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先日、Women’s health(女性健康学)の勉強会に出席してきました。
その日の課題は「女性に対する暴力」です。
DV(ドメスティック・バイオレンス)や性暴力に関しての研究は、我が国は非常に立ち遅れており、
この分野に関しては、諸外国の研究なしでは成り立たないのが現状です。
この日は、海外からこの分野の権威の先生がお見えになっていました。
「” Shitsuke”, Japanese traditional domestic violence is・・・」
のっけからこんな言葉が飛び出して、驚きました。
もちろんJokeで言ったことですが、国際学会の会長を務めるような先生の言葉です。
「躾の一環としてやったこと」
「愛の鞭だった」
子供を虐待し、大怪我をさせたり、ひどい場合は命を奪ったりした親の、常套句です。
ですが、躾であろうが何であろうが、
「とにかく体罰は一切だめ」というのが、心理の世界の常識です。
子供は親との関係から、様々な情動や人間関係の基本を身につけます。
他人に対する愛情の基本は、親から注がれる愛情から学びます。
なので、親からたっぷりと愛情を注がれると、他人にたっぷりと愛情を注げるようになります。
主従関係や上下関係の基本も、親との係わり合いから身につけます。
子供にとって親は、「支配者」であり「目上の人」です。
子供が目下の者や自分より弱い者と接する時も、
親との係わり合いがそのまま鋳型になるのです。
「目下の者が自分の言うことを聞かない場合は殴る」ということを刷り込まれてしまったら、
子供は親のやり方しか知りませんので、「言うことを聞かない弱者は殴る」ようになってしまいます。
「そんなことを言ったって、動物並みにものの善悪がわからない年齢であれば、
言うことを聞かない場合は痛い思いをさせるしかないでしょう」
そんな反論も出ていましたが、その先生は柔らかな笑顔で、こうおっしゃっていました。
「今、言うことをきかせることが、その子にとって最良のことですか」。
もちろん、現実はなかなかうまく行かないでしょう。
親に殴られた子供が、必ず暴力をふるう人間に育つわけでもありません。
ですが、昨年、路上生活者が数人の若者に殴り殺されるという痛ましい事件がありましたが、
犯人は全員、親から暴力をふるわれた子だったそうです。
暴力は、連鎖します。
人を殴る子に育てたくなければ、親が子供を殴ってはいけないのではないでしょうか。
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コメント
コメント一覧
いつも拝読させていだたいています。
DVと体罰の関連性の研究は比較的新しい試みだと認識しています。DV被害の母親が子供に暴力をふるう傾向にあることが指摘されているようです。つまり、被害者である妻が母親であるときには加害者になるという、暴力の連鎖があるわけです。まさになな先生のいうように「暴力は連鎖します」ということでしょう。
文系の日本の女性学のほうの話なのですが、ここ最近、「産婦人科医不足」が世間的に話題を集めているので、日本の女性学研究者が何かしらの意見が提言があるかと待っていましたが、何もないようですね。わたしとしてはお茶大のジェンダー研あたりからの見解を聞いてみたいと思っているのですが・・。
焦点がぼけたコメントですみません。
でも、私は、当然人に暴力を振るったこともないし、格闘技などは見るのもキライです。ダンナも決して、私に暴力は振るいません。
しかし、最近、親戚で夫の暴力が原因で離婚をして戻ってきました。この間の事件のように、殺人をする前に離婚してきて良かったと思いました。なんだか、変なコメントで、すいません。
前コメントに対するお返事、またまた温かいお言葉でティッシュが涙でグショグショになりました。あの時、先生に出会いたかったです。なな先生だったらどんな対応してくれたんだろうってずっと想像してました。
いつまでも患者の気持ちがわかる素敵なお医者様でいてくださいね。
躾と暴力。どこで線引きしたらいいのか子育て中の親としては難しいところです。ママ談義では自分の子が叩かれたら叩いた子の親が同じようにその子を叩いて「ほら痛いでしょ。お友達も痛かったのよ、謝りなさい」と対応する親は評判いいですが、穏やかに言い聞かせるだけの親や全く叱らない親は嫌われてますね。
日常茶飯事的に叩く親は問題外ですが、ここぞというときに「叩く」ことも必要かと思います。二人の子育て9年目で手をあげたことは指で数えるぐらい(両手でおさまります)ですが、よく人から「穏やかでいい子たちね。どう躾したらそんないい子に育つの?」と聞かれます。特に下の子は「神童」とまで言われます。いたって普通に過ごしておりますが^^;
諸外国はペスタロッチの「愛の教育」がお手本になって
いるので、日本の古き良き時代の「加減のわかるせっかん」
が理解しにくいのかもしれないです。
…がしかし、さすがに今の食も情報も豊かな時代になって
「せっかん」が「虐待」になっている事実も否めなくはない
ですよねぇ…。
体罰を与える成人も、加減がわからなくなっている昨今、まずは大人から再教育がいいのかも(f^^;
…とりあえず、アホなコメントを書いた私からお尻ペンペンでしょう!(笑)
子育て世代真っ最中の者としては
考えさせられます。
最初の子供の時でした。
団地だったので同じ生まれの子の親達が
集まります。
びっくりした光景に出逢いました。
ある男の子が食卓に登った時です。
その子の母が冷静に
「○ちゃん。降りなさい。5のうち5・4・3・・・。」
と、カウントダウンを始めました。
そのお宅の躾はどんな時もカウントダウンでした。
また、そのお子さんもしぶしぶカウントダウンが始まると
言う事を聞いています。
なんだか納得がいきませんでした。
でも、親子で冷静だから・・・と、うちでも試しましたが
全然ダメでした。
長男は我が強く、そんなものには応じません・・・
しかし成長した長男を見て
”これで良かったんだ”と、感じました。
自分の気持ちをはっきり伝える子に育ちました。
私も試練の連続でしたが・・
今の世の中、効率良く、とにかく早く!速く!を
要求されます。どんな事にもそうです。
社会全体がそうですよね。
だったら子育てにだって要求されてしまうのは
当たり前だと思います。
でも、子供にだって感情があるのです。
すぐには動けません。お利巧にはいられません。
”じっと待つ””見守る”・・・これが
人を育てるのだと思います。
効率良く、速く!の潜在意識の元、
子供達に暴力が向けられるのは
避けられません・・・・
社会全体・・・もっと見守って下さい。
もっと待つ勇気を下さい。
そうすれば躾の名の下、暴力も減ってくるのでは
ないでしょうか。
話題からそれているかもしれません。
うまく伝えることができませんが・・・
女性学と産婦人科医療問題。
新しい切り口ですね。
狭いながらも私の知る限りでも、誰も何も言っていないと思います。
私の身の回りにも、Women's healthを取り入れた医療をやっている人は何人かいますが、凡そ国内に向けて何か発信しようという考えはないようです。気持ちはわかりますが、益々日本におけるWomen's healthの発展が進まなくなってしまいますね。
今後ともよろしくお願い致します。
ここはそもそも「つぶやき」の場なので、
好きなことをつぶやいて頂ければ良いのですよ(笑)。
実際は、とっても難しいと思います。
医学と病気がそうであるように、
学問と教育の現場もまた、個々の例によるということなのではないでしょうか。
学説として確立していくには、どのような傾向であるかを分析しなくてはなりませんし、
子育ての現場では、他の子がどうであっても目の前の子の事情が最優先ですものね。
そう、上のコメントにも書いたように、一概には言えないと思います。
個人的な印象ですが、「痛い思い」をさせることが、将来的にその子が暴力をふるう子になるかどうかは、「痛い思い」の頻度によるのではないかと思っています。
毎日のようにたたかれている子と、年に数回バチンとやられる子とでは、その子にとって「たたかれる」ということの意味がちがってくるでしょうから。
>…とりあえず、アホなコメントを書いた私からお尻ペンペンでしょう!(笑)
嬉しそうにしていては、ペンペンしてもお仕置きになりませんね(笑)。
本文にはえらそうなことを書きましたが、実際の私は
飼い犬でさえ、たたくことはおろか、叱ることもできなかった教育能力ゼロ人間なんです(笑)。
>今の世の中、効率良く、とにかく早く!速く!を
要求されます。どんな事にもそうです。
社会全体がそうですよね。
だったら子育てにだって要求されてしまうのは
当たり前だと思います。
この言葉に、大きくうなずいています。
それから
「子供にだって感情があります」というひと言にも。
先日、幼稚園の園長先生が100歳を迎えた、という新聞記事を目にしました。
園長先生がコメントで
「子供にもプライドがありますから、他の子供の前では叱りません」とおっしゃっているのを読んで、これにも感動。
要は「ひとつの人格として、子供と向き合う」ということなのでしょうか。
とは言え、実際は難しいですよね・・・
例えば、発育途中のある段階では、子供はとにかく何でも口の中に入れようとします。周りにある興味の対象を、五感のすべてで確認しようとするわけで、見てさわって音を聞いてにおいをかいだら次は味を見ようとすることが珍しくありません。10円玉でも、パチンコ玉でも、タンスの防虫剤でも、中毒物質でも、何でも口に入れます。
気道閉塞状態になったら本人の命にかかわることがあるので、背中を叩いて何とか吐き出させようとします。障害物がうまく口から出たら、「よかったねえ~、もう二度と同じものを飲み込んじゃいけないよ~」と諭すときには、本人が苦しみから正常に回復するので愛情が伝わりやすい。
家族以外の新しい人間関係のバリエーションが増えていくとき、友だち、先生、よく道で出会う近所の人など、うまく交流の範囲を広げていくためには、子供の無鉄砲な振る舞いをしからなくてはいけないこともあるでしょう。
「友だちや先生とケンカするよりは、仲良くした方が楽しいからね。みんなと仲良くするには、さっきのような意地悪はしちゃだめだよ」ときちんと言葉にできるかどうか。
一方、情緒的なコミュニケーションがない場合、例えば子供の泣き声がうるさいから、親の都合で子供を叩く場合、これは虐待になりかねない状態でしょう。
怒られたり、叩かれたりしたときに、子供には「どうして」という疑問が浮かぶことと思います。その理由に愛情を感じられたら、おそらく子供も納得するでしょう。
切れる子供が増えたのは、親の都合を一方的に子供に押しつける場面が多くなって、愛情を実感できない子供が増えたからではないかと推測していますが。
>親の都合を一方的に子供に押しつける場面が多くなって
その通りと思います。
親が未熟過ぎて、本当は子供よりまだまだ自分がかわいくて、
自分の不安を子供にぶつけて、叱ってしまう。
子供が思う通りに育たないと、それが不安で、叱ってしまう。
手を上げてしまう。
DV同様、摂食障害が母源病であることは明らかなです。
子供が、親が思っているように食べないから、不安で、
「もっと食べなさい」と言ってしまう。
子供は、食べたいのだけれど食べられなくて、苦しんでいるのに、です。
ただ、やはり現実は難しいとは思いますが。
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