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先日、理由あって人工妊娠中絶術を施行しました。
胎児が少し大きくなってからの手術でしたので、
肋骨と思われる骨の一部が見えて、背筋が凍りました。
多くを語るよりも、ご紹介したい談話があります。
荻野式避妊法を考案された荻野久作先生による、歴史に残る談話
「”オギノ式”乱用者に告ぐ」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どんな職業についている人でも、それぞれの仕事の上の喜びというものがある。
大工さんは、木の香も新しい家を前にして、胸をふくらませるであろうし、
教師もまた、巣立っていく教え子の後姿に自分の夢を描いているに違いない。
私が専門にしている産婦人科医の場合も、それはまったく同じである。
難しいお産を無事に切り抜けたとき、
まだ人間の態をなしていないような赤ん坊が手足をばたつかせて、
「オギャア」と第一声を放つその瞬間ほど、
我々の心を解きはなしてくれるものはない。
この道を歩みはじめてから六十年近く、私はもう八十歳を越えているが、
それでも勤務先の病院でこの「オギャア」を毎日のように耳にするたびに、
朗らかな気分になる。
沈痛な面もちで、為すこともなくただうろうろと廊下を歩き回っている若い夫に、
何か祝福の言葉でも贈ってやりたいような気分になるのも、
おそらくは「生命の誕生」というものが持つ犯しがたい価値に由来するのであろう。
私は、産婦人科医を、すばらしい職業だと信じている。
(中略)
一人一人のケースについて、我々産婦人科医が本気で悩んでいたら
自分が死んでしまうだろうから、
あとは教育なり政治なりにおまかせするのが順当だが、
どうしても言っておきたいことがある。
それは、世の男性諸君がもっと真剣に、
深刻に子供とは何であるかを考えるようになってほしい、ということである。
子供を育てていく自信があったら、
親の誇りと責任に於いてすばらしい子供を生むように夫婦で協力する。
もし、子供を生むのはまだ無理だと考えるなら、
そんな自信が湧いてくるまで、
妊娠しないように慎重な配慮をするのが当然である。
(中略)
性に対する不当な抑圧感が解けて、じめじめした感じが無くなったことは喜ばしいが、
反面、よい加減な解説書が巷にあふれて、
科学に対する安易な考え方を植え付けてしまう傾向も、困ったものである。
(中略)
金があればレジャーに費し、
欲情のおもむくままに、深く考えもせずに行動して、
その結果については人間としての最低の責任すら果たせないような、そんな人間に、
いったい何がなせるというのであろうか。
~昭和39年、文藝春秋第42巻第2号より~
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コメント
コメント一覧
昭和39年に書かれたとは思えない・・・。
昔から、ずーっと変わってないってことですね。
最低の責任すら果たせなかった人間です。
でも、心のどこかでその事実が認められません。
苦しさをいつも抱えて、一生懸命生きています。
・・・涙がとまらなくなってしまいました。
我が子に対する罪の意識、逃げた相手への恨み、
そして辛いお仕事させてしまった先生への申し訳なさ。
死ぬまで消えることはないと思います。
先生は、「産むことは考えられませんか?」
と声をかけてくださいました。
当時の自分の力ではシングルマザーとして生きていくことはできませんでした。
でも、あのお医者さまの一言が、今も心に残っています。
我が子の命をかえりみて下さった、たった一人の人が、あのお医者さまでした。
あの時以来、産婦人科医という存在を、絶対的に信用しています。
なな先生、こんな私ですが、陰ながら応援しております。
「のぞまない妊娠をしないためには」ではなく,「まだ見ぬ命を大切にするには」に置き換えて物事を考えて欲しい。そのように最近思います。
助産師として,中期中絶の介助をするときのむなしさ。最も,中絶を選択した方のほうが,はるかに心も体も傷つくのだけれど,「命を奪う手伝いをしてしまった」と,自分の手をみつめたことも。
私にできることは何か。もんもんとしていたところに,思いもかけないところから話が出てきました。
息子の通う小学校で(1年生)性教育の指導をして欲しい。というもの。日ごろ,性教育はしていないけれど,そんな私のもとにこの話がでてきたということは新たな道かもしれない,そう思い,その話を受けました。
産まないにせよ,産むにせよ,中絶する,しないという選択ではなく,命に向き合って欲しい。
なな先生のブログをみてそのように感じました。私達の仕事の原点ですね。
中絶行為は気分の悪いものです。
どのように小さな赤ちゃんでも、
経腹エコーガイド下(子宮穿孔の危険が高そうな場合には行います)で中絶手術を行うと、私たちの鉗子から手足をばたつかせて逃げようとする。
もっと週数のいった赤ちゃんで、
手術ではなく分娩と同じ形態をとる「中期中絶」では
生きられないとわかっていても、最初泣きます。
泣いて段々声が弱くなって痙攣して黒くなって亡くなっていきます。
その事実を、まだ妊娠していない若い方々は知るべきです。
性教育のためなら、エグイと言われようと、
寝付けなくなろうと、一度はみてほしいくらいです。
あまりの残酷さに泣きだす人だっているはず。
産めない方々の心痛はわかりますけれど、
医療者として、そのたびに何かが擦り切れる気がします。
どうして、産めないとわかりながらも避妊をしてくれない、
またはきちんと考えもしない方々のかわりに、
私自身の手でご丁寧に赤ちゃんを殺してさしあげねばならないのか。
産む選択ができなかった方々へ、
せめて自分の体験を、人に話すこと。
妊娠って簡単にするんだよってことを、
他の同世代や、自分のご子孫に、話してあげてください。
以前たまたまテレビで荻野先生を主人公にした『法王庁の避妊法』という舞台を見ました。荻野先生が望まない妊娠をする女性や、子供が欲しいと願う人たちのために必死に研究されている姿が描かれています。笑いあり、シリアスありでかなりおもしろかったです。
こうして一生懸命研究をされたんだなと思いました。またその周りの人々が、排卵日にあわせて妊娠することが神に逆らうことではないかと迷ったりして、子供を授かるという意味を考えさせられました。
お時間はないでしょうが(笑)、もしあれば見てみてくださいね。
http://www.amazon.co.jp/%E6%B3%95%E7%8E%8B%E5%BA%81%E3%81%AE%E9%81%BF%E5%A6%8A%E6%B3%95-%E5%8B%9D%E6%9D%91%E6%94%BF%E4%BF%A1/dp/B0001LNO5Q
ななさん、ありがとう。
母体保護法指定医でありながら、現実的に一番やりたくないのが人工妊娠中絶です。
外来で、永年不妊に悩む患者さんと一緒にがんばったかと思うと、次に入ってきた患者さんは「中絶希望」だったりして、普通の人間ならやってられないと思いながら、仕方なくやっています。
産婦人科がハッピーなんて光の部分しか見ていない見方だと思います。
今後瀕死の産婦人科が再興するには、新規の研修医を勧誘する必要がありますが、「中絶手術施行時のあの言葉に言い表しようがない罪悪感」がある状況では、今後増えることはないでしょう。年間出生数とほぼ同数の人工妊娠中絶が行われている現実から国民は目をそむけて、産婦人科医に押し付けた結果です。
批判覚悟で申し添えれば、「無防備、無計画な妊娠の後始末を産婦人科医にさせるなよ」と言いたい、、、。
僻地の産科医先生のコメント。
それから、なな先生の荻野先生のコメントはとても心が打たれました。
今子育て中、8ヶ月の母です。こんなことを言っては甘いとお叱りを受けることなのですが、赤ちゃんってとっても!!かわいい そして、育児ってとっても楽しい一面、ストレスから、精神的に追い詰められてとっても辛くなってしまうことがあります。赤ちゃんに手を上げてしまったことはありませんが、精神的にただただ辛くなってしまうのです。(夫の協力も十分得らず、一人で育てているため)
でも、今日の荻野先生のコメントを読ませていただいて、子育てをますます責任もって一つ一つ頑張っていこうという気持ちが新たに沸いてきました。
すごい談話でしょう?
これが掲載されているセピア色の文藝春秋は、
私の宝ものです。
先生のお書きになった「人工妊娠中絶について」
http://ameblo.jp/y-gami/entry-10046227498.html
を拝読した時に、いつかこの談話について書きたいと
思っていました。
(そのままのHNで書くのは忍びないので、こう書きますね)
つらい思いをされましたね・・・
しかし、心身に受けたダメージと、
罪の意識、相手への気持ち、
苦しい思いを抱えて、一生懸命生きていらっしゃるご本人が
最低の責任も果たしていないとは、決して思いません。
全てご自分で引き受けたのですから、
充分だと思いませんか。
この荻野先生の談話の素晴らしいところは、
「世の男性諸君がもっと真剣に・・・」
となっている点だと思っています。
当時の担当医、素晴らしいドクターですね。
私もそんな医者であれるよう努力し、
勇気を持ってここに下さったコメントを、現場で活かして行きます。
コメントありがとうございました。
どんな形にしろ、お腹に宿った時点で命が誕生してるのに。
中絶にしろ(少し話は飛びますが)虐待にしろ、一番弱いものにしわ寄せがいくことにやりきれなさを感じます。
不妊治療を経験した者にとっては、子供が出来ること自体、奇跡的なことなのにと感じるのに。そして無事生まれてくることに対しても。
中絶される方もあれば、今、この時、赤ちゃんが欲しくて頑張って治療している方もいる。
神様は公平だと言うけれど、不公正さを感じます。
赤ちゃんは選んでやってくると言うけれど、行き先を間違えたのでしょうか。
少し感情的に書いてますね。
不快になられましたら、申し訳ございません。m(_ _)m
女子高生がトイレで産み落としたりとか
何だかなーって事が多くなってきました。
中絶に関しては、やはり小学校時代からの性教育が必要なのかな・・・って考えてしまいます。
結局は男性側の問題意識レベルの低さなのかな?
現在は子供を育てられる時期ではないのなら、きちんと避妊する。っていう当たり前の事が解らないんでしょうね。
特に「僻地の産科医」さんのお話は高校生にされたら
如何でしょう ??
男女を問わず 衝撃が走る筈です。
二十歳前後の性は 思考力を失わせるものがあるから
面倒です。
小学校1年生の性教育ですか。
もう少し年長の学年ならまだ勘どころもありそうですが、
難しそうですね。
私には名案が浮かびませんが、でも、
>産まないにせよ,産むにせよ,中絶する,しないという選択ではなく,命に向き合って欲しい。
こんな風に言うことができるななさんに、その役目が回ってきたのは、
きっと天の配剤ですね。
ほんと、私たちの仕事の、原点です。
今回先生が下さったコメントは、
多くの人の心を揺さぶったようです。
後段、心に留めて、機会あったら一般の人に向けて
話して行きたいと思いました。
このようなことを啓蒙していくのも、我々の仕事ではないでしょうか。
情報の宝庫たる先生のブログと、
産科医療問題に関して、正しいことを追求される姿勢を、
敬意を持って拝見していました。
そんな先生と、根幹の部分は同じなのかな、と
無性に嬉しく思っています。
今回頂戴したコメントは、
ここに埋もれさせておくにはもったいない内容です。
大変ありがとうございました。
番組にもなっていたんですね。
本記事では中略してしまいましたが、
この号の文藝春秋には、研究の様子も書かれています。
何時でも、後世に名を残す研究に身を賭している姿勢には
感銘を受けますね。
私の身近な例では、プロラクチンの日内変動を研究した先生の
時間毎に採血されたお話(ルート採血でしたので、被験者は毎回
痛い思いをしたわけではありません、ご心配なく(笑))や、
医者ではありませんが、ダンゴムシの研究をされた先生が
大学の庭中のダンゴムシを採りに行った、なんていう話があります。
ひいよんさんは、どんな研究をなさっているのでしょうね。
先生のおっしゃるように、性教育は予防線のようになってしまっています。
でも、本当はそれでは不充分ではないでしょうか。
助産師のななさんのコメントにあるように、
命について考えること。
これが、教育の原点ではないかと思うようになりました。
最近、多くの医療系ブログで、コメンターを「さん」づけで統一する傾向にありますが、
これを機会に、私もそうさせてもらうことにしました(笑)。
KEIさんのおっしゃるような外来シーンは、
日常茶飯的に遭遇します。
中絶希望の患者さんの中でもまた、
悲壮な固い決心でやって来た様子で、そっとしておいた方がいい方と、
心の中では止めてほしいと思っている方がいたりと、多彩です。
人工妊娠中絶は、女性が100%のダメージを受けなければならない、理不尽なものです。
この悲劇を減らすには、日本にはびこる、ピルに対する偏見の解消からと思っています。
> 赤ちゃんってとっても!!かわいい
素晴しいです!
甘くなんかありません。
育児の現実に向き合っている方の言葉なのですから。
世の女性たちが、こんな風に明るくいられることを守っていくのも、
医療の仕事のひとつです。
ですので、こんな声が聞けると、「やった!」と思います(笑)。
>赤ちゃんは選んでやってくる
これは、赤ちゃんを迎える側の心が決めることだと思います。
事実は残念ながら、そうではありません。
性暴力被害で妊娠してしまう、悲し過ぎる例もありますから。
万象に意味合いがあると、漠然と考えていますが、
その意味合いが不明なものも、数多くあります。
そのうちのひとつが、妊娠です。
どうして、待ちこがれているカップルにできなくて、
育てられない状態の人に、できてしまうんでしょうね……
おっしゃるように、現行より早期からの性教育は必要と思います。
それも、若いというより幼い世代に理解してもらえるような内容でないとなりませんね。
性教育に関わった産婦人科医から聞いた話です。
女子高生に「何故、避妊器具を使わないのか」と質問したら、
返ってきた答えが、
「いけてないから」だったそうです……
>「僻地の産科医」さんのお話は高校生にされたら如何でしょう
犬と猿さんも、そうお思いになるのですね。
僻地の産科医さんのお話は、やろうと思えば映像化することができます。
しかし、恐ろしいものは見慣れたはずの我々産婦人科医でも、
身震いするような映像になってしまいますが。
私でも眠れなくなりそうです。
世の男どもにも、是非知って欲しい話だと思います。
ブログでも紹介させて頂きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/taddy442000/17069173.html
トラバはやはりできないので、コメントで失礼します。
僻地の産科医先生のコメントは、多くの人(特に若い世代)に
ぜひ、読んでほしいと思いました。
でも、実際に映像にしたり、見たりするのは、
人によってはインパクトが強すぎたり、
脳裏に焼き付いて永遠に忘れられなくなってしまう人も、
いらっしゃるかもしれないですね。
・・・
産科医先生のコメントより:
「生きられないとわかっていても、最初泣きます。
泣いて段々声が弱くなって痙攣して
黒くなって亡くなっていきます。」
「きちんと考えもしない方々のかわりに、
私自身の手で
ご丁寧に赤ちゃんを殺してさしあげねばならないのか。」
私が強く心を打たれたところです。
私の子どもたちが、このようなことを考える時がきたら
話してあげよう・・・と思いました。
元々「オギノ式」は、避妊法として考えられたものではなく、
荻野先生自身が、命が、この世に誕生してくる仕組みについて
追求された結果のものだったと、聞いています。
TBとコメントと、
また、ブログでご紹介下さって、感激です。
ありがとうございます。
お話だけで充分教育効果があるなら、
その方がいいかも知れませんね。
映像を見ることによって、心的にマイナス効果になってしまっては、
意味がありませんから。
はるるさんのおっしゃる通り、
荻野先生がなさっていたのは、妊娠の成立に関するご研究でした。
文藝春秋には、研究の話にページ数をとって掲載されています。
産科の先生たちのすばらしさをあらためて実感しました。
今、自分が直面している現実に潰されそうですが、先生たちの強さに助けられます。
なんか、混乱していて何を書いているのか分からなくなっていますが、性教育だけでなく、日本の教育が正しい方向に進むことを願います。
私は男性の婦人科医が嫌いです。
ずいぶんと心傷つけられてきました。
女性の婦人科医が少なすぎます。
やはり、過酷な勤務状況のせいなのでしょうね。
がんばっておられる先生に頭が下がります。
女性の産婦人科の先生方に、どうしてもお伝えしたいことがあります。
先の先生の記事の、女性の止められないイライラとか、
PMSとか、マタニティーブルーとか、育児放棄とか、幼児虐待にもかかわる事です。
少しずつお伝えできたらと思います。
よろしくお願いします。
しがない患者の私ですが、男性産科医にも女性医師にもいい医師の方もいやな方もいらっしゃると思われます。色々な経験がおありの上でのご意見とは思われますが、「嫌いです」という書き方からは多くの方の共感を得るのは難しいのではないでしょうか。これからますます産科医が減っていくという現状を憂うここのような場所にはちょっとふさわしくない書き込みなのでは?ここをごらんになられる真っ当な男性産科医の心を砕くような書き込みを安易になされるのはあまりよろしくないかと思うのです。
愛と寛容の心をまず自分が持とうとみなが思うことがいい社会を作る原動力となると思いますので。難しいことですが…
>「生きられないとわかっていても、最初泣きます。
泣いて段々声が弱くなって痙攣して
黒くなって亡くなっていきます。」
「きちんと考えもしない方々のかわりに、
私自身の手で
ご丁寧に赤ちゃんを殺してさしあげねばならないのか。」
このようなこと、本当にみなに聞いてほしいです。もう産めない自分には胸がしめつけられそうです。自分が今ここにあること、今生きてることの幸運と大切さをもっともっと大勢の方に知ってもらえたらと思います。
本当は先生のブログに書くべきですが、ここに書いてしまいます。
先生の愛情あふれる文章に、いつも心温めて頂いています。
先生、応援しています!
もしかして産婦人科医が役に立つかな?と、いつも見ています。
前向きな心と愛情があれば、きっと大丈夫。
秋の空に、お祈りをしています。
ブログ、拝読しました。
大変な思いをなさってきたのですね。
今は、如何でしょうか。
「嫌い」という言葉を口にして、楽しい人は一人もいません。
それなのに、そう書かずにはいられなかったゆめさんに、
一体何があったのだろう、
どんな思いをなさったのだろうと、
考えています。
まずは患者さんの生の声に耳を傾けたいと、常に思っています。
また、遊びに来て下さいね。
柔らかく、まっすぐなメッセージを、思いやりのある言葉で
傷ついたゆめさんに向けていらっしゃるのを見て、
私が感動しております。
素敵な言葉を、ありがとうございます。
>愛と寛容の心をまず自分が持とうとみなが思うことがいい社会を作る原動力となると思いますので。
本当に、難しいことですね。
誰かを許せないというのは、同時に
「誰かを許せない自分」を良心から責められます。
その苦しみから逃れる「寛容」ですが、
実行するのは、大変難しいと思います。
今回の、僻地の産科医先生が下さったコメントは
多くの方々の心を揺さぶりました。
これをお受けして、世の中に向けて啓蒙していかないとならないと
思っています。
ほんとうに、若い人への教育で、回避できる妊娠は多いと思います。
日本も他のアジアの国々同様、避妊が、コンドームなど男性側に委ねられているのが、多くの望まない妊娠の原因だと思います。
高校生になったら、避妊ピルを勧めたり、
避妊に失敗したら、72時間以内にピルを飲む=緊急避妊ピルの存在を、多くの人に知ってもらい、女性が妊娠をコントロールできるようにしていくのも、私たち医師の仕事だと思います。
アメリカでレジデント研修中、妊娠のしくみ、避妊の講習をしに小学校、中学校に行き、地域の医療に貢献するよう、トレーニングを受けました。
頚癌検診とピルの使用は、もっともっと広まるよう、若い女性への啓蒙が必要ですよね。
既婚でピルを使い始め半年ぐらいになります。
高校生ぐらいのときに、槙村さとるさんのマンガ『イマジン』を読んで、その中にピルは女性の権利というセリフがあったので、飲んでみたいと思っていました。
(当時は避妊のためのピルはだめだったようで、生理不順で処方されてました)
まわりでは、ピルを飲んでいる人はいないようだし、そんな話をするのはちょっと・・・て感じです。話したら、相当びくりした人もいたし、体にはよくないよとも言われました。
まわりにもピルはすすめたいし、アメリカのようにもって低容量?のピルが日本でも処方されたらと思っています。
やはり、薬を飲んでいないときの方が体調がいいので。
いえいえ、このペースのブログですから、
いつコメントを頂戴しても、喜んでいます(笑)
先生のおっしゃるように、日本の性教育は、立ち遅れていると思います。
未だに、公の場で性を語ることをタブー視する風潮が、
低用量ピルを初めとする避妊法を普及させる障害になっているのではないでしょうか。
ただ、緊急避妊に関しては、最初からあてにしているけしからん人がいますので、
悩ましいところですね。
頸癌検診に関しても、全く同意見です。
>ピルは女性の権利
なるほどです。知りませんでした(笑)
よいコピーを教えて下さって、ありがとうございます。
ピルは避妊の他、月経困難症や月経前症候群にも有効な、
使いでのいい、優れたお薬です。
思春期医療の権威である、弘前大学産婦人科の片桐清一先生は
「ピルを信じた者だけが救われる」という名言をお書きになっていました。
(考えなしに自虐的なHNつけてしまった私にお気遣いいただき、ありがとうございました。)
あれから一晩泣きました。
手術を受けたのは20年近く前です。
あのときのお医者さまは、「産むことは考えられませんか」のお言葉のあと、妊娠・出産は体力をとても使うので、若い今がいい時期だということも教えてくださいました。
短い言葉でしたが、先生も人としてしたくない行為であること、私の心身を気遣ってくださっていること、よくわかりました。
あのときの先生の言葉がなければ、手術の後死んでいたかもしれません。
妊娠がわかり、すぐに結婚を申し込まれました。
あの時が一番幸せでした。
間もなく重症妊娠悪阻で入院することになりました。
日に日に体調が悪くなり、職場に戻れるめどが立たず退職しました。
親からは、親自身の対面を理由に中絶をしろと言われました。
彼だけが頼りでしたが、だんだんと面会の回数が少なくなり、そしてある日「なかったことにしてくれ」と言われました。
水どころか唾液ものみこめない状態で、一人で子供を産み育てる勇気がどうしてもなかったです。
胎児を守る母体にも保護が必要だということを知らなかった自分は愚かでした。
その後、私の過去を含めすべてを受け入れくれる男性に出会い、結婚し今は幸せです。
結婚後6年経ちましたが、子供ができません。
でも、かつてお医者さまの心を傷つけた自分だと思うと治療を受ける勇気もなく日々が過ぎ、そろそろ妊娠・出産の限界年齢を超えようとしています。
その後彼は別の人と結婚し、二人の子供に恵まれたようです。
(字数制限にかかるようなので、分けさせてください)
最近、婦人科の疾患で病院のお世話になっています。
お医者さまは、職業的義務として私の治療にあたっているけれど、個人としてはきっと私のこと白眼視しているだろうと疑心暗鬼になっていました。
コメントした日は診察の前日で、神経質になっていたと思います。
一晩泣きました。
男性はどんな病気であれ受診の時に
「過去に自分の遺伝子を持った胎児を中絶したことはありますか?」って
絶対に聞かれないのに。
仕方ないとはいえ理不尽だと思います。
でも、たくさんの方のコメントを拝見し、中絶に至るまでどんな経過を辿ったとしても、最後は私が手術台から逃げ出さなかったから起きたこと。
最後は私がお医者さまに「私の子供を殺して下さい」とお願いしたから起きたこと。
この十数年思ってきたことを再認識しました。
最初にコメントしてから数日経ち、少し落ち着きました。
私が今生きている陰に、子供と、お医者さまの良心の犠牲があるということ、決して忘れてはいけないと、改めて思います。
手術を受けたとき、この世でただ一人、私と子供の命をかえりみて下さったあの先生がいらしたから、生きてこられたと思っています。
そうでなければ、死んでいたのではと思います。
今でもふと消えてなくなりたいという思いにかられますが、お医者さまが、心を痛め、憤りを抑えてお仕事の責任を果たされていることを思えば、私も自分のしたことから逃げてはいけないと思いました。
長々とごめんなさい。
この命を全うしようと思わせて下さったなな先生、その他たくさんの皆様、ありがとうございました。
きちんと、責任を持っていかなければなりませんね。
僻地の産科医先生のコメントも、おっしゃる通りだと思います。
ところで、話は変わるのですが。
おかげさまで、新しい無料レポート
「医者のホンネが丸わかり!(改)」
http://www.gekizou.biz/report.php?aid=1971&cid=9539
が完成しました。
自分で言うのもなんですが、たくさんの方の
ブログが紹介できて、良いレポートになったと思います。
前の時に了承していただいたので。
今回の無料レポートでも、紹介させて頂きました。
事後承諾になってしまってすいません。
本当にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願い致します。
(なな先生ごめんなさい、この場をお貸し下さい。)
助産師のちいまめと申します。
あなたのコメントを読んで、ただただ涙があふれました。
あなたは逃げてはいらっしゃいません。
どうぞこれ以上ご自分を責めないで下さい。
あなたが選択したとはいえ、あなただけの選択ではなく、周りのすべての状況があなたに選択させたのです。
医療従事者は当時のあなたを苦しめた者や状況にやりきれない思いをもつことはあっても、間違ってもあなたを白眼視することはありません。
女性が一番苦しむことを、どうにもならない状況に追い込まれての選択であることを知っています。
女性だけで妊娠することはありえないのに、心身共に結果を引き受けなければならないのが女性だけだということに理不尽さを覚えます。
行為の結果、男女どちらが妊娠するか分からない、というような身体の仕組みになれば、男性ももっと責任をもった行為をとれるだろうに、と何度思ったことでしょう。
私自身が母となり知ったことの一つに「親が子どもを思う愛は子どもが親を思う愛にかなわない」ということがあります。
あなたの赤ちゃんは、あなたがせぜる得なかった選択をとうに許しています。
そしてあなたが自分を忘れずに生きていてくれることを喜んでいこそすれ、責めることは望んでいないでしょう。
納得しがたい出来事や死と出会うたび、「きっと今生きている私には計り知れない意味があるのだろう。」と思っています。
いつかあなたが赤ちゃんの魂と出会えますように…。
二番目にコメントした者です。
(なな先生、私もこの場をお借りすることお許し下さい。)
あたたかいお言葉ありがとうございました。
私自身は、手術を受ける前は、中絶行為を、対岸の火事としか思っていませんでした。
ですから、世の人が中絶経験者にどんな思いを抱くかよくわかりますし、それは当然のことだと思います。
医療従事者の皆様は、ご自身にはなんの咎もないのに、心ならずも「他人の火事の後始末」をしなくてはならないわけで、ある意味被害者だと思っています。
現在の主治医の先生が、私に対し全く差別なく接して下さる姿を心から尊敬しつつ、内心不安でいっぱいでした。
でも、これからは先生はじめ病院の皆様のこと更に信頼して、素直な心で治療をお願いしてゆきます。
医療従事者の方々の懐の深さ、悲しみの深さ、どちらも決して忘れません。
私が子供を思う以上に、子供は私を思ってくれているのでしょうか・・・。勿体ないことだと思います。
私の親(特に母親)は、彼女の体面を理由に中絶を強く主張しましたが、結婚後は手のひらを返したように子供はまだ?の連発でした。(さすがにこの年になると減りましたが)
今の私にはまだ彼女の考えを理解するに及ばないのですが、もし、子供がこんな自分を許してくれているのだとしたら、私自身も親の存在を受け容れていく道を模索し続けなくてはと思いました。
右手首に、点滴の跡が今もかすかに残っています。
子供の存在を証明してくれる、大事な傷跡なんです。
いつか子供の魂と出会える日まで、しっかり生きて行かなくては・・・。
自分の経験をのままを話すのは難しいけれど、若い人が同じ思いをしないために、何かできることはないか、考えています。
ちっともまとまらなくて、ごめんなさい。
本当にありがとうございました。
ちいまめさん、素晴しいコメントを下さいましたね。
ちいまめさんのおっしゃる通りと、私も思います。
少し、追加させて下さい。
よく、つらい体験をお話し下さいました。
産婦人科医になって十余年になりますが、
中絶を経験された女性の心の内を、ここまで聞ける機会は
そうそうありませんでした。
それから、婦人科におかかりの患者さんは、
前日から心の準備をしているということも、思い出させて下さいました。
日常診療に慣れてしまって、つい忘れがちなことでした。
ブログを書いていると、なかなか得られないような貴重なコメントを頂戴することがあります。
今回、お聞かせ頂いた
「産むことはかんがえられませんか」。
この言葉は、つらい選択をせざるを得なくなってしまった女性たちに、
かけて行きたいと思っています。
中絶を、したくてやる人は一人もいません。
未然に防ぐことが必要なのは言うまでもありませんが、
予防が得られず、責任を一身に負わなければならなかった女性を守っていくことも、
我々医療者の仕事であると思っています。
白眼視することなど、あり得ませんから、心配しないで。
>今は幸せです。
この言葉に、ほっとしました。
過去にあったことを充分過ぎるほどしっかりと受け止めて
今、前向きにいらっしゃる姿勢は、
同じ女性として、素晴しいと思います。
レポートに掲載頂きまして、ありがとうございます。
とっくにダウンロードして、読ませて頂きました(笑)。
他科のお話もわかりやすくお書きになっている先生のブログを、
いつも興味深く読んでいます。
素晴しいですね……
こんな助産師さんが日本のどこかにいるんだ、と思うと安心します。
>納得しがたい出来事や死と出会うたび、「きっと今生きている私には計り知れない意味があるのだろう。」と思っています。
考えさせられました。
どうもこの境地に達せません(苦笑)。
この職に就いて以来、神様はいないんだ、と思うようになったままなんです……
そのときに私の夫,相手の奥さんに対して「なぜ,避妊をしなかったのか」とたずねました。
奥さんは「大丈夫だと思ったから」
夫は「彼女が大丈夫だと言ったから」
私は妻として十分怒っていい立場だったと思いますが,それ以前に助産師として二人を叱り飛ばしたことを思い出します。
「何を根拠に大丈夫だと思っているの!成熟した男女が性行為を持つときの大丈夫なんて事はないってことは中学生でも知っていることよ!」
何がいいたいかといいますと・・・
若年の望まない妊娠は性教育で将来的にストップをかけることができるでしょう。
しかし,親世代の私達の性に関する知識が非常に低い。膣外射精が避妊だと本当に思っている。そして,妊娠の可能性のある場合の緊急避妊すらしらない。
大人がきちんとした知識をしらずして,子どもに何を伝えることが出来るのか,私のプライベートの経験からそのような危機感を感じます。
なので,ぜひとも,子どもに対する性教育は親に対しても分かるように公開性にして欲しい。それが切なる願いです。
それ以外にもどこかで,親世代にもきちんとした知識をもつ場を作ることが必要ではないかと思います。
>乳癌のピンクリボン運動みたいに避妊についても大きな運動にならないものかなと思います。
本当にそのように思います。
すいません。少し,感情的になってしまいました。ただ,30代,40代の方の中絶を受ける方を見るとなんとも言えない気持ちになります。
現場で、同じ思いを抱えている先生なのですね。
ピルに関する啓蒙が必要と、産婦人科医なら誰でも思うことではないでしょうか。
これを思う時、いつも考えるのですが、
わが国にはびこるピルに対する偏見は、一体どこから始まっているのでしょう。
originがわかると、対策も立てられるかと思うことがあります。
しかし、ピルに限らず薬全般に関する偏見から正さないと
いけないのかも知れませんが。
今後ともよろしくお願いいたします。
・・・以前にも、少しお聞きしたことがありましたね。
読んでいて、苦しくなりました。
ななさんは、助産師としてお叱りになったとおっしゃるけれど
私はやはり同じ女性として、到底受け入れられない気持ちです。
ごめんなさい、ここで私が怒っても、何にもなりませんね。
>成熟した男女が性行為を持つときの大丈夫なんて事はない
本当に、その通りです。
年間の人工妊娠中絶数が約30万件、
うち30代が10万件、40代が2万件です・・・
ななさん、私たち生命を預かる現場の医療者は、
どうしたらいいんでしょうね・・・
なな先生,ありがとうございます。
でも,大丈夫です。生きていれば,そんなことがある人もいて,それがたまたま,私だった,ということだけですから。そのかわり,命を授かるかもしれないことを自覚しなかった二人を叱りましたから。
救いは,その命が救われたことです。多分,産む前に発覚しても,私は中絶するようにとは言わなかったと思います。
今は,家族でのお付き合いをさせてもらっていますが,その命の発育を見守らせてもらっています。
>私たち生命を預かる現場の医療者は、どうしたらいいんでしょうね・・・
多分,このことがきっかけだと思うのですが,私は人の人生にはいろいろある,目先のことだけを見て私達医療従事者が怒ったり,辛くなったりはできないな,というふうに考えるようになりました。多忙な現場だけれど,?と思ったときには声をかける,たったそれだけでも,相手の方には何かを与えることや与えられたりすることがあるのではないのではないかと思います。即効性はないですけどね・・・
私もそう思います。
子供には
「神様が見ているからね」
と一応言うけれど。
だってそうでなきゃ
どうして罪のない命が葬られなきゃならないのか
悪いことしたつもりのない人間が不治の病になるのか
…数え切れないほどの不条理がある。
それを「運命」だと
受け入れないといけない現実。
やりきれない思いをどこに向けたらいいのか?
それでも人間は、
いろんな「重荷」を背負って
その重みを感じながら
生きていかなくちゃいけないのだと、思っています。
確か大学生のころ、『ビバリーヒルズ高校白書』を見ていたら(古い)、ピルの飲んでる転校生がいました。正直に話したら、“遊んでる”(性経験がある)と誤解されていましたよ。実際は、もし彼ができて妊娠することのないよう、母親がすすめたんですけどね。
日本では、今でも、ピルを飲んでいる=いつでも大丈夫=遊んでいる、なんて思われてしまうのでしょうか?
確かに、既婚じゃなかったら、飲む勇気はありませんでした。
地域の助産師仲間と保・幼稚園、小・中・高校・専門学校・PTAと性教育に走り回っています。
今日は午前中、中3の生徒さんに2時間続きで「生命の誕生」、その後に性行為の問題点(予期しない・望まない妊娠)について話をしてきました。
私は毎回「聞きたくない人もいると思うけれど、真実を知ってほしい」と前置きをして、私自身が「取り上げた」中期中絶や中学生の出産についても話をします。
実際に生徒さんは、事例を一番熱心に聞いてくれています。
初めての中期中絶の介助の時、受け止めた胎児の顔に「ごめんな」と声をかけ、横から塗れたガーゼを置いた産科の先生。その先生はかつて地域の中学校、高校で性教育の授業を熱心にされた先生でした。産科の集約化が進み「自分達は時間的に性教育に行けない。助産師のみんなで頑張ってくれ」と、バトンを託されました。
先生の志を受け継ぐことは重かったのですが、助産師の仲間と勉強をはじめ、思春期保健相談士の資格(熱心な産婦人科の先生方との多くの出会いがありました)を取りました。
年々依頼は増え続け、昨年は95回の授業。当直明け、当直の入り、休みを利用して授業へ行っています。
主な活動は出前の講義、メール相談(産科医と連携・主に緊急避妊薬の処方と性感染症の受診)。今年一番力を入れているのは保護者、教員向けの講演です。
たった1時間の授業で、こどもたち(大人だって)の性行動は簡単に変わりはしません。
しかし「知識や情報を与えることで、性行為は慎重になる。」これだけは確かなものだと実感しています。
>それが、たまたま私だった。
・・・このように言えるようになるには、
気の遠くなるような葛藤があったのではないかと思います。
素晴しく高い、人間性です。
ななさんは一体どんな女性なのか、計り知れませんね(笑)。
>救いは,その命が救われたことです。多分,産む前に発覚しても,私は中絶するようにとは言わなかったと思います。
もし私がななさんの立場だったら……、と考えてみます。
確かに、その命が救われなかったら、
それは悲しいことだと思います。
ですが、いずれ人格を持ち始めるその命と、
ななさんのように向き合っていけるのか。
自然体でありながらの崇高さに、感じ入っています。
ななさんに、お会いしてみたいな……
>どうして罪のない命が葬られなきゃならないのか
>悪いことしたつもりのない人間が不治の病になるのか
続きがあります。
どうして、胎児や新生児が、死ななきゃならないのか。
この職について以来「神様はいない」と思うようになった理由は
これでした。
胎児や新生児の死にも、意味があるのか。
その死が必要なほどの何かがあるのか。
「ない」と思っています。
ピルに対する偏見は、薬剤自体に対するものが主ですが、
確かに過去にはそのような偏見がありました。
現在はどうなんでしょうね。
偏見は往々にして根拠がないので、
却って解きにくいのかも知れません。
非常に貴重なお仕事をなさっていますね。
性教育が必要不可欠であることは言うまでもありませんが、
やはり、生命医療の現場の者、中絶行為を目の当たりにする職の者が
最適であると考えます。
事例の話が伝えるメッセージは鮮烈です。
看護学校や助産師学校で講義をすることがありますが、
「こんなお産がありました」という話になると、
それまで眠そうにしていた生徒さんたちが、首をあげたりします(笑)
アンさんのようなお仕事は、これからも多くのニーズがあると思います。
お身体にお気をつけて、どうか頑張って下さい。
応援しています。
こちらこそよろしくお願いします。
ところで性教育についてですが、最近は性教育に限らずいわゆる「しつけ」のようなものまで学校に任せきりのような気がしてなりません。
家庭である程度のことは親から子へ伝えるべきだと思います。性教育も然りです。
以前勤務していた病院の助産師さんは、娘さんと月経の日を家のトイレのカレンダーにチェックしていると言っていました。娘の月経のチェックも出来るし、自分の月経のチェックにもなります。月経不順になれば「何かあったのかな?」と気が付く助けにもなります。
普段からこういうことをしていると月経の仕組み、妊娠の仕組みから恋愛、命の大切さなどいろんな話に発展できそうな気がします。
いきなり「性教育」をはじめようとしてもきっかけが難しいですよね。
私も4歳の娘がいるので、彼女が初経を迎えたときは一緒にしようかなと思っています。
でも、息子の場合はどうなんでしょうね。私は自分が4人姉妹で育ったのと子供も女の子しかいないので、男の子の性教育はちょっと思いつきません。(産婦人科で患者さんも女性ばかりだし・・・)でも、荻野先生の言葉にもあるように男の子には女の子や小さい子供を守るだけのやさしさと強さが欲しいと思います。
家庭の教育能力が低下している、ということでしょうか。
かといって、義務教育の場で徳育がしっかりと行われるようになった、というわけでもないように思います。
ということは全体的に、我々大人の教育力が落ちているということになるのでしょうか。
反省しないとなりませんね。
せめて、専門職としての患者教育、一般の人に向けての啓蒙の力は落とさないようにしていきたいと思います。
確かに、性教育だけ家庭で始めようというのも、無理がありますね。
ましてや、女親が男の子の性教育までやっていくのは、
なかなか難しいのではないでしょうか。
男親の出番と思うのですが、現在の日本の環境では
これもまた大変そうですし。
課題は山積みです(笑)
性という字は「心」と「生きる」という字から出来ている。
性教育とは生きる心を教えること。
私もしがない産科医で、中絶もやっていますが、中絶は産科医の原罪のように感じるときがあります。なかなか割り切ることは出来ませんね。
心を生きる、と書く。
素晴らしいです。
今まで気づきませんでした。
荻野先生は、同じ談話の中でこのようにもおっしゃっています。
「現行の法律はしかし、我々の感情とは別の方向を目指しているのだから、医者の立場として、とにかく障害が残らないように万全を期して”処理”する以外に道はない。もしそれを拒めば、結局はモグリのインチキ医者が横行するという、更に悪い事態がやってくるだけであろう。」
割り切ることはできないし、
割り切ってしまったらおしまいではないかという気がしています。
平成元年卒の産婦人科医です。
わたくし、別に宗教は持っていませんが「神様はいる」とずっと思い続けております。
それならなぜ、罪もない胎児、新生児が亡くなるのか?
その意味を、必死で考えることも含めて、神様が人間に課したことと思っています。
わたくし自身が死ぬまで、考え続けるつもりです。
いつも思いやりにあふれたコメントをなさっているなな先生の心に、神様がいないのは、仕方ないこと、と理解はできます。
自分が死んだら、たとえ地獄におちたとしても意地でもがんばって神様にお目にかかって、いろいろなことを聞きたいのです。
きっと全部答えてくれる。
そう思うと、自分が死ぬのも、ちょっと楽しみに思っています。
私も「神様はいる」と思って生きている一人です。
ただし、勧善懲悪的で、弱きを助け強気をくじくというような、人間から見て分かりやすい、都合の良い神様がいるとは思えません。もしそんな神様がいたとしたら、その神様は単に人間の奴隷に過ぎませんから。
神様が、赤ちゃんを望む方に赤ちゃんを授けないのも、
逆に赤ちゃんを望まない方に赤ちゃんを授けてしまうのも、
その意図は人間には分からないことだと思います。
2番目に貴重な書き込みをされた方の人生にとって、生まれることのなかった赤ちゃんが、今も大きな存在であるように、全ての命は、生まれても生まれなくても、誰かの人生に何らかの影響を及ぼすと思います。そして、その影響が更にどのような結果を生むのかは、神様しか知り得ないことです。
だからこそ、全ての命は、計り知れなく貴重な、かけがえのないものなのだと思います。
すみません。以上、クリスチャンの戯言でした。
先輩産婦人科医でらっしゃるのですね。
新生児に近い胎児や、新生児が亡くなっていく例を
何例もご経験されたことと思います。
いつかは先生のように考えることが、できるようになるのでしょうか。
いえ、私にはいつになってもできないのかも知れませんね。
意味などわからなくていいから、あの赤ちゃんを返してあげてほしい、
というのが、偽らざる気持ちです。
クリスチャンの立場からのコメントを、ありがとうございます。
産婦人科医になるまでは、「神様はいる」と私も思っていました。
神様を信じられない人生になってしまったことは残念ですが、
これも現実と、受け止めています。
このエントリーと僻地の産科医先生のコメントを
(ほかの方のコメントもそうしたいのは山々ですが)
印刷して誰かに渡すとか、掲示物にして不特定多数の人の
目にとまるところにはらせてもらうとか、しても
いいのでしょうか。
若者の中絶が多いと思って調べていたら、
そうでもないことに驚きました。
親も、子も、思いをいたす。
そんな地域になればいいな、なんて。
早速僻地の産科医先生にご連絡したところ、ご快諾下さいました。
「より多くの方々に性について考えていただきたいですよね!
お声かけてくださってありがとうございますとお伝えくださいませ! 」
とのことです。いけてる先生でしょう(笑)。
僻地の産科医先生もおっしゃっているように、この問題を
多くの方が考えて下さることは
産婦人科医としてブロガーとして、大変嬉しく心強いことです。
よろしくお願い致します。
ドラッグストアに、ちゃんと避妊具を買いにくる若い人は、
きっと誉めてあげていいのでしょうね。
問題は、それができない人たちです。
この荻野先生の文章、「世の男性諸君に」になっているのが
いいところだと思うのです。
「就学中の中絶は、男は無傷、女は地獄」と表現した産婦人科の先生がいました。
女性は自分の身体を、男性は女性を、守って欲しいですね。
この場を借りて、追加です。
産婦人科外来には、大正レディーが患者さんとしていらっしゃることがあります。
問診票には、妊娠回数と出産回数を書く欄があるのですが、
80歳を超える女性が、中絶回数を正確にお書きになっています。
このように人工妊娠中絶は、一生忘れることができないのでしょう。
聡明な行動力に敬意を表します。
また、私が普段大切に思ってやまない女性の健康と、
愛する周産期医療を守って行こうという働きかけの
一端を担わせて下さったことに、心から感謝します。
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