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< 死産(2) 医療者にもたらしたもの | メイン | 生命と性と人間とを思う >
2007.10.26 17:17 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 6

妊娠可能な日は何故1日だけなのか

日頃、不妊患者さんたちと向き合っていると、思うことがあります。

何故、妊娠可能な日は、ひと月のうち1日しかないのでしょうか。

また、精子は毎日1億個くらい作られるのに対して、

卵子は、胎児の時に500万個くらい作られて、後は減る一方で

新しく作られることはありません。

子孫の産生、という観点から考えても、

女性側・卵子側のしくみは、なんとも不合理にてきているように感じます。

もし女性も毎日妊娠可能であったら、不妊に悩む患者さんは激減するのではないか。

そんなことを考えます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

20世紀初頭のお話です。

オランダやベルギーはカソリックの国なので、人工妊娠中絶は許されておらず、

子供がほしくない場合は、禁欲以外に方法はありませんでした。

同じ頃、ドイツの学者が、排卵日や受胎期を推定する学説を説き、

この学説に従って、ひと月のうちの限られた数日だけ避妊すればよい、という禁欲法が

急激に広まりました。

ヨーロッパのみならず、アメリカ、インド、オーストラリアにまで広がります。

しかし、カソリックの牧師さんたちは、この禁欲法は意識的には明らかに避妊である、と

宗教上の立場から、大反対します。

一方の産婦人科学者たちも、決して譲ろうとしません。

1年近く激論が続いた後、この論争の決着はローマ法王庁に持ち込まれます。

「器具や薬品を用いず、神の定めた人間の身体の法則に従うことは、

決して神の意思には反しない。

もし神がこれを嫌うとするならば、神は何故人間に不妊期を与えたのだろうか」

これが、ローマ法王の判決でした。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

人間が、種の保存・子孫の産生のためだけにできていないということを

再認識するお話です。

産婦人科医をしていると、

生命や性、あるいは人間について、思いを馳せることがあります。

これも、産婦人科医の特権と思っています。

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コメント

コメント一覧

卵子が毎月1つ排卵されるしくみも、不思議で不思議でしょうがありません。
卵巣に、たくさん卵子の細胞があるのに、どうしてそんなうまく主席卵胞(だったかな?)が育って、排卵されるのかなぁと。
written by さまようSE / 2007.10.26 18:00
こんなことを考えたことがあります。

本来子孫を残すのに、男性は必要ありませんでした。
女性だけで十分だったのです。
それは、最近の科学でも証明されました。

ところが、この方法は異常に効率が悪いだけでなく女性の寿命をちじめるため、合理化が必要な命題となっていったのです。
それを媒介するキセイチュウの存在が必要になったのです。
それが男性です。
このキセイチュウは満月の日だけオオカミになって
女性による単生殖を刺激、補助する形態が主流となり始めました。そして、このシステムは意外な副作用として現れ始めました。
なんと、オオカミが女性を刺激する日に熟成された卵子を準備することで、女性の寿命が延びることがわかってきました。

以上が、月1度、卵子を作るメカニズムと受精のメカニズムです。

・・・・

うそです。

なーんちゃって!

by ふろっぐジャック
written by Atsullow-s caffee / 2007.10.26 18:24
確かに、そうですね。
考えた事ありませんでした(^^)

人間が進化の過程で、個体数が増えすぎないように、そうなったのか、それとも妊娠という危険を負わせないようにそうなったのか、考えると神秘的ですね。

なな先生の記事には、本当色んな事を考えさせれます。

written by メタボ / 2007.10.26 18:47
なな先生もかわいい赤ちゃん持てるといいですね。
でも、父親になる人にもよりますか。w
でも、卵子に到達する精子はものすごい競争を勝ち抜いて到達するわけですから、やはり、生まれてくる生命というのは大切ですね。
written by J / 2007.10.27 00:31
> 妊娠可能な日は、ひと月のうち1日しかない

卵子の寿命は1日だから、卵子基準なら「ひと月のうち1日」ですが、
精子のほうは胎内に入ってから3日間くらい生きており、
  避妊の禁欲期間は1日では足りない
と聞きましたが。
written by YUNYUN / 2007.10.27 01:56
卵子受精の瞬間、大爆発でも起きたかのように電気力学的現象が見られ、一瞬パッと光が放たれ、まさにそれは宇宙創造の開始、ビックバンのようであると、以前に本で読んだことがあります。

人間一人の生命の誕生は、まさに宇宙の誕生に等しい、神秘的な出来事なのですね。

そう思うと、一人ひとりの命の尊さを感じます。
written by chibitama / 2007.10.27 15:51
さまようSEさん、こんにちは。

そう、未だに主席卵胞のみが育つメカニズムはわかっていないのだそうです。
何らかの機序でFSHやインヒビンに対する感受性に差が出て、
そして大きさが違ってくるとか、こないとか(笑)。

よくわからないけれど、とても精巧にできている小さな小さな生命現象に
いとおしさを感じます。
written by なな / 2007.10.27 15:57
Atsullow-s caffeさん、こんにちは。

うふふ、素敵なロマンですね(笑)
科学者らしいロマンと、
女性と生命を守るため、という人間味あふれる発想に
うっとりしてしまいます。

是非、研究領域でも我々医者たちをリードして下さい。
written by なな / 2007.10.27 16:01
メタボさん、こんにちは。

妊娠のリスク、ですか。
う~ん、普段口酸っぱくして妊娠・出産のリスクを説いているくせに、
ここに考えが及びませんでした!
種の保存に不利だけれども、人間にとってはそれよりも性の営みが優先されるのか、と思う程度でした。

まだまだ、いろんなことを考える必要がありそうです(笑)
written by なな / 2007.10.27 16:04
Jさん、こんにちは。

一人の人が産生するのは
卵子が500万個、
精子が2兆個だそうです。
つまり500万分の一×2兆分の一!
すごいことですね。
written by なな / 2007.10.27 16:06
YUNYUNさん、こんにちは。

必要な避妊期間に関しては、先生のおっしゃる通りです。
皆様、お間違いのないよう。

>卵子基準
法曹らしい単語です(笑)!
written by なな / 2007.10.27 16:07
chibitamaさん、こんにちは。

> 光が放たれる
わあ~、そうなんですね。
これも神秘的、夢があります。

受精の瞬間の顕微鏡映像は、見たことがあります。
一個のきらきらとした卵子に多数の精子が群がって、
そのうちの一個だけが、卵子の膜を破って中に入っていく瞬間です。

思えば、ものすごい競争率のセレクションの結果、
一人一人が存在するのですね。
written by なな / 2007.10.27 16:10
本当に毎回 味わい深い提議です。

多面的な見方があるでしょうが、見方によっては 妊娠は結果であって 目的ではないのかも知れません。
それが目的化したところに幸と不幸と不可思議があります。
男女の営みは 物質的に満たされた現在 聖なるものと言うより 楽しむものなのでしょう。

性愛は愛の交換かも知れません。 究極の愛 それが性愛なのでしょう。

不純化する必要はありません。 だから神は不妊期間を作ったのでしょう。

そう考えると性愛の結果 不妊であるのは 神の意に反しているのでしょう。
何かがすれ違っています。

不妊の結果の離婚を背徳とするなら 神は その人にとって邪神です。

でも 邪神がいるから 俗世は面白いのです。

男女がいる限り 深い問題ですが 宗教が絡むと わき道に逸れます。
written by 犬と猿 / 2007.10.27 17:29
犬と猿さん、こんにちは。

このブログは、コメントの深遠さ、素晴しさが
特徴であり、自慢であると常々思っていました。

今回のコメント、圧巻です。

この記事を書いた動機は、冒頭に挙げた通り
「赤ちゃんがほしい人がいるのに、種の保存という意味でも合目的的なのに、
何故、妊娠できるのはひと月のうち1日だけなのだろう」
ということでした。
この答えのヒントを与えて下さると同時に、
性愛の意味を教えて下さり、そして、邪神の存在に気づかせて下さいました。
今までも何度か書いて来ましたが、
産婦人科医になってから、新生児・胎児の死を繰り返し目の当たりにして
「神様はいない」と思うようになってしまいました。
でも本当は、神様がいないのではなく、邪神が存在するからだったのかも知れません。

今回のコメントを拝読して、
日々の業務に忙殺されながら、生命や性についても考えることを怠らずにいて
よかったと思いました。
ありがとうございました。
written by なな / 2007.10.28 08:27
ちょっと話しは、ずれますが・・・
カソリックでは神父自身には直系の子孫がいないことになります。
いなくても跡継ぎは欲しい、それが人間の情。
それで兄弟姉妹の子供(甥:nephew)を跡継ぎにしがちになります。
nepotism(ネポティズム:縁故採用or情実or癒着)という言葉が生まれました。
男色も案外ある。

あるところで抑えても、どこかで無理が生じる。
人間余り無理をするものではなく理を伴う自然が一番です・・・性愛も含めて。
written by psq / 2007.10.28 09:05
psqさん、こんにちは。

人間の情が窺える、趣深いお話です。
自然が一番、本当にそうですね。
しかし「理を伴う」というこの部分を守れないと
物事がねじれてくるのでしょうか。
ふと我が身を省みます。
written by なな / 2007.10.29 01:07
卵子は一つ、精子は一億。
人間社会にたとえると、卵子は選りすぐりのエリート、精子は厳しい競争を勝ち抜いた叩き上げ。
受精はこの相反しそうな2つの要素が同時に満たされたものが次の生命という、素晴らしいバランス感覚なのではないかと思うのです。
決して不公平ではなく、これがそれぞれに課せられた役割なんだ、と。
しかし隣の芝は青く見えてしまうのも常です。現状のシステムに満足させない、常に改革を求められている。これも素晴らしいバランスの上で生命誕生が成り立っている証拠だと思うのです。
written by bg / 2007.10.30 15:56
bgさん、こんにちは。

前向きで、趣深い考え方ですね。
頂戴するコメントに感じ入ることの多いブログですが、
今回もまた、新しい視点を教えて頂きました。

常に改革というか、進歩を求める姿勢は
我々科学者は、いつも念頭に置くべきことですが、
科学者のみならず、生命全てに言えることだったのかも知れませんね。

コメントありがとうございました。
written by なな / 2007.10.31 08:17
荻野式というのは、元々、子供を授かりたいと言う人の希望を叶えるために、荻野先生が発見した月経周期の研究の賜物です。

荻野式以外の避妊法がキチンとある時代にさえ、荻野先生が心配されていたように、キチンとできない不届き者が多いことを、荻野先生は終生悲しまれておられたようです。

昔、産科を考えたことがありました、DeliveryとAbortionのギャップを自分の頭の中で整合性を保つことができないだろうと断念しています。
医療というものを生きるために使ってもらえるのか、生かさないために使わされるのかの違いです。

今も、考えるだけで、頭が混乱しそうです。。。。
written by Med_Law / 2007.10.31 16:35
Med_Lawさん、こんにちは。

「”オギノ式”乱用者に告ぐ」にも、
「産科学の発端として、受胎の神秘にせまろうとしたものではあるが、
決して避妊法の研究ではなかった」
とあります。
だから、””が着いているのでしょうね。

>生きるために使ってもらえるのか、生かさないために使わされるのか

産科医療が孕んでいる、恐らく消えることのない、矛盾ではないかと思います。
先生のおっしゃる通り、考えると頭が混乱します(笑)。
written by なな / 2007.11.01 18:32
はじめまして。2004年9月に結婚8年目42歳でに奇跡の自然妊娠で元気な男児を出産しました。(3歳のやんちゃ坊主に成長しました。)2000年に1度だけ体外受精をやって撃沈。もう一切の治療も止めて基礎体温も測らず、での妊娠でした。つわりもむくみもなくただ私に腸の持病もあることも鑑み37Wで予定帝王切開で2868gで出産しました。ななさんの「たった1日だけ」のお話を読んであらためて息子に「生まれてくれてありがとう」の気持ちで一杯になりました。子供を授かることはやはり神様の領域なのかもしれませんね。
written by kei / 2007.11.05 23:09
keiさん、こんにちは。

「生まれてくれてありがとう」
心温まる言葉です。
このように考えると、私たちもみんな
「たった1日」に選ばれた、貴重な存在なのですよね。
生命と健康を大切にしよう、という気持ちになれます。
written by なな / 2007.11.06 15:11
こんにちは。

深遠なコメントが続いた後、あえて無粋な話を(^-^;

まずND的・利己的遺伝子的観点からは、「種の保存に有利」 とかいう切り口はまず却下っす!

私の勝手な理解つか想像ですが、排卵のプロセス (卵細胞の育成だけでなく、子宮内壁の肥厚その他着床に必要な環境の構築) が、ものすごく♀の個体にとって物理的な負担が大きいから、ではないかと思っています。

発情期の限定という「機能」は、特に厳しい環境に生きる動物にとって、子育てに適した季節の出産という時点から逆算した時期に発情できるかどうか、に大きな淘汰圧が掛かってきた結果、実装されたものであるが、
そういう環境的な要因がなくなって(なくすことができるようになって)、発情期の限定が生殖におけるメリットではなくなった後なら、無限とはいかなくてももっと大量に排卵できてもいいはずではないか。
それを許さない最後の律速要因が、♀の体内における物理的な限界。
それが、準備期間を1か月かけて、寿命が1日の卵細胞を1個生み出すのが一杯一杯、という結果なのではないかと。

いえ、単に、月経が月2回とか3回とか来るようになったら、大多数の女性の体がまずもたないんじゃないか、という発想からのこじつけみたいなものですが。。。
written by fuka_fuka / 2007.11.15 19:20
fuka_fukaさん、こんにちは。ようこそ。
素晴しい発想と思いながら、コメントを拝読しました。

> ものすごく♀の個体にとって物理的な負担が大きいから、ではないかと思っています。

私も、この通りではないかと思います。
女性の身体内では、1ヶ月の間にホルモンが劇的に変動します。
その変動には、ひと月くらいかけないと身体が対応できないかも知れません。
しかしもしそうだとすると、種として進化すると
これだけ複雑な構造をもったヒトという腫でありながら
ひと月に2,3回生殖のチャンスを持つ型になって行くのでしょうか。
なんだか、想像しにくいですね。
written by なな / 2007.11.17 00:49

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