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深夜、当直室の電話が鳴りました。
深夜勤務の助産師さんからです。
どうやら陣痛が起きている妊婦さんからのようだけれど、名前や診察券の番号を聞いても片言の日本語で要領を得ない、ただ、かなり痛がっていて様子がおかしいので、ひとまず代わって下さい、とのことでした。
「お電話代わりました。産婦人科当直です」
「・・・看護師?」
「いえ、医師です。産婦人科医」
ここで、陣痛に耐えているらしい、絶叫が聞こえてきます。
しばし間を置いて
「痛みはおさまりましたか。お名前は?」
「デュ・・」
しばらく沈黙。
「お名前は?」
「・・・お腹、痛い」
また、陣痛らしい絶叫。
「うちの病院に来たことはありますか」
「はい」
「診察券、ありますか」
「・・・お腹、痛い」
また、絶叫。
「お腹に赤ちゃんがいるんですね」
「・・・はい」
「今、どこですか」
「・・・わからない」
「おうちの中ですか」
「はい」
「窓から、何が見えますか」
「・・・コンビニ。痛い痛い痛い痛い~~~!!」
まるで、間欠なく陣痛が来ているような痛がり方です。
「おさまりましたか」
「痛い!血が出てる!」
「いっぱい出ていますか」
ここで、電話が切れました。
すぐにナースステーションに行き、分娩予定の妊婦さんの名簿を開きました。
外国の方の名前がいくつかありますが、該当者は全くわかりません。
ここで、2度目の電話が来ました。
さっきの方のお友達と言っています。
「今、どんな状況ですか」
「赤ちゃん、出た」
「えっ?! お産になったんですか」
「んー。でも、泣かない」
「赤ちゃんはどのくらいの大きさですか」
「・・・」
「手のひらに乗るくらいですか」
「もっと大きい」
「背中か足の裏を、思い切りこすって下さい! 泣かないと、赤ちゃん死にますよ!
それと、すぐに救急車を呼んで!」
ここで、心配そうに見ている助産師に、「警察に連絡して!」とメモ書きを渡しました。
「・・・お金、ない・・・」
「お金のことは、後で相談しましょう。赤ちゃんは? まだ泣かないですか?」
「うん・・・動かないね」
「お母さんは?」
「血がいっぱい」
「すぐに救急車に電話して!119番! じゃないと、お母さんも赤ちゃんも死にますよ。
赤ちゃんはタオルか毛布でくるんで。お母さんは意識ありますか?」
「ん~、ない」
「住所、わかりますか」
「OO・・・(病院と同じ地域です)」
「周りに家がありますね」
「ありますね」
「じゃ、大きな声で、助けを求めて下さい」
「・・・電池切れる。後で電話します」
その後、電話はかかってきませんでした。
あの陣痛のような叫びは、まちがいなく本物です。
こちらの推測が正しいのだとしたら、外国人の女性が妊娠し、恐らくどこにも健診に通わず、自宅で分娩したものではないかと思われます。
もし本当にそうだったとしたら、あの妊婦さんと、赤ちゃんは、どうなったでしょう。
日本が豊かだなんて、誰が言ったのでしょうね・・・
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コメント
コメント一覧
こわく辛い思いをして赤ちゃんを産んだのでしょう。
お産はまとまったお金もかかるし
家族に仕送りをするため日本に働きにきた人だとしたら
中絶費用も無かったろうし検診に行くこともできなかったでしょうね。
女性だからこんなめにあう…
産まれてきた赤ちゃんも、たとえ無事だとしても育てていけたのかどうか…
悲しくて虚しくて言葉がみつかりません。
赤ちゃんは早産だったのでしょうか。
お母さん、どうなったのでしょうか・・・
その後の処置が必要ですよね。
もっと自分の身体を大切にする・・・いろんな意味での教育は絶対必要。
男子も女子も・・・
そう、その推測が正しいのだとしたら、本当に悲惨なことだと私も思います。
本来、がっちりと守られているはずの、かよわい女性と赤ちゃんなのに……
世界中の為政者たちに、あの電話を聞いてほしいと思いました。
電話の向こうでお産があったことは、まちがいないと思います。
赤ちゃんとお母さんは、どうなったんでしょう……
その数日後、「民家から乳児の2遺体見つかる」というニュースを見て
身が震えました。
>もっと自分の身体を大切にする・・・いろんな意味での教育は絶対必要。
男子も女子も・・・
本当にその通りですね。
荻野式避妊法の発案者、荻野久作先生が
発案のメッセージの冒頭を
「世の男性たちへ」としていらっしゃったことに、
改めて感慨深さを感じます。
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