民主党代表選は小沢一郎代表のほかに立候補者がなく、無投票での三選が決まった。次期衆院選で民主党政権が実現できるか、小沢氏は政治家としても正念場を迎える。
政権交代可能な二大政党制の実現が小沢氏の一貫した信条だが、対決一辺倒の国会運営などその政治手法は強引そのものだ。かつての新進党の結成と解党、自由党の連立政権参加と離脱などで「壊し屋」の異名も取った。
二十七歳で衆院初当選。自民党中枢派閥に所属し、四十七歳の若さで自民党幹事長を務めた。一九九一年の自民党総裁選で出馬表明した宮沢喜一氏らを「面接」した剛腕ぶりが印象に残る。
選挙に強いことでも定評がある。「どぶ板選挙こそ民主主義の原点」と、著書で主張しているほどだ。昨年七月の参院選で選挙区回りに徹し、与野党逆転を実現し「小沢神話」をアピールした。
民主党には、福田康夫首相の退陣表明に伴う自民党総裁レースにばかり有権者の注目が集まり、存在感が薄らぐことに警戒感が広がる。小沢氏の対抗馬がなく、政策論争を深める機会を失ったためだ。
「生き残るためには、自ら変わらなければならない」とは、小沢氏が常に心掛けている言葉だという。今後は、日本をどう導いていくのか政権構想についても存分に語ってほしい。