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  講談社 現代新書カフェ
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□        講談社 現代新書カフェ〜031〜                 
□            2008年9月8日                   
□                                 
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  ‖ 《1》好評既刊のご紹介
  ‖ 《2》★連載企画★                                     
  ‖       1)スペシャル対談『オタク/ヤンキーのゆくえ』第1回
  ‖      東浩紀×速水健朗 
  ‖    2)『本気で考える池田屋事件』第18回 中村武生
  ‖    3)『夢の男ーやさしさの豊かさー』第2回 信田さよ子              
  ‖                                        
  ■=============================■


  現代新書カフェにようこそ。

  現代新書をはじめ、多くのデザインを手がけられている
  中島英樹さんの『Infinite Libraries & Re-CitF』が、東京・恵比寿の
  G/P gallery(東京都渋谷区恵比寿1−18−4)で
  9月5日から10月8日まで開催されています。
  芸術の秋、デザインにご関心のある方は、ぜひお出かけください。

  今回のメルマガは、好評既刊の紹介からです。
 

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◆  《1》好評既刊のご紹介◆
*************************************
   ◇1953『金正日の正体』重村智計  定価756円
   http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=287953      
                 【担当者挨拶】
 一部のメディアでは数年前から報じられていた北朝鮮金正日総書記が死んで
いるという噂を朝鮮半島情勢の第一人者の重村智計早稲田大学教授が徹底検証
して、夏の超話題作となりました。講談社の「週刊現代」が8月お盆の合併号
で巻頭スクープとして取り上げたこともあり、現在新書売れ行きトップを驀進
中です。
 北朝鮮の人権問題に詳しい専門家の方々から、『死亡説』が事実かどうかは
本書では確信を持てないが限りなく金正日と北朝鮮の実情に近い内容だと思わ
れる。単なる暴露本ではない。そして、このような書物を執筆し世に問う勇気
は賞賛に値する」と、お褒めの言葉を頂きました。
 担当編集者としては、本の面白さとは足と耳を酷使し取材を重ねた末に得た
驚愕すべき事実をストレートに読者に伝えることにあるのだと改めて再認識し
た次第です。文字が「表現する力」を是非お読み下さい。
                             (M.O.)


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◆  《2》連載企画  ◆
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    >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>□
    ◇ 1)スペシャル対談『オタク/ヤンキーのゆくえ』(全3回) ◇
    ◇    第1回                      ◇
    ◇                  東 浩紀 × 速水健朗◇
    □<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<
 
 8月刊現代新書『リアルのゆくえ〜おたく/オタクはどう生きるか』で大塚
英志さんと“スリリングな”対談を展開した東浩紀さん。
 6月に刊行された『ケータイ小説的。〜“再ヤンキー化”時代の少女たち』
(原書房)で、ケータイ小説が書かれ、読まれる環境を詳細に分析した速水健
朗さん。
 話題の近刊を出した二人が、秋葉原通り魔事件、オタク/ヤンキー文化のゆ
くえ、マスメディアやブログ論壇などの日本の言論空間のいま、など多岐にわ
たる話題について、新しいアイデアも入れながら縦横に語り合いました。
 このスペシャル対談を全3回でお伝えします(この対談は7月29日、講談社
社内で行われました)。 


秋葉原通り魔事件を語ること

速水 まず、6月8日に秋葉原で起きた通り魔事件についてなんですが、僕は
あの事件を「地方と東京」という観点から捉えられないかと考えています。加
藤智大容疑者(1982年生まれ、以下〈1982〜〉)はブログで自分語りを延々と
していたと言われていますよね。
 これは『ケータイ小説的。』のなかでも書きましたが、ケータイ小説を書く
という行為もまた、もともとは彼と別れたとか、レイプされたとか、こんなつ
らいことが起きたといった自分語りです。もちろん誰かからの反応が欲しくて
書いたわけですが、それに対し反応があって、さらに文章を紡いでいくうちに
ケータイ小説と呼ばれるようになった。これは書いている本人にとっても一種
のセラピーになっているわけです。
 しかし加藤容疑者の場合は、書いても癒されなかった。その違いから見えて
くるものは何なのかという疑問もあります。
 まず、この事件に関しては、東さんは当初から、かなり積極的にメディアで
発言されています。そして、東さん自身が発言されていることが、どんどん変
わってきている気がしますが、いかがですか?

東 じつは僕の発言はだんだんとメタ化しているんです。最初に朝日新聞に原
稿を寄せたときは「これはテロだ」ということで、次に産経新聞に寄稿したと
きには「テロに共感している奴らこそ問題だ」と言って、最後に北海道新聞で
は「テロに共感している奴らの問題を考えていくと、それは派遣問題より幅広
い共感を集めているので、労働問題だけではなくもっと抽象的なことに焦点を
当てる必要がある」と書いています。

速水 東さんがこの事件について、メディアに出て語ろうと思ったきっかけは
なんだったのでしょう?

東 まずは今回の事件が「自分に近い」という身体的な実感がありました。僕
自身はいまはあまり秋葉原には行きませんが、事件当日にたまたま行っていた
友人もいる。僕が事件に反応するのは当然だと思った。だからじつは僕(1971
〜)と同世代の知識人、たとえば北田暁大さん(1971〜)あたりも反応すると
思っていたんです。ところが実際には僕世代の人で反応したのは、赤木智弘さ
ん(1975〜)、雨宮処凛さん(1975〜)などのロスジェネ組くらいで、逆にそ
れが意外でした。

速水 この事件が起こったとき、まずやり玉に挙げられるのは、オタクだった
り、アニメやゲームだったりというのは容易に想像つくじゃないですか? だ
から僕は、東さんがそうした予想される安易なバッシングにいかないように、
はじめに「テロ」という言い方をしたのだろうなと思っていました。だけど、
気がつくと派遣問題、ワーキングプアの問題が背景にあるということを語る論
客の先鋒みたいになっていたという印象がありましたね。

東 僕自身は、じつは「今回の事件は派遣の問題です」という言い方はまった
くしていないんです。実際、事件の本質は派遣の問題ではないと思います。加
藤容疑者は収入もある程度あったみたいだし、彼女もいたと言われています。
また、ゲームの影響もたいへんにあやしい。加藤容疑者が書いたと言われる掲
示板の書き込みを読むと、どうも彼には、最初から事件後に言われるであろう
ことを先取りして、特定のゲームを買おうとした形跡があります。そこからさ
らに推測を拡げると、非モテの話も自己演出だった可能性があります。そうし
た情報を総合すると、今回の秋葉原事件は一種の劇場型犯罪というのが適切か
と思いますね。

速水 その掲示板によると、加藤が買ったゲームというのは、『ひぐらしのな
く頃に』と『グランド・セフト・オート』だったそうですが、これはつまり、
「いかにも」なゲームを意図的に買い込んでいたという話ですね。だけど実際
にマスコミで話題になったのは、ダガーナイフ=ドラクエという連想止まりで、
彼が意図したレベルにすら到達できていないという皮肉な結果になっていまし
たが(笑)。

東 『ひぐらしのなく頃に』は登場人物が「刃物」を振り回すゲーム、『グラ
ンド・セフト・オート』は「クルマ」を乗り回して犯罪を犯すゲームですから、
あの書き込みは数日前にちゃんと事件のイメージができていたことを証明して
いる。
 だから秋葉原の事件については、加藤容疑者がかなり再帰的な──つまり、
事件の構想時から、事件後に自分のすがたがどのように類型化されるかを想定
して書き込みをしていた節があるので、ロスジェネ組が考えるような単純な話
にはならないと思います。やっぱりもう少し抽象的な話になると思うんです。
とはいえ、むろん、このような「解釈」は基本的には思い込みでしかない。


「新人類世代がなかなか自分たちの利権を手放さない問題」

東 じつは、先日初めて上野千鶴子さん(1948〜)にお会いする機会がありま
した。そこでちょっとお話をして、愕然としたことがあったんです。というの
は、ご存知のとおり彼女の基本的な哲学というのは、家族でも共同体でも対等
で自由な個人が合わさって作るのが理想ということで、それはそれでいいんで
すが、その文脈で僕がちらりと「最近では若い世代が自由の大きさに耐えかね
ている、という議論もありますが」と話を振ったんですね。そうしたら、「ど
こで?」と言うので秋葉原事件への反応などを例に出したら、「そんなのはあ
なたの印象論でしょ。エビデンスないでしょ」と一蹴されて終わってしまった
(笑)。
 僕はそこに、すごく大きなコミュニケーション・ギャップを感じました。
「自由の大きさに耐えかねて変な問題が起こる」という言説は、確かに印象論
です。しかし、ブログなどを見ていると、あるいは最近の若手論壇人の関心を
追っていると、そんな印象論がある程度大きな共感を呼んでいることも確かで
す。そして、秋葉原事件の問題も明らかにそのような空気と連続した場所で関
心を呼んでいる。しかし、上野さんはその感覚を共有していない。だから秋葉
原事件について話をしても、最初からボタンが掛け違う。たとえば彼女は、加
藤智大を永山則夫(1949〜97、連続射殺事件を起こしたのは1968年)に較べて
いたけれど、僕にはそれは違和感が残る。そして、その違いについて、彼女に
それを理解させるのは無理ではないかもしれないけれども、それはもう僕の仕
事ではないなあ、と思いました。
 秋葉原事件についての話しづらさは、そこらへんに原因があるような気がし
ます。加藤智大が単純に派遣労働の犠牲者だったならば、むしろ問題はわかり
やすい。でも実際には違うのです。おそらく彼は、彼の具体的な人生や状況で
現れた「現実的な苦しみ」というより、「いろいろな可能性がつぶされてしま
った苦しみ」のほうに敏感に反応している。そしてそういう抽象的な苦しみに、
また多くのひとが共感している。そうした感覚はほんとうは普遍的なものなは
ずですが、実際にはある世代にはすっと通じ、別の世代にはまったく通じない
というギャップがある。

速水 東さんも寄稿されていますが、7月に、『アキバ通り魔事件をどう読む
か!?』というムックが刊行されましたね。ここでも加藤容疑者と近い世代の
人の寄稿が少ない気がします。

東 たしかにそうですね。ただ、事件についてのコメントを見ていると、たと
えば宮台真司さん(1959〜)や浅羽通明さん(1959〜)などは、事件そのもの
についてではなく、事件について語ることの意味について語っている気がしま
す。上の世代は事件そのものにはあまり興味がないのかもしれません。

速水 何か、「事件そのものについて語ってはいけないのだ」というようなプ
レッシャーみたいなものがあるんでしょうか。

東 それはさっき言ったとおりですが、加えて論壇側の小さな問題もある気が
します。
 あえてわかりやすい言い方をすると、いまのサブカル論壇には、「新人類世
代がなかなか自分たちの利権を手放さない問題」があるわけです(笑)。新人
類世代は、自分語りをしたり、世代語りをしたり、サブカルについて語るのは
自分たちだけだという自負をもって10年以上やってきた。だから、新しい現象
が現れたときに若手の論客が語ることそのものが気に入らない。でも一方で、
当の現象については、新人類世代は語る気もないし、話を盛り上げる気もない。
その構図も今年に入って徐々に崩れてきているのですが、秋葉原事件もそのエ
アポケットに入ったのかもしれない。

速水 たしかにそのあたりの世代間闘争は、論壇ではなくても、雑誌のライタ
ーの世界でも顕著にありますね。オタク第一世代や新人類世代っていうのは、
コラムニストと呼ばれる世代と重なってます。この人たちは、今でも多くの雑
誌でコラムを書いていて、基本的には専業の物書きとして成立しています。
 だけど、コラムニストっていうのは、この世代にしか存在しないんです。僕
(1973〜)と同世代の団塊ジュニアでコラムニスト的に雑誌の連載中心に食え
ている専業のライターって、辛酸なめ子(1974〜)と吉田豪(1970〜)くらい
しか思いつかない。ここ15年くらい、雑誌の書き手の顔ぶれって、驚くほど変
わってないですよ。雑誌の不況が言われていますけど、そりゃ書き手の顔ぶれ
が変わってないんだから、マンネリになるのも当たり前だろうって(笑)。

加藤容疑者のいた環境

速水 加藤容疑者がオタクなのかそうじゃないのかという議論もありますが、
それについてはどう思いますか? 

東 定義によると思うんだけど、僕は加藤はそれほどオタクではないと思いま
す。

速水 オタクの定義ということで言えば、以前はあるジャンルや作家の作品に
ついて深く掘り下げたり、語り口を見つけていくというのがオタクだったと思
うんですけど、今はコミュニケーションのきっかけのために何かのジャンルや
コンテンツを消費する人たちというように、オタクの定義自体変わってきてい
ますよね。

東 そのとおりですね。最近のオタクは、以前と異なり、コミュニケーション
志向型に変わってきている。その観点からすれば、加藤はコミュニケーション
志向のオタクの輪に入れず孤立化したからこそああした犯罪を犯したのであっ
て、だからオタクじゃないということになる。他方で、もっと古いオタクの定
義を用いても、現実なんか無視して二次元の世界で閉じこもれればああした犯
罪は犯さなかったのだという意見があって、そちらでも加藤はオタクじゃなか
ったということになっている。まあいずれにせよ、加藤はオタクの典型的なイ
メージからはずれるでしょう。
 僕自身はむしろ、この事件に関しては、速水さんが『ケータイ小説的。』で
も取り上げた「ファスト風土」や「郊外」の観点から考えた方が、有意義なん
じゃないかと感じているんです。たとえば加藤容疑者が都心に住み、ネットカ
フェとかで憂さを晴らしていたら同じような事件を起こしたのか。

速水 たしかに加藤容疑者のいた静岡の工場にしてもそうですが、派遣労働者
が転々とする場所は、いわゆる何もない郊外のイメージですね。
 今回の事件で僕がちょっと気になっているのは、最初に述べたように、「地
方と東京」の問題です。もしくは「上京」というキーワードで考えられるんじ
ゃないだろうかって。たとえば先ほど出てきた永山則夫の時代、1960年代の半
ばは中卒の地方青年が「金の卵」と言われ、上京列車でたくさんの人が東京に
出てきた。永山則夫もそのひとりだった。彼の場合は、何もない青森に嫌気が
さして、東京に希望を見出した。
 しかし、加藤容疑者がそうであるように、今は地方から出てきて派遣に登録
されても、地方の工場に行かされて、しかも、必要なくなったら次の工場へと
移動させられる。そうなると、彼女どころか仲間もできない。そして、目の前
には常に同じような何もない風景が広がっていただろうなと予想できます。
 そこから抜け出すある種の希望として、加藤は最後に、静岡から東京へ向か
ったのではないか。秋葉原事件のあとに起きた山口に住む少年が起こしたバス
ジャック事件(7月16日)も名古屋発東京行きでした。これは東京行きではな
いですが2000年に起きた西鉄バスジャック事件も、佐賀から福岡という地方か
ら都市に向かう便だった。
 それと、永山則夫の比較に戻ると、彼の場合も、どの仕事も長く続かず、仕
事を転々としていた。彼は、当時流行していたカウンターカルチャーの周辺に
いて、ジャズ喫茶でバイトをしたり、ビートルズを聴いたりしたんです。また、
永山は横須賀の米軍基地から拳銃を盗み出していますが、これも当時の大藪春
彦の小説『蘇える金狼』の影響でしょう。単に貧困の淵に追いやられて犯罪に
走ったわけではなく、消費文化の影響下に染まっていた若者だったんです。た
だし、ビートルズすらあまり理解できず、当時流行した「骨まで愛して」とい
う演歌が好きだったりと、若者文化の落ちこぼれ組だったようです。いまで言
うなら「ぬるオタ」ですかね。そういう意味では加藤容疑者と永山の消費社会
に対する向き合い方が似ているんじゃないかという気がするんです。

東 その着眼点はおもしろいと思います。ただ、永山が抱えていた東京への憧
れを加藤にも当てはめていいのかは疑問に感じます。いまの話を聞きながら思
ったのが、むしろ、現代に永山則夫がいたら、大学進学率がぜんぜん違うので
おそらく東京のどこかの大学に入り、ひとり暮らしをして、読者のいないかな
りとんちんかんなブログを書いたりしていたのではないか、という気がします。
実際そうした人は大勢いますね。 

速水 僕はやっぱり加藤容疑者が最後に秋葉原に上京しているのが気になって
いるんですね。『ケータイ小説的。』の中で、ケータイ小説とは、東京や東京
への憧れ、上京という概念自体が無い世界だと書いたんです。地元つながりの
中で生きている、地方のヤンキーの世界です。一方で、今の時代の上京像のひ
とつに、加藤容疑者や3月に茨城の土浦で通り魔事件を起こした犯人のケース
があるのではないかと思っています。彼も家出して秋葉原に上京しています。
上京先としての秋葉原のイメージ。1970年代だったら新宿、80年代だったら原
宿、90年代だったら渋谷だった上京、東京のイメージが塗り替えられている。

東 NHKの『ザ☆ネットスター!』という、僕も出演している番組がありま
す。そこで「大阪から秋葉原まで2ちゃんねるで実況しながら歩いていく人」
の話を特集したんです。彼はまだ10代で、確か親に自分を認めさせるためだか
なんだかという動機で、別にオタク系というわけではない。けれどもそのとき
もゴールが秋葉原でした。
 だから僕は、なぜ秋葉原かという問いにあまり意味がないと思っているんで
す。秋葉原はいまや、ネットを通じて東京を知っている人たちにとっては、単
純にいちばん有名な場所になっている。加藤の秋葉原の選択にオタクへの屈折
が表れているのではないか、とマスコミはよく尋ねるのですが、それは深読み
のしすぎですね。

「ニコニコ現実」と新しい劇場型犯罪

速水 たとえば秋葉原では、加藤容疑者の事件のちょっと前に、自称アイドル
の沢本あすかさんが逮捕されるという事件がありましたよね。あれを見ている
と加藤容疑者の事件も沢本あすかさんの一種の模倣犯だという気がします。も
ちろん、彼女の行為は殺人とは本質的に違って、僕自身は全然お尻を出すこと
は、問題ないと思う。だけど、行動の構造には似た部分を見出すことができる。
 というのは、彼女は、自分のブログで「お尻見せます」と予告して、実際に
路上でお尻を見せるというパフォーマンスをして、それを別のブロガーやらカ
メラ小僧が撮ってまたネットに流して広めるという構造をつくりあげていまし
たよね。
 加藤容疑者も沢本あすかさんの事件に異常に反応していたという話もありま
すが、まさにそう考えるとさきほど東さんが言った劇場型犯罪のひとつの典型
であるという気がします。
 劇場型犯罪自体も、以前だったらたとえばグリコ森永事件(1984)にしても、
酒鬼薔薇事件(1997)にしても、マスコミに対して予告状を送りつけて、とい
うのがひとつのパターンだったのが、西鉄バスジャック事件のころからネット
に犯罪予告を書き込むというタイプが出てきた。
 それが今回の加藤の事件や沢本あすかさんの場合もそうだけど、「やります」
という予告から実況までして、さらに犯行現場にも中継する人がたくさんいる
という、秋葉原という状況だからこそ起こった事件という言い方もできるかも
しれない。

東 そういう観点ならばわかりますね。濱野智史さん(1980〜)が「ニコニコ
現実」という言葉を提案しています。ぼくは、あれはいまの世界とメディアの
関係をよく捉えている言葉だと思うんです。僕たちはいまや、現実で誰かと話
している場合も、もしその場面がニコニコ動画で流れているならこの瞬間こん
なツッコミをされるだろうな、ということを想定できるようになり始めている。
秋葉原はそういう感覚にもっとも近い街だったのかもしれない。街中いたると
ころ定点カメラやケータイで写されていて、リアルにネットからツッコミが来
る空間、みたいなイメージですね。
 加藤容疑者にもその感覚はあったと思います。本当は彼は、自分でカメラを
装備して突っ込みたかったのかもしれない。じつは先程話した「ネットスター」
の例でも、秋葉原まで歩く青年は最後に秋葉原に入るとき、NHKのカメラを
拒否して2ちゃんねるを実況媒体として選ぶんです。そうした感覚と加藤の実
況は近いでしょう。
 実際、昨年末から今年前半の秋葉原というのは、「アキバBlog」あたりを見
ると明らかなように、現実でもネットでもかなり盛り上がっていた。それも、
単純に消費の場として盛り上がるというのではなくて、コスプレイヤーが警察
に連行されるなどという事例も増えていた。痛車(いたしゃ)なんかも、停車
してあるとすぐブログにアップされたり。現実の盛り上がりとネットでの盛り
上がりが再帰的に循環し増殖している、独特の感覚はあったのかもしれないで
すね。それは確かに、90年代の渋谷とは性格が違ったでしょう。

速水 この事件の1ヵ月後に、「ニコニコ大会議2008」という、リアルタイム
にイベントをネット中継して、見ている人たちがネットの向こうから突っ込み
を入れるという実験イベントが行われたのは、象徴的という気がします。

いまの言論空間における貧しさ  

東 ただ、いまみたいな「ニコニコ型劇場型犯罪」みたいな話をしようとする
と、やはり世代差が大きな問題になる。たとえば秋葉原について語るにしても、
一定以上の世代にはまず「秋葉原はいまは家電の街ではないんですよ」という
ところから始めなくちゃいけない。

速水 秋葉原という街の印象って、世代によって全然違うんでしょうね。僕の
世代は小学生時代に、80年代に黎明期のパソコンゲームを買いに行った記憶が
強い。その後、僕はパソコン雑誌に勤めたので、ウィンドウズ95の発売なんか
も思い出深い。だけど、実際には、いまパソコンを秋葉原で買うメリットって
無いんです。映画の『電車男』の中では、中谷美紀(エルメス)にとってはパ
ソコンを買いに行く街、電車男(山田孝之)にとっては、フィギュアを買う街
と、違うレイヤーとして秋葉原の街が描かれていて、なるほどと思いました。
 東さんが出演したNHKの事件特集でインタビューを受けていた秋葉原のお
店のおじさんも、「この街も昔は違ったのに」というようなことを語っている
んだけど、その昔って、さらに昔の家電の時代、もしくはもっと前の露天商の
時代の話でしょうね。

東 そうなんですよね。しかし実際には、秋葉原はいまや家電の街でないどこ
ろか、そのあとオタクの街化して、さらにいまは再開発や観光地化でそこから
も変貌している、という順番でしょう。家電の街がオタクの街になってたから
加藤容疑者が惹きつけられたんだ、というのは一回り遅れているんですね。残
念ながら、マスコミでは若者の街と言えばいまでも渋谷。そういう言論空間の
貧しさが、今回の事件で逆説的に明らかになってきた。
 たとえば、事件に関連してゲームの『ひぐらしのなく頃に』が話題に出たと
しても、実際には言論人で『ひぐらし〜』をプレイした人はまずいないだろう
し、興味もないでしょう。もちろんそれはそれでいいんですが、この状況では、
若者世代を理解するためのコストがあまりに高いことも事実です。それは変え
ていく必要がある。
 たとえば先日、『週刊文春』から『ケータイ小説的。』の書評を頼まれたと
き、編集者さんから「中高年の読者にもわかるように書いてください」と頼ま
れました。そこで書評では「中高年の読者にもぜひ手にとってもらいたいと思
う」と書いていますが、しかし、考えてみれば僕はもう37歳。30代って普通
は「中年」だと思いますが、いまのマスコミではまだまだ若造なんですね。し
かし、37歳の人間を若者と思うメディアって、いったいだれを相手にしている
のかと(笑)。秋葉原事件の直後にも、『週刊朝日』が「『若者』に気をつけ
ろ!」という特集をしましたが、そういう特集名を付けるということは、もは
や週刊誌は若者を主要読者と考えていないということだと思うんです。しかし
それでいいのか。
 いずれにせよ、僕自身も、2000年代前半にあまり出版媒体で仕事をしなくな
っていたのは、じつはいま述べたようなコミュニケーション・コストの高さが
原因でした。そういう状況の中で速水さんの『ケータイ小説的。』が出版され
たのは、世代間の情報格差を埋めるという意味でとてもよかったと思います
(笑)。

速水 まあ、今年35歳ですけど、今年はルーキーイヤーとして名前を売ってい
こうと思います。正岡子規や近藤勇やチャーリー・パーカーなんかは、若いう
ちにやることをやって、35歳になる年にはもう死んでたんですけどね(笑)。 
                              (つづく)
┌────────────────────────────────┐
│東 浩紀(あずま ひろき):
│1971年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。哲学者・
│批評家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論
│的、郵便的』(新潮社)、『郵便的不安たち#』(朝日文庫)、
│『動物化するポストモダン〜オタクから見た日本社会』
│ http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1495755
│『ゲーム的リアリズムの誕生〜動物化するポストモダン2』
│ http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1498835
│『文学環境論集 東浩紀コレクションL』
│ http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2836211 
│最新作に大塚英志との対談集
│『リアルのゆくえ〜おたく/オタクはどう生きるか』
│  http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=287957
│渦状言論 http://www.hirokiazuma.com/blog/
└────────────────────────────────┘

┌────────────────────────────────┐
│速水 健朗(はやみず けんろう):
│1973年生まれ。フリーランスライター・編集者。
│コンピュータ雑誌の編集を経てフリーに。音楽、芸能、コンピュータ
│など幅広い分野で執筆活動を行っている。
│著書に『自分探しが止まらない』(ソフトバンク新書)、『タイアッ
│プの歌謡史』(洋泉社新書y)、最新作に『ケータイ小説的。〜“再
│ヤンキー化”時代の少女たち』(原書房)。
│【A面】犬にかぶらせろ! http://www.hayamiz.jp/
└────────────────────────────────┘

    ・────────────────────────────・

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆
    ◆ 2)『本気で考える池田屋事件』第18回 ◆
    ◆                中村武生◆
    ◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 

 文久3年(1863)の八月十八日政変の結果、京都の長州勢力は七卿をともな
って西下する(七卿落)。19日、毛利讃岐守(元純)、吉川(きっかわ)監物
(経幹)、益田右衛門介らのひきいる2000名あまりが妙法院を出発。伏見(現
京都市)・郡山(現大阪府茨木市)・芥川(現大阪府高槻市)・西宮(現兵庫県西
宮市)をへて、21日に兵庫についた。
 同日、湊川ちかくの楠木正成の墓参を行う。当時、ここには水戸光圀が建立
した「嗚呼忠臣楠子之墓」の墓標が存在していた。
 妙法院を出発する際、肥後出身で御親兵の宮部鼎蔵は、七卿のひとり、三条
実美の命をうけ、洛中へもどり軍資金調達の活動をしていた。
 本稿ではこれが宮部鼎蔵の初めての登場である。一般に、池田屋事件犠牲者
のなかで最も大物とされる人物である。
 その宮部が一行に追いつき、楠木正成の墓前で合流した。
 ここで七卿は「義兵を挙ぐるの檄」を草して宮部に託し、阿波国(現徳島県)
の大名蜂須賀家へもたらすことを命じた。追いついたばかりの宮部だが、七卿
らと別れ、また出立する。
 「義兵を挙ぐるの檄」、あいかわらず小難しい文章だが、大事なものだし短
いので、原文を掲げておく。

【原文】
 中興之大業向成之所、奸賊狂妄奉悩宸襟候事不堪憤激。一同西国へ罷下挙義
兵候順逆者顕然に付有志之者一旦長州へ馳集候様可致仍て如件
                                                          (七卿連署)

 国々有志之者へ

【現代語訳】
「中興の大業」の実現を進めていたところ、奸賊が狂妄し(八月十八日政変の
こと)、天皇の心〔宸襟〕を悩ませている。(われわれは)憤激にたえない。わ
れわれ一同は西国へくだって正義のための挙兵を行うことにした。何が正し
くて何が誤っているかははっきりしているので、有志の者は長州へ集まるべ
し。以上のべたとおりである。
                                                          (七卿連署)
 諸国の有志の者へ

 大事なところは、「義兵」を前提に七卿の西下(七卿落)がなされていること、
そのための人員がいるため募兵されているという点である。
 七卿の動きをあとまわしにして、宮部の動きをみておこう。
 宮部が船で阿波徳島についたのは8月23日である。翌24日、蜂須賀家の老臣
蜂須賀駿河と徳島の慈光寺で会談。25日、さきほどの「檄文」と三条実美から
の直書を手渡した。当時、蜂須賀家の世子(次期当主)淡路守が在京していたが、
政変の詳しい情報がまだ届けられていなかった。ゆえに宮部がのぞむような返
事は得られないまま、9月4日、徳島を離れる。
 伊予国(現愛媛県)の小松藩に立ち寄って四国の情勢を探ったのち、14日今治
から乗船。15日安芸の玖波(現広島県大竹市)に入港し、陸路を七卿のいる周防
三田尻(現山口県防府市)へ向かい、18日、復命した。
 次回は七卿の動向を詳述する。
(【参考文献】末松謙澄『修訂防長回天史』5、マツノ書店復刻版、1991年)

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│中村武生:京都に住んで、京都を主なフィールドとするフリーの歴史地理
│研究者。1967年、島根県大田市生まれ。佛教大学文学部史学科卒業。同大
│学大学院文学部研究博士課程前期(日本史学)修了。佛教大学、天理大 
│学、大谷大学、同志社大学、京都女子大学の非常勤講師や、京都文化セン
│ター、京都おこしやす大学、中日文化センター、朝日カルチャーセンター
│などの講師をつとめる。著書に『御土居堀ものがたり』(京都新聞出版セ 
│ンター)。                            
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  □3)『夢の男―やさしさの豊かさ―』            ■
  ■        第2回 「夢の女からの撤退」        □  
  □                       信田さよ子  ■ 
  =============================================================

 本連載の表題になっている「夢の男」とは、ありそうでなさそうな言葉だ。
女性学者の水田宗子さんが最初に使われたと聞いている。実は、私淑している
研究者がこの言葉を映画評で使っているのを読んで、ひとめで惹かれてしまっ
たのだ。夢の男にではなく、「夢の男」という言葉にである。理想の男性でも、
好みの男でもなく、タイプな男でもない。まさに、夢の男でなくてはならなか
った。
 現実と夢、失望と夢、挫折と夢……私たちが夢という言葉に託しているもの
はなんだろう。はかないを漢字にすればにんべんに夢と書く。そう、夢の男と
はこのうえなくはかない存在なのだ。しかし、はかなさゆえにそれを希求する
欲望は純化され、いったん想像力の世界で培養されて再び私たちの五感の世界
に舞い降りてくる。
 ひらがなで書いてみよう、「ゆめのおとこ」と。なんてやわらかで、馥郁
(ふくいく)とした字形だろう。そしてどこかうっとりする語感ではないだろ
うか。

文学にみる夢の女

 では、目を転じて夢の女はどうだろう。女にとっての夢の男と、男にとって
の夢の女。この両者を並べてみると、どうも対称的とは思えない。夢の女とは、
どこか使い古されて、もう絶滅してしまった気配すら漂わせているからだ。
 明治時代以降、多くの文学者たちが、それこそ夏目漱石や森鴎外、いや二葉
亭四迷も含めて、夢の女らしきものを描いてきた。たとえ、それが貧困を生き、
時には体を売ることになった女性であったとしても、だからこそいっそう夢の
女が際立つこともあった。
 明治時代の日本にあって、近代国家の基礎を担うことになったのが家族であ
った。明治31年に制定された明治民法は、家父長制の基礎を形成することにな
り、いわゆる日本における近代家族のスタートを法的に基礎づけることとなっ
た。
 と、ここまで書いてきて、読者はいったいカウンセラーの私がなんでそんな
ことを? といぶかしく思われるかもしれない。焦らないでいただきたい。そ
れはひとえに、極私的なポスト還暦(ポスカン)女性のささやかな告白に必要
な前提としてである。

 私たちは、物心ついてから、どのように女性としての自己像を形成してきた
のだろうか。もちろん、精神分析的な意味あいから、自らの母親像を否定的に
取り込むといったことも含めてである。私の場合は、一番手っ取り早いのが、
望ましい男性たち(知的に尊敬できる)がどのように夢の女を描くかを読み、そ
れに自分の姿を近づけようと努力することだった。その場合のテクストが、日
本文学全集、世界文学全集に登場する男性作家によって描かれたさまざまな女
性像であった。
 たとえば、夏目漱石の「三四郎」に登場する美彌子、有島武郎の「或る女」
の葉子、昭和39年の芥川賞受賞作「されどわれらが日々―」(柴田翔)に登場
する節子などである。
 当時の私に、これが男性作家によるものだ、などというジェンダー意識など
あるはずもなかった。だって、フェミニズムのフェの字も、ジェンダーのジェ
の字もこの世に存在しなかったからだ。

小悪魔的?

 文学者は尊敬すべきという素朴な文学少女だった私は、彼女たちの姿をイメ
ージして、なんとかそんな女性になってみたいものだと思っていた。それは裏
返せば、文学的センスに満ちた男性をゲットし、モテ系の女になれるかもしれ
ないという望みの表れであったことは間違いない。上述の3人の女性は、いず
れも近代的自己、つまり自我意識を明瞭に持って、それゆえに悲劇的な人生を
送るという点では共通している。そんな女性になりたいものだと、たぶん当時
は思っていたのだろう。自我理想とそれを呼べば、男性文学者の目をとおして
それを形成した時期が確かにあったと思う。彼らの描くいい女、夢の女らしき
姿を内面化することで、少なくとも青春の一時期私は女性としての自己像を演
じようとしてきた。今や、死語となった小悪魔的という形容詞があるが、言っ
てみれば、ちょっと知的でこじゃれた小悪魔的女になりたがっていたのだ。そ
んな試みに、私はどうも成功したとは思えない。なぜなら、まったくモテなか
ったからだ。むしろ、男性文学者の目を深く内面化してしまった私は、彼らの
描く夢の女に近い同性に目を奪われることのほうが多かった。

二人の女子高生

 高校時代の私の友人の何人かは、そんな存在だった。今でも彼女たちの姿を
ありありと思い出すことができる。
 そのうちのひとりは、唇の脇に小さなほくろがあり、いつも挑むような目つ
きで校庭の片隅でひとりたたずんでいた。山奥の渓流近くのバンガローに部活
の合宿で行ったときなど、ある上級生の男子にぴったりとくっつき、奇矯な行
動で彼を振り回すのだった。そのくせ、転んだり、焚火でやけどをして、ひど
く脆い様子を見せた。私は彼女の行動に釘づけになり、獲物として狙いを定め
た彼がみるみるうちに目前で虜になっていくさまをつぶさに見た。

 もうひとりは、制服から胸のふくらみが溢れそうな上級生だったが、ハイト
ーンな声をいつも半分押し殺したような発音をするのだった。その胸苦しい声
は私の知らない成熟を予感させ、彼女に呼ばれると、私はまるで奴隷になった
ようで、英単語の本や文法の問題の答えなどを言われるままに彼女のノートか
ら書き写したのだ。父親を早くに亡くした彼女は、物理の中年教師にあこがれ
ていた。そして、テストの折、わざわざ指を傷付け、その血で答案用紙の裏に
「永遠」の二文字を書きつけた。今から思えば、どこか芝居がかった自己陶酔
的行為と思えるのだが、当時の私はまるで小説の世界に登場するような同性た
ちに強く惹かれていた。

モテ系の変遷

 ケータイ小説がベストセラーになり、続々と映画化やテレビドラマ化されて
いる。そこではリストカットはそれほど珍しい光景ではない。中高生において、
男女を問わず、リスカは一種の流行というより通過儀礼に近い行為として定着
したかにみえる。私の目からは、遠い昔の60年代末の小悪魔的でエキセント
リックなあれらの女子高生と、現代のリスカする女子高生が奇妙に重なって見
える。セックスに対するハードルの高さを除けば、彼女たちの行為を規定して
いる他者からの視線、内面化されたモテ系女子の規範は同じではないかと思え
るからだ。

 お隣の韓国に目を転じてみよう。韓国映画のラブコメ、日本でもテレビドラ
マ化された「猟奇的な彼女」(クァク・ジェヨン監督、2001)を例にとる。主
人公の女性は、冒頭からプチ暴力的でエキセントリック、がばがば酒を飲み泥
酔しながら登場する。もちろん、チョン・ジヒョンというトップ女優が演じる
のだから美人に決まっている。この気性の激しさと裏側に潜む脆さは、まるで
60年代末に私がそうなろうと努力した日本の男性文学者によって造形された
「夢の女」そのままではないか。同類の女性を主人公とする韓国のラブコメ映
画は他にもいくつか見られ、いずれもヒットした。一見女性の自我意識を称揚
するかにみえて、重要な場面では必ず脆さを晒し悲劇的末路に至ることで、最
後は男性がうま味のある役どころとして登場して幕となる。40年余りの時を経
ても変わらない夢の女を、韓国映画の画面に見ながらそれでも楽しんでしまう
私である。

ポスカンだからできること

 高校時代、内面化された男性文学者の夢の女にもなれず、その後いくつかの
夢の女になろうと試みながら、青春時代の私はすっかり疲れてしまった。なぜ
そんなことを試みたかといえば、前回も書いたようにRLI(ロマンティックラ
ブイデオロギー)に頭のてっぺんからつま先までを染め上げられていたからだ。
愛と性と結婚の三位一体、それが愛することの成就であり、それは可能である
という信仰を疑いもなく持ち続けていたからだ。そのためには、愛される女性
になること、それは男性の視線を内面化して夢の女を演じることだった。
 結婚という制度における男性のダブルスタンダードを維持するために、RLI
が実に都合のいい信仰であることに気付かされるのは、たいてい手遅れになっ
てからだ。経済力がないでしょ? というひとことで、結婚から足抜けできな
いことを嘆く女性のいかに多いことか。21世紀になってからもそれは変わらな
い。

 時は流れ、多くの男性たちの夢の女の範疇から大きく外れる年齢=ポスカン
を迎えることになった。渡辺淳一の「失楽園」の女主人公凛子の年齢が37歳、
桐野夏生の「東京島」の女主人公清子が46歳だ。私のような60代の女性が夢
の女として登場する小説はほとんどない。中村真一郎の「四重奏」は例外的作
品だ。
 もう男性からの視線や期待はない。それは若さの喪失であり、性的視線から
解放されることかもしれない。しかし、喪失によって得るものはある。今こそ、
私たちにとっての「夢の男」を語れるからだ。それは、決してオヤジたちが悪
あがき的に自称している「カレセン」などではない。内面化された男性の期待
や視線の残滓(ざんし)は認めるものの、やっと手に入れた位置、見る主体と
しての私から「夢の男」を語ることにしよう。

                              (つづく)

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│信田さよ子(のぶた・さよこ)
│1946年生まれ。臨床心理士。原宿カウンセリングセンター所長。お茶の
│水女子大学大学院修士課程修了。アルコール依存症、摂食障害、ドメスティ
│ック・バイオレンス、子どもの虐待に悩む本人やその家族へのカウンセリン
│グを行っている。
│著書に『アダルト・チルドレンという物語』(文春文庫)、『愛しすぎる家族
│が壊れるとき』(岩波書店)、『カウンセリングで何ができるか』(大月書店)、
│『加害者は変われるか?――DVと虐待をみつめながら』(筑摩書房)、『虐
│待という迷宮』『母が重くてたまらない――墓守娘の嘆き』(春秋社)などが
│ある。                           
└───────────────────────────────────┘ 

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次回は9月18日、配信予定です。
ご意見、ご感想などはingen@kodansha.co.jpまでお願いいたします。

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