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2008/09/06 (土)
■[映画] 某政治家ブログでのスカイクロラ評 
何を勘違いしてスカイクロラなぞ見に行ったのだろうと思わなくはないが、それはともかく「カンナミ・ユーイチは、ティーチャーを撃沈できただろうか」という一文を見てゲンナリした。いったい、何を見てたんだ……
■[開発] リモートのWindowsサーバが高負荷により接続できないときのメモ 
先日、リモートのサーバがなんらかの原因で高負荷になってしまい、リモートデスクトップで入れなくて困ってしまった。UNIX系のサーバであればリモートの管理にはTelnetかSSHのような軽量なプログラムで行われるので高負荷な状態でも手も足も出ない状態にはなかなかならないが、そのサーバはWindowsであったため困ったことになってしまった。
だが、最近はWindowsでもリモート管理の仕組みが充実してきており、基本的な操作であればコマンドラインから可能となっている。今回は以下のようにして対応した(ただし、開発用などでポートがある程度開いている状態が前提である)。
■[経済] 関わるつもりはないけれど 
山形先生の話って長いけど結論だけ見ると「データは用法・用量を守って正しくお使いください」ってだけの話のように思える(用量って何だ(w)。GDPを過小評価するのも過大評価のも同じくダメだと。
で、厨先生の話は長いし難しそうだしどうでもよさそうだし、という感じだがコメント欄の「『現在の福祉』を問題にしている人達に対して、ある種の人々は『成長と将来の福祉』の問題に話を摩り替えてしまうことでないでしょうか」という話にはちょっと噛み付きたくなってしまった。
今がパレート最適でないのであれば、パレート改善を目指すべきなのは福祉の観点から見ても正当化できる。なぜなら、福祉というのは資源配分の問題に他ならないからだ。すでにほぼパレート最適が満たされていると思われる状況ならば、どのパレート最適の状態が望ましいか議論することに意義はあるだろう。だが、パレート最適とは到底みなせない長期の不況下において「パレート最適になったなら俺はこの赤い扉を選ぶぜ」などと言ったところでそれはマッチ売りの少女のマッチ程度の意味しかない。
もちろん、論者が今をパレート最適性が満たせた状態であると考えているならば別だが、そのときはまず経済学を学ぶことから始めるべきであろう。
「俺は今、福祉が欲しいのだ」という人にとって、それは違う話でしょう、ということですよ
ないものねだりに何を議論するね。
摩り替えであるとは言えないと思います。
となると、「実際のところ、どういう主張をしているのか?」という問題になるでしょう。
しかし、成長と言うのは「すぐに達成されるものではなく時間を掛けて伸びていく」という印象があります。
もしも仮にそこまでの主張をしているのだとすれば、「成長という言葉の選択が不適当だ」ということになりませんか?
「富裕層に課税して補助をして下さい」という所得移転の問題との相違はどのようにお考えに
なるのでしょうか?
パレート最適がなんなのか理解されてます?
>「『現在の福祉』を問題にしている人達に対して、ある種の人々は『成長と将来の福祉』の問題に話を摩り替えてしまうことでないでしょうか」という話にはちょっと噛み付きたくなってしまった。
これ自体が摩り替えだった、ということでよろしいでしょうか
>パレート最適がなんなのか理解されてます?
知っていますが、それがどうかしましたか?
「もともとパレート最適ではないから、パレート最適を目指すべきだ」などという議論では
ないと理解しています。勝手に摩り替えたのでしょう。どちらかと言えば「複数のパレート
最適の中から、どれを選ぶべきか」という問題に近いと思いますよ。
むしろ、貴方こそ理解されていないのでは?と思います。リフレ政策は「パレート最適でない
状態をパレート最適にする」とお考えだとすれば、厳密には明確に間違いです。富裕層の
中には景気が良くなることで厚生が改善される人もいるでしょうが、インフレによって金利
収入が減る分の効果の方が大きいという人も「中にはいる」でしょう。もちろん、「平均的な
富裕層」を想定した場合にどうなるかは分かりませんが。仮に平均が改善されるとしても、
全ての人が改善されることにはなりません。
特に異論はありません。その場合は、「誰かの厚生さえ改善していればいい」からです。
あるいは、リフレ政策は「パレート最適でない状態を別のパレート最適でない状態に移行
する」でも構いません。いやそうではなく、「パレート最適に近づけるのだ」というのなら、
近さを計る基準がありますね。そのような基準に恣意性がないとお考えなのでしょうか?
>論者が今をパレート最適性が満たせた状態であると考えているならば別だが、そのときはまず経済学を学ぶことから始めるべきであろう
リフレ政策が「現実にパレート最適でない状態をパレート最適な状態に移行する」ということを
真面目に論証している研究があれば、ご紹介して頂けませんか
モデルの中で想定された少数の「代表的な個人」の話ではなく、「現実にそうなるだろう」と論証しているものです
>論者が今をパレート最適性が満たせた状態であると考えているならば別だが、そのときはまず経済学を学ぶことから始めるべきであろう
じゃあ、これは何が言いたかったのでしょう?パレート最適でない状態をパレート最適な状態にする具体的な政策があるので、それを採用すべきだという暗示だと思ったのですが、そうではないのですね。「成長や福祉に関連する政策の選択」とどういった関連があるのか、分からなくなりましたね。
あと、念のため。
>少数の「代表的な個人」
と書いたのは、「少数のタイプ」の代表的個人です。
ようするに、パレート最適じゃないってことは最適資源配分が達成されてない状態だってことです。本当は100生産性できるのになぜか50しか生産できない状態で、その50の配分をあーだこーだ争ってもしようがないでしょ、ってことです。ジニ係数見ればわかるように日本は極端に不平等というわけでもないし、そんなところで議論したって微妙な話にしかならない。
もちろん、政策としてはリフレ策を押すけど、他の方法で景気が回復するなら別にどの方法でもいいわけでしょ、この議論の段階では。景気回復は不可能だって言うなら皆ジリ貧になるかもしれないけどもっと平等にはなるかもね(旧ソ連みたいに)。でもそんな未来、俺はヤダよ。
『成長と将来の福祉』という言葉への反論だったので誤解を招いたかもしれないけど、リフレ策含む景気対策が意識しているのは需給バランスが崩れているが故に資源の無駄遣いが生じている状況を改善することで、いわゆるコーゾーカイカクが目指すような長期的な成長を押し上げるようなことを意識しているわけではないよ(匍匐前進さんは経済成長と景気の違いを理解できてる?)。だから、効果は半年から一年半で効いてくる。これならそんな遠い話じゃないでしょ(予算配分の変更を国会で議論しても同じくらいはかかるわけだし)。
100とか、50とか言っていますが、それはどういうことですか?
「全ての財」の生産量が上回るのならば、明らかです。しかし、
ある生産物の量は増加し、また別の生産量が減少する場合に
どうやって比べるのですか?GDPですか?GDP以外にも社会
厚生を計る基準は無数にありますね。まさに、その話が書いて
ある訳ですが。貴方こそ、勉強しなおすべきでしょう。
言葉が少しおかしかったですね。訂正します。
ある財の生産量は増加し、また別の財の生産量が減少する場合
しかし、パレート改善というのは社会の生産量でなく個人の効用の改善について使われる言葉のように寡聞にして思っていたのですが、そういう使い方もあるということでしたか。勉強になりました。
arnさんがそれとは別に他の議論をされるのは構いませんが、どこがどう反論
なのか、分からないということです。
「景気回復と現在の福祉」という問題はあるかもしれませんが、「景気回復」と
「現在の福祉」とは強い関係を持たない話だと私は思っています。これは個人
的な感想ですが。
「景気回復」は社会厚生に大いに関係があるでしょう。また、「福祉」も社会厚生に大いに
関係がある。しかし、景気回復と現在の福祉とは、それほど強い関係を持たないのでは
ないか、ということです。