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< 産婦人科医の特権 | メイン | 死産(2) 医療者にもたらしたもの >
2007.10.13 21:21 |  診療  |  なな  | 推薦数 : 12

死産(1) ケアについて

第一子を死産された妊婦さん・あかりさん(仮名)が、

無事2人目の赤ちゃんをお産されました。

様々な局面を乗り越えての、新しい生命の誕生でした。

 

第一子のお産のことを、思い出します。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

その日は、休日でした。

たまたま病棟に来ていたら、

妊娠31週の妊婦さんが、出血と腹痛でご来院されました。

見た瞬間わかる、常位胎盤早期剥離でした。

多量の出血があり、お腹はガチガチで、

胎児心拍は、今にも止まりそうな速度になっていました。

 

来院からわずか17分で児娩出という、超緊急帝王切開でしたが、

赤ちゃんを出した時には、既に心拍が無くなっていました。

 

震える手で手術を終え、外で待っているご主人にお話しをしに向かうと、

誰もいない待合室で、

赤ちゃんを胸に抱いて、頬を寄せ、

男泣きに泣き崩れるご主人の姿がありました。

 

死産・流産を体験された妊婦さんには、慎重な心のケアが必要です。

まずは、赤ちゃんを失ったという身を切られるような現実を

受け入れる作業から始めなければなりません。

また、心配する身内や医療従事者から言われがちな

「早く忘れられるといいね」という言葉に、深く傷つきます。

亡くなった赤ちゃんを、忘れられない大切な存在として、

尊重していく必要があります。

 

赤ちゃんの亡骸は、あかりさんの入院する個室に、

何日か一緒にいました。

あかりさんに抱かれ、ご主人にかわいがられ、

着替えやオムツ交換をしていました。

私も、回診に行くと、りょうちゃんと名づけられたその赤ちゃんに、

まずは呼びかけることから始めました。

 

「喪の過程」という言葉があります。

大切な人を失った時に、その人を失ったという事実を受け入れるために必要な心的段階のことです。

例えばお葬式は、喪の過程を踏むための儀式です。

 

それまで健診の度に撮ってきた、赤ちゃんのエコー写真が何枚もあります。

少し落ちついたところで、赤ちゃんの写真をアルバムにする作業をしました。

「りょうちゃんのことを思いながら、メッセージをあちこちに入れて、

 あかりさんが作れる限りの、最高のアルバムを作りましょう」

小さな花や哺乳びんのイラストをあちこちに入れ、吹きだしのメッセージを書き入れます。

「この日は、パパも一緒にエコーを見ました」

「”体重がペースオーバーです”とママが言われていても、りょうちゃんはお腹の中で暴れてました」

あかりさんの喪の過程は、アルバム作りと、メッセージを綴ることでした。

 

最初は、なかなか泣くこと=悲しみの表出をしてくれないので心配していましたが、

あかりさんの叔母様が

「今は、泣くべき時でしょう?!」と言って下さったそうです。

周囲からのサポートもまた、なくてはならない大切なものでした。

 

悲しみの急性期が過ぎると、今度はあかりさんの頭を

「何故、あんなことになったのだろう」という思いが占拠します。

知的なあかりさんは、原因を考えようと、あらゆる本を読みあさりました。

外来に、産婦人科の専門書を持って来ては、

研修医顔負けの質問を、バンバン聞いて来ます。

しかし、常位胎盤早期剥離は、元々原因不明のものがほとんどですし、

あかりさんの場合もそうでした。

それ故、見つからない原因を探して、

「胎児手術をすれば、りょうは助かったのでしょうか」

という方向に行ってしまうこともありました。

 こんな時、我々医療者は、決して正しい知識を教えようとしてはなりません。

「胎児手術をすれば、助かったかも知れない」

そう思わずにはいられないあかりさんを、そのまま受け止めるのが望ましいケアです。

このようなケアはなかなか難しいのですが、

優秀なうちのスタッフたちは皆、きちんとこのあたりを心得ていました。

 

真の意味であかりさんが立ち直るのは、

いつまでも不可能なのかも知れません。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

2人目の妊娠が発覚してからも、

あかりさんは、度々押しつぶされそうになる不安に、勝ちました。

いえ、勝ってなかったかも知れません。

負けた状態に耐えながら、長期入院をしたまま

あかりさんの心は、お産の日まで持ちこたえてくれました。

 

 

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コメント

コメント一覧

このように尊いお気持ちをお持ちの妊婦さんがほとんどなのに、一部の方の振る舞いで「野良妊婦」なる言葉がささやかれたりするのは、とても悲しいです。
written by rinzaru / 2007.10.13 23:27
10ヶ月というのは、本当に長い時間のように思われます。
2人目を無事、御出産されてよかった。
そのお子さんが、すこやかにお育ちになることを祈っています。
written by J / 2007.10.13 23:54
こんにちは
もうすぐ出産の妊婦です。
読んでいて 途中涙で 文字が分からなくなるほどでした。

出産は二回目です
二回目の今回は 生と死は紙一重だという想いが強くあり
夫にもお兄ちゃんにも 『もしものときは頼むね』と伝えています
私が死んだ場合のイメージは出来ても  赤ちゃんの場合のイメージはどうしても出来ません。避けてしまいます…。

子供に死なれた親の悲しみは 決して乗り越えられるものではないと思います。
自分がお墓に入るまで その悲しみは減る事はないんだと思います。
でも なな先生の記事を読んで 乗り越えられなくても 背負ったまま生きていく強さは培っていけるんだと思いました

あかりさんは 強い、いいお母さんになると思います。
上手くいえませんが…。
written by kiki / 2007.10.13 23:59
先生のご専門、心のケア。このシリーズを楽しみにしています。
このブログを読まなければ他科医師が考えることすらなかった世界です。そういう意味でも【ななのつぶやき】に出会えて良かったと思います。
written by Tai-chan / 2007.10.14 04:38
わたしは、くも膜下出血で愛する母親を失いました。
失う可能性など1%も考えずに毎日、仕事に明け暮れていました。
本来、家族の重要性など考えたこともありませんでした。
突然現れた喪の課程
5年間は涙が止まりませんでした。
それから、8年経った今も変わりません。
家族の重要性、命の価値を説くことはわたしのブログの一つのテーマですが、
「そうすることによって救われたい」と思う、喪の課程なのかもしれない
と想いながら、このエントリーを読みました。

うぃっと君の死。。。。
そんなことになったら・・・・

この地上にわたしが存在する意味を失うでしょう。
written by Atsullow-s caffee / 2007.10.14 05:43
待ちに待った最初の妊娠は初期の流産で終わりを告げました。
まだ、誰にも妊娠を告げていませんでした。
職業柄、こんなのよくあること、と自分に思いこませようとしました。
私の身体がちゃんと整っていなかったせいだ、と自分を責めもしました。
私以外誰にも存在を知られず逝ってしまった、私にとっては大事な我が子を思って涙がとまらず、
また、周囲の妊娠に対して素直に喜べず、ひねくれた気分になってしまう私が取り残されました。

次の妊娠でも、生まれるまで、もし今胎児死亡が起こったら?と考えただけでも涙がとまらなくなり、ということが何度もありました。

無事に生児を得て、やっと喪の過程が終わったように感じます。

初期の流産ですらこうなのですから、中期、後期の死産の哀しみの深さ、想像するだけで辛いです。

あかりさんが受けられたケア素晴らしいです。

まだ、病院で働いていた10数年前、そこにはそんなケアは存在せず、私もまたそんな知識を知ろうともしておらず、お母さんに我が子をいっぱい抱っこして過ごさせてあげられなかったことを今悔いています。
written by ちいまめ / 2007.10.14 08:08
rinzaruさん、こんにちは。
おっしゃる通り、このあかりさんのような妊婦さんが実際はほとんどなのですが、
未妊健の妊婦さんが存在するのも、また事実です。
その、不思議なほどのちがいは、どこから生じるのかと、思うことがあります。
written by なな / 2007.10.14 10:18
Jさん、こんにちは。
やさしいメッセージをありがとうございます。
あかりさんは2回目妊娠中、
妊婦さんらしいやわらかいオーラを持つことが、最後までありませんでした。
お産をされてから変わっていきました。
ようやく安心できたのだと思います。
written by なな / 2007.10.14 10:21
kikiさん、こんにちは。

>乗り越えられなくても 背負ったまま生きていく強さは培っていけるんだと思いました

そうなんですよね。
乗り越えられなくてもいい、勝てなくてもいい、
いつまで泣いてもぐしゃぐしゃになってもいいのだ、とご本人が悟った時、
背負って生きるという選択が始められるのではないかと思っています。

>生と死は紙一重だという想いが強くあり

忘れられがちなことですが、非常に大切なことです。
こんな覚悟をお持ちのkikiさんは、きっと健康にお気を配った
赤ちゃんと身体にやさしい妊娠生活をお送りのことと思います。
よいお産をなさいますように。
written by なな / 2007.10.14 10:26
Tai-chan、こんにちは。
先生のような、洋行帰りの第一線の脳外科医が、
このような医療に目を向けて下さることを、いつもとても嬉しく思っています。
written by なな / 2007.10.14 10:29
Atsullows-caffeさん、こんにちは。

このブログの特徴は、何と言っても素晴しいコメントが多数寄せられていることです。
本文よりもよほど深遠で、豊かな視野を持ったコメントに、
私の方が感動し、開眼させて頂くことが度々あります。

今回先生が下さったコメント、
先生同じく母親を愛してやまない私は、読み返しては涙しています。
また、ふろっぐじゃっく班の長であり、
多くの患者さんから必要とされ慕われている、敬虔な外科医である先生の
この、末文のひと言。
圧倒されるような感動を感じています。
仕事にしか存在価値を持たない自分を、何と狭小なことか、と
省みながら(苦笑)。


written by なな / 2007.10.14 10:39
ちいまめさん、こんにちは。

大変な過程を、乗り越えていらっしゃったのですね。
オギノ式のところでちいまめさんが下さったコメントは、圧巻でした。
こんな素晴しい女性が、助産師さんがいらっしゃるのだ、と。
あのコメントの背景に、
ご自分の中に宿った生命の死に向き合ったご経験があるのだ、と思うと、
さらに深い意味合いを感じます。

このようなケアをしている所は、依然として少数派と思います。
我々もまだまだ模索中です。
亡くなった赤ちゃんと、可能な限り一緒に過ごしてもらうことも、
ご家族(お姑さん)から批判が出たこともありました。
「死んだ赤ちゃんと対面させるなんて、むごいことを」と。
医療はどんな局面でも、ケースバイケースですね。
written by なな / 2007.10.14 10:49
あかりさんに対する、なな先生の素晴らしいケアを読んで、感動しました。

先週の金曜日のテレビで特集をしていたのですが、何度も流産をされている女性のことを取り上げていました。
でも、研究の結果、最近、治療法が見かり、それを受けている様子も放映されていました。

不妊治療といい、お子さんが欲しくてたまらないのにその希望がかなわない方に対する研究がもっと進んでほしいと願わずにはいられませんでした。
written by バリ島 / 2007.10.14 22:26
やっぱりなな先生凄いナー・・・・
尊敬します(^^)
読んでいて、ウルウルしてしまいました(;;)
なな先生の対応の仕方・・・うーん色んな意味で反省させられます。
そして頑張ろうと思う活力が生まれます。
まだまだ未熟な自分を自覚して、頑張っていきます(^^)
written by メタボ / 2007.10.14 23:01
私は非医療者で未婚、妊娠経験もありませんが、今年73になる私の母は、私と5歳年下の弟との間に、双子の男の子と女の子を亡くしています。

妹になるはずだった赤ちゃんは死産、弟も生後3日しか生きられなかったそうです。昔のことですし、2人ともほぼ死産と呼べる状況だったからなのか、母がまだ入院中に兄妹の埋葬は父が1人で行かざるを得なかったようですが、埋葬許可のために行った役所の人から、死産の子と3日でも生きていた子とでは届出の内容が違うのに、父がそれを怠っていることを酷く怒られたのだとか。

「その時のお父さんの気持ちを考えると、自分の悲しみとは別に、悲しく切なかった」とか「お祖母ちゃん(姑)から、次の子を作ればいいと言われたときの悲しみと怒りは、今でも忘れない」というような話を、たびたび母から聞かされます。

45年近くも前の話です。そんな昔の話を、その時どんなに悲しく切なかったかを、未だに私に訴える母の気持ち・・・こんな風な「子供に死なれた親の悲しみ」は、正直言って今まで、私には想像しようにも遠いものでした。

でも、今回のエントリーと皆さんの沢山のコメントを読んで、今は、少し母の気持ちに添えるような気がしています。おそらく母には、その当時、十分に「喪の課程」を過すことが許されなかったのでしょう。

今度、また母がこの話をし始めたときには、今までよりも、もっと真剣に話を聞いてあげられそうな気がしています。なな先生や、ご自分の辛い体験を書いて下さった、全ての皆様に感謝いたします。
written by mallin / 2007.10.15 00:31
バリ島さん、こんにちは。

医者の仕事は、治療の他に研究もあります。
不妊治療は今、さかんに研究されていますが、
まだまだわからないことだらけです。
益々はりきって頑張りたいと思います。
written by なな / 2007.10.15 08:19
メタボさん、こんにちは。

放射線科医で、全く異なる医療にあたっていらっしゃる先生が
このような臨床をご理解頂けて、とても嬉しい気持ちです。
真面目に医者やっていてよかったと思います(笑)
お互いまだまだ課題はいっぱい、共に頑張りましょう。
written by なな / 2007.10.15 08:23
mallinさん、こんにちは。

お母様への思い遣りにあふれるコメントに、心打たれました。
お母様のお気持ちもさることながら、
お父様のお気持ちを思うと、悲しくなります。
届出の詳細なんて、気が回らなくて当然なのに・・・

女性のメンタル・ケアの外来をやっていると
50年60年前の悲しい出来事を思い出して涙される患者さんが、
何人もいらっしゃいます。
mallinさんのお母様は、未だ喪の過程の中途に在るのかも知れませんね。
mallinさんが共感的にお話を聞いて差し上げることによって、
傷は少しずつ癒えていくのではないでしょうか。

この記事と皆様のコメントが一助になれたのでしたら、
こんなに嬉しいことはありません。
お母様をお大事なさって下さい。
written by なな / 2007.10.15 08:30
 去年の12月に「常位胎盤早期剥離」をおこしてしまい帝王切開で出産したものです。年齢が若かったこともあってか妊娠中はすこぶる良好。家にいても暇だしなーなんて考えて、予定日ぎりぎりまで職場に向かっており助産師さんに「いつ産まれてもおかしくないんだからいいかげんに産休に入りなさい」と言われていたほどです。
 
 しかし、陣痛をおこし産院へ日付が変わってもお産が進まず先生も「夕方4時になっても赤ちゃんが下がってこなかったら帝王切開するよ」と言われていた矢先のことでした。
なぜが騒がしい・・・・。産科専門病院ですが産婦人科の先生が3人いてかなり大きな病院です。全員の産婦人科の先生が囲んでいるし・・・・。とここで私の記憶はなくなり・・・・。

目が覚めたら点滴に、酸素マスクに、輸血のチューブに、足には血栓予防の機械はついてるしで何が起こったの・・・。あれ私陣痛でのた打ち回ってたはず・・・。「赤ちゃんは元気に産まれたいるから」と院長先生。「そんなことより今は自分のことを考えてと出血がおおくてあなた丸一日眠りつづけていたのよと」

もともと出産が長引いているから手術室で帝王切開の準備が始まっていた上に、私自身がRh-ABという血液型のため同じ血液型の弟とともに輸血用の血液を用意しておいたのが幸いしたそうです。(血液型が珍しいということを私自身よく理解していたため病院に頼んで念のため用意しおいてもらいました。)

お産は始めての上、陣痛で痛かったとこと以外まったく覚えていないため、どうも周りからは「大変なお産だった」と聞かされてもピンとこない私。ただ、入院が17日と長かった上に母子同伴の病院なのに赤ちゃんを毎日助産師さんが連れてきてくれてもせいぜい5分程度。赤ちゃん見たくて病室を抜け出さば「数値が良くないんだから無理はやめて」と言われるばかり。
 
 退院後も貧血が治らず一ヶ月検診の後も何回か病院に行くことになりそのたびに院長先生から「あんなに出血させて、あなたの血液すぐに手に入らないし、弟さんからはこれ以上もらえないし、赤ちゃんはすぐに産声あげたからいいけどこの程度ですんでよかった、よかった」と。いまだにそんなに大変だったのかなー???なのですがこのブログを読むともしかしたら二人とも助からないなんてこともあったのかなーなんて考えてしまいますね。
 
written by ルイ / 2007.10.15 11:53
なな先生>
「仕事しかない」はずはありません。
大切なお母様がいらっしゃる。
命をかけて共に戦ったきた仲間がいる。
そして「狭小」なはずがありません。
全身全霊をかけて幸せを願った多くの妊婦さんのご家族の幸せがある。
先生の言葉に触れたくて、ここに集まる多くの人々がいる。

仕事しかない(と思っていた)のはかつての狭小な私です。
そこから、逃亡したときに思ったことをここに載せさせて下さい。コメント欄をよごすことをお許しくださいませ。

仕事をして、
仕事をして、
血にまみれて
汗にまみれて
涙にまみれて・・・
燃え尽きるまで・・・
世界の頂点に立つまで・・・

あと1年で死んでもいい

とにかく燃え尽きたいのだ。

燃えて、
燃えて、
灰になることが出来るなら。

でも、それは、患者のため?
将来、病気になるかもしれない家族を救うため?
それとも、自分のため?




written by Atsullow-s caffee / 2007.10.15 14:51
ルイさん、こんにちは。

お産の最中に、常位胎盤早期剥離を起こされたのですね。
輸血をしたということは、かなり出血したのではないでしょうか。
大変な思いをなさいましたね。
ともあれ、お母さんも助かり、赤ちゃんも無事で、
本当によかった。
母乳はちゃんと出たのでしょうか。
今は体調は、よろしいのですか。

赤ちゃん、もうすぐ1歳になるのですね。
健やかにご成長されますように。
written by なな / 2007.10.15 19:11
Atsullows-caffe先生、
先生はやっぱり、すごいですね・・・
他者に向けるやさしいまなざしと、
ご自身の、高い理想と。

その時にお思いになったというこの、先生のお言葉。
私ですらこのように、鳥肌が立つような感動を感じるのだから、
現実の先生のお弟子さんたちが聞いたら、
きっと泣いてしまうのではないでしょうか。

仕事をして
血にまみれて
羊水にまみれて
汗にまみれて。
平凡な町医者でいい、町医者がいい。
決して燃え尽きることなく
静かに長く、あたたかい光を放ち続けたい。

私だと、↑こんな感じです(笑)


ところで先生、3つの自問のお答えは、どれでしょうね。
written by なな / 2007.10.15 19:25
このブログを読んだとき、また皆様のコメントを読んだとき、ただただ泣くしか出来ませんでした。
息子が無事産まれたこと、奇跡のようなものなのかなと改めて感じます。
そして、私の傍で笑顔でいてくれることに、幸せを感じます。

このブログを読んで、ダンナとただ一人の友人にしか言ってない気持ちを思い出しました。

自分が消えたいと思うことがしばしあります。
でも新たに、こういった気持ちも出始めているんです。
ダンナと息子を失うことは怖いのです。

矛盾してますね。

コメント欄を汚してしまいまして、申し訳ございません。m(_ _)m
written by 蒼 / 2007.10.15 20:33
なな先生>
答えはわかりません。
でもひとつ確かなことがあります。

私が世界一になった時(当然あり得ませんが、、)
母親は横にはいない

という事実・・・・

そのとき、そこに誰もいないかもしれない・・・

そう感じたとき、ここで心が折れました。

以後、自分が「燃え尽きずに生きる」ための理由を探し始めました。
written by Atsullow-s caffee / 2007.10.15 21:34
だめです。なな先生の言葉も、コメンテーターさんの言葉も、胸に突き刺さります。
最近涙もろい私は、大泣きです。
喪の過程って人によって様々なんですか?
なな先生のアドバイスに従って、彼女と接してきましたが、まだまだなんでしょうね。
ただ、少しずつですが、彼女の心も前を向いてきている気がします。
近々、彼女と手紙を書くことにしてます、天国の赤ちゃんへ。
written by Dr.Market / 2007.10.15 23:34
 なな先生コメントありがとうございます。
医師ではないので一般的にどうかわかりませんが産後四ヶ月ぐらいは少し無理をするとめまいがしていましたが、今はすこぶる健康です。赤ちゃんは産まれてすぐに泣き出しほとんど処置がいらなかったそうです。ただ母乳は最初はほとんど出なかったですね。毎日吸わせていたためか産後三ヶ月くらいからはけっこう出るようになりましたが70パーセントはミルクでした。

ただ、輸血用の血液が足らずといって私の血液型はRh-AB型すぐに手配できる血液型ではないため先生方は大変だったと聞きました。独身の頃から生理痛に悩まされていたため出産した産院には長らくお世話になっていました。世間話で「この病院で妊娠したら赤ちゃん産みたいのでそのときはよろしくお願いします」とよく院長先生に言ってました。

先生にも忘れられない患者さんの一人になったよといまだに言われています。
written by ルイ / 2007.10.15 23:49
蒼さん、こんにちは。

消えたいと思うのは、つらいですよね。
でも、消えたいと思う気持ちも、
ご主人とお子さんを失うのは怖い、という気持ちも
どちらも蒼さんの、正直な気持ちです。
気持ちなんて、矛盾だらけであたり前。
2つの気持ちを持ったままで、いいんですよきっと。
written by なな / 2007.10.16 04:48
Atsullows-caffe先生、
重ねてのコメントをありがとうございます。

「その時、母は横にいないかも知れない」。
想像はしてみるのですが・・・
私はまだ、「母を失うことなど全く考えてもいない」段階にあるのかも知れません。

「燃え尽きずに生きる」ための理由、ですか。
もちろん私にも、わかりませんが、
3つの自問の答えは、「自分のため」と即答できます。
誰かのため、と思って仕事をやることは一切なく、
自分で好きだから、やりたいから、現職をやっているのであって
数々の岐路を選び抜いた結果、今があると思っています。
しかし、「自分のため」という燃料がどこまで維持できるかは
わかりません。

「燃え尽きずに生きる」ための理由を探す。
そのコンセプトが、先生のブログの魅力のひとつだと思っています。
written by なな / 2007.10.16 05:00
Dr.Marketさん、こんにちは。

その後、どうしていらっしゃるかと思っていました。
喪の過程は、もちろん人によって様々ですが、
彼女の喪の過程は、始まったばかりではないでしょうか。
そして、まずは先生に打ち明けるところから始まったのでは?
ご本人を知らないので、不正確な部分があると思いますがお許し下さい、
彼女がようやく口にする赤ちゃんの話に、混乱する思いに、
愛情を持って、根気よく、耳を傾けてあげて下さい。
きっと先生はもう、実行していらっしゃると思いますが。
written by なな / 2007.10.16 05:13
ルイさん、こんにちは。

いい院長先生ですね。
ここに時々コメントを下さる、ひいよん先生に教えて頂いたことですが、
お産をふりかえって、あの時はああだったね、こうだったね、と話すことによって
心が凪いでいくこともあるのだそうです。
written by なな / 2007.10.16 05:16
自分は消えたいのに、相手を失うのは怖いって、勝手言ってるなぁと、常日頃から思ってたんです。
でも、自分ではどちらもどうしようもない気持ちなので。

コメントに合うかどうか分からなかったのですが、ここに書いて良かったです。
なな先生に聞いてもらえて良かったです。
ちょっと安心できました。

"認めてもらう"って、大切なことですね。

ブログの内容と外れてしまい、申し訳ないです。m(_ _)m
written by 蒼 / 2007.10.16 06:39
はじめまして。いつも先生のブログをこっそり拝見して、産科医師の方の現在の状況や本音にいろいろと頷かされています。
現在、私は35週目を迎えた妊婦です。そしていまから2年前にはじめての子を24週で死産しました。
前日から胎動が感じられず、病院に行ったところ心音が確認できず、原因不明の子宮内胎児死亡ということで産声のない出産をしました。
病院からは、すぐに火葬の手続きをとるように言われ、自分におこったことを理解できないぼんやりとした状態のまま、両親と夫とともに空におくりだす手続きをすすめました。
亡くなった息子と家族だけの時間をゆっくり持つことも、病院で用意された箱の中にいれられた息子を抱き上げることも、かわいい産着を着せてあげることも、そのときは何も思いつかずにいました。
ただ私は、ぼんやりとして、家族は手続きに気を取られ、夫のキーホルダーについていた小さなクマのぬいぐるみひとつを持たせて、そのまま空へおくりだしてしまいました。
退院して、ぼんやりした状態から抜け出したあとは充分に別れの儀式をおこなえなかったことに深く後悔して苦しみました。
なので病院には、赤ちゃんを亡くした家族へのアドバイスや、お別れの儀式をすすめるケアをしてほしいと願ってきましたので、今回の記事を読んで、あかりさんがとてもうらやましく感じました。
あかりさんは、先生にとても感謝していると思います。
いまお腹にいる子は、なんとしてでも元気に産んであげたい。しかし、ここまで週数がすすんでも、なにひとつ安心できず日々不安との戦いです。ただひたすらお腹の赤ちゃんに会いたい気持ちを伝えて、毎日を乗り越えています。
先生、これからも流産・死産をしたおかあさんたちが少しでも幸せな別れの時間を過ごせるように導いてあげてください。お願いします。
長文、大変失礼いたしました。
written by ソラマメ / 2007.10.16 07:59
>仕事をして
>血にまみれて
>羊水にまみれて
>汗にまみれて。
>平凡な町医者でいい、町医者がいい。
>決して燃え尽きることなく
>静かに長く、あたたかい光を放ち続けたい。

またまた。
心の言葉を具現化して頂いた心地よさを味わっております。


ところで、先日14週の死産がありました。
離婚後に出来てしまってドウシマショウ…という方だったので
「喪の過程」を意識した当方の気遣いは悉く空振りに終わりました。
集まった家族からも笑い声がしてるし…。

未受診の件を含め、いろんな方が居ます。
しかし空振りに終わろうがなんだろうが、
後から振り返ってもらった時にnegative な想いに繋がらないよう、
自分なりの誠意を行動しておりました。
かなり虚しかったですが ^^;
written by thx a lot / 2007.10.16 22:36
蒼さん、こんにちは。
認めてもらうのも、自分を認めてあげるのも、
きっと大切なことなのだと思います。

また遊びに来て下さいね。
written by なな / 2007.10.17 19:35
ソラマメさん、こんにちは。

赤ちゃん、男の子だったんですね・・・
「ちいさなクマのぬいぐるみひとつ」という言葉に、
事態をよく理解すらできないまま送り出した、慌ただしい中にも
息子さんに対する、ご夫婦の深い愛情を感じます。

赤ちゃんに名前をつけて、苗字とあわせてフルネームで声に出して呼ぶだけでも、
ご家族の心に、ささやかな癒しをもたらせるものと思っています。

あかりさんと同じ、悲しい体験をされた方から
これからもこのようなケアを続けて、と言って頂いて、
今日まで信念を持ってやってきてよかったと、報われてたような気持ちです。

35週、もうひと息ですが、
元気な赤ちゃんの顔を見るまでは、今の不安は続いてしまうと思います。
ソラマメさんが、良いお産をなさることを、祈ってやみません。
written by なな / 2007.10.17 19:40
thx a lotさん、こんにちは。

Atsullows-caffe先生の詩、素敵ですよね。
あまりに素敵で、お返事したらああなりました。
雅人になったような気持ちです(笑)
同じ産科医である先生に共感して頂いて、またちがった色彩の嬉しさがあります。

産科医をやっていると、きれいごとではないことも、多々ありますよね。
私も先日、twinの中絶希望の患者さんが来て、
やり切れない脱力感に見舞われました。
そんな時に大切なのは、先生のおっしゃるように
自分なりの誠意を持って行動することだと思います。
written by なな / 2007.10.17 19:46
「喪の過程」なんて意識していませんでした。
若い頃、精神科医も候補に入れていたのに恥ずかしい限りです。

私が若い頃の話しですが、あるNICUの部長はクリスチャンでした。
重症仮死であろうが、先天性心疾患であろうがやれる治療は全て全力で行い、最後にダメだった時、お母さんたちに「抱っこしてあげよ。」と言っていた部長がいました。
このブログを読むと、赤ちゃんが死んでも抱っこする時間すらなく、送り出さないといけなかった人が多いことに驚きます。
「抱っこしてあげよ。」という言葉を聞いて泣かない母親はいませんでした。あの言葉と抱っこが喪の過程として重要だったのでしょう。
若い頃の私はそんなこと考えてもみませんでしたが。
大学病院で働いていた若い頃、子どもを亡くしたお母さんたちにもう少し自分ができたことがあったのではないかと反省するばかりです。
written by 愚痴 / 2007.10.21 05:36
愚痴さん、こんにちは。

いい部長先生ですね。
小児科の先生はまた、妊婦さん寄りの我々産婦人科医とは
少し違った視点があると思います。
赤ちゃんが生後数時間で亡くなった時、死亡確認をした小児科の先生が
「小さな身体で、よく頑張りましたね」と言う言葉で知らせたのを
今でも覚えています。

こんな際のケアに、充分な時間と精力をかけられる医療が
本当は理想なのでしょうね。

written by なな / 2007.10.22 08:23
はじめまして。あかりさんの第二子が無事にお生まれになったというニュース、とてもうれしく拝見させていただきました。
 
 というのも私が9月に27w1dで常位胎盤早期剥離で第一子を死産してしまったばかりだからです。DICも発症していました。BP220/120まで上がり脈も人の倍くらいあったそうです。輸血は2.8Lしたそうです。新鮮凍結血漿も使ったとのこと。幸い子宮は残りました。妊娠高血圧症候群が原因だろうと言われました。胎盤の血流は悪かったようです。赤ちゃんは615g、30cmでした。
 
 早剥は繰り返すことがあると知り、次回の妊娠に対し、怖さがあります。早剥の、対処できない出血と赤ちゃんを亡くすこと、それに自分も死んでしまうかもしれないことです。でも子供は欲しいです。次回は初回からNICUのある病院を受診するように言われました。現在30歳です。1年は空けようと思っています。

 早剥を経験された方が無事に次の出産をされたというお話はとても力になります。励まされます。ありがとうございました。これからも訪問させていただきます。



written by すー / 2007.10.31 19:20
すーさん、こんにちは。

このような深いコメントを寄せて下さることによって、
この記事に価値を与えて下さいまして、ありがとうございます。
同じ体験をされた方の生の声は、
産婦人科にとって、非常に貴重な意味があります。

あかりさんは今回無事にご出産されましたが、
そこに至るまでに、筆舌に尽くしがたい思いをなさったことと思います。
すーさんと同じように帝王切開だったこともあり
1年間の避妊期間を置きました。
あかりさんは、すーさんより年上です。
避妊期間が明けても、すぐに妊娠できるかどうか、まずはご不安だったと思います。
あかりさんは比較的すぐに妊娠しましたが、
悪阻の時期が過ぎて、胎動が自覚できるようになるまでの間、不安に押しつぶされそうになり、
ご本人に強い希望によって、ご入院されました。
入院して、毎日赤ちゃんの心音を確認してました。
その後は、早剥を起こした週数が近づいてくると不安になり、
それを過ぎると、今度は帝王切開までの日にちが不安で不安で、
常に胃腸の調子を崩されていました。

何故、お産までの間、不安を乗り越えてくれたのか
あかりさんにも我々にも、よくわかりませんが
「この不安は、無事赤ちゃんを産むまで、消えることはない」と覚悟を決めたのが
少しは良かったのかも知れません。

あかりさんは、無事赤ちゃんをお産されました。
37週に入ったばかりのお産だったこともあり、ちょっとちいちゃい赤ちゃんでしたが
とても元気で、あかりさんの胸に抱かれて、一緒に退院しました。

あかりさんの他にも、同じような経過を辿った妊婦さんを
何人かみています。
written by なな / 2007.11.01 18:16

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