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共同通信社の記事からです。
<判断遅れ仮死状態で出産 北大病院で医療事故>
北海道大学病院は5日、出産の際に胎児が低酸素状態になっている可能性があったのに帝王切開をする判断が遅れ、仮死状態で生まれる医療事故があったと発表した。同病院は新生児の母親や家族に経過を説明し謝罪した。
北大病院によると、9月に入院した道内の40代女性の出産時に、胎児の心拍数が少なくなるなどの異常が見られた。しかし、担当した産科の医師らはすぐに帝王切開を選択せず、胎児の頭を引っ張って取り出す方法を試みた。このため出産が遅れ胎児は自発呼吸ができない状態で出生、現在も人工呼吸器をつける重篤な状態が続いているという。
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全く同じ体験をしたことがあります。
「ここまで来ているのだから、出るだろう」
「今から緊急帝王切開にしても、赤ちゃんが出るまで1時間近くかかってしまう」
そんな考えで、何とか下から出そうと頑張ってしまいました。
更に、NST(胎児心拍のモニター)は、心拍数の変動を表す曲線が描かれると同時に、
心拍の音そのものが聞こえます。
分娩室でこれを聞いていると、希望的観測も入ってしまうのか、
怒責の後、児心音が回復してくる度に、つい「よし、大丈夫」と思ってしまったのでした。
結果として、その赤ちゃん・裕ちゃん(仮名)は、新生児仮死で出生しました。
帝王切開で生まれた裕ちゃんは、産声を上げることができず、ぐったりしていました。
挿管され、NICU(新生児集中治療室)のある病院に搬送されました。
入院中は、産婦さんの部屋に毎日訪室し、創の消毒をしました。
訪室を拒否されなかっただけ、まだよかったかも知れません。
しかし、針の蓆にいるような時間でした。
病院内も、針の蓆でした。
病棟では助産師さん、看護師さんたちが、気を遣って接してくれるのがわかります。
医局に行くと、私が姿を見せるまでは雑談していた先生方が、
ぴたっと話をやめる気配を感じることもありました。
院長先生や病院管理職の方が事務的に接して下さることに、却って救われる気持ちでした。
病院の弁護士さんと面談し、詳細を話さなくてはなりませんでした。
心身ともに消耗する時間でした。
今でも、裕ちゃんのことを考えない日は、ありません。
ちょっと水の中にもぐっただけでも、すぐ苦しくなりますよね。
それを思うと、脳に障害が残るかもしれないような低酸素状態って、
どんなに苦しいでしょう・・・
元気に育った裕ちゃんの姿を具体的に想像しながら
裕ちゃんは元気になる、裕ちゃんは元気になる、裕ちゃんは元気になる、と
毎日3回、言霊を信じて、言葉にせずにはいられませんでした。
院長先生、病院管理職、当事者の医師数名と、裕ちゃんのご家族との面談がありました。
大変冷静で良識的なご家族ですが、当然のことながらお怒りでした。
「言い訳するんじゃねえ! 殴ってやろうか!」
産婦さんのお舅さんに、他のドクターがそう怒鳴られた時は
心臓が縮む思いでした。
それ以降しばらくは、分娩台の前に立つと、あの時のフラッシュバックが起きて、
平静ではいられなくなってしまいました。
このお産で、赤ちゃんの心音が落ちたら・・・
恐怖としか言いようのない感覚でした。
怖いと、本当に手が震えたり、心臓がドキドキしたり、手先が冷たくなったりするのですね。
夜、ベッドに横になって目をつむると、
帝王切開を決めてから手術室に向かうまでの、苦しそうな心音や、
娩出した時にぐったりしていた裕ちゃんの姿が頭に浮かんで
はっとすることがしばしばでした。
もうだめだ、と思いました。
医局に辞意を表明する前に、
まず、産婦人科医療を一から教えて下さった、敬愛してやまないI先生に、
ことの顛末と自分の気持ちを伝えました。
I先生に大反対されても、気持ちは変わりませんでしたが、
それまでは数ヶ月に1回程度しかお話をしなかったI先生が
毎日のように遠距離電話を下さって、ただ「元気か」とだけ聞いて下さることに心打たれて、
結局今日まで来ました。
裕ちゃんの予後は、まだわかりません。
しかし、裕ちゃんのご家族から、喜びの瞬間と楽しい成長の期間を奪ってしまいました。
既に、償いきれるものではありません。
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コメント
コメント一覧
医学的なことはわかりませんが、なな先生は、精一杯の処置をされたのだから。。そんなに自分を責めないでほしいです。
私は子供がいないので、実感としてわからないのですが、最近のニュースなどを聞いていて、お産や産科の先生は本当に大変だとつくづく感じています。
私は内科医ですが、産科の先生方は本当に大変だと思います。なな先生のような方達がいるおかげで、日本の産科医療はかろうじて支えられています。本当にご立派だと思います。
日本の産科医の現状が改善することを、願ってやみません。
最後に、こんな辛い思いをしながも、産科をやめずに続けてくださって、本当にありがとうございます。国民を代表してお礼を言います。
レトロで反省すべき事は自分にも沢山あります。
でも現在進行形で出来るだけ反省のない様に医療を行っていたのであればそれで良いのではないのでしょうか。
私はその患者さんを自分の家族、血縁に置き換えて診ているつもりです。
それでも甘えが有ると言われてしまえばそれまでですが・・・。
でもその時に出来ることにいずれ限界はあると思います。
余りご自身を責めないようにお願いします。
医師という者少なからず過去に傷を負う者と思っています。
反省のない者には「罰を」とは思いますが・・・・。
こちらに書く事にも大きな勇気がいったでしょう。
伝えてくれてありがとうございます。
ずっとずっと背負ってこられたのですね。
お産は本当に命がけです。
それも二人分の命。
一件、一件、ドキドキハラハラと神経をすり減らしていらっしゃる・・・真剣だからなお更ですよね。
つらい経験のう~んと倍以上の
”なな先生に逢えて良かった”と、おっしゃる方達も
いらっしゃいますよ。
いないと思います。
数々のお辛い経験があっての
今の、なな先生がいる。
人の心の痛みがわかる
なな先生がいる。
そう思います。
高齢出産のリスクも覚悟していたはず
他の先生でも同様の事態になっていたかもしれません。
お産も多種多様ですよね。
同じ人でも一回目と二回目が違うし
その場の判断は難しいですよね。
私の二回目もけっこう大変でした。
帝王切開で出血多量→意識もうろう
確か2リットルの輸血
赤ちゃんもなかなか出てこれず吸引
長引くオペで麻酔もきれて
きつかったです。
前コメントで無事と書いたけど、
全然無事じゃなかったですね。
先生、これからも頑張ってくださいね。
実際の患者さん、ブログの訪問者
数知れないたくさんの応援団が毎日、旗振っていますから
一番応えたのは、ご家族との面談でも院内の雰囲気でもなく、
自責の念でした。
今から自分にできる、最善のことは何か。
これが今の課題です。
同じ医療者からの力強いメッセージに、いたみが和らぐ思いです。
この事件のようなことがあっても、いい医療を提供したい、という気持ちは
変わらないのです。
産婦さんのご自宅を訪問した時に、お姑さんに
「裕を抱いてやって下さい」と言われ、抱かせてもらいました。
その時のことを思うと、辞めることだけが引責の方法ではないような気がして、
今でも産婦人科医を続けています。
先生は麻酔科の先生ですよね。
いつも急に呼び出して無茶を言い、ご迷惑をかけっぱなしの麻酔科の先生に
ご理解頂いて、本当に嬉しい気持です。
>医師という者少なからず過去に傷を負う者と思っています。
ああ、本当にそうだな……と、
身の回りの医師たちを見て、思います。
もう少し時間がたてば、過去として受け止められるようになるのでしょうか……
先生はきっと現場でも、人の気持ちのわかる、いいお医者さんなのでしょうね
。
ブログを始めた時、いつかこの事件のことを書こうと思っていました。
誰も発信していないようなことを書きたい、という気持ちがあったからです。
新生児仮死を出してしまった医師側の状況を発信したい。
そんな気持ちが、書けない気持ちを上回りました。
もっと詳細を書けないのが残念です。
裕ちゃんの予後が確定するまでは、周産期医療の現場に身を置きます。
発達障害が出た場合の、最新の対処方法をキャッチするには
その方が有利ですから。
その先も、本当は大好きなお産を続けたいというのが本音です。
本当に大変な体験をされましたね。
折があるごとに「お産は命がけです」と話していますが、
mizuhoさんも赤ちゃんも、文字通り命がけだったでしょう。
その体験を踏まえて、尚「がんばって」と言って下さるやさしさに、
心温まる思いです。
ああ、真面目に医者やっててよかったな、と思えます。
なな先生がどれくらい辛い思いを抱かれたか、想像しかできませんが、その辛さも抱えながら、産婦人科医を続けてくださっていることがありがたいなと思います。
自分が出産するまで、産婦人科の先生がどれだけ苦労しながら妊婦を助けてくださっていたか、知りませんでした。
病院にかかるときは、「神様にみてもらっているんじゃない、自分と同じ"人"にみてもらっているんだ」ということを忘れないようにしています。もし、何か起こったとしても、一生懸命やってもらってその結果なら、受け入れなければいけないなと思っています。
その分、無事終わったときは、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。なな先生にも、無事育ったわが子を見てほしいという患者さんがたーーくさんいるんでしょうね。
私の話でいいですか?
今日は、”少し物忘れが多くなってしまった80歳老夫婦”の介護保険申請の説明に同行しました。
老夫婦は「こんな歳で物忘れが多なって、すいません。」と、笑顔で何度も言われました。
ご自分を責めないで下さい。・・・そう、言いたかったのに
言葉がつまって言えませんでした。
自分、相手、何か・・・を、責めても解決には繋がりません。
なな先生、ご自分の直感を信じて下さい。
なな先生の張り詰めた背中が伝わって来ます。
深呼吸して、栄養摂って下さい。
この場でご自身の辛い経験を話されるのはすごく勇気の
いったことでしょう。
何が正しくて何が間違ってるかなんて、はっきりできることでは
ありません。
ただ、なな先生は、その時点で最善を尽くされました。
先生を引き止めてくださったI先生は、とても素敵な先生ですね。
なな先生を必要としているのは、患者さんだけではありませんね・・・。
なな先生、頑張りすぎず、頑張ってください。
レス遅れて申し訳ありません。
温かい言葉を、ありがとうございます。
裕ちゃんのお母さんも、今、同じ一歳児のお母さんです。
たまにご連絡をしていますが、
むしろ我々が直接お話するのは控えたほうがいいのか、と
迷うばかりです。
そしていつもながら、思いやりあるお言葉に、胸がつまります。
”少し物忘れが多くなってしまった80歳老夫婦”の介護保険申請の説明に同行しました。
いいですね・・・
兼ねてから、こんな医療が憧れでした。
地方は大変と思います。
少し本物らしい寒さもやってきたようです。
暖かい冬をお過ごしになりますよう。
現場経験のある方から「最善を尽くした」と言って頂いて、
少々肩の荷が下りる思いです。
本文には書きませんでしたが、
この事件は、深夜帰宅しようとした時、他のドクターに呼び止められて
たまたま立ち会ったお産でした。
それ以来しばらくは、duty外のことはやらずにいましたが、
それだと診療が成り立たなくなってしまうのです。
医療の構造上の問題も浮き彫りにする事件でした。
「下から出す」か「帝切か」は産科医にとって大変な岐路ですね。僕ら小児科医は当然「帝切」希望なのですが、母体への負担、リスクを考えると「経腟」を検討したいのでしょうね。
僕も何度か「下から出た」子で苦労した思いがあります。一人はMASで12時間前からNST低下があるのに張り止めで粘られた患児です。出てくるまで小児科連絡されておらず、1分後分娩室についたときは心拍20。
産科医は「赤ちゃん元気そうですよー」と言っていて殴り倒してやろうかと思いました。あの時産科病棟に僕がいなければあの子は確実に死んでいました。
もう一人は死産なのに診せられた患児。同じ産科医でした。NSTで反応がないのにも関らずお産。そして立会いの僕にわたして
「小児科の先生に診てもらいましょう」
といけしゃあしゃあと言われました。当然死亡確認以外することはなく、両親からは詰め寄られ、
「見殺しにした」
と言われ訴訟一歩手前までいきました。
この産科医はななさんのような方とはまったく違うと思いますが、我々小児科医にとって「仮死の子に立ち会う日」は、その患児との「闘いの始まりの日」でもあります。
そんな患児たちを受け持つにつれ、「帝切」を選択してもらうよう我々としては要望してしまうのです。
>我々小児科医にとって「仮死の子に立ち会う日」は、その患児との「闘いの始まりの日」でもあります。
まさにその通りと思います。
我々産婦人科医は、どこか「お産にしてしまえばとりあえず自分たちの手は離れる」という安心感のようなものがあります。
しかし小児科の先生たちは、一人仮死の子が出てしまうと、その先しばらくの予定がすっかり変わってしまいます。
この不条理は、ずっとどこかで感じていました。
そして、その申し訳ない状態を、産婦人科医がどこかでフォローできる場面はなく、
give & take ではない、take onlyになっているのも、紛れもない事実です。
その申し訳なさを抱えつつ、何よりも産婦さんと赤ちゃんにとってベストな選択という点を見つめながら、
経膣分娩を追究する理由を、次回あたりでつぶやきたいと思います。
give&takeでないtake&takeなのは小児科医同士でよく言われることなんですが、それを恐縮して受け止められる産科医もいれば、「そんなのどうしようもないだろう」とごり押しする産科医もいます。
しかし産むからには患児のことを考えてほしいと小児科医からは感じます。自分が産科医になっていたらどう思うか分かりませんけど(^_^;)
助産師さんとも昨日はなしましたが、周産期医療は本当にグレーゾーン、境界域の医療だなとつくづく感じます。だからこそ産科医・小児科医ともに要望があり、ジレンマのあるところだと思います。
世間一般の患者は医療が進んで何でも医者にはわかると思っている所に、医師との大きな隔たりがありますね。ほんとうは僅かしかわかってなくて、出来ることは僅かなのにね。
そんなことですので、先生も無理せずがんばってください。
もっと研究が進んで、胎児の状態がもっともっと正確に診断でいるような手段ができればいいのに、と切実に思います。
しかし最近の産科医療の現状を見ると、研究どころではないですよね。
先日もお世話になったベテランの先生とお話する機会がありました。
その先生は、年間700件近いお産を取り扱っていらっしゃる医院の、院長先生です。
曰く
「ここ数年で産科医療は、きっと焼け野原になるね。でもまあ、できるところまでやるしかないかと思っていますよ」。
どこか寂しそうに笑っていらっしゃいました。
温泉天国先生も、身体を大切になさいますよう。
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