日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
以下、全て私見(というか偏見?)です。
結論から言うと、大学院に行ったことは、心から後悔しています。
得るものが全くなかったとは言いませんが、失ったものが大きすぎました。
医学部の大学院は4年間。
多くの大学では、数年臨床をやってから大学院に進む慣例になっています。
つまり、臨床医として最も伸び盛りの時期に、臨床を離れて研究をすることになります。
これは、特に外科系の医師にとっては、致命的です。
臨床好きの私は、元々研究がしたくて大学院に行ったわけではなく、
敬愛してやまない恩師井上先生(仮名)の強い勧めに逆らうことができなかったから、
といういきさつでした。
途中何度も辞めたいと言ったのですが、
私がいた大学院は、やくざの組事務所のように
一旦入ると、まずは辞めさせてくれませんでした。
研究で身を立てようとしている研究室の人たちにも、申し訳なかったと思います。
基礎研究の知識のない医学部卒は、卒論を書いた経験のある他学部卒の人と、
実力が全然違います。
また、研究がうまくいかなくても何とか生活していける我々と、
研究がうまくいかなければ失業しかねない研究者たちとでは、
研究に対する気迫が、明らかに違いました。
要するに我々は、研究の下働きをしながら論文を書かせてもらって、
数年でいなくなってしまう。
あれでは研究者が、医師という職業に敬意を払えなくなってしまうでしょう。
何よりも、根っから好きな臨床ができないことで、心荒みました。
一度しかない人生の、貴重な時間を損失しました。
後輩たちへ。
臨床医としてやっていくのであれば、大学院に行ってはいけません。
臨床医として、無為の時間を過ごさないように。
固定リンク | コメント (34) | トラックバック (0)
コメント
コメント一覧
私が大学院に入ったばかりの時は、入院患者を持たされ、検査、外来、救急当番と、ただでこき使われて、大学院なんて入らなければよかったと真剣に後悔しました。でも、今は大学院に入ってよかったと思っています。理由は、尊敬できる上司に出会えたからです。それが大きな収穫でした。
外科系の医師にとっては技術の伸び盛りの時に臨床を離れるのは辛いでしょうね。今後は医局制度は崩壊して、大学院に入る人も少なくなりそうな気がします。
もともと入局した時の教授が、そんなとこ行かなくても研究は出来る! ってもちろん、基礎の研究は無理なんですが(^o^;そういう考えの人の下で育ったからかも知れませんが、新しい教授が全員大学院に!!ってのに馴染めませんでした。研究しないなら大学から出ていけみたいな感じだったので臨床を離れざるをえなかったのですが、人が足りなくなると、帰って来るか、北へ行けと!
うーん大学病院で臨床だけするってのが理想なんですけど無理ですね(^o^;
結局は尊敬する師匠次第なのかな?未だに流されやすい僕です(^o^;
良く、医師の肩書きで、医学博士とあるのですが、あれは大学院4年間を修了して、論文を書けば、医学博士になれるのですか?
アメリカではMD,PhDはごく僅かです。博士号をとるには論文を沢山書いて掲載させ、1冊の本を作らないといけません。マイアミの友人がPhDをとるのを見ていかに大変か分かりました。
肩書きが欲しいのは正直ありますが、日本でも博士号を持ってなくても優れた論文、研究実績があれば教授、部長になれるという事実をアメリカのように作らないと、これからも沢山の医師大学院生を作ることになります。
ここの脳外科でも2年間のリサーチが義務付けられています。必ず1編は論文を書くことになっていますが、博士号はとりません。一生脳外科をする上で2年間研究生活を送ることは非常に良いことだとアメリカの脳外科主任教授が言っていました。
長くなってすみません。
私の医局では医局に入ったら大学院に入るのが当然という流れでした。メタボ先生のところと同じですね。
基礎の教室に出入りさせてもらって実験していましたが、何かしたい研究があるわけでもなくただルーチンなシステムで行っていた私は、本物の基礎の先生方には気が引けてました。
私の医局は内科ですが医者になって5年目に院に入るシステムで、一番臨床の伸びる時期に院に行かされたのは、臨床医としてやっていく自分にはやはり無駄な回り道だったと思います。
私の時代は国家試験に通ったらどこかの医局に入るのが当たり前、医局に入らないはぐれ医者は問題ありとみられる時代だったので仕方がなかったと思いますが、これからは臨床医として生きていきたい人は医局に入らず、研究がしたい人だけが医局に入る時代になるのでしょうね。
大学病院での一般臨床医としての初期研修が理想的でないことを考えれば、そりゃ~大学病院の入局者は減って当然ですし、医局に入らなくてもまっとうな医師になれるとわかってしまった昨今、研修制度をまた変えても医局離れの流れはもう止まらないでしょう。
医局の同僚が集まって厭味と懐かしさを胸に医局の話で盛り上がるのは、退役軍人が昔話で盛り上がってるのと同じような感じで、今の研修医にはノスタルジックな前時代的な光景に映っているのかもしれませんね。
わたしは実社会に出た後にMBA(経営学修士)を取りましたが、ビジネススクールで教えることだけで実務をこなすのは絶対に無理です。
高学歴者が集まっているアメリカ系のコンサル会社に数年勤めたことがありますが、ビジネスの現実に無知な人が多かった。給料は高かったけれど、小さいながら良心があったのでやめました。
博士課程にすすみ、ビジネススクールの教授になった秀才の同級生が手がけたビジネスはことごとく失敗しています。(彼がはじめた電話会社の社長になってくれと頼まれた時に色々調べて分った。出資だけで勘弁してもらった。七年たっても赤字続きで配当なし)
彼氏、いまだに経団連や東京大学に招かれていますが、ニッポンダイジョービ?・・・
いつか、ブログで書きたいと思ってたエントリーです。
例えば、熟練の産科医あるいは泌尿器科医が、
「膣に放たれた精子の運動エネルギーがどうやって確保されるのかに興味を持てるようになること」
が、大学院教育の成果・・・というのでは、いかがでしょう?
変な例ですいません。
でも、不思議です。
精子と同じように鞭毛で進むような、現代科学の粋を尽くした、ナノテクノロジーで創られた機械は水の中でさえ進めないそうです。しかし、精子にはミトコンドリアが6個ぐらいしかないのに、自分の体の1000倍以上の距離を進むのですから、やはり好気代謝でしょうか?
でも、その酸素はどこから取り入れる?
膣の粘液中の酸素?それとも、射精時からミトコンドリアに蓄えられていたブドウ糖を使って嫌気代謝??
精子のエネルギー代謝不全が男性不妊の原因?
おそらく、基礎の研究者には、不妊の研究をすることは不可能だと思います。
PS:書き込む場所を間違えました。大学院教育(1)のほうの私のコメントを削除願います
人間では、30μmの肝細胞には2500のミトコンドリアが・・・。
それより大きい50μmの精子には、16個のミトコンドリアしか存在しない。たった16個のミトコンドリアで毎分3m進む?
(200μmの卵子には、100,000個ものミトコンドリアが存在すると言う。)
精子のミトコンドリアは運動のために使われるのだろうか?
とすると卵子の10万のミトコンドリアは過剰?
もちろん忙しかったわけですが、コストパフォーマンスに優れた、ネーベンアルバイトを優先的にもらっていたので経済的にはめぐまれていました。
なな先生がすすまれたのは、研究オンリーの大学院だったのですね。
臨床研究がテーマにあたえられていたら、少しはやる気もでるのでしょうが、分子生物学は、正直臨床好きな人には……かもしれません。
で、大学院、是か否かということになると、各自の考えたでしょうか。
もし、医学部教授をめざすなら、これからは、院卒のほうが有利でしょうね。
臨床で食っていくのなら、不要ですわな。
あと、実験がすきかきらいか?
あかがまは、子供のときから、実験は好きだったので、すんなり、研究にうちこめましたけれど。
興味のないものに時間をかけるのは、難行苦行でしかないですから、なな先生には苦痛だったかもしれないですね。
ただ、院を終わって、何とか、「学者」に恥ずかしくない、能力はついたかも…と思います。
で、結論。
院を選ぶときは慎重に。
四年間耐えられるか。
一度入学したら、中退するのは相当エネルギーがいる。
無理だとおもったら、親の遺言でも、はじめから、近寄らぬが吉。
インチキハードボーラー先生、学位は、持っていてもありがたみはすくないのですが、無いと結構気になるものです。
もらえるチャンスがあるのなら、頑張ってみたほうがいいと思います。
臨床研究のペーパーなら、勉強したことも、将来の仕事にフィードバックされる可能性も高いですから……。
無給の大学院生医が大学病院の診療を支えているという実態は、
どこも同じですね。
人脈が広がり、良い出会いがったという点も、同感です。
前向きに捉えていらっしゃる先生の後に、
私も続けるといいのですが。
トップが代わって、なかなか大変な時期をお過ごしになったようですね。
> 結局は尊敬する師匠次第なのかな?
妙に共感します。
師匠の意思に従った結果、大学院にコンタミしてしまいましたので(笑)。
先生のように「流されやすいから~」としなやかに考えられると
positiveな人生を送れそう。
素直な質問をありがとうございます。
医学博士の称号を取得する方法は2つあります。
ひとつはバリ島さんのおっしゃるように、大学院を修了する方法。
もうひとつは、論文を書いて博士号をもらう方法です。
医学部出身でなくても、論文が審査を通れは医学博士になれます。
ちょっと不思議でしょ?
>日本でも博士号を持ってなくても優れた論文、研究実績があれば教授、部長になれるという事実をアメリカのように作らないと
本当にそうですね。
そして更に、優れた臨床力を持つ人材が臨床教授に選ばれるシステムの確立が理想と思います。
問題は、「臨床力」をどう評価するかです。
医者同士で評価するとしても、患者さんに評価して頂くとしても
それぞれ歪みがありそうです。
Tai-chan先生あたり、ちょっと思いつかないようなアイディアをお持ちではないかと期待するのですが
如何でしょう(笑)。
医者が研究をすることには意義があると思いますが、
やはり時期が適していてこそと思います。
先生のように、かなり経験を積んでから研究生活を送ると、
また違ったものが見えてくるのではないでしょうか。
ところで、長文のコメントは大歓迎です。
このブログ、いろんな立場の方がいらっしゃることと、
本文よりずっと豊かなコメントを書いてくださる方が何人もいるのが自慢です(笑)
> 私の医局では医局に入ったら大学院に入るのが当然という流れでした。
いろんな医局があるのですね。
先生のご経験とお考え、今後の見通しと、退役軍人の例え、
とても興味深く、面白く読ませて頂きました。
医局制度は、医局をひとつの株式会社と考えると、
価値観が明確で、いい面もありますが、
やはり今後は廃れていくのでしょう。
私の病院にもスーパーローテートの研修医が来ていますが、
「研修が終わったらどうしますか」と聞くと、
実に様々な答えが返って来ます。
医局に属さず、市中病院に就職するという人はもちろんのこと、
最初からバイト医になって、株で生計を立てるという人、
医療関係のベンチャー企業を考えているという人。
とてもついて行けませんが、
医者としての在り方に選択の幅が出てきたということでもありますので、
良い傾向なのかも知れませんね。
分野は違っても、結局
「肩書きだけではダメ、実務ができないと成功できない」ということでしょうか。
「ニッポンダイジョービ?」も、なんだか我々の世界の経済界版のようです。
医療の世界のトップも、現場の仕事を知らない人が机上で操っている結果、
どんどんおかしなことになっています。
そういう構図がどの分野でも同じとなると、
変えるのは相当手ごわいのかも知れませんね。
今後ともよろしくお願いします。
ネーミングがユニークですね(笑)。
臨床研究は、臨床医にしかできないこともたくさんありますから、
プライドを持ってやる価値はあると思います。
でも、学位そのものは、普通に町医者をやるのであれば不要です。
しかし、上記あかがま先生のおっしゃるように、
「ないと結構気になる、もらえるチャンスがあるなら頑張ってみては?」
という考え方も、全くその通りと思います。
名誉欲とも無関係ではないでしょうから、
男性と女性とでは、少し隔たりがあるかも知れませんね。
そう、おっしゃる通り、不妊に関しては最も臨床医がやるべき分野であることは
産婦人科医であれば、理解できることです。
それを外科医である先生がご指摘されるとは。
うーん、先生のような敬虔な外科医で、かつ研究に優れた洞察のある方が指導医だったら、
私の大学院観も違ったものになっていたでしょう(笑)。
実際は、不妊の分野も農学系や薬学系の人もやっています。
研究室での指導者だった先生は医学部卒ではありませんが、
多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)の面白さに取りつかれ、
熱心にご研究されています。
産婦人科は範囲が広すぎるのも問題なのかも知れません。
女性外科とも言うべき婦人科腫瘍専門医や、女性メンタル医ではなく、
不妊専門医が不妊の研究をすることは、非常に意義があると思います。
先生の下さったコメントが、総括になりました(笑)。
そうなんです、臨床研究をしていたら、また違っていたと思います。
週1回、外来と当直はありましたが、
その日以外は毎日毎日朝10時~深夜2時まで
細胞や大腸菌を培養したり、
SDS-PAGEしたりウェスタンブロッティングしたりシークエンスしたり
ゲルシフトしたりGST-pull downしたりしていましたから。
大学院生活について楽しそうに語り、
「学者」に恥ずかしくない、能力はついたかも…とおっしゃる先生は、
とてもうらやましく、素敵です。
> 無理だとおもったら、親の遺言でも、はじめから、近寄らぬが吉。
私はこれで失敗しました(笑)。
強く拒むことも求めることもできないふにゃふにゃの性格が、災いしたのでしょう。
人生、こんなことでいいのか?!
でも今は、あの経験が今の自分を作ったのだとpositiveに考えています。
私も若い先生たちにどうアドバイスしてよいか悩むところです。
でも、先生の4年間が、長い目で見れば決して無駄になるとは思いません。
確かに、臨床医にとって4年間臨床を離れるのはきついですね。
内科系でも、循環器なんかは、4年もたつとカテの種類がごっそり変わっていて浦島太郎状態です(笑)。
でも、私の場合、臨床をする場合でも、基礎系のPhDの人たちの発想、ロジカルシンキングはとても勉強になりました。
名人芸の部分も勿論必要ですが、ロジカルに診断治療を考えるのにも、後輩を指導する時にも役立っているような気がします。
一見無駄に見えることにもなにがしかの大切な意味があるのではないでしょうか。
えらそうにわかったふうなことをいってすみません。
私も2年間ですが、基礎研究をしていたときには、「俺は世間のごくつぶしではないか?」と悩んでいました(笑)。
地方医大では臨床を「離れる」ことなどできませんでしたよ。ある程度のいい大学でない限り、臨床を離れて研究に没頭することはさせてもらえないので、それはそれでうらやましいです。
ただ、いずれにしても、研究の好きでない人が学位とやらを目的に好きでもない大学院に入学する時代は、終わるでしょうね。英米でもMDだけを名乗るヒトの方が圧倒的に多くなっていて、PhDも持っていると随分すごい人扱いされます。それが日本のいいところでもあったのですが、現在の日本の破壊され尽くした環境では死滅してゆくでしょうね。
そうですね、あの4年間が無駄になったわけではないと思います。
先生のように、私もロジカルシンキングに触れることができました。
scienceとはこのようにして発展していくのか、ということを
大学院に行かなかったら、わからなかったと思います。
まだ、学位取得後約5年です。
現時点では、残念ながら失ったものの方が大きかったと思っていますが、
これから先、先生のように考えられる日が来るといいな、と思っています。
現行の大学院制度は、とうに見直しの時期に来ていると、私も思います。
私の大学でも、最近になって「大学院試験受験の自由」が出てきました。
大学院の本来の目的は、研究をすることのはずです。
何につけ、本来の目的から離れた使われ方をすると、
間違った方向に行くのかな、という気がします。
しかし、大学院制度云々をする前に、
産科医療は東京でさえ、かなりのスピードで崩壊しています。
先生は、ご留学中なのでしょうか。
今ご帰国されたら・・・びっくりなさるかも知れません。
なな先生はずっと臨床をバリバリされているような
イメージだったので、基礎系の大学院に入られていたとは
意外です。(すみません 笑)
僕自身は、研修先の病院でこのまま臨床をやっていく自分の将来に疑問を持ち(一つは研修先の上の先生が余りにも
EBMとはかけ離れた医療をしていたことにショックを受けていました)大学に戻りたいと思い、自ら大学院に進学した変わり種です。
ほとんど、医者で無くても出来る雑用をひたすら3年間
やってきましたが、変にオペだけ出来て天狗になったり、
雑用を馬鹿にしたりしない医者になるには自分にとっては
良かったのかとも思います。
いろいろな先生(良い先生も悪い先生も含めて)に
会うことは最初のうちは大切だと思います。
いろいろな先生に会えるという点で言えば、医局制度も
まだ少しは使いようがあるのかなとも思います。
自ら選んで進学するのが本来の姿です。
そして結果としてもよかったと思えるなんて、
こんなに素晴らしいことはないと思います。
大学院で、一流の研究者と言われる人たちの姿を見ました。
その人たちの共通点は、
時間や約束を守ることと、
雑用をきちんとこなすことだと思います。
> 基礎系の大学院に入られていたとは意外です。
はい、自分でもそう思います(笑)
自分も卒後8年目の産婦人科医でありながら,現在来年3月に大学院卒業を目標に,基礎畑での実験真っ只中です.それこそ,細胞達を必死に元気に育て,ウエスタン,免疫染色,RT-PCR・・・ひたすらに.臨床研究とはかけ離れた研究で,何度も何度も,やってることの意義について自問自答を繰り返してしてきました.幸いにして,外来や手術を多少なり出来るが唯一の救いです.朝は6時から夜中まで実験・・・当直で夜通し呼ばれた日には暗室で熟睡です(笑)!
若手おとこ産婦人科医
最終学年ですか。頑張りましたね。
もうちょっとですから、もらえるものはもらって、
後は好きなことをやりましょう!
それにしても、どこの基礎大学院もおんなじなんですね。
私のとこの暗室は、わるいことに鍵がかかりました(笑)
たまに捜索隊に救助されました。
また遊びに来て下さい。
う~ん、と思いましたが、
今は後悔しておりません。
院に入る前はエクセルの使いかたすら知りませんでした。
4年間みっちり研究だけというわけではなく
実質1年半程度の研究期間です。
さっさと論文書いてティーテルとって卒業
したいとは思っておりますが(過激?)。
実験の間って、凄い待ち時間が長いんですよね~。
そんでもってなな先生にたどり着くことができました。
今ほどネットが発達していなければ
相当苦痛だったと思います。
義務の大学当直(月2回)、
稼ぎに当直に行くにも(月10回ぐらい)、
ネットでどこかの先生とつながっているので
寂しくありません。
たまにくも膜下出血がきて
リハビリができます。
私も100%無駄だったとは思っていないのですが。
奴隷医が奴隷でありながら心身の健康を保っていられるのはは
「好きなことしかしない、好きなものしか食べない」からです(笑)。
大学院生活は、この健康法から完全に外れていましたので。
>さっさと論文書いてティーテルとって卒業
したいとは思っておりますが(過激?)。
過激→正直に訂正すると正解です(笑)
文体に心を痛めながらコメントを読みました。
この記事は、学位を取得して数年経過しても、未だに自分の選択を肯定できずにいる、私の懺悔でもあります。
しかし、本文にも書いた通り、得るものがなかったとは思っていません。
> 臨床医とは何か
このご質問に対しては、「臨床力とは何か」という形でお答えします。
個人的な見解ですが、臨床力とは、教科書に載っていない知識と技術をいかに習得するかによって、かなりの部分が決まってくると思います。
従って各人の限られた能力の中では、臨床の現場に身をおく時間の長さは、重要な因子になって来ます。
小松秀樹先生の「医療崩壊」から引用します。
「大学院での研究には、臨床医でなければできない臨床に密着した研究もあるが、多くは基礎研究である。外科系教室では、めったに、基礎研究を高いレベルで維持できていることはない。しばしは、基礎医学の教室や研究所に大学院教育を丸投げする。丸投げされた研究室では、大学院生を下働きに使う。4年間みっちり手伝わせる。さらに野心的な医師は大学院卒業後、しばしば2,3年留学する。(中略)
これは医師としてもっとも重要な時期である。外科系の診療科で、30歳代で6年間手術から離れると、外科医として致命的になる。卒後10年も経つと、いくら下手でも誰も教えてくれなくなる。自然と手術から引き離されることになる。普通のレベルに追いつくことも困難だし、ましてや先頭に立つことはあり得ない。」
小松先生は、一般的にありがちな大学院生活について、更に外科系の診療科に限ってお話しをされています。ですので、この範疇には入らないケースも多々あるでしょう。
> 適切な目的を持った研究は生涯の目標になると思います。
大学院進学を考える場合は、まずは研究テーマを自由に選べるのかどうか、前もって知っておく必要があると思います。
> 4年間の研究生活でも臨床の勉強は工夫すればできると思います。
> その患者さんの病気のことを深く勉強して、生半可じゃない知識をつけ、新しい治療に結び付けられるのではないかと考察する、
おっしゃる通りです。
「失ったものが大きすぎた」と外科系の一町医者は、思うのです。
「得るものがなかった」のでは、ありません。
基本的には、あなたのおっしゃるとおり、わたしも研究と臨床の両方が必要だと考えています。研究をまじめにやった目で臨床をすると、病気に対する視点、考え方が変わるのは事実だと思います。ちなみにわたしは、小松先生がお書きになっているように実質的には4年間を手術から遠ざかった外科医です。もちろん、自分の専門の手術から遠ざかった時間が長かったので、復帰後3ヶ月は不自由を感じましたが、手術とは自転車のようなもので、以前に乗れたのなら、しばらく乗らなくても、また以前のように乗れるものです。
ちなみに、わたしは失ったものはありません(当然、得た手術技術もありませんが)幸いなことに後悔には結びついていません。
失ったモノが多すぎたかどうかは、結局経験してみなければわからないことで、感じ方は人それぞれだからいいんじゃないでしょうか?
だから感想はともかく、得たモノが大きすぎたと思われるよう、楽しめばいいのだと思います。
私も外科系の大学院生をしております.
すでに3年目になりますが,いまだに臨床を離れて大学院に進んだことに迷いながらいます.
そのためにこのブログにたどり着いたのですが.
私は研究すること自体は良いことだと思いますが,現在の大学院のシステムが問題であると思います.
医局がいまだに大学院生を下働きの労働力,学位は「取らせてやる」ものと考えていることが問題ではないでしょうか.
外科医がこの時期に3-4年臨床を離れることの失うものの大きさに見合うだけの価値が大学院生活に必要なのではないでしょうか.
残念ながら私の教室をはじめ,そのような有意義な大学院生活を送ることのできる教室とはごく少数なのではないでしょうか.
過去記事をお読み下さいまして、ありがとうございます。
先生のおっしゃるように、現行の大学院制度はシステムに問題があると思います。
医師免許を持った者が、無給で手術も外来もこなすあり方は、やはり異常と言えるでしょう。
しかし大学院で得た知識や手技を生かして、
卒後も活き活きと研究をしている人もいます。
私自身も、科学的思考が多少なりとも会得できた点と、
尊敬できる研究者に出会えたことは、プラスでした。
何事も、経験を活かせるか否かは、本人次第なのでしょう。
ここに書いたことも、まだ修行途上にある臨床医の一例に過ぎません。
ガタカ先生も、ひとつでも多くのプラスが得られますように。
コメントを書く