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help リーダーに追加 RSS ロス疑惑と和歌山カレー事件

<<   作成日時 : 2005/06/25 20:52   >>

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 いわゆる「ロス疑惑事件」と「カレー毒物混入事件」について書きたいと思います。冤罪の話の流れからですので、その限りでの内容となります。2つの事件は色々と共通点があるように思います。ワイドショーを中心とした劇場型犯罪であること、容疑者が特異なパーソナリティーの持ち主であって、疑惑をかけられて気の毒だというよりも、その状況をドラマの主人公になったように楽しんでいるようにも見えること、同じことであるが観客にとってはクロの印象が確信的にあること、などなど・・・。そして容疑者の自供がないまま殺人容疑で立件したこと。こうしたケースは今後も増えていくことと思いますが、その際状況証拠による事実認定がつねに問題になります。この言葉を使いたがる人も実に多い。確かに状況証拠であろうと物的証拠だろうと、証拠能力に差別を設ける必要はないのであって、物的証拠や自供がないからといって、有罪にできないということは全然ない。ただ、この二つの事件に関していえばとても状況証拠といえるような内容ではない。闇雲に「状況証拠」を持ち出すことは、状況証拠の価値を高めるよりも証拠一般を軽んずることになる。ロス疑惑で三浦が妻を殺したことの「状況証拠」は、それ以前にいわゆる殴打事件を起こしていたということに尽きる。逆にいえば殴打事件が表に出てきたから、検察は諦めかけていた銃撃事件での捜査を続けたのだし、「殴打事件の実行犯」の判決が確定したからこそ銃撃事件での逮捕・起訴までこぎつけたのである。しかし自分の愛人に自分の妻を、「ハンマーのようなもの」で殺害するように依頼した間抜けな男が、その三ヵ月後に人から目撃される可能性の多分にある状況で、自らとともに妻を銃撃させ、妻をだけ殺害するような凄腕のスナイパーを雇うというのは思ってみるだけでも滑稽な話である。殴打事件は保険金を目当てとした殺人未遂事件などではなく、痴話げんかに過ぎなかったことは常識が教えるところである。この「殴打事件」をして保険金殺人のほとんど唯一の証拠にしなければならなかった滑稽さが、三浦が妻を殺害しなかったことの証明にはならない。つまり三ヶ月前に痴話げんかがあったからといって、彼が妻を殺さなかったとはいえないが、同様に殺したことの証明にもならないことは当然であって、そもそも検察には気の毒なほどこの裁判には無理があったように思えます。確かに殴打事件は独立に判決が確定していたので、銃撃事件の裁判でその事実関係が改めて問われることはなく、そこに目算があったのでしょうが。ちなみに殴打事件の裁判は「実行犯」である三浦の元の愛人による上申書によって始まった事件なので、法廷で事実関係が争われることはなく、逮捕から三ヵ月後に初公判、その一月あまり後には一審の判決が、更にその半年後には判決が確定している。事実は痴話げんかであったが裁判上はあくまで殺人未遂事件、ということになりましょう。
ロス疑惑に関しては抹消的なことでも三浦を犯人とするには不審なところがあって、実行犯の車の色を三浦は緑だと証言したが、目撃者は白だと証言してくいちがった、三浦が犯人であったなら嘘をつくことの意味が分からない。白であったなら白と証言したって何の不利益もない、後で目撃証言とくいちがうリスクを考えれば全く無意味な虚言である。わざわざ目撃者がいなければ完全犯罪が成り立たないような舞台設定がしてあって、にも関わらずそんなお粗末な嘘をついているようではお話にならない。また仮に三浦が犯人であったとして車が緑であったなら、アメリカでもあまり数が多くないであろう色の車を選んだ理由が分からない。ありふれた白やシルバーを選ぶのが普通の感覚だろう。調べれば他にも矛盾点はあると思われるが、ともかく騒動の最中は皆が彼の犯行を疑わなかったし、どんな事柄でも彼の犯行と結びつけて考えたのであった。
 和歌山カレー事件でも事情は似通っていて、状況証拠の積み重ねというようなものは何もない。検察は大変苦労をして、公園一帯をブルーシートで囲み、地域住民を総動員して入念に事件当日を再現し証言に齟齬が出ないようにして、カレー鍋に毒物を入れることができたのは林真須美だけであった状況を作り上げた。正に法廷のためだけの事実を作り上げた訳だが、ここでも常識はもっと簡単に別の事実を示すのだ。人類史上炊き出しの鍋にただ一人の人間しか毒物を入れることができないような、そんな厳重な警戒態勢の元で行われた夏祭りは存在しないということだ。不特定多数の人間が入れ替わり立ち代りするから夏祭りなのであって、確実に顔と名前と素性が確かめられるようなものは夏祭りとは言わない。会員証を持って町内の夏祭りや盆踊りに行った思い出のある人はいないでしょう。予め毒物の入れられる恐れが強く懸念されるなら格別だが、それならば夏祭りを中止するか炊き出しを中止するかするだろう。確かに当番で見張りくらいはするかもしれないが、それほど厳格なものであるわけがない。思いがけない事態が発生したからこそ事件であり悲劇なのだから。百歩譲って林母娘だけしか鍋の前にいない時間が証明されて、前後の関係からその時間しか毒物を入れるチャンスがなかったとしても(考えられないことだ)、その時間に林本人が見張りをサボって鍋の前にいなかったと言えば、それが嘘であることを証明することはできないし(何しろ苦労をして林母娘だけしかそこにいなかったことを証明したのだから)、そうなれば再びアリバイのない全ての人間に(例えば私menokuを含めて)犯行の機会があったことになる。
 もう一つの「状況証拠」は、林が日頃から且つ長年に渡ってヒ素を使った保険金詐欺事件を起こしてきたということだ。あたかも殴打事件があったから銃撃事件も同じ線上の事件だというのと同じである。しかし言うまでもなく、夏祭りのカレーにヒ素を入れて大騒ぎになれば、一番損をするのは保険金詐欺が露見する林自身である。そこで検察は「犯罪は局外者が考えるより単純である」ということを示すがように、林が一時的な感情に任せて犯行に走り、その際“使い慣れていたから”ヒ素を用いたとして、結局保険金事件の犯人がこの事件を起こしたとすることの蓋然性が高いのか低いのかよく分からない主張になった。確かに検察側の主張どおり、林が一時的感情からヒ素を混入したことは十分考えられる。しかしその場合、これまでの経験からあの程度のヒ素では人は死なない、そしてヒ素も検出されない、結局食中毒騒動でことは済み、事件にもならないだろうと思っていたと考える方が自然である。この辺りも恐らく検察側の頭を悩ましたところで、これだけの被害が出た事件を傷害致死で済ませていいのかという思いは当初からあったのだろう。その点では松本サリン事件を捜査した長野県警が当初河野氏を犯人として持った感情と似通っていて、あの時はこれだけの被害を出した事件を過失致死で済ませるものだろうかという思いを彼らは持っていた訳だ。検察側の主張にもあるとおり林家は保険金詐欺をあたかも職業にして日々繰り返していた。「それ故に件の犯行を起こした」というのは人間心理一般を考えたとき明らかに矛盾であって、それはただにヒ素が検出されれば詐欺が露見して生活の基盤が崩壊するというばかりではなくて、職業意識に根差した人間の心理は非常に強く職業道徳に随うということである。職業道徳が一般法に優先して尊重されて時に当事者が罪悪感を抱かぬまま社会一般に指弾される姿は、我々のよく目にするところで、しかも彼らが特別なのではない。職業人であれば誰でも例外なく職業道徳のくびきの中で生きている。林真須美が一時的感情で人を殺したくなることはあるだろうが、大事な職業道具を用いる、ヒ素を仕事以外で使うというのはむしろ不自然だ。逆から言えば、日頃ヒ素を使った詐欺業に従事していなければ、一時的感情で手っ取り早く且つ漫然とヒ素を用いたということはあるだろう。
 目撃証言も一審判決の大きな要素になったが、そもそも目撃証言がいかに真実を語りえないかについては、近年科学的に証明されつつある(実に人の脳というものは・・・)上に、今回の事件の証言は残念ながら大きな瑕疵のあるものであった。林が鍋に粉を入れ鍋から煙が上がるのを、鍋のあったガレージの向いの家から見ていたというものだが、始め1階で見たと証言していたものが、実際そこからでは鍋のあった場所を物理的に見ることができないことが分かると、実は二階で見ていたのだと修正した。なるほど二階からなら見えるに違いない。このような重大な瑕疵がありながら一審ではこの証言を採用したのだが、果たして裁判所は自ら現場に赴いたのだろうか。一階と二階を取り違えることがありうるのか体感として確かめたのか。これだけ社会の注目を集めた事件の重要なポイントだけに、どんなに忙しくともその労をとる責任が裁判所にはあるだろう。そして証言はどういったタイミングで修正されたのか、勘違いであるならより以前に気が付くことはなかったのか。そもそも最初の証言が出てきた経緯、保険金詐欺事件の報道がされて林家が一気にクローズアップされた、それより前に同様の証言が出される可能性があったのかどうかなど、(報道でも検証できることだが)総合考量してその信憑性を考えなければならない。このように証言に疑義があった場合すぐ、「それでは証言者は嘘をついているのか。一体何のために嘘をつく必要があるのか。証言者の人格を疑うのか」などと言われるのだが、もちろん証言者は嘘を言っている訳ではない。彼は確かに見ている、しかしそれが事実ではないだけだ。(実に人の脳というものは・・・)それ故に目撃証言というものはたとえ明瞭で具体的なものであってもそれ自体として、つまり既に客観的に証明された事実を裏付ける補強証拠として以外はほとんど価値を持たないのだ。
 物証もある。カレー鍋から検出されたヒ素が林家から採取されたヒ素と同一であるというものだ。これは疑う余地がない。きっとそうなのだろう。しかしこれはそれ以上のこともそれ以下のことも証明しない。林家でヒ素を精製していたわけではない以上、同じヒ素はいくらもあるのだ。(これは偶然性を強調して無理をいうのではない。そんなにヒ素がどこにでも出回っていたら大変だ) そもそも林家のヒ素は夫の健治がシロアリ駆除をしていた親戚から分けてもらったもので、保険金事件発覚後この親戚はマスコミの取材を受けているが、実に大まかな管理をしていて所有していたヒ素の一部を林家に分けたという話であった。どれだけの量があってどれだけの量を分け、どれだけの量が残ったのか実に大雑把な話であった。ところがこれが後日検察の調べの上に乗ってくると、実に明確な数字が出てきて全てのヒ素が林家に行っていることになる。どちらを信じるかは常識が知らしむるところである。そして林が普通の主婦で、林家にもシロアリ駆除用にたまたまヒ素が置いてあったということなら、この同一のヒ素という鑑定はたちまち彼女の犯行を示す状況証拠になるだろう。しかし林家では日常的にヒ素が使われ、間違いなくここに出入りしていた人間にとってそれは公然の事実であったに違いない。実際にヒ素を飲んだのも健治一人ではない。(健治が自らヒ素を飲んだと告白して意外に思った人はよっぽど間が抜けている、健治は旅館の階段から自ら転げ落ちて大怪我を負っているし、真須美も自らてんぷら油を浴びて火傷を負っている、そんな連中がなぜヒ素だけは真須美が健治をだまして飲ませなければならないのか。馬鹿馬鹿しいことである) 要は同一のヒ素は林家に入る前にもどこに散逸したか分かったものではないし、林家のヒ素もここに出入りする人間なら誰でも持ち出せたということだ。
 さて林家に出入りする人間とはどのような人間であろうか。林家は身を削った保険金詐欺という反社会的な行為で連帯した、激突必至の乗合馬車のようなものである。事件がなくともいずれ破綻はしていただろう。(「反省している」と健治はしょんぼり語っていたが) そこに寄り集まってくる人間だけが、ただひたすら真須美に騙され知らずにヒ素を飲ませられるお人よしだというのだろうか。いずれにしても世の中からはみ出した連中ばかりであったことだろう。事件から数年間に遡りここに出入りした人間を追跡しても、身元を突き止めることは困難であろう。元々身元の定まらない人間が集まっていたのである。(そして彼らは温かいファミリーであったかもしれない) 弁護側は別の犯人を示す必要はないのだけれど、少なくとも犯人は真須美だけしか考えられないという環境ではない。もう一点この事件で忘れられているのは、この夏は薬物混入事件が相次いだということである。その中の1件におそらく後に池田小児童殺傷事件を起こす宅間が起こしたアジ化ナトリウム混入事件があるはずだ。一連の事件の中には長野県で起きた缶入りウーロン茶毒物混入事件のように、死亡者が出て未解決の事件もある。この当時の社会不安を抜きにして和歌山カレー事件を考えることはできない。実際事件発生当初はこの脈略の中で捉えられていたのである。疑惑が出てから健治が自宅に報道陣を招いて、(この事件は青白い青年が起こしてこそ相応しいが)「こんな家庭もある温もった人間が起こすような事件と違うやろ」と語っていたのも印象的だ。きっとこの時林家の居間にいた記者はその言葉の感触というものを生々しく覚えていることだろう。
 林を犯人視するようになったのは、全て保険金事件が露見してからのことであって、やったのは林真須美しか考えられないというほど疑わしい点が彼女にあるというのなら、あるいは動機の面で強調された地域住民との強い確執があったというなら、保険金詐欺事件の報道以前に犯人像として彼女が浮かびあがることはあったのか。報道の上ではないはずだ、見えない犯人像に脅えて「全く心当たりがない」と答える地域住民の答えるインタビューを思い出す。この段階では見知らぬ(地域住民ではない)若い男がカレー鍋のあったガレージを窺っていたという目撃情報もあった。取材者のメモに保険金事件を抜きにした段階の日付で、林真須美の名前が記入されたものがあるのか。殺意の存在はともかく林がカレー鍋にヒ素を混入した可能性は十分にあると思う。しかし彼女を立件し彼女が犯人であることを証明するための、法廷上の余りに技術的な努力以外の、広範な捜査がなされたかは疑問である。冤罪の罪悪の一つは、一度冤罪が進行すると真犯人が別にいた場合、彼は追及されることなく無罪放免、野放しになるということである。完全犯罪を目論むものは、決して犯人が捕まらないような犯罪を起こしてはいけない、犯人は確実に捕まり彼は刑に処されるべきだ、そうすれば君は確実に自由の身である。

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