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患者さんに、死なれてしまったことがあります。
誓子さん(仮名)は、妊娠糖尿病の妊婦さんです。
近所のクリニックに健診に通っていたのですが、尿糖が続くため検査をしたところ、妊娠糖尿病と診断され、
総合病院受診を勧められて、紹介されていらっしゃいました。
食事療法と精査のため入院され、病棟では私が受け持つことになりました。
入院していらした時は、医療者に対して明らかに警戒していました。
前医で、かなり厳しいことを言われたためのようです。
妊娠前から太めの体型だったところに、妊娠してからの体重増加が標準ペースを上回っていました。
女性にとってはただでも気になるこの点を、厳しく指摘され、傷ついていました。
また、妊娠糖尿病ではあり得ることですが、赤ちゃんが標準より大きく、羊水も多めでした。
それだけならいいのですが、胎児奇形を伴うこともありますので、注意深く赤ちゃんを診る必要があります。
誓子さんの病識を促すためか、「赤ちゃんに異常があるかも知れない」と、シビアな説明がなされていたようです。
つまり、妊婦さんにとって、一番目と二番目に気になる点を厳しく言われたも同然ですので、
医療者に心を許せなくなってしまったのでしょう。
何を話しかけても、硬い表情で最小限のことしか答えてくれません。
どうしたら誓子さんの心をほぐせるだろう?
まずは、本当に赤ちゃんに異常があるかどうかを、確かめることにしました。
胎児エコーの専門家に、1時間くらいかけてじっくり診てもらったところ、
「確かに大きいし、羊水も多めだけれど、これといった異常は見つかりませんよ」
という返事が返って来ました。
少し誓子さんの表情が和らぎましたが、硬い態度は相変わらずでした。
そこで、毎日毎日しつこく胎児エコーをすることにしました。
誓子さんと一緒に、赤ちゃんのうつっているエコーの画面を見ながら説明しました。
これが頭で、これが手のひら。あ、今、子宮の壁を蹴りましたね。
毎日こんな会話をしていると、そのうち誓子さんもエコーがわかるようになってきて、
「あ~、今、口あけた!」などと、笑ってくれるようになりました。
誓子さんの態度がすっかり和らいでも、さらに毎日毎日エコーをしました。
この誓子さんとの穏やかな時間に、逆に私の方が癒されるようになってきた頃、
誓子さんは、大きな赤ちゃんを見事ご出産されました。
産褥1ヶ月健診で、誓子さんが言ってくれた言葉です。
「なな先生がいなかったら、きっと私、自殺していたと思います」。
目をうるませながらも笑顔で、一段と大きくなった赤ちゃんを抱いて、帰って行きました。
祥子さん(仮名)は、経過が順調な妊婦さんです。
それなのにいつも表情が暗く、妊婦さん特有のやわらかいオーラが感じられません。
当時勤務していた病院の外来は、非常に混んでいましたので、ゆっくりお話を聴く時間がないのですが、
あまりにも気になるので、すこしゆったりした雰囲気で、祥子さんが話しやすくなるように心がけていたら
少しずつ、身の上の話をしてくれるようになりました。
結婚を機に、一度も来たことのなかったこの土地に引っ越してきたこと、
ご主人はお仕事が忙しく、1日中ほとんど顔を合わせる時間もないばかりか、ひと言も話をしない日が続いていること、
小さいアパートの一部屋を借りて住んでいること、
この土地には当然友達もいなければ、街を歩いてもどこに何があるかもわからないこと、
実家や友達に電話をしても、胸の内を言えずにいること。
「毎日、朝起きてから夜寝るまで、どんなことをしていますか」とお聞きしたら、
朝、ご主人を送り出した後、一日のほとんどを狭いアパートの一室で、一人で過ごしているのだそうです。
誰とも口をきかない日も珍しくないようで、それでは気持ちが沈んでも当然です。
当時は私も未熟で、祥子さんの置かれた環境の厳しさを、正確に読み取ることができませんでした。
私のしたことは、ただ妊婦健診の回数をちょっと頻回にして、祥子さんが外に出かける機会を増やしたこと、だけ。
健診のたびに、祥子さんが話してくれる時間が長くなってきたので、むしろそれを嬉しく思っていました。
祥子さんが無事にお産された後は、経過が順調だったこともあり、祥子さんのことも忘れかけていました。
産褥1ヶ月健診で、祥子さんが言ってくれた言葉です。
「私の話を聞いてくれたのは、なな先生だけでした。先生がいなかったら、きっと自殺していたと思います」。
目をうるませていました。
そして、笑顔ではありませんでした。
その3ヶ月くらい後だったと思います。
祥子さんが赤ちゃんを置いて、電車に飛び込んだのは。
患者さんのペースに合わせる。
一生向き合うべき、重い課題です。
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コメント
コメント一覧
祥子さんが、どんなにか辛い気持ちで
行動に移しただろうと…。
そして、なな先生が、どんなにかやりきれないお気持ちに
なられただろうと…。
どちらの気持ちも、察するに余りあるものがあります。
本当に…ほんとうに。
残された赤ちゃんに、少しでも幸あれと願うばかりです。
誰とも話さない日が続くと、どんどん自分の殻に閉じこもって
その殻も厚くなって誰も入り込めない
深く暗い闇の中で赤ちゃんの笑顔が一筋の光をさしこんだはず
それでも彼女の心には届かなかったのかな…
日々の激務に加え、なな先生の患者さん一人ひとりに対する真剣な姿勢に感動するとともに先生のお身体が心配になってしまいました。
私はコーチングを習っているのですが心を開く質問もあれば
相手を追い詰めてしまう質問もある・・・
妊娠中は希望で輝いていたと思えば急に不安を感じたり・・
まるでジェットコースターに乗っているような感じ。
お隣にちゃんとパートナーがいないとさみしくてつらいと思います。
一番かわいい盛りの赤ちゃんの笑顔も負担に感じたのでしょうか。
でも、自殺はだめです。
聞いたことがあります。
なな先生たちは普通のお産だけでなく、そういった
心のケアまで受け止められていらっしゃるんですね…。
でも、祥子さんの場合は…なな先生じゃなくても深く
入り込めなかったのではないかな…と思います。
赤ちゃん…今はどんな子になっているのでしょうか?
ちゃんと幸せだとよいのですが…。
私も今、難病かもしれないと言われています、私の今の主治医も私のペースに合わせてくれていて、「今自分ができることはこれが精一杯」と言って、本当に一生懸命やってくださっています。こういう主治医に私は始めて会いました。
一時は、精神的にパニックに陥っていましたが、今の主治医のおかげとブロガーのコメントのおかげで、勇気が出てきています。
せめて、小児科でもなな先生のような、祥子さんの気持ちのケアまでできる先生に出会えていたらと思うと、他人事とは思えません。
祥子さんは多分、あの後も狭いアパートの一室で、一人で子育てをしていたのだと思います。
新米ママですから、赤ちゃんが何で泣いているかもわからなかったこともあるでしょう。
祥子さんに限ったことではありませんが、赤ちゃんが泣くたびに起きますから寝不足でしょうし、
一人で手をやいて、ほとんど誰とも口をきかないで何ヶ月も過ごしていたのでは……
と思うと、やり切ない思いです。
順調な妊婦さんは、健診の回数を増やすと普通むしろ来たがらないものですが、
「祥子さんは順調だから、本当は来なくてもいいところですが
ちょっと間をつめて健診に来てもらってもよろしいですか」
と言ったら、ちょっと嬉しそうに微笑んだのを、今でも覚えています。
2週間に1回程度しか合わないはずの医者が、一番会話を持った相手だった……
あまりにも悲しいことです。
そして決してあり得ない話ではないことに、暗澹たる気持になります。
言葉は、大切ですね。同感です。
言葉が幸不幸を決める、と言っても言い過ぎではないかも知れません。
自殺はだめ、というのも強く同感です。
死にたいと思っている人に生命の大切さを説いても、心に響くわけがありません。
とにかくどんな手段でもいいから「逃げて!」と言いたい。
ところで、ぴょん先生はメンタル系の人なんですね。
なんとなく、そんな雰囲気を感じ取っていました(笑)
来夢さんの言う通り、マタニティー・ブルースって結構頻度が高いのです。
重症は少ないのですが、ふともの悲しくなって涙したり、育児から逃げ出したいと思うような人は
いっぱいいらっしゃいます。
これが案外知られていないので、当事者は「自分はおかしいのではないか」と思ってしまって
誰にも言えず、さらに悩んでしまうという構図です。
祥子さんの場合も、苦しい気持を友達に話そうとしたところ
「妊婦さんなのに、幸せそうじゃないね」と言われたり、
おめでとう、と言われても喜べなかったことを
非常に気にやんていらっしゃいました。
あの赤ちゃんは、男の子でした。小学生になっているはずです。
当の患者さんが、主治医は自分のペースに合わせてくれている、と感じられるなんて、
とても素晴しいことだと思います。
バリ島さんの主治医は、きっと質の高い医療をしているのでしょうね。
私の場合、祥子さんに出会った頃は若く未熟でしたので、
患者さんのペースに合わせることができていなかったのだと思います。
多分祥子さんにとっては、私は元気すぎたのではないか、と。
患者さんは、我々にとっては同時に教師でもあります。
私の医者としての人生は、祥子さんなしでは考えられません。
バリ島さんのブログにも寄らせて頂きますね(笑)
ありませんが、確かに周産期は気分が落ち込みやすくなりますね。
私はどちらかというと楽観的に生きているほうですし、主人も
本当によく家事も育児も手伝ってくれました。
でも、日中1人(息子と2人)になったときには途方もない不安や
説明できないような感情でよく泣いていました・・・。
誰かに話せばいいのに、なんとなくそれもできなくて。
相手の話を聴く、ということはすごく難しいことですね。
私も現在、ある資格を取るためのトレーニング中ですが
聴くことの難しさを改めて実感しているところです。
言葉の裏にある思いの深さは、なかなか分かるものではありませんね・・・。
でも、過去の患者さんを忘れずに今の、そしてこれからの
診療に向かわれている先生はとても立派だと思います。
自分のこれまでの妊娠・育児経験の中で、支えになったものを紹介させてください。
(片方は出典が不明だったので、私のブログに載せたものを
紹介させていただきますね)
http://natu-history.jugem.jp/?eid=138
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/6637/watasi.html
貴重な「なまの声」を寄せて下さって、ありがとうございます。
説明できないような感情、
誰かに話せばいいのに、なんとなくそれもできない。
本来、半分以上の方にあるこの気持ちですが、
何故かあまり知られていないため、一人で悩んでしまう人が多いようです。
人の話を聴く、というのは、ものすごく技術の要ることだと、私も思います。
コミュニケーションで伝わるものは、言葉の内容3割、それ以外のもの、
例えば、部屋や環境、聴き手の風貌や声音、姿勢や視線など
「言葉以外で伝わるもの」が7割なのだそうです。
まさに「プロの技術」です。
尊敬してやまないこの道の大家、F先生に
「どうしたら技術を磨くことができますか」とお聞きしたら、
「より多くの数をこなすこと、より多くの文献を読むこと、
そしてひとつでも自らの研究を発表すること」
という、王道的なお返事が返って来ました。
先日先生のブログを見つけ一気に読み、妊娠糖尿病患者さんの時にボロボロと泣いてしましました。
ある程度知識があると思って挑んだ妊娠でしたが、産科の先生に何か言われるたび不安になり、カロリー制限の印鑑を押されるたび自己嫌悪に陥り、高血糖が出るたびにインスリンを打ちすぎてしまったり。。。
先日、初めて受診した赴任されたばかりの女医先生が、いつもの倍の時間お話を聞いてくださり、最後に『無理しないように』という印鑑を押してくださいました。
まるで幼稚園児がシールをもらって喜んでるみたいですが、それだけで気持ちが楽になり、今まで浮腫みもあり半月に2.5キロ増えてた体重が、逆にこの時期減っていました。
きっとなな先生もこの先生みたいな方なんだろうなーと思い、半年前のエントリーにコメントしてしまいました。。。
響子さんのように、笑顔で赤ちゃんを抱いて帰りたいと思います。
よく、来て下さいました。
DMのことを熟知した方が、自らDMになってしまい、
その上妊娠という、ただでも不安定になるものをお抱えになって。
今まで、どんな思いで・・・
頑張っている時に「もっと制限、もっと頑張れ」と言われることほど
つらいことは、ありませんね。
誓子さん、ご本人は一生懸命体重が増えないように頑張っていました。
それなのに、カルテの体重の数字に、毎回のように赤エンピツで丸をされてしまって、
見るたびに、胸がつぶれる思いだったそうです。
産婦人科医としての人生が本格的に始まった時、心に誓ったことがあります。
平凡な町医者でいい。
でも、何かひとつ「これは、ななに任せよう」と言われるものを持ちたい、と。
mayaさんは今回、壮絶なご経験をされたと思います。
でもきっと、そんなmayaさんにしかできないcareがあります。
mayaさんにしかできないcareを必要とする患者さんが、いっぱいいます。
どうか無事にご出産されて、笑顔で赤ちゃんを抱いて帰って下さい。
そして落ち着いたら、必ず現場に戻って来て下さい。
半年前の私とゲストの方たちが綴ったメッセージに目を止めてくれる人がいて、
ブロガーとして、こんなに嬉しいことはありません。
ありがとうございました。
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