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とぽとりあん トントカイモ!

2008-09-08 なんつーかO大の応援団長は「え?あなたが団長?」な感じだったが

パレート最適

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母校へ行ったのはかなり基本的な社会選択の話を聞きたかったから。

工学科の旧友と最近の繊維はすげーんだぜ!という話のほうが盛り上がったが。

今日聞きにいった話とピンポイントだったので、ちょっと次の話を考えてみる。

http://d.hatena.ne.jp/arn/20080906#p3

もちろん、論者が今をパレート最適性が満たせた状態であると考えているならば別だが、そのときはまず経済学を学ぶことから始めるべきであろう。

え、今ってパレート最適じゃなかったの?

パレート最適ってのはもうこれ以上パレート改善できませんよという状態。

言い換えると

「誰かの効用を下げること無しに私の効用をあげることは出来ない状態」

さらに言い換えると「誰もが今よりいいと考える状態が無い状態」。

もし誰もが政策AよりもBの方が効用が高いと思っているという状態で、AからBに移ればそれはパレート改善。

仮に政策がA、Bの2種類のみで、社会が1万人で構成されていて、

その仮定の下で9999人が政策Bを選択し、1人が政策Aを選択している状態。

これは既にパレート最適。

なぜなら「誰もが」今より良いとする選択は無いから。

社会選択の大問題は「あんまりにも大社会になってしまうと、ちょっとした話であっても決着がつかない」ことらしい。

だから大社会では放って置いても基本的にパレート最適だよと。

重要なのはパレート最適のうちどれを選択するか。

ちなみに、ここ(大人数になると話がまとまらん)から代表者(政治家)を利用することのパフォーマンスが高いとの話を

ゲーム理論を使うとこんな簡単に導けるんだよというとってもありがたーいお話を拝聴したのだが

ナッシュ均衡?ああ、最適反応の解集合だよね?だよね?」レベルの私にはさっぱり理解できませんでした先生ごめんなさい。


な筈だから今ってパレート最適だよね。

と今期のミクロで可を取ってしまった私が愚考をさらけ出す前に一応教科書を当たってみた。

「パレート最適を2人でケーキ切る問題で考えてみると、

パレート最適でない場合っていうのはケーキを手付かずで残す部分があるということであり、

2人のうちどちらがどれだけとるかという話ではない」

ということなので、今の経済手付かずのケーキがあるのだろうか?

ありそうな気もするが、あるとどう判定するのだろうか?

「人数と資源の配置がこうなので理想値はαになります。しかし現状ではβです。

つまりα-β分の無駄があるわけです」と言えばいいのか?

理想値と現状値が異なる=無駄がある=パレート非最適なのか?

ミクロの本では限界代替率の一致やなんかの条件式は出てくるのだが、

こういう話は公共・厚生経済学専門の本読んだほうがいいのかな。

arnarn 2008/09/09 04:02 非自発的失業がひとりでも発生してれば、それはもうパレート最適とは言えないですよ。その人が働くことによって本人の効用はもちろん全体の産出も高まるわけだから。現実社会だと厳密な意味でパレート最適に至ることはないと言ってもいいでしょう(完全競争ではパレート最適になることは大昔に証明されてるわけで、ある意味それ以後の経済学はパレート最適が達成されない外部性やら市場の失敗らやらの例外事項を研究しているとも言える)。

自他自他 2008/09/09 20:28 その後の進展です。
http://s02.megalodon.jp/2008-0909-2005-23/d.hatena.ne.jp/arn/20080906

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