
余分な体重増加や血圧上昇、貧血などをきっちり予防して、
ベストな体調でお産に臨んでもらいましょう。
なんだか長くなってしまいました(笑)。
何時もやさしいメッセージを、ありがとうございます。
赤ちゃんを交えたご家族の写真、ほっとしますよね。
私もコレクションしているのは以前お話した通りですが、
ほんと、癒されますよ〜
でもその輪の中に、なな先生も入ってみえたんですから、素敵ですね。(^^)
我が家の場合、検診時も時間の許す限り、ダンナがずっと付き添ってくれてました。
当時、あまり夫婦一緒にというスタンスが少なかったので、私は嬉しくもあり、妊婦さんの視線が怖くて居心地は悪かったかな(^^;。
立ち会い出産まですることまで決めてましたが、残念ながら帝王切開となったため、手術室前での待機となりました。
でも私が出てきて最初に「お疲れ様。頑張ったね」と声をかけてくれたようです。
私は残念ながら、麻酔で朦朧としていて記憶にないのですが。(爆)
私の主治医も良い方で、事前説明では当番日でもない限り帝王切開は出来ないと言われてましたが、たまたま偶然当番日とかで、帝王切開していただけましたし、術後も毎日のように、回診の当番でもないのに見に来てくださり、お声をかけていただきました。
それだけで、すごくホッとした気がします。
もう出産を経験することはないかもしれませんが、検診でもその先生にお世話になるつもりで、去年、出産後、初めて行ってきました。
「その後、いかがですか?」と憶えてみえて、感激したのを憶えてます。
やはり、先生の人柄、力は影響力大ですね。
なな先生に出会えた患者さんは幸せじゃないかなと、思いますよ。
> いまや学生や研修医の間では、産科や小児科に進むとなると、貴重を通り越して珍獣扱いされることもあります。
あははっ、「珍獣扱い」という言葉がぴったりかも知れませんね。
おっしゃる通り、一番問題になっているのは訴訟のリスクではないかと、個人的には思っています。
激務でも、給料が安くても、働く医者は、まだいるでしょう。
しかし、精一杯頑張っても、結果が悪かったら訴訟、では
最後のよりどころになっている「夢」すら、奪われてしまいますから。
「最後になるかも知れない」と書きながら、実は
最後になってほしくない、という気持ちがどこかにあったのだと思います。
その気持ちを察して下さって、本当に嬉しくなりました。
ありがとうございます。
そうですね。
本当は産婦人科医ではなく「産科医」がピンチなのだと思います。
婦人科医も決して余裕はありませんが、両者を比較したらやはり切迫しているのは産科医です。
> ここでピンチをチャンスに変えて残った者が10年後にも産科医をやっていると思います。
これ、目からうろこでした。
現在には夢を持っているものの、未来には夢を持てずにいました。
現在手許にある夢だけを大切にして、それを失ったら潔く去ろうと思っていました。
先生のような、先見の明を持った考え方も、あったのですね。
ありがとうございます。
頂戴したメッセージ、大切にします。
心温まる体験談を、ありがとうございます。
蒼さんのような仲良し夫婦が、少数派ながらもご一緒に健診に通って下さったからこそ、
今のような、立会い分娩の普及があるのだと思います。
もちろん一人で立派に頑張る妊婦さんも大勢いらっしゃいますが、
立ち会いたいご主人は自然に立ち会える、という、選択の幅があった方がいいですものね。
最後のお褒めの言葉、嬉しく読ませて頂きましたが・・・
多分、逆です(笑)
ご家族が幸せそうだから、私も頑張れるのだと思います。
「ふぅー。よかったね。りん。。。」
(わん)
ななちゃんのね。産婦人科の最後に残された「夢」って、どんなのか知ってる?りん。
(わわーん)
「あそ。知ってるの。。。」
きっと、いい夢みたいだね。わたしの首に巻いた赤いハンカチ、りんにつけてあげるね。
まー。かわいい。こんど夢おしえてね。りん。 (わん)
今日もいい記事をありがとう。
きっと、とっても楽しい夢ですよね。
りん、もしお聞きしたら、こっそり私にもおしえて・・・
うふふ、微笑ましいですね。
眼科医の友人の奥様の胎児エコーをした後、
彼にプローべを渡して試しにやってもらったのですが、
やはりやり慣れず、
産婦人科医が出すような画像が、全然得られませんでした(笑)
先生も、あんなだったのかしら・・・(クスクス)
好きな仕事に就ける それだけで充分に幸せなのに 溢れるような満足感にしたれて。。。
いい人生 送ってます ね。
いのちの始まりに手を添える、なんてロマンチック!と(せっかく生まれたいのちを終わらせる役割もまたあるわけですが)その神秘性に惚れているようです。
長時間勤務、緊急呼び出し、当直の多さ等勤務条件は、自分の体がもつかどうかは別としたら、仕事が楽しければきっとそれなりにやっていけると想像します。(家庭を持つとなるとまた話は違ってくるかもですけど…)自分が生むときのことを考えても、産婦人科医の絶滅を防ぐためにも、初期研修を終える頃には進路として産婦人科を選べていればいいなと思ってはいます。
しかし、現在の産科(だけではない)医療をとりまく情勢を鑑みると、こわくて選べる気がしません。自分以外の誰か、目の前で苦しんでいる人のために命を削って働いても、ちゃんと仕事をしていても、ふとしたことで社会的に辱められたり職を追われたり精神的に踏みにじられるようなリスクがけっこう大きいらしいと解釈しています。夢だけじゃ守りきれないです。他の人の考えも聞いてみたくて、周囲の産婦人科志望者たちにweb上で私が読んできたさまざまの現状を伝える努力はしましたが、私の口が拙いのと、将来への希望に満ちた若者にはにわかに信じられるような内容ではとてもないので、全く相手にされずに臆病者、変人呼ばわりの始末です。私を口論(というか気迫)でねじふせて自分に都合のいいように事実を曲解する前に、まずソースにあたってほしいところです。私は好きな物事についてはいい面も悪い面も全部知りたいと思うけれど、彼女たちは悪い面は知りたくもないようです。自分の目の前にない、知らないところで世界は着実に動いているのに…。それとも私の知る現状は実は私の妄想でしょうか。悲しく虚しいのでもう何も言わず、逆に、私が産婦人科を選ばなくても彼女たちが選んでくれたらいいと願う方向で会話するようになりました。どちらにしろまだあと2年猶予があります。考えます。
なな先生のブログはつらいことにすら愛情が感じられ、産科への夢を育てるベクトルです。コメント欄のはじっこまで大好きです。
ひとりごとにも似た長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。
町に小さな病院は一つありましたが、産婦人科やマイナー診療科は
100km離れた都市まで行かないとありませんでした。
「ここで妊娠するわけにはいかない。危険すぎる」と
思っていましたが、僻地を離れることが決まったころに
長女を妊娠しました。
初期は切迫流産ぎみでした。
吹雪の中を(北国でした)3時間かけて運転して受診。
ものすごく辛いことでした。
都市部へ戻って、恵まれた分娩ができましたが、
あの僻地の状況は今も変わらずです。
36週すぎたら産婦人科の近くでウィークリーマンションを
借りる人、分娩兆候が無くても予定日前から大事を取って
社会的入院する人、陣痛が来たら町で1台しかない救急車を
呼んでしまって産婦人科まで100km飛ばしていく人、
そんな妊婦さん達がいました。
産婦人科撤退のニュースを聞くたびに、あの僻地を
思い出します。
これ以上、医療格差が広がりませんように。
国内なら安心して妊娠・出産ができますように。
私ももう少し年長者になったら、
犬と猿さんのようなやさしい眼差しを
若年者に向けられる人間に
成長したいと思っています。
コメントを読んで、ああ、こんな医学生さんがいたのだ、
お産の現場にしかない、神聖さと明るさに共感し、
そして、甘いことばかりではない現実にもきちんと目を向けている若い同志がいたのだ、と、
静かな感動を覚えています。
産科医療に関して、ここまで深く理解して冷静に考えているpepeさんに、
是非産婦人科に来てほしいような、
焼け野原になりつつある産科医療の現場には来てほしくないような、
複雑な気持ちです。
何科に進んでも、志あれば必ず確かな成長を遂げられます。
pepeさんが何科に進んでも、よい指導者に恵まれて
幸せな研修医時代が送れることを、祈ってやみません。
> コメント欄のはじっこまで大好きです。
本当に、嬉しいです。
産科医療に残されたものは、夢です。
夢に支えられて、今日までやってこれました。
そしてブログで夢を語り、こうして心あるコメントを頂戴することにも
どれだけ支えられてきたことか、計り知れません。
コメントありがとうございました。
地方の妊婦さんたちの具体的なお話の壮絶さに、息を呑みました。
噂では多少聞いていましたが、本当なんですね・・・
女性は、赤ちゃんは、妊婦さんは、
本来、大切に大切に守るべき存在です。
そんな妊婦さんが、「危険で妊娠できない」とか、
吹雪の中、長時間かけて車を運転して健診に通わないとならないとか、
もう、どうかしています。
志のある産婦人科医もまだ残っているのに、これも大切にされることはなく、
現場からは様々なものが奪われつつあります。
懸命に生きる妊婦さんと、妊婦さんに向き合う産婦人科医と助産師とが、
身を寄せ合って、何とか生きている。
そんな構図に見えて、なりません。
ブログの記事を読んでいて、
吉川英治の「三国志」のことを思い出しました。英雄・関羽と名医・華陀との会話です。
華陀「私はいろんな患者を診てきましたが、将軍のような患者を見たことがありません」
関羽「名医に名患者か。さすれば病魔も退散したか」
なんてくだりがありました(正確には覚えてないけど)。
実際にはそううまくいくとは限らないのですが、私も病気になったときは「困った患者」にならないようにしたいです。
わき道にそれてしまって失礼しました。
味のあるお話ですね。
歴史物を読むと、100年前の挿話が年月を越えて
心琴に触れることがあります。
今、私たちがこうして話していることも、
100年後の人たちの心に届くことが、あるのかも知れませんね(笑)。
先生の文章を読んでて、すごく心があったかくなりました。
私は、幼稚園の頃から喘息とアトピーで、アレルギー専門の小児科医の先生にお世話になってます。
もう20歳を過ぎてるので、内科に…って思ったりしたこともあるけど、
小さい頃からお世話になってて,信頼できる先生なので
今もお世話になってます。
それから、私は保育士をしてました。今は、仕事を探してるんですが;
私は2歳児さんクラスや0,1歳児クラスの担当をしてました。
乳児さんとかかわってると、本当に1日1日「今日は○○ができるようになった!」と
成長があります。
先生のところに来られた患者さんは、本当に幸せだな、って思います。
1つ1つ熱心に説明してくださる先生。
恵子さんのご家族も、あたたかい方たちですね。
恵子さんご夫妻のもとに生まれた赤ちゃんは、やさしい子に育つんだろうな☆
先生のBlog、私のBlogで紹介させてもらっても良いですか??
突然の訪問で、こんなこと言ってごめんなさい;
また遊びにきますね。
先生、お体に気をつけてくださいね。
2週間前に自然分娩で女の子を出産しました。
現在、慣れない育児に追われています。
授かった我が子には、分娩後すぐに、命に別状はないものの先天性の異常が発見されました。
分娩台の上で、お医者様から状況をお聞きした際にはさすがに動揺しましたが、お医者様の対応の迅速さや助産師さんの温かいサポートに慰められ、平静を取り戻すことが出来ました。
妊娠中はなな先生から何度も温かいお言葉をいただき、有難うございました。
今後も時間を見つけて遊びに来させていただきます。
> 乳児さんとかかわってると、本当に1日1日「今日は○○ができるようになった!」と
成長があります。
うふふ、いいお仕事ですね(笑)。
毎日そんな姿を見ていたら、positiveで明るい時間が過ごせそうです。
恵子さんご夫婦は、本当にいいご夫婦であり、いい患者さんでした。
医師患者関係も、医師と患者と両方で創っていくものだと思います。
良い関係が築けるのは、少なくとも半分は患者さんのおかげなのでしょう。
ブログの紹介、光栄です。
これからも遊びに来て下さいね。
ここに書けるようになるまでにも、大変だったのではないでしょうか。
みどりさんとご主人、それぞれのご家族、
どんな思いでいらっしゃるでしょう。
そのような時に、まずお書きになった言葉が
周囲のサポートに対する感謝のお気持ちであることに、
感動しています。
きれいな心を持った方って、いらっしゃるんだな、と。
お嬢ちゃんの健やかなご成長を、お祈り致します。
産婦人科医ってやっぱり夢とかロマンとか持ってますよね。妊娠、出産は本当に神秘的で、神聖な領域だとこの仕事を始めて10年経った今でもそう思います。
世間では「たらい回し」やら訴訟の多さ、仕事のきつさ、人手不足など、最近あまりいいイメージのない「産婦人科医(産科医)」ですが、夢と希望をもってこれからも仕事続けて行けたらなと思います。
前回のローテーターの記事のコメントに研修医から楽しそうに仕事していると見られているなな先生は素敵だなと思いました。こんなきつい仕事してるのもやっぱり楽しいからなんですよね。私も「楽しそう」って言われるように仕事できたらなと思います。ついつい険しい顔してるんですよね・・・
楽しいと思って仕事をしていたら、きっと先生のそんな気持ちは、自然ににじみ出ていると思います(笑)。
この仕事、時には険しい顔しないとできるものじゃありません。
私も、修羅場になると目を吊り上げて髪振り乱して・・・です(笑)。
産婦人科医としての自分のあり方は「こだわりの職人」と思っています。
いい子ね。ななちゃんいる?りんはひとりでお留守番かしら?。。。
ななちゃんね。修羅場でこわーい顔してバタバタ走ってるらしいよ。今。。。忙しさにカンドー!ってかんじ。
ってゆーか。あっついカフェバーもなんとかしないとね。
9ヶ月の女の子がね。ヘルニアらしきソケイ部の手術したら、卵巣取ってしまったみたいなニュースに、ふろっぐ様が怒ってるの。
一緒に行ってみる?りん。
わたしのミラクルエンジン二輪で。
あら。後ろに乗っかっちゃ。だめ。前よ。わたしの。
そ。ハンドル握って両手で。この前お首にまいてあげた赤いハンカチ似合うわねー。
どどどどどどるーーーン。
そーーー。そのちょうし。
加速最大!!スロット全開!!マックスモードon!
だーーーー・・。
ななちゃんち3丁目角の塀に激突かーーー。
だいじょーぶ。。。魔法のホウキ装備すみよ。
空へ浮上~♡!
ど。東京の空。あそこが東京タワー。向こうが東京湾だよ。りん。(わん)
ななちゃん、今日も夜通しで仕事だって。しばらく遊んで行こうね。りん。 (わん)
すぐ帰る? (くぅーーん)
あ。そ。じゃ。突っ込むよ!ふろっぐの病院の屋上!
キィーーーン
ソケイヘルニアの報道もかなりひどいですが、
↓ 個人的にはこっちの方が更に重罪だと思います。
http://blog.m3.com/Fight/20080124/2
ずいぶん前からこのブログを拝見しております、東京の医学生です。
今年の3月から、病院実習が始まるのですが、将来産婦人科に行きたいなと淡い希望を抱いています。
しかし、その希望を打ち砕くかのように、産婦人科の過労死寸前の勤務状況や、看護師の内診禁止通達などが次々と襲ってきました。
先生の今日の書き込み、「そんな中、産婦人科医に残されたものは、夢だと思うのです。」には、感動しました。
3月、東京の病院を離れて、長野で実習をします。
自分に出来る事はまだまだ少ないですが、頑張ってみたいと思います。
私は、今日、先生に勇気と希望をもらいました。
ありがとうございました。
産婦人科をお考えなんですね。
内診問題までご存知の学生さんがいらっしゃることに、
心強さを感じます。
産婦人科医療に、夢は確実に存在します。
これから実習をなさる間、きっとお産に立ち会うこともあるでしょう。
お産に立ち会ったら、生まれてすぐの赤ちゃんを胸に抱き、
小さい手にそっと触れる時の産婦さんのお顔を、是非見て来て下さい。
実習期間は、患者さんとの接し方やカルテの書き方など、
医者としての基礎を作る、貴重な期間です。
実り多い実習生活が送れますように。
はい、考えています。
内診問題、まだまだ学生の身ですが、大変気になっています。
特に、前置胎盤では、内診で大量出血になりますよね?
その危険性がどれぐらいあるのかなどは気になります。
しかし、医師ないし助産師が行えば、危険性がなくなるかと言われれば、それは別問題だと思います。
医師が適切な対応をとれるようにするためにも、労働環境の改善が必要だと強く感じています。
産婦人科、新しい命が産まれるのを手助けできる医療。
お産は当直の時も、全例みるつもりです。(学生も当直しますので。)
ありがとうございます。
少しでも多くの事を学べるように頑張りたいと思います。
そう、前置胎盤の場合は内診は禁忌です。
大体どこの病院でも、妊婦健診でroutineで胎盤を診ています。
妊婦健診はスクリーニングでもありますが、やはり大切なんですよね。
実習の当直、楽しいですよ~
あの充実感、今でも覚えています。
頑張って!
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