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医局関連病院から撤退した時のことを、以前つぶやきました。
そこでは短く「人員削減後は、地獄でした」とだけ書きましたが、
今日は「地獄」の具体的な様子を記しておきたいと思います。
その地方の中核病院でしたので、あらゆる産婦人科患者さんが来ました。
妊婦さんはもちろん、婦人科癌、不妊症、更年期障害、子宮筋腫や卵巣のう腫、生理不順。
残された産婦人科医は、私を入れて2人です。
病棟では、癌患者さんが毎日4,5人ずつ化学治療をしていましたので、
朝出勤すると、まず抗癌剤の準備から始まります。
抗癌剤の入ったびんを2、30本、
一人でバキバキと、ひたすらビニールを破り箱を開け、キャップを取ります。
そして、量を決して間違わないように、慎重に薬を調合します。
これだけで、朝6時半~7時半くらいまでかかります。
この前後に、入院患者さんたちの、前の晩の様子を把握し、
必要な薬や検査などの指示を出します。
それから、約1時間かけてベッドサイドを回ります。
患者さんたちは、私が行くのを待ち構えています(これが嬉しいのですが)。
痛みはないか、眠れたか、気分不快はないか、お腹は張らないか、など、
主として前の晩の様子を聞きます。
もちろんそれだけではなく、胸の内やご家庭の事情を口にされることもありますので、
長くなりそうな場合は、後でゆっくり話をする約束をします。
それから、点滴を刺したり、退院診察をしたり、創の消毒をしたりします。
外来は9時からですが、間に合わなくなることもありました。
午前の外来に、医者一人あたり大体50人前後の患者さんが来ます。
一生懸命やっても、患者さんは3時間待ち、なんてことも日常茶飯事でした。
患者さんたちも、よく辛抱して下さったと思います。
午前の外来が終わるのが14時くらい。
運が良ければ、お昼ご飯を食べることができます。
午後は、手術か外来です。
手術の場合、短い手術だと2,3件、長い手術だと1件ですが、
いずれにしても終わるのは早くて19時前後。
この後、患者さんの状態が落ち着くのを待ちながら、手術記録を書きます。
外来の場合は、午後の枠には時間がかかる患者さんを集中させていましたので、
人数は少しでも、重い話が多く、終わる頃にはぐったりでした。
消灯の前にも、ベッドサイドを回ります。
その日一日の様子を聞くのが目的です。
でも、手術が長くかかると、夜の回診はできないこともありました。
さらにその後、入退院サマリー、入院予定の患者さんの治療計画、治療方針の検討などをし、終わるのは早くて22時。
スムーズに行けばこんな感じですが、当然そうは行きません。
例えばお産があると、2人のうちどちらかが行かないとなりません。
その間、外来はストップ、ope中でもストップ、ということもありました。
ですので、お産はなるべく夜間にあるといいのに、と思うようになりました。
しかし夜間にお産があると、当然その分眠れませんので、身体はつらいのですが。
病院のすぐそばに住んでいました。
帰っても、夜間お産や急患があると、呼び返されます。
また、病院に出向かなくて済むようなことでも
電話は頻繁にかかってきますので、その度に起こされます。
次第に家に帰るのが億劫になってしまって、病院で寝泊りするようになりました。
その方がむしろ、身体が楽なのです。
ちなみに時間外手当もなければ、何本電話がかかってきても、給料には反映されません。
半年間、途中までお産がありましたし、癌患者さんが常時入院していましたので、
いつ病院に呼ばれるかわからない毎日でした。
ですので、病院から1時間以上かかるところには行けません。
一人暮らしですし、その地方に友達がいるわけでもありませんので、
気分転換などあり得ず、またその時間も気力もありませんでした。
日ごとに疲労が蓄積し、ベットに横たわると、身体とベットの接触面から、
力が吸い取られるような感覚がするようになってきました。
お腹がすいても、コンビニに行くのすらだるく、
食事を取らずに眠ってしまうこともしょっちゅうでした。
車の運転中、右折待ちの車線で居眠りをしてしまった時は
「産婦人科医やめますか、それとも人間やめますか」
という言葉が、頭を過りました(苦笑)。
肉体的にも大変でしたが、撤退することに関して各方面から様々なことを言われますので、
精神的にも辛い日々でした。
ある日、医局長から電話がかかってきました。
「で、そっちは大丈夫か」と言うので
「ダメです」と即答したのですが、返事は
「・・・・・。」
いいんですよ先生、医局だって人が足りなくて、大変なんでしょう?
朝、私がベッドサイドに行くのを楽しみにしてくれている患者さんたちに支えられて、
なんとか持った、という感じです。
撤退の日を迎えるのが先か、私が壊れるのが先か、と思っていましたが、
撤退する日が、寸での差で先に来ました。
今も日本のあちこちに、あの時の私たちと同じような産婦人科医がいます。
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コメント
コメント一覧
本当に猫の手も借りたい忙しさの産婦人科病院、今日の新聞で横浜で起きた準看護師さんの記事がまた載っていましたが、神奈川県の産婦人科医会は全面的にこの病院を指示する方針を示したことはよかったのではないかと個人的には思います。これを機に、少しでも先生方の負担が減ればと願ってやみません。
「先生みたいな産婦人科のお医者様がいて下さって、本当に本当にありがとう。。。」
という気持ちでいっぱいです。
忙しい時間を割いて、このブログからお気持ちを発信されているのも、必ずや伝わっていくことでしょう。
先生のお気持ちやお考えが少しでも多く伝わりますように…と願っています。
先生のおっしゃる通りで、周産期医療は、本当に先々のことが心配です。
こうして現場にいる我々ですら、
若いドクターに「産婦人科においで」と言えない現実があります。
はなからQOLを追究する気はありませんので、忙しいのはいいのですが、
尾鷲にしても隠岐病院にしても、体制が不備で、
1人や2人ではとても怖くて行けません。
「周産期医療の集約化」の波にのって撤退してきましたので、
今は当時とは比べものにならないくらい、楽をしていますから大丈夫。
ヒマなのも、一人一人の患者さんとじっくり向き合えるチャンスと思っています。
医療過疎の修羅場を味わった者にしかわからない方が書いたことが明らかな文章に、
胸のつぶれる思いです。
先生も、大変でしたでしょう……
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