2001年12月号89ページに掲載

菓子の歴史は九州から

 人生にはさまざまな行事があり、その席に欠かすことのできない存在なのが菓子である。 まず母体に宿った小さな生命を祝う「着帯の祝」に始まり、入学、卒業、結婚、還暦などと続き、また新築祝い、祭り、それに儀式や儀礼をも飾る。また日常生活においても、家族団らんの場、職場のおやつ、親しい友人との談笑に、と密接に関わっている。
 時代の変化とともに味や形を変えながらも、ともすれば乾きがちな私たちの心に、潤いとくつろぎを与えてくれる。

菓子の起源とは和菓子の成り立ち

 長い歴史のなかで発展してきた菓子の成立を段階的に見ると大きく5つに分けられる。(1)果物や木の実(2)もちや団子(3)唐菓子(とうがし・からくだもの)(4)点心(てんじん)(5)南蛮菓子の5つで、この段階を経て17世紀後半の京都で菓子は一応の大成を見る。
 果物や木の実がルーツとされている菓子だが、和菓子を原則的に植物性の原材料を使用したし好品とした場合、和菓子の直接的ルーツは、日本人の食生活の基本である米や雑穀などを使ったもちや団子といえよう。
 九州における菓子の歴史を振り返る時、対外的な貿易や交流の影響も大きい。「遠の朝廷」と呼ばれた太宰府、国際都市であった中世の博多、また戦国時代の九州各地には南蛮商人や宣教師たちが大勢渡来しており、鎖国政策の江戸時代にあっても長崎の出島は唯一外国に開かれた窓口であったことから、かの地の菓子製法が伝えられた。
 また菓子に欠かすことのできない砂糖についても九州は佐賀藩、小城藩、蓮池藩、島原藩、黒田藩、杵築藩など将軍家への献上砂糖のほとんどを占めている。いわば九州は砂糖文化のメッカだったわけだ。豊富な砂糖があればこそ九州の菓子文化も発達したといえるだろう。また港、神社仏閣、街道なども菓子発展に大きな役割を果たしている。来年菅原道真公没後1100年を記念行事を予定している太宰府天満宮は梅ケ枝もちで有名だ。これは道真公の暮らしぶりを哀れんだ近所の老婆が、アワもちを梅の枝に巻き付けて差し入れたためその名がついたという伝承がある。江戸時代までは境内の売店で売られるに過ぎなかったが明治以降参道で売られるようになり一般に広く知られるようになったようだ。
 もともと神社にはたくさんの米が奉納されているが、使い切れない米は一般に払い下げられるため、これをもち、せんべい、おこしなどに加工した。この加工品を神社に参詣した人が帰りぎわに携帯食として持ちかえるようになったのがいわゆる“宮下”であり、日本各地に名物みやげが誕生していった。 
 このように九州の菓子は歴史や風土と豊かに絡み合い、さまざまな菓子を生み出してきた。現在九州の菓子業界では頑固なまでに伝統を守り続けるメーカーもあれば、時代をとらえた新たな菓子づくりに励んでいる菓子メーカーもありさまざま。そのいくつかを紹介する。 <小見出し>

新しい菓子の世界を拓く九州各社の取り組み

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〈風月フーズ〉

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「博多の梅」「吉野ケ里時代」が好調

 マシュマロ「雪うさぎ」で知られる風月フーズ(福岡市、福山義朗社長)は、地域の歴史や祭りに関連した商品を開発している。
 福岡県花の梅をかたどるサブレ「博多の梅」は、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)の祭りである「曲水の宴」で毎年奉納するみこしに登場、アピールしており、競合の激しいサブレの中で人気を集めている。佐賀県神埼郡の吉野ケ里歴史公園センターにあるレストラン売店では5月から「吉野ケ里時代」を発売。同公園の土産品で売れ筋トップとなっている。NHKの「北条時宗」にちなんだ同名の菓子も好評を得ている。 <小見出し1(Rodin DB)>

〈千鳥屋ファクトリー〉

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本場製法に独自アイデア ドレスナーストーレン

 長崎の地に伝来した南蛮菓子の製法をいち早く学んで、カステラとマルボーロの焼き菓子専門店として寛永7年(1630)創業の千鳥屋。その後この焼き菓子に白あんを加味、「千鳥饅頭」として長年にわたり高い人気を得ている。
 近年も吟味を重ねた原料に伝統の技を生かしながら、時代にマッチした意欲的な製品開発を続けており、例年10月から翌1月まで3カ月間の期間限定で製造・販売しているドイツ名菓の「ドレスナーストーレン」もその1つである。
 「ドイツで生まれ、350余年の歴史と伝統を持つ同国の代表的なお菓子。冬になると各家庭で作られ、クリスマスには欠かせないもの。結婚式やお祭りの必需品でもあるが、国から指示されている調合があって、天然のバターを必ず使用し、フルーツ50%、アーモンドペースト10%が入ってなければ、ストーレンとして認められない。乾燥させたフルーツや木の実をふんだんに使い、できたものはそのまま1カ月以上寝かせて熟成。当社では本場の製法にさらに独自のアイデアを加えた」(原田光博・千鳥屋ファクトリー社長)。
 また、「ヨーロッパではお菓子の終着点はチョコレートと言われており、一番奥の深いお菓子。ぜひその奥深さ、広がりを味わっていただきたい」(同氏)と本格的なチョコレート商品づくりにも取り組んでいる。 <小見出し1(Rodin DB)>

〈馬場製菓〉

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農菓発想で素材にこだわる

 鹿児島市に本社を置く馬場製菓(馬場甚史郎社長)は創業90年を誇る老舗。「薩摩藩」の屋号で鹿児島空港ビルや西鹿児島駅、東京伊勢丹新宿店、京都JR伊勢丹などで展開している。機械による大量生産は行なわず、職人が一つひとつていねいに焼き上げる薩摩きんつばは大変な手間もかかるが、サツマイモの香ばしさに誘われ人気商品になっている。
 馬場社長が発信しているのが“農菓発想”。地域の特産物を生かし農家と共存共栄を図りながら世界に通じる薩摩の味づくりを目指すものだ。種子島一吉いもに「種子島紫いも」と命名しこれを素材にした薩摩きんつばは大ヒット商品になっている。
 そのほかにもかるかんに人気のキティをデザインした「ハローキティおさつかるかん」は年齢を問わず好評を博している。「非常に厳しいサンリオがキティのデザイン使用許可を出したのは、無添加で安全な商品を作っている当社の姿勢が認められたからこそ」と馬場社長は胸を張る。 <小見出し1(Rodin DB)>

〈梅月堂〉

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明治期の上品な味わいを今に伝える名店

 今から100年以上も前の明治27年、和菓子専門店として開業した梅月堂(長崎市、本田時夫社長)。時代は移ろい店を訪れる人は変わっても、素材の選び方から製法、細工の美しさにこだわり続ける姿勢は当時のまま。上品な味を今に伝えている。
 現在は洋菓子店として親しまれているが、そのスタートは「西欧のお菓子文化を長崎に」という気持ちから。「和」の伝統を洋風菓子に生かし長崎に根付かせたのが梅月堂と言っても過言でない。
 さらに長崎にあった和菓子とは一線を画す純京風和菓子の専門店「穂俵」は昭和61年の開店当時、本場にも引けを取らない深い味わいから地元の粋人たちに驚きと称賛をもって迎えられた。京の味に長崎の心を織り込んで、今ではすっかり地元に定着している。
 梅月堂のお菓子に対する妥協しない姿勢は、看板商品「南蛮おるごおる」からもうかがえる。このお菓子の原型は、シガールというヨーロッパの伝統菓子。単純なだけに微妙な厚さや原料の違いが味を変え、一切ごまかしがきかない一品。製品化が難しかったこの商品を、お菓子に対する深い愛情と妥協しない味への追求で克服、試行錯誤の末にこの上ない風味豊かな味わいを生み出した。
 さらに、シガールが葉巻を意味することからパッケージは葉巻の箱をイメージ。表のデザインには地元長崎の版画家・田川憲氏の版画を利用し、趣深さから小物入れに使用する人も多いとか。ファンを引き付けてやまない梅月堂の魅力は、こんな逸話からも垣間見ることができる。 <小見出し1(Rodin DB)>

〈福砂屋〉

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こだわりの製法から生まれるふくよかな味わい

 寛永元(1624)年の創業以来、一貫して「すべて手作り」にこだわり伝統の味を守り続けているカステラ本家福砂屋(長崎市、殿村高司社長)。おいしさの秘密は、初代がポルトガル人から直々に伝授された製法。卵割りから泡立て、混合、かくはん、焼き上げまでを1人の職人が仕上げる点にある。時代に逆行するような手間暇かけたふくよかな味わいは、ほかではまねのできない芸術品の域に達している。
 カステラへのこだわりは焼き上げ後にも見て取れる。一昼夜成熟させる「甘味の戻り」で、さらに甘味とコクを引き出す。その後、厳しい検査を経て初めて店頭に並べ、偽りのない本物の味だけを提供している。
 現代女流俳人の草分け的存在でもある中村汀女、小説家芥川龍之介など多くの作品の中にも名をとどめるように、現在の 砂屋本店は情緒あふれる長崎らしさを今に伝える名所。明治の面影を残す白壁とかわら屋根、入り口両脇に下がる「本家カステラ」と「老舗 砂屋」の大のれん。そして、100有余年の時を経た今も軒先に掲げられた看板が格式の高さを物語る。
 同店の商標である蝙蝠(こうもり)は、中国では慶事・幸運の印で昔からおめでたいものとして尊重されている。江戸時代から物流だけでなく文化の交流など深い関係があった中国と長崎。当時の情景が目に浮かぶ長崎らしさがここにもある。
 手作りの製法だけでなく、店構えにまで伝統を守り続ける福砂屋は、これからも“カステラの味”にこだわり続ける。 <小見出し1(Rodin DB)>

〈二鶴堂〉

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新旧ブランドの地歩固めに 好調のFC展開をリミックス

 地場カラーと素材の個性を全面に打ち出したシリーズ・ブランドに自信を見せるのが二鶴堂(福岡市)の橋本由紀子社長だ。「博多傳や」シリーズに加わった「博多紫芋ぽてと」と「中洲deいちご」が快調な伸びを見せており「じっくり育てながら、新しい人気ラインに仕上げる」構え。同シリーズの成長で、30年目を迎えるロングセラー「『博多の女(ひと)』の周辺をしっかり押さえ、新旧のブランドで地歩を固める」方向にある。
 さらに、周辺で際立つ展開では鯛焼きのFC9店舗のうち直営の城原店(佐賀県神崎町)が九州一ともいわれる人気ぶりで他店舗にもその好影響が影響している。同店では1992年のオープン以来、徹底した材料の吟味と、他店では出せない味で鯛焼きが飛ぶように売れるという。客層は子どもからお年寄りまでと幅広く日によっては50個、100個と買い付けにくる人もいるほど。「1日に2000個近く出ることもめずらしくない」と江口美智子店長はうれしい悲鳴を上げている。新旧ブランドの脇を固める位置付けにあり、FC展開で得たリアルタイムの市場ニーズも「今後の商品開発に取り込んでいく」方向にある。 <小見出し1(Rodin DB)>

〈松尾製菓〉

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創業1世紀に向け中央シフトヒット率を高めて、営業強化

 松尾製菓(福岡県田川市)の東京シフトが急ピッチで進んでいる。「商品開発とチャネル開拓を強化する」(松尾利彦社長)ためだ。「10円あったらチロルチョコ」のテレビCMで知られる同社ブランドは発売40周年を迎えるロングセラーだが、伝統銘菓や土産菓子とは異なり、スーパーやコンビニエンスストア中心に展開する流通菓子。コンビニなどは1店当たり平均3000アイテムの商品のうち、年間7割近くを入れ替える消化率と回転率であり、菓子も例外でない。松尾社長は「常に先進動向を取り入れ、チロルを主軸にカテゴリーに厚みを持たせると同時にヒット率を高める必要がある」と言う。さらに卸や流通の現場への営業も強化しながら、全国ベースのチロル市場を確立する方向にある。
 JR浜松町駅近くにある同社の新オフィスは、半径2キロ圏内に有力スーパー、コンビニの本部が集中し、東京シフトに好条件が重なる。来春には、松尾社長自ら家族ともども東京へ転居。将来的には本社移転も視野に入れているという。2年後の創業100年へ向けて、同社は積極的に攻勢をかけている。 <小見出し1(Rodin DB)>

〈八頭司伝吉〉

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個性を競い、情報発信する店でようかんも街も活性化

 この12月7日にリニューアルオープンする八頭司伝吉(佐賀県小城町)の本店は同町の地域活性化計画の一翼を担うことになる。
 人口1万8000人の町に24軒ものようかんメーカーが軒を連ねる同町は名立たる「ようかんの里」であり、天衝く霊峰、天山とクレソンも自生する清流、清水川に囲まれた「九州の小京都」でもある。「菓子と観光。どちらの入り口からでも小城の街を楽しんでほしい」(八頭司博社長)。
 JR小城駅近くの新店舗は前面に石段を配し、ゆるやかな導入ゾーンを演出。通りからは店内が、すぐには見えない奥まった構造でその分、高級感が味わえる。将来は店頭の小庭にはイス、テーブルを置いて憩いのスクエアを設け、単にショッピングだけでなく「ようかんがあるシーンを通して会話が始まる仕掛けを作りたい」意向だ。
 佐賀藩の支藩だった小城藩は、織田信長の弟の有楽斎を始祖とする茶道、有楽流が盛んで茶請けの菓子が親しまれてきた。そこへ明治の初期、京都や長崎からようかんの製法が伝わったのが前述の恵まれた自然環境の中、街の代表銘菓、ようかんをはぐくんできた。八頭司社長は「すべての店が個性を競い、情報を発信することで『菓子王国・佐賀』として街も魅力を増す」と強調する。 <小見出し1(Rodin DB)>

〈ひよ子〉

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匠の技を結集高級和菓子「和のみち」

 名菓「ひよ子」があまりにも有名なひよ子(福岡市、石坂博史社長)は、この10月から高級和菓子の「和のみち」をリニューアルして新発売した。「『ひよ子』や『ひよ子サブレー』などのおなじみの商品が前面に出がちで、高級和菓子の存在感が薄れる面があった。『以前は茶会などでもよくおたくの和菓子を使わせてもらっていた』といった声も寄せられていたので、この機に改めて送り出すことにした。ある意味では原点への回帰で、当社の昔ながらの匠の技を結集した商品」(中村憲治・ひよ子取締役経営企画室室長)と同社の高級和菓子分野のテコ入れを図ったもの。また一方で大好評を博したのが、クリスマスケーキの早期予約割引キャンペーンで、第1弾の9月16日から30日までの予約では通常価格の半額の5割引、そして第2弾の10月1日から31日までの期間は2割引と、これが大きな反響を集めた。「チョコレート、ホワイト、チーズの3つの商品に限定して実施させていただいたが、予想以上の予約で大成功だった」(同氏)。
 同社ではほかにもサンタメールなどが当たるキャンペーンも実施しており、「今の世の中の沈滞ムードに埋没するのではなく、常に話題、にぎわいをご提供していきたい」(同氏)と待ちの姿勢ではなく、積極的に顧客に働きかけていく考えである。        
 今日では「菓子王国」といわれる九州だが、九州の菓子メーカートップは「お客さまの舌が肥え本物でないと生き残れない時代になった」と一様に口にする。素材や製法にこだわりながら各メーカーともたゆまぬ努力が続けられ、より安全でおいしい菓子づくりに励んでいる。菓子は甘くとも、菓子づくりは決して甘くないようだ。はたして今後どんな菓子が誕生するのか、大いに期待したい。
(参照・引用文献―「九州の銘菓」九州銘菓協会、「和菓子の今昔」青木直己著、「FUKUOKA STYLEvol16・九州の菓子」福博綜合印刷)

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