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< 産科勤務医が減る理由を掘り下げて(3) | メイン | スタッフに感謝。 >

4 将来性がない

 

ある土曜日、近くの病院に当直に行きました。

日曜の朝、勤務を終えて帰ろうとしたところに、交代の先生が来たのですが、

20年以上学年が上の、超ベテランの先生です。

驚いて、「えっ、先生が当直されるんですか」 とお尋ねしたら、

「そう。すごい病院でしょ」と、爽やかな笑顔が返ってきました。

つまり、「もう20年たっても楽にならない」 というわけで。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

以上何回かに分けて、産科勤務医が減る理由を

あるひとつの考えとして、述べてきました。

 

では何故、私は産婦人科勤務医を辞めないのでしょうか?

 

まず、いくつかの好条件(?)が重なっていることがベースにあると思います。

体力に恵まれたため、ハードな労働にも適応できます。

どこに行っても目をつむれば3秒で眠れる特技があります。

気ままな一人暮らしなので、自分だけ養える給料があれば何とかなります。

また、現在は都市部にいるので、地方に比べるとまだ楽、ということもあるでしょう。

 

でも、私が産婦人科医であり続ける一番の理由は、

仕事に誇りと愛着を持っているからだと思うのです。

料理人が料理にこだわることや

車のエンジニアがメカに異様に詳しいのとおんなじ。

産婦人科医の仕事にこだわりがあるし、

「このことだけは任せて!」と言えるものが、自分の中にあるのです。

 

ですので、言い換えると誇りを失った時、

つまり精魂籠めて仕事をしていても、無駄になってしまった時が、

産婦人科医としての人生を降りる時だと思います。

 

お産を終えた妊婦さんに

「よかった、なな先生がお産の時に来てくれて。」 と言ってもらっているうちは

きっとこの調子で仕事を続けるでしょう。

 

 

 

 

 

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コメント

コメント一覧

なな先生、私は日本の何処か(…といっても東京ですが)
でブログを通じて先生のサポーターですよ~!!
信念と誇りと愛着をもって産科医の仕事に今日も臨まれる
なな先生のこと、眩しく思います。
written by 来夢 / 2006.10.28 23:41
来夢さん、いつも温かいコメントをありがとうございます。
QOL改善よりも給料アップよりも、
「さあ、今日もやりましょう」
という気持ちになれます。

知らない間に、どこかでお会いするかも知れませんね(笑)。
written by なな / 2006.10.30 06:49
なな先生お疲れ様です。
なな先生が誇りをもって診療を続けられる事を、そして心が折れてしまわないことを祈ってます。

そうそう自己紹介が遅れました(^^;;
確かに小児も診ますが、なな先生や小児科の先生のような激務ではなく、比較的QOLが高いと言われる放射線治療を専門にしています。
まー僕なりには結構大変なのですが、他科の先生達を見ていると、楽なのカナー・・って思ってしまいます。
written by メタボ / 2006.10.30 13:50
なな先生、同感です。小児科医としての「誇り」、これです。5分間で、スッと寝て、又、直ぐに起こされて、又、診て、又、5分間、スッと寝て何てことしていました。ホントに、寝ていても夢の中で、患者に追われて診療していました。ヤバイと思った時に目が覚めて、良かった夢で何てことしばしばでした。30代の初めに、地元の病院に就職して、一人で500の新生児をしながら、一般の小児もして、初めの3年間、大学からのパートの援助も全くなしで(その3年間で、診療しなかった日は、東京で新生児のテコムのセミナーに参加した時だけ)頑張りました。血圧、当然、直ぐに上がりました。売り上げ、小児科医私1人で、3億超えていたこともありました。訴訟を抱えながら・・・。もう、そんなこと、体ボロボロの今は、絶対に出来ませんが・・・。(非難覚悟で記載させて頂きました)
written by masa / 2006.10.31 18:27
メタボ先生、コメントありがとうございます。
先生は、放科の先生だったんですね。
専門家が少なく、大変なのではないでしょうか?
もう、こうなると「楽な科」なんて存在しないと思います。
written by なな / 2006.11.04 22:44
masa先生、コメントありがとうございます。
先生の頑張りは讃えられこそすれ、どうして非難されることがあるでしょう?
小児科が単科で3億・・・想像不能です。
500gの新生児の大変さは、体験した人でないとわからないでしょう。
私の身の回りにも薬をざらざらとのんでいる先生はいますが・・・
くれぐれもご自愛下さい。
written by なな / 2006.11.04 22:47

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