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2006-10-31 23:49:34

神戸華僑総会・華發城副会長

テーマ:我が輩人物列伝

10月28日(土)午前中。

我が輩は、JR新神戸駅前のオリエンタルホテルで、

知人の大学教授の紹介を通じて

神戸華僑総会・華發城副会長に会った。


華副会長は、

阪神淡路大震災後、推進された

 ー神戸華僑のシンボル・社団法人中華会館新築事業

の際、

理事長として辣腕をふるい

中華会館新築を成し遂げた神戸華僑の重鎮である。


氏は、

USEN創業者・宇野元忠氏(故人)の大阪中華学校での先輩にあたる。

つまり幼なじみだ。


我が輩は、すでに、

在日華僑によって創業・発展しているUSEN社に関する論文を書き上げたが、

ニ、三、気にかかることがあり、

より完成度の高い学術論文を完成させるため

知人の神戸華僑のリーダー層にあたる方から紹介していただき

面会を実現したのだ。


華僑は、伝統的に

 ー信義を重んじる民族

だ。だからこそ異国で成功することができる。

なので、他人を知人に紹介する場合、

 ー仮に何か不祥事がおこれば紹介者が責任をとる

という暗黙の了解があるといわれており、

ゆえに、むやみやたらと紹介することはない。

この点が、日本人や韓国人とは異なる民族的特性だ。


お互い初対面なので、電話でアポを取る際、

「オリエンタルホテルの最上階のレストランがありますが、

 そこでお待ちしております。

 我が輩は、身長175cm、

 サングラスをかけておりますので、すぐおわかりになるでしょう」

「サングラスですが・・・」

「ええ、けれどもヤクザではありません」

「・・・・・・・」


当日のホテル最上階「レベル36」。

エレベーターから初老の紳士が降りてきた。

「華先生ですか?」

「河先生ですか?」

「はじめまして。この度はお忙しい中、ありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ・・・」


和食料亭の席につくや

「あなたは、きっと先祖が中国人に違いない!

 あなたのような顔は、中国の華北に多い!!」

「そうですか! それはそれは!!」

と阿吽の呼吸の硬派感傷主義。


そういえば、ヨーロッパに長期滞在していた妻の父親=義父の大学教授からは、

「河君のような後頭部がでている頭蓋骨は、

 東ヨーロッパとアジアの国境周辺にたくさんみうけられる」

「そうですか! きっとタタ-ル人に違いありません!!」

と応じたこともあった。


華北にせよ、東ヨーロッパとアジアの中間であるにせよ

我が輩の先祖は、

 ー騎馬民族

であると確信している。

なぜならば、我が輩が、

 ー 一重の切れ長の目

だからだ。

これは騎馬民族が馬に乗って移動する過程で進化したものらしい。

目がパッチリ大きかったり、二重まぶただと、

騎馬で移動する際、

目のあたりに砂埃がたまり不都合だ。

なので、騎馬民族は、だいたい目が切れ長で一重なのだ。


韓国人・朝鮮人は、

騎馬民族の末裔で、人種的には満州族と一番近く、

次いでモンゴル人に近いと言われているそうだ。

言語も韓国語や日本語は、

ウラル・アルタイ語に属し(助詞に特徴)、

モンゴル語と親戚であり、中国語とはかなり異なる。

(だから相撲の朝青龍などは日本語がうまい)


さて本題。

我が輩達は、初対面であるにもかかわらず、

かなり親密な対談をした。

華僑の重鎮は、我が輩を気に入ってくれたらしく

楽しい一時を過ごすことができた。


会談の内容は、論文に譲る。

ここで言えることは、

華副会長は、宇野元忠氏からかなり信頼されており、

彼が中華会館新築時の理事長だったからこそ、

気むずかしい宇野氏が、

12億円にものぼる建設資金の中、

不足していた8億円もの大金を、

 ーボランティアに近い融資

で提供したということだ。

しかもUSENが、

新築された中華会館のキーテナントとして入居し、

その賃料を返済にあてるというのだから、

破格の援助といえよう。


「どうして宇野社長は、華理事長を信頼されたのでしょうか?」

「生前の宇野君が言うには、

 中華学校の頃、下級生の宇野君ら6人が、上級生の私達7人に対しプロレスでの勝負を挑んできた際、

  ーいろいろとルールを決めたが、上級生では唯一あなただけが、決められたルールを守っていた

 と言うのです。

 それを聞いて私は、

  ーそんな昔の、それも子供の頃のことを憶えていて、それを信頼のよりどころとしていたのか?

 と訪ねると、

  ーそうだ。

 と答えました」

「それはすばらしいお話ですね」


成功した人間は、基本的には猜疑心が強い。

けれども、ささいな言動から、

 ー人間の本質を一瞥する能力に長けている

のだ。


諸君!

成功したければ、幸せになりたければ、

信義を重んじることだ。





2006-10-30 23:49:05

水疱瘡

テーマ:我が輩親ぱガ日誌

次男の貴明が、

育児では、

 ー宿敵病気三兄弟(水疱瘡、おたふく風邪、はしか)

の一つ、

水疱瘡の侵略を受けてしまった。


顔、身体、

そして子孫を残すため大切なチンチンまでもが、

この「エイリアン」に浸食されてしまった。


我が輩子孫防衛軍は、

予備役をも召集し、

「帰ってきたウルトラマン」の「MAT」ほどではないにしろ、

緊急事態にそなえ万全の準備をととのえた!


といえば、

絵になるが、

実際は、病院へ連れて行き、

薬を買って、

医者のアドバイスを参考にしながら

そえ寝することしかできない。


我が輩は、

チビをダッコし、

自宅近隣の田中クリニックへ連れて行った。

「疱瘡は、ヘルペスの一種で、・・・・・・」

と説明を受けながら、

ふと、

(我が輩がガキの頃とは違い、

 医者が親切丁寧だよなぁ~)

と昔を思い出して感心してしまった。


なにせ、

30数年前の医者は、

「白い巨塔」の財前ほどではないにしろ、

皆、意味もなく、

えばっていたからだ。

質問でもしようものなら、

顔を真っ赤にして怒り出し、

 ー無礼な!

  お前はバカなんだから、オレ様の言うことを聞け!

というような感じだったが、

今の開業医は、

親切丁寧な人が多い。


診察料は、

1コインの500円!


パチンコ店の「換え場」同様、

新設医院の近隣にかならずできる薬局へ行き、

ドバドバ処方してくれた処方箋をだすと、

薬代は、なっなんと! 

40円!!!!!!!!!!!!!!!!!!


(日本は、なんだ、かんだ言っても、修正社会主義だよなぁ~)

と感心すると同時に、

(まぁ、これも道路と同じで、

 すべて税金が導入されている帰結なんだろうけど)

と裏表で検証するのが、

硬派感傷主義だ。


いずれにせよ、

我が輩子孫防衛軍の立場は、

貴明がはやく回復することにつきるのだ。


TV・DVDの前に

ふとんをしき、

「帰ってきたウルトラマン」や、

「ウルトラセンブン」を親子で鑑賞した。

けれども、

昔のウルトラマン・シリーズは、

ストーリー性が高いので、2歳児にはおもしろくないようだ。

すぐ飽きてしまう。


やがて、かおるゴンが登場。

リバルティの四季のごとく

歓喜歓喜のメンパッチン!


しかし、かおるゴンが立ち去ると、

ベートベンの運命のごとく

衝撃を受ける我が子の姿がそこにはあった。


(まぁ、父親より母親の方が、いいにきまってるわなぁ~)

と、ため息混じりの硬派感傷主義。


貴明は、

食欲があまりないのに、

「ジャガリコが食べたぁ~い!」

と言った。


「ジャガリコとは、果たして何ぞや?」

帰宅した明宗に聞くと、

「カルビーのお菓子だよ」

とのこと。


「よしっ! ラジャー!!」

と右手を右額の上にかかげて敬礼する硬派感傷主義。


午後7時に彦根支部での指導を終え、

スーパーに立ち寄ってジャガリコを買おうとしたが、

手にとって原材料名をみると、

 ー乳化剤、調味料、カゼインNa、香料、カロチノイド色素、酸化防止剤

など数年前のベストセラー『買ってはいけない!』が、

 ー身体に害!

と警鐘を鳴らしそうな物質のオンパレード。


(むむむっ! これは買うべきか、買わざるべきか)

と自問したが、

午前中にアドバイスを受けた医者との会話を思い出した。


<8時間前にワープ!>

「息子は、食欲がないのですが。

 栄養がなく身体にも悪いお菓子でも、食べないよりはマシでしょうか?」

「そうですね」

・・・・・


(是非に及ばず)

といわけで10個もまとめ買いしてしまった。


自宅に着くと、

貴明がめずらしく我が輩を玄関まで出迎えてくれた。

ゴール前のアン・ジョンファンのダッシュのように。


「アッパー! ジャガリコは?」

「はい! これだろ!!」

「わぁ~い!」

(キャWAいい!!)

餃子目の親パガがそこにはいた。


ところがだ。

かおるゴンは、コ-ジコーナーのジャンボシューほど甘くはない。

「貴明! ダメヨ! そんな身体に悪いものは! 野菜を食べなさい!!」


貴明の顔は、

まさしく、

1945年8月15日の玉音放送を聞いていた日本人の無念の顔だった。

数秒後、泣き崩れるのがわかった。


大きな瞳から大粒の涙がこぼれると同時に

キャWAいい口から

「じゃ~、」

「が~、」

「り~、」

「こ~!」

と断末魔の叫びが放たれた。


(泣いている顔も、キャWAいいなぁ)

と思うつつも、

油断のならないかおるゴンもいるので、

「貴明、野菜を食べたら、アッパがオンマに頼んであげるから。

 さっ、食べなさい」

と人参を箸でとった。


そして、

「じゃ~」

「が~」

「り~」

「こ~」

とあいかわらず泣きながら叫んでいる貴明の口を観察し、


(語尾の母音が、あ~で終わる、

 「じゃ~」、と「が~」が、ねらい目だな)

と分析。


「じゃ~」

と貴明が叫ぶやいなや、

箸でとった人参を

カウンターの蹴りのように、

息子のベロの上に、

ぶち込むのだった。





2006-10-29 23:50:15

NHHK「功名が辻」061029

テーマ:我が輩TV批評

神戸・岡山出張を経て、

彦根の自宅に到着。


ここ15年以上、観ている(ただし、時代物しかみないが)

NHKの大河ドラマを観た。


今年の主役は、

 ー土佐藩(現高知県)の藩祖・山内一豊と妻・千代

で、

原作は司馬遼太郎の同名小説だが、

(脚本は、かなり原作とは違うなぁ~)

と硬派感傷主義。


なぜなら、

司馬遼太郎が描いている

山内一豊像は、

 ー裏切りの達人。

   能力がないのに、24万石の大名になってしまった運の強い男

というものだからだ。


脚本に描かれている

 ー信義に厚い

という評価は、ほとんどないフィクションだ。

なぜならば、信義に厚いのであれば、

豊臣をいとも簡単に裏切ってはいないからだ。


なのにだ。

24万石を確定したのは、

徳川家康が、

会津の上杉討伐に出陣した際、

石田三成が大阪城を拠点にし、

 ー打倒 徳川家康!

の旗を掲げて、

中国の毛利を大将に、10万以上の大軍を集めたため、

徳川家康が諸将を集めて緊急軍議をひらいた

 ー「小山評定」(栃木県小山市)

での発言ただひとつだったのだ。


生前の豊臣秀吉が、

 ー仮想敵国・徳川家康の上方(京都・大阪)侵攻阻止の防波堤

として山内一豊を信頼して任せたはずの

 遠江・掛川城(現静岡県掛川市)

を、

 ー城と領地を徳川家康様に、すべてさしあげます!

と発言したからだ。


それもだ。

同じ豊臣恩顧の堀尾家の二代目のアイディアをぱくっての発言だった。

だが、この発言で、

小山評定に参加していた

現東海道に領地と城をもつ豊臣恩顧の大名達(すべて対家康戦のために秀吉が信任して配置した)が、

あわてて、

 ーそっ、それがしも! 領地と城を内府様(豊臣政権での家康の役職)に献上いたしまする!

と雪崩をうって発言したので、

徳川家康は、ただの一戦もまじえず、

江戸から尾張・清洲城までの領地と城を手に入れてしまったのだ。


その功績だけで山内一豊は、

関ヶ原合戦勝利の後、

西軍に形式的についた(というよりは闘わず傍観していた)

土佐の長曽我部から没収した土佐24万石を

徳川家康からもらったわけだ。


ちなみに、山内軍は、

南宮山に陣取って傍観している毛利軍・吉川軍の

 ー裏切りの裏切りの備え

として後方に配置されていたので(つまり徳川家康に信用されていない)

関ヶ原合戦では、

戦功らしい戦功はほとんどなかったはずだ。

小早川秀明の裏切りで徳川家康の勝利が確定し、

驚いて戦線を離脱しようとした長曽我部や安国寺などの

 ー逃げた相手を追いかけただけ、

と言っても過言ではない。


これが約250年後の

幕末の京都における諸藩の酒席で、

土佐藩士が他藩の藩士からかわれた要因だった。

たとえば、薩摩藩士が、

 ーわが島津維新公は、関ヶ原での西軍の敗戦が決まった際、

   勇猛にも徳川家康様の陣まで攻め込み、島津の武勇を天下に示された!

   そのかげで西軍に加担しながら唯一本領を安堵された!

同席していた福岡藩士が

 ーわが藩粗の黒田長政公は、

  石田三成軍と激戦され、猛将・島左近を討ち取られた!

  その功で福岡50万石を拝領された!

と言うや二人の藩士は、

同席している土佐藩の藩士を見ながら、

 ーところで、そこもとの藩粗・山内様は、関ヶ原で何をなされたのか?

と冷ややかに笑った、

と伝わっている。

幕末の土佐藩士は、

これが嫌で嫌で、たまらなかったらしい。


我が輩の記憶が確かなら、

司馬遼太郎は、

 ーこの発言だけで、24万石の大名になってしまった、

という戦国の奇妙な裏話を描こうとした、

と思う。


30年以上も前に放映された

 TBSの名作ドラマ

 「関ヶ原」

では、原作に忠実に

 ーまぬけだが、ぬけめのない山内一豊

を、描いていた。


我が輩は、

(はてさて、あのシーンをどう描くのかぁ)

と、注目して観ていたが、

そのシーンを観て、

(こりゃ、フィクション*講道館柔道場畳100乗だぁ~)

と、ため息混じりの硬派感傷主義。


これ以外にも問題があった。

家康役の西田敏之や山内一豊役の上川隆也の演技は、すばらしいのだが、

それ以外の著名な武将役が

(線が細すぎるし、、演技もダメー。TBSの関ヶ原をみならえ!)

と厳しい硬派感傷主義。

しかしだ。

一番の問題は、セリフが明らかに間違っていたことだ。

徳川家康が出陣しないので、清洲城で武将達がいらだちケンカをするシーン。

福島正則役の役者が、

井伊直正(彦根藩の藩粗。彼の子孫が安政の大獄の推進者・井伊直弼)につめより、

 ー内府(徳川家康)は、いったい、いつ、こられるか~!

すると、井伊直正役の役者が、

 ー会津のシマズ・・・・・・

と言ってしまった。


(えっ? ウソツケから、

 ー会津の上杉

 だろうがぁ~)


「公共放送なのだから、こんなミスを全国放送で流すな!

 ミスを知っていて流しているのなら、さらに問題だぞ!!」

と、

硬派感傷主義は怒るのだった。

2006-10-27 23:47:41

読者への感謝

テーマ:JTA支部の風

今日も朝から仕事が順調だった。


ほんの1週間前までは、

ホールイン・ワンだったが(パットしない)、

やはり仕事は、サーフィンと同じで

波に乗らないとダメなのだ。


今日は正直心身共にクタクタ、

クンタ・キンテ(ルーツがわかる人は軽く40は越えているのがバレる)で、

まぶたがカーテン・コール状態だ。

なのに、なぜ、

我が輩は、

「我が輩硬派感傷主義」を書くのだろうか?


昔、登山家は、

 ー何故、危険をおかしてまで山に登るのか?

という質問に対し、

 ーそこに山があるからさ!

と言ったらしい。


今、我が輩は、

 ー何故、クタクタ、クンタキンテでブログを書くのか?

という質問に対し、

 ーそこにアメブロがあるからさ!

と、

藤田某が喜びそうな答えをだすわけではないにしろ、

 ー毎日、文章を持続的に書き続けることを己に課している、

というのは、

あながちウソではない。


我が輩の信条である、

 ーテコンドー&学問の文武両道

は、なかなか試練が多い。


であるのにだ。

ネット小説(とはいえないまでも)まで書いているのだから(近々アップします。今、アップアップ状態です)、

ブログまでのキャパはないのかも知れない。


けれども、始めた以上は、

 ガンバルンバ!

が硬派感傷主義だ。


最近、アメブロから

 ー「硬派感傷主義」の公開まちの読者がつきました!

というメールをもらうようになった。


上記により、

我が輩のキャパが越えている関係で、

返信できないことを、大変、申し訳なく思っております。


サムライ風にいうと、

いずこの方かは、存じませぬが、

ご丁寧な励ましのめいるを頂戴し、

まことに、かたじけない。


生ある限り(JTAのI・Tだと性ある限り)、

精進つかまつります!



2006-10-26 23:43:21

阪神華僑061026

テーマ:平成自助論ー学問

今日は、

朝から美辞麗句をならべる政治屋のように調子が良く、

テコンドーの仕事が、

思いの外、はかどったので、

ふと、鏡を見つめると、

ウットリするわけではなく、

かといって

あぶら汗をかくわけではないが、

我が輩なりに、

How Many いい顔だった。


「こういう時は、他の仕事もしよう!」

と気合いをいれて、

学問モードにチェンジした。


図書館にリクエストしていた書籍が

 ー入荷しました!

   しかし、館外への貸し出しはできません。

   館内での閲覧しかできません。

   コピーもできません。

ということなので、

「コピー機のない時代に戻るのか・・・。

 書き写ししかないのか。

 江戸時代じゃあるまいし、そんな貴重本でもあるまいし、

 とほほ・・・・」

と溜め息まじりの硬派感傷主義。


まぁ、気を取り直して

「我が輩学問メモ帳」と

黒、赤、青のボールペンを持参して

パルチザンのように、

力強く大地を踏みしめながら図書館へと向かった。


書籍は、

鴻山俊雄『神戸大阪華僑ー在日華僑百年史』(昭和54年刊、華僑問題研究所)だ。


 ーUSEN創業家の宇野家

の分析をするうえで、

(念のため、閲覧しておこう)

と思っていたのだ。


予想通り、USEN関連の記述はなかった。

ただ、おもしろい記述を発見した。

阪神の食品工業界での華僑の活躍だ。


我が輩は、

インスタントラーメンの日清食品創業者については、

ロッテとの比較で論文を書いていたので良く知っていたが、

ライバル社の

サンヨー食品、

エース・コック

も、華僑が創業者であろうとは、気づかなかった。

つまり日本が世界に誇る発明品のインスタントラーメンは、

在日華僑、とりわけ台湾系華僑が創造した産業だということだ。


それ以外にも、

敗戦後の混乱期から独立前迄の

森永や明治製菓、新高製菓を支配しといわれている

大信実業社(現社名は不明)、

エーワン・ベーカリー、

北極(現社名は不明)、

コトブキ製菓

なども華僑が創業したという。


これは敗戦後、

GHQ占領下の日本が、

統制経済下にはいり、

砂糖等が統制物資になったのと不可分な関係にたつ。


戦勝国民の中国人=華僑は、

統制経済を遵守しなくとも免責される治外法権が付与されたため、

統制物資として日本人が手に入れにくかった砂糖等を

調達できたからであろう。


戦前は、華僑系の大規模な食品会社は皆無だったが、

上記の理由で、

食品工業の原料を調達し、

日本人の職人や技術者を雇用して成功したようである。


「な~るほど、ザッ ワールド、ど、ど、ど、ど、どっ(秋葉原のオタクのつもり)」

と感心するとともに、

「次の論文のテーマは決まった。

 ーインスタントラーメン工業と華僑

 だ! ダ、ダッ、ダッ、ダダ、ダダッダ!(同上)」

と、

ご満悦の硬派感傷主義であった。

2006-10-25 23:15:23

我が輩東海道新幹線「監禁」事件

テーマ:うんざり

早朝、起床。

高崎へと向かう。


自宅からチャリンコで彦根駅へ、

彦根駅から米原駅へ、

米原駅から東京駅へ、

東京駅から高崎駅へ、

高崎駅からバスで高崎経済大学へ、

これが我が輩の水曜日の日課だ。


米原から乗ったひかり号を降り、

数分後、名古屋でのぞみに乗り換えて、

一路、東京へと向かった。


我が輩は、いつものように歌う。

「アーユースリーピング、

 アーユースリーピンギ・・・・・・

 ディング、ダング、ド~ン、ディング、ダング、ド~ン」

ZZZZZZZZZZZ。


ところがだ。

のぞみ号が停車してしまった。

「すわっ! なにごとか!!」

不愉快な硬派感傷主義。


車内アナウンスが響く

 ーただいま静岡駅の下り線で人身事故が起きました。

  お忙しいところ大変ご迷惑をおかけします・・・・

とのこと。


(新幹線で人身事故とはめずらしいなぁ。

 まぁ、しかたないなぁ、

 それにしても、今どこかな?)

と窓から外を見ると、

 ー浜松

だった。


(静岡はとなりだなぁ。

 新幹線の人身事故なら、即死だろうなぁ、

 自殺しか考えられんなぁ)

とあれこれ推理するも、

まぶたが重いので、

そのまま寝てしまった。

ZZZZZZZZZZZZZ。


1時間ぐらいして目が覚めると、

まだ、のぞみ号は、浜松に停まっていた。

(ええっ、まだ動かないのか?!

 これじゃ、高崎経済大の3限の授業に間に合わないじゃないか!)

と焦った。


しかしだ。

高崎経済大の教務課に電話を入れるにしても、

(3限だけを休講にすべきか、

 それとも4限もか、

 あるいは5限もか・・・・)

と確定できないので、

しばらく様子を見ることにした。


周囲を見渡すと、

大部分が背広を着たサラリーマンで、

皆、携帯電話をかけまくり、

 ー自分が遅れるやむを得ない事情

を相手方に説明していた。

ところが、

我が輩の周囲の乗客は、

どちらかといえば、

 ーラッキー! これで寝れる!!

といった感じで、

携帯電話をきった後、

目をつぶり、

How many いい顔になるのだった。


(日本人はこうでもしないと休めないのかもな。

 働き過ぎなんだなぁ~、この民族は・・・・)

と、

我が身のことは省みないのが硬派感傷主義。


しかし、なかなか、のぞみ号は動いてくれない。

2時間待っても動かないのだ。

(これじゃぁ、まったく、車種名と矛盾しているじゃないか。

 のぞみが、ない!)


こうして我が輩は、

のぞみ号に2時間30分程度、「監禁」されてしまった。


やっと、品川駅に着いたので、

高崎経済大学の教務課に電話し、

「かくかくしかじか・・・・。

なので3限の外書購読は、休講にして下さい。出席を取って下さいませんか。

4限のアジア経済史には間に合うと思いますが、遅れた場合は、再度、電話します」


ところがだ。

品川駅から東京駅までが、再び停まってしまった。

7分程度で到着するはずだったのに。


 ー申し訳ございません。東京駅のホームが満船で入れません。

とのこと。

のぞみ号の運転手もかなり焦っているのがわかった。

下手な急ブレーキを10回近くも踏むのだ。


やっとの思いで東京駅に着くと、

上越・長野新幹線(どちらも高崎には停まる)のホームめがけて、

カール・ルイスやフローレンス・ジョイナーのように(この選手を知っていれば年齢がバレる)

走りに走った。


さすがは、宗師範だけのことはある。

息切れもせず、見事、

上越新幹線に乗車できたのだ(よい子のみなさん! 危険ですから真似をしないで下さいネっ!)。


その日の夜。

ネットで静岡で自殺したのが、31歳のJR現役職員だということを知った。

1ヶ月程前、子供も生まれたばかりらしい。

遺書もない、という。

彼は、いつものように、こだま号で静岡駅に出勤した矢先、

新幹線の通過ホーム(静岡は、のぞみ号は停まらない)で、のぞみ号を待つように自殺したという。


(JRの職員なら、こういう形で自殺すれば、会社や通勤客、

 そして家族にも多大な迷惑<電車での自殺者に対しては、鉄道会社が失った損失利益を遺族に請求する>

 が、かかることぐらいわかるだろうに。

 なのに、こういう形で死ぬのだから、

 おそらく、過労なんじゃないか、

 それともJRや上司に対する私怨かも知れないなぁ)


賢明な読者諸君!

直接であれ、間接であれ、会社のために死ぬのは、やめなさい!

この平和な日本で、

命を削らなければならないほど、

価値の高い仕事は断じてな~い!!!!!!!!!


と、厚生労働省の中心で叫ぶことができる。



 


 

2006-10-24 23:47:31

彦根の蚊

テーマ:うんざり

我が輩は、

生まれも育ちも東京都大田区。

祖父や父、

そして長男の明宗も大田区生まれなので

3代以上続いている

 ーシャキシャキの江戸っ子!

なのだが、

ゆえあって東京から400km以上も離れた

滋賀県彦根市に移住してしまった。


田舎暮らしも、はや5年。

毎週、高崎と東京・神奈川とを往復している。

日に日に体力の限界を感じつつも、

人間修行の一つとして

耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んできたわけだが、

 ー我慢できないものもある!

と琵琶湖の湖畔で叫ぶことができる。

それが、

 ー宿敵の彦根の蚊

だ。


我が輩の自宅は、

琵琶湖から徒歩5分程度にあるが、

敷地は、元は沼地だったらしい。

おそらく、

下水道当たりに、

 ー沼地以来の伝統的な蚊の巣

のようなものがあり、

そこから、

 ー無尽蔵に蚊がわいてくる

のではないかと、

素人なりに推測している。


とにもかくにも、

都会暮らしの我が輩は、

虫が苦手だ。

夏だけなら我慢できるのだが、

彦根の蚊は、

春先から寒い秋、

そう今日の10月24日午後11時00分まで、

我が輩を襲うのだ。


今日の「対決」はこうだ。

我が輩は、

いつものように、

長男をのせて次男の保育園へ迎えに行き、

彦根駅へ明日の早朝の新幹線の切符をとりにゆき、

彦根駅前の平和堂で買い物をし、

チャンコ鍋をつくって子供達にあたえ、

食器を洗い、

風呂の残り湯を利用して洗濯をし、

次いで風呂をわかし、

洗濯物をしまい、

お風呂にいれ、

次男坊の歯をみがき、

おしっこをさせ、

ふとんをしき、

パジャマに着替えさせて

寝かせようとしていた。


毎週、月と火曜日は、

この繰り返しであるが、

客観的に観て、

我が輩ほど

家事と育児を率先しておこなっている野郎を

我が輩の43年間の人生経験で、

 ーただの一人も観たことがない!

と、前少子化担当大臣のドラミちゃんのような元大学教授の前で叫ぶことができる。

これもすべて子ども達のためだ。


ところがだ。

このけなげな我が輩のいとなみを

あざけり笑うような奴が、

我が輩を襲ってくる。


この不逞な奴は、

 ンン~ンン~ン~

と攻めてくる。


部屋は、チビ達を寝かせるために、真っ暗状態。

明りをつけると、チビ達の目が覚めてしまう。

声を荒げるわけにもいかない。


(おのれ~、闇討ちとは卑怯なり! 名をなのれ!!)

と下等生物相手に怒れるわけもなく、

ただ、じっと作戦を練るのだった。


さすがは、JTA宗師範だけのことはある。

 ー肉をきらせて骨を断つ

作戦をたて、

暗闇の中、

敵が狙ってくるであろう顔を動かさず、

テコンドーの技で、

この下等生物を迎え撃つことにした。

愛する息子達の安眠を守るためだ。


ンン~ンン~ン~ンン~ンン

 ブッ!(この第一撃は、トンジュモッ・ヨプ・テリギ=鉄槌)


ん! ん~ん! んん~! ん! んん~!(この蚊が、第一攻撃よりも、必死なのがわかった。少し当たったのだろう)

 ボッ!(この第二撃は、ソンカル・アヌロ・テリギ=手刀内打ち


んウッ、ん! んウッん! んウん~! んっ! ウッ! ん~(この蚊、かなり怒っていたのがわかった。再び当たったのだろう)

 バシッ!(この第三撃は、ソンパダッ・アヌロ・テリギ=ただのビンタという説もあり)


・・・・・・

(勝った!)


我が輩は、

チビ達がおきないよう

夜ばいでもするかのように、

そ~と、

寝室を後にし、

洗面台の明りをつけ、鏡にうつった我が輩の右頬を見てニッコリ。

黒い死骸からは赤い血は流れていなかった。

(ふっふっふっ、明智君、君の完璧な負けだよ)

と思うと同時に、

下等生物との果てしない戦いに、

 うんざり 

するのが、

硬派感傷主義だ。


2006-10-23 23:49:21

秋葉原「メイド狩り」?!

テーマ:我が輩お笑い事件簿

我が輩にとって月曜日は、

日曜日と同じで、

子供達とのコミュニケーションと、

午後5時30分から始まる彦根支部の指導を除けば、

何もせず、

ただじっ~と、

コーヒーカップを片手に、

自宅の居間の窓から見える自然をみながら、

 ボー

と、していたい、

というのが偽らざる心境だ。

まぁ、ニュース程度はみるけれど。


というわけで、いつものように、今日もニュースを観た。

すると、

TBS系列のニュースのテロップに注目


 ー秋葉原でメイド狩り


(そりゃ、なんやねん?)

憶えたての関西弁もどきの硬派感傷主義。


次いで、おそらく20代の若い女性記者が、深刻な表情で訴える。


「オタクの街! 秋葉原!! で、メイドさんが襲われるという事件がありました!!!」


被害者の方には大変申し訳ないけれど、

真剣な表情での

 ーオタクの街! 秋葉原!!

という発言に、

思わず、

「ギャハハッ!」

と不謹慎にも笑ってしまった。


なぜなら秋葉原は、

昔から「電車男」がヒットする前までは、

 ー世界に冠たる電機部品の街

と呼ばれており、

北朝鮮の核開発の部品も、ここから流れていたという噂もあるほど

ここに来れば電機部品なら何でもそろう

 ーハイレベルな電気の街

だったはずだからだ。

それが今では、

 ーオタクの街

と全国放送で言われるのだから、

我が輩的には、かなり可笑しかったのだ。


事件は、こうだ。

秋葉原駅前で、メイド姿の若い女性が、自分が働く店のチラシを配っていた。

すると160cm程度の若い男が近づき、

「君、大学生? どこで働いているの? 君の店に案内してくれる?!」

「はい! ご主人様!!」(この発言は、イメージです)

となり、二人は店に向った。

店に入る途中、階段の踊り場で、

男が刃物をメイドにつきつけ、胸やパンティーをさわり始めたが、

メイドがすぐに大声を出したので、男は逃走した、

というものだ。


被害者には申し訳ないが、

我が輩が、この報道で大爆笑をしてしまったのは、

この女性記者が、インタビューした秋葉原の真正なオタク達の憤慨する言動だった。


最初は、すごい顔をして目玉が飛び出そうな奴の

「ええええええっ、・・・・・・・!」(後の言葉は、記憶無し)

という言動に、

我が輩は、

「ギャハハッ、

 あっあれは、「電車男」に出ていそうな奴じゃないか! 本当にいるんだなぁ、ああいうのが!」


次いで、出てきたのが、

「%&%$#”$%&$”#!」(言葉はすべて記憶無し。怒っていたと思う) 

という場面では、

「ギャハハ! ああいうのも、「電車男」に出ていたじゃないか!」


最後のオタクは、

「メイドさんは、秋葉原のアイドルなのに、許せません!」(だったと思う)

という場面では、

「ギャハハッ!

 こいつは「こまわりくん(30年程前、流行した漫画『ガキデカ』の主人公。<死刑!>と言葉が流行った)

 そっくりじゃないか! 

 いやぁ~、なつかしいなぁ」


このニュースで、

笑いの提供を受けた我が輩は、誓った。

「そうだ! 学問のため、秋葉原のメイド喫茶を見学に行こう!!」

と思いつつ、

(犯人の秋葉原のオタクの風上にもおけない奴は、160cmだというから、

 JTAのI・T(情報技術ではありません。念のため)ではないなぁ。

 なにせI・Tは、身長165cmはあるし、チン長&延べ面積・・・・・)


ピン、ポン、パン、ポ~ン

ただいま公共ブログに、不適切な発言がありましたのでお詫び申し上げます。

皆様の受信料に支えられている

HHH


2006-10-22 23:34:14

初!「家族新幹線」!!

テーマ:我が輩親ぱガ日誌

午後、祝勝慰労会を終えた我が輩は、

 キャWAいい!

二人の息子と、

愛するオモニと、

その他2人をともなってタイヤ公園へ行った。


かおるゴンが、

東京外国語大学で

学会(創価学会ではありません。念のため。学者の学術研究会の意)があったため、

東京に、

来た、キタ、きた朝鮮の関係で

二人の息子達も東京に来たわけだ。


以下、続く。



2006-10-20 23:49:40

さんまは釧路に限る

テーマ:めざせ!海原雄山 >池原小山!!

気づいてみると、

漫画「美味しんぼ」を1巻から80巻までそろえてしまった。


どのキャラクターが好きかと言えば、

ずばり、

 ーこの馬鹿者!

と怒鳴るのが、よく似合う海原雄山だ。

(次いでヒロインの栗田が、好みと言えば好みだが・・・)


でだ。

我が輩は、美食家とは到底いえないまでも、

 ーまずいものは、まずい!

   うまいものは、うまい!

とマキシムの前で叫ぶことができる。


海原雄山には、遠く及ばないにしろ、

 ー池原小山

ぐらいにはなれそうな気がするので、

「我が輩美食倶楽部」を披瀝したい。

(けれど料理の才能が、黄帯にも満たないので、紹介だけです。トホホ)


第1段は、北海道・釧路市漁業協同組合が生産している

 ー糠(ぬか)さんま

だ。


このさんま、

そんじょそこらのさんまではない。


釧路市漁業の説明文には次のように記されている。

「さんまは、黒潮周辺の海で生まれ、

 成長とともに北上し、エサをたっぷりとってエネルギーをたくわえます。

 そして8月中旬あたりから千島列島の沖合から親潮の動きに沿って南下していきます。

 この時期に道東沖で漁獲されたさんまが一番脂がのつて最も美味しいとされております」


しかもだ。

「本品は秋に釧路沖で獲れる最も脂の乗った新鮮なさんまを厳選し、

 天日塩と厳選道産米糠にゆっくり時間をかけ、熟成させたものです。

 浜の母さんが守り続ける本物の味(注意 釧路の名産らしい)を是非ご賞味下さい」


これは実にうまい!


書いてるだけで、

よだれが出てきたので、

さっそく食べよう。

ふっふっふっ、明智君、君の負けだね。


諸君!

だまって食え!

一生に一度は、食べる価値のあるしろものだ。

さんまは、釧路に限るゼイ!


製造者 釧路市漁業組合(0154-53-8181)



  







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