このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。
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募金をお願いしたら、こんなコメントが届いた。不愉快だから、曝すね。
日記、見ました。博報堂なら年俸1000万以上ありますよね。住まいはどこなんでしょうか?仲間うちでどうにかできる額ですね?なぜ、募金活動を?s借金しても返すことができますね?そしてチラシ作りなどいくら費用をかけてるのでしょうか?呼びかけに応えた人達がこれを知ったらどう思うと思いますか?
一読、馬鹿と分かるコメントだが、1億3000万円という金額は、年収1000万円でも、13年手をつけなければ貯まらない金額だよと応じたら。
13年は長いですか?命より大切ですか?職場でチラシをつくるのはした金、と言ってしまう感覚がおかしいと思うのです。ヒトゴトだから、というならあなたは今まで何かで募金したことはありますか?コンビニのレジ横にある募金箱に何回入れましたか?世界で飢え死にする子達をどう思いますか?知らない子なら関係ありませんか?よその国だから、ですか?あなたが人を批判できるのがずうずうしく思え、驚きました。
だって。
こいつのblogを見たら、こんな自己紹介が載っていた。
犬と猫、どちらも好き。
ひとりでカフェでまったりするのが好き、表参道のMaduとか。二人でなら隠れ家ぽいバーに行きたい、西麻布のSO-BARとか。
自称世田谷区在住の女性。
化け物のような婆だと思われます。
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一日目
地下鉄で読もうと思っている、創元にもらった、D・M・ディヴァインの新刊『ウォリス家の殺人』が未だ見つからない。仕方なく、本棚を見たら、あれま、直井明の『本棚のスフィンクス』という本を見つけちまった。買うだけ買って、読みもしない本は多々あるが、むろんこの本はそういう類の本ではない。推理作家協会賞を受賞した『87分署グラフィティ』以来の直井ファンのわたしが、なんで買ったまま忘れていたのか知らん。
奥付を見て分かりました。今年の4月30日発行の本。即ち、転勤転居で書斎が滅茶苦茶の時期に購入し、本棚に置いたまま忘れていたのである。試にページを開き、ふと目に付いた「グレアム・グリーン『第三の男』原作と映画」の章を読んでみたら、確か読んだ記憶がある。多分、購入後、地下鉄内でここだけ読み、ずっと忘れていたに違いない。
しかし、先日ご紹介した『夢想の研究』に勝るとも劣らない、力のこもったエッセイである。なんせ副題が掟破りのミステリ・エッセイ。『幻の女』『偽のデュー警視』『大いなる眠り』といった既に評価の定まったような作品たちを俎上に乗せて、小気味よく捌いていくのでありますから、面白くないわけがない。
国外生活が長く、生前のエド・マクベインとも親しかった著者の教養は半端ではなく、もはやこちらは読みながらうなり続けるしかないといった按配。過去の映画をDVDで見て、脇役の名前をネットで検索して「この役者は××では、こんな役をやっていた」なんて中途半端な薀蓄を開陳して、一丁前の評論家面しているような奴は、この書を読んで筆を折りたまえ。
唯一、「ガンクレージー」の章で紹介される拳銃、とくに『From Russia With Love』のSWのリボルバーの写真なんて、いかにジェフリー・ブースロイド(この人が誰か説明すると長くなるので、検索するなりして調べてね)の助言があったにせよ、007のイメージではないよなあ。
映画の007は、こと銃器の描写に関しては滅茶苦茶で、ベレッタをボロカスに言ってワルサーPKKを誉めそやすのも、ちょっと「?」だよなあ。ダブルアクションのPPKよりシンプルな構造の軍用拳銃M1934の方が、ずっとスパイ向けだと思える。しかも、映画では肝心の殺しのシーンで、なぜかボンドはサイレンサーを装備したブローニング380を使っている。どこから持ってきたのだろう。いや、そもそもショートリコイルのオートマチックにはサイレンサーは装備出来ないし、いわんや銃口内に螺旋が切ってあって、そこに捻じ込むなんてあり得ません。ここで殺される殺し屋はSWオートマチックにサイレンサーを装備して使っているけど、これも嘘だし、左手でサイレンサーを握ったりしたら、ショートリコイルが出来ないから回転不良を起こす。最後に隙を見て、ボンドに向かって弾鉄をひくが弾切れ。ボンドが「その銃は7連発だからもう弾はない」という台詞が、当時リアルだと誉めそやされたが、オートマチックは弾を撃ちつくすとスライドが下がりっぱなしになるので、こんな事態起こりえないのだ。つまり、拳銃関係がいいかげんなのが007の世界観ということ―
しまった。知らぬ間に自分語りに陥っていた。
エド・マクベインと親しかった著者の語る「エド・マクベインとの対話」の章がこの書の圧巻だろう。
この本、直井明77歳の著作なのだ。凄いなあ。
『本棚のスフィンクス』 直井明 論創社 2008
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本物がここにいる
静岡暮らしの間に、すっかり週刊誌を読むという習慣がなくなってしまった。地下鉄は読書か睡眠の場になっている。わたしのように、新書古書矢鱈滅多ら購入する方ならお分かりだろうが、そうした人間の常として、その全部を読むわけではない。だから、未読のまま措かれている本も多々あるのだ。それらを見直して、読んでみるのにも地下鉄は最適な空間だと思える今日このごろ。
いや、無論、瀬戸川猛資の『夢想の研究』は、そうした一冊ではない。しかし、同じ著者の『夜明けの睡魔』、実際擦り切れるほど読んだ(恥ずかしながら、この書を手に取らなかったら、ロス・マクドナルドを読むことはなかったろう)のに、こちらは、随分あっさりと読了してそのままになっていた。それが、昨日出がけに、創元から謹呈されたD・M・ディヴァインの新刊『ウォリス家の殺人』がどこかに紛れてしまったので、仕方なく手近な所にあった本書を鞄に抛り込んで出かけたのだ。
いやはや、驚いた。初読のとき、一体どんな気分で読んでいたのだろう。なんて物凄い本なのだ。冒頭の乱歩とドイルのエピソード。この点に注目した人は今までいたかしら。映画『十二人の怒れる男』の鋭い分析。なんで『男』なのかってのも、本当にその通りなんだが、その答として、瀬戸川は同じシドニー・ルメットの『グループ』と『オリエント急行殺人事件』を挙げて解説する。もはや著者の独擅場。自分の目がいかに節穴だったか、しみじみ思わせてくれる。
そして、第三章「帝王伝説」で、ついに全身に鳥肌が立った(佐野洋に言わせると、おかしな表現らしいが、本当だからしょうがない)。
1937年のある晩のこと、L.AでSFファンの小さな集いがあった、第1回SF大会が開かれる2年前のことで、ファンと作家の懇親会みたいなものだったのだろうと著者は推理する。そこで17歳の二人の少年が巡り合う。地元のレイという名の少年とイリノイ州出身の、同じレイという名の少年だ。ふたりは出会うや、たちまち意気投合して、そして、夢を語り合う。
この拙い文章を読んでくださっている方の中には「なんだ、そんなの有名な話じゃないか」というかたもおられるかも知れないし、「おいおい、まさか……」と興味津々な方もおられるだろう。わたしは後者でね、読み進めて、心地よい感動に包まれて、つい涙を滲ませてしまった。
申し訳ないが、この二人のレイを知らない方に説明しても、なかなかこの感動は伝わらないと思うので、事実だけを提示しよう。
二人のレイとは、レイ・ブラドベリィとレイ・ハリーハウゼンなのだ。
びっくりしたでしょう。ふたりには、恐竜の人形をコマ撮りで撮影した、共同制作の8mm映画もあるらしい。
うーん。これだよなあ。
この本、この後、これでもかこれでもかと物凄い話題を提供してくれるのだ。わたしの“嫌い”な丸谷才一が「真珠思ひ出」という解説を寄せているが、これまた必読である。悔しいけど引用する。
彼は健全な論理、しゃれたレトリック、上質の文体で、批評といふ遊びにせつせと精を出しながら、われわれ読者を楽しませ、啓発した。それは文明の教師としてまことに粋な務めぶりであった。かうして現代日本は彼により、じつに多くのことを学びつづけ、刺激を受けつづけるはずであったのに、彼はもうゐない。天がもう二十年、せめて十年、時間を与へてくれたならと残念に思ふけれど、まあこれは仕方がない。しかし彼が持ってゐた優れた資質と力量、大きな可能性のあかしとしては、ここに『夢想の研究』といふ一冊の本がある。
馬鹿が書いた馬鹿な本ばかりチェックしていると本当に馬鹿になりかねない。そんな気分のときに救われた想い。
ちょっと古い本だけど入手できない本ではない。お薦めします。
『夢想の研究』 瀬戸川猛資 創元ライブラリ 1999
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タイトルをつける気にもならない。
唐沢俊一HPの日記、「裏モノ日記」 8月27日から。
アフガン狂時代
伊藤和也さんのご冥福をお祈りします。
アフガンでタリバンと思われる集団に拉致された日本人、伊藤和也さんらしき人の死体が発見されたとのニュース。
危険が最近増している現地での農業指導に、信念を持って当たったからには
このような死も覚悟の上であったろう。
いたずらに嘆くより男子の本懐と讚えたい。
唐沢の日記はなぜかリアルタイムではアップされず、4~5日のタイムラグがある。確か、専門の業者に原稿を渡してアップするという手法をとっているはずだ。それにしては字組みなんか滅茶苦茶なんだけどね。
さて、この日記、必ず“駄洒落”のタイトルが、つけられている。過去1週間でも――
26日火曜日足軽・ミステリー・ツアー
25日月曜日しんけいつうを注いだ作品
24日日曜日iTunesは太郎の嫁になる
23日土曜日タリラリラーンのクロアチア
22日金曜日にほんごでこそぼ
21日木曜日ベートーベンのDAIGO
で、27日が『アフガン狂時代』である。元はなに? 『殺人狂時代』かしら。いや、そんなことはどうだっていい。『アフガン狂時代』と下手な洒落を飛ばして、いきなり
伊藤和也さんのご冥福をお祈りします。
とはなんのつもりだろう。まさか自分は鬼畜だから、こんな深刻な話題だって駄洒落にしちゃうんだよ、と言いたいのか。上でも書いたが、この日記がアップされたのは、29日だから、アフガニスタンで発見された邦人の遺体は、既に伊藤和也さんのものと確認されていた。しかし、日記は27日付けのものなのだ。唐沢も「伊藤和也さんらしき人の死体」と書いている(遺体と書いて欲しい所)。家族がどんな思いでいるかを考えたなら(たとえ事後にアップされる日記とはいえ)、この時点で「ご冥福をお祈りします」とはなんと不謹慎なことだろう。
しかし、その後に続く、文章に比べたら、これとて霞んでしまう。
いたずらに嘆くより男子の本懐と讚えたい。
「本懐」とはどういう意味なのか、辞書を引いてもらいたい。志半ばで無念の死を遂げた伊藤さんを、自分のケツも拭けないような男が、言いも言ったり「讃えたい」。
わたしは、この文章、なんとか自分を抑えて綴っている。しかし、他人の日記を読んで、殺意を覚えたのは久しぶりのことだ。
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あなたがmixi「上戸ともひこ」さんの日記に降臨したときのコメントを読み直し、反省することがあったのでここに記します。
わたしは空手道場の塾頭です。それも実戦空手を標榜する流派の本部道場の塾頭です(こうした書き方が良くないことであることは分かっていますが、話を進める上で止むを得ないとご理解下さい)。そんな立場にありながら、わたしはあなたにメールを送り、DAICON会場での面会を求め、その際に「暴力はふるわないが、怖いなら仲間を何人連れてきてもかまわない」旨書き添えました。このときわたしは、そうした姿勢がフェアであなたも安心だろうと考えたからです。
また、あなたが参加している企画の主催者と因縁浅からぬ人物が、わたしと今野敏先生の企画の進行者であるという事情から、あなたが逃亡を企てるなら、その人に協力を仰ぐとも記しました。空手の段数(段位と申します)こそ記載しませんでしたが、その人物が空手家であることは書き添えました(そのほうがあなたの企画の主催者氏が特定しやすいと思ったからです)。
しかし、こうしたことは迂闊のそしりを免れないでしょう。
空手というか、武道武術と縁の無い人間にとって、こうした書き方が「暴力をにおわせる」ものであることを全く考えていませんでした。
わたしは、また冬コミに「殴り込む」といった物騒な書き方をしました。その度に「暴力はふるいません」と付記しましたが、これではマッチポンプです。
あなたが、どんな恐ろしい気分だったか。それを思うと胸が痛みます。
わたしは自分の立場を自覚して、私闘等の暴力は、空手を始めてから一度も行使したことはありません。しかし、一般の人に対し「わたしは空手家だ、でも暴力はふるわないから安心しろ」というのは脅しととられる可能性もあるのです。
わたしは今後あなたとは、作家として対峙します。空手家であることは忘れて下さい。
なお、このことはあなたの盗作事件(謝罪文掲載後すぐに再犯)を糾弾し続けることとは何も関係ないことだとお考え下さい。
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やめるつもりでしたが、唐沢俊一が、mixiでなんら関係もない第三者(さきほど言及した方)の日記で暴れ捲くっているので、それをご報告しましょう。
なんで、わたしのところに書かないのでしょうね。
●裏亭
当方の日記もお読みください(笑)
http://www.tobunken.com/diary/diary20080823120155.html
●上戸ともひこ
>裏亭さま
あ。ご本人様登場!!!
もちろん読んだ上で書いたんですが、裏亭さんの日記にリンクを張らなかったのは公平さに欠けました。その点は申し訳ありません。
でもぼくの主張は変わりないですよ(笑)。
●裏亭
それはご本人のご自由ですから。
ただ、あの人もこっちの後の予定くらい調べてから凸して欲しいですねえ。
忙しいんだから、こっちは。
●上戸ともひこ
>裏亭さま
ご理解いただけてどうもです(笑)。
お忙しいのでしたら、いずれ時間をとって、ぜひとも藤岡さんと直接対決してください。気長に待ってますので。
●上戸ともひこ
などと書いていたら、藤岡さんの日記と検証ブログが更新されていたので見てください。公平さに欠けるので(笑)。
■藤岡さんの日記→http://www.fujiokashin.com/criticism.html
■検証ブログ→http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/
鮎川哲也ばりのアリバイトリック……でもないか。
あと、藤岡さんは日記にこう書いている。
>(会場で何人かの人から、予告のメールなんか出さないで、急襲すればよかったのにと言われましたが、被害者をクレーマー呼ばわりするような人間ですから、ストーカー呼ばわりされたくなかったんで)
ぼくもこれに同感。
●SHIN(※藤岡真です)
この裏亭という人、なんで上戸ともひこさんのような第三者の日記に降臨して、うだうだ言うんでしょうかねえ。
わたしの日記だって全体に公開しているんだから、言いたいことがあればそこで言えばいいのに。
ホンマもんのへタレですわ。
●上戸ともひこ
>SHINさん
ぼくもそれが不思議なんです。>第三者<他に発散するところがなかったのかもしれません。
本来ならSHINさんの日記にコメントするべきですよね。当事者なんですし、日記も全体公開にされているんですから。やはりヘタレとしか考えられないです。
そもそも裏亭さまがどうしてぼくの日記にたどりついたのかも……。裏亭さま、これ読んでいたらコメントでもメッセージでもいいので教えてください。
あ、それから、盗作に関することについて裏亭さまと議論するつもりは毛頭ありませんので。だって、もう決着の付いている事柄なんですから。忙しいんで、ぼくも(笑)。
●SHIN
ねえ。
なんか、自分の取り巻きの日記に降臨したみたいですもんねえ。
検索して、この件に言及している日記に降臨し、あわよくば自分の取り巻きにしようとしたんでしょうね。馬鹿だね。
●裏亭
すいません、私、暴力をにおわせるメールよこして人を脅かそうとする
ようなメンタリティの人間のところに書き込んだりする主義は持たないのです。
ここを見つけたのはたまたま、別のキーワードで検索したら見つけたという
だけのことであります。
●SHIN
>裏亭さん
「すいません」じゃなくて「すみません」でしょう? あなたが東京の下町育ちなら仕方ないけど。
誤解されるような言い方はやめてください。わたしは暴力は絶対ふるわないし、それでも怖いなら、取り巻きの人を何人連れてきてもいいですよ、と伝えたはずですけど。
●上戸ともひこ
>SHINさん
まったくその通りです。ぼくでしたら、絶対取り巻きなんかにならないのでご安心を。
>裏亭さま
ぼくの日記を見つけた理由を教えていただいてありがとうございます。別のキーワードって「DAICON」でしょうか。
SHINさんとどういうメールのやりとりをしたのかは知らないので「暴力をにおわせるメール」についてはなにも言えませんが(けれどもお二人の今までの言動を考慮すると、どうにも裏亭さまの言うことは信じがたいです)、かといって裏亭さまに決して好意的でない立場のぼくの日記にコメントを書き込んでどうしようというのかがわかりません。あ、別に答えていただかなくてもけっこうですよ。忙しいんで、こっちも。
●SHIN
しかし、ここで管を巻くのと、わたしの日記にコメントを書くのとどこが違うのでしょうかねえ。
それが、あなたのメンタリティの問題ですかw
>上戸さん
災難でしたね。変な親爺に折伏されそうになって。
●裏亭
ああ、すいませんw
パソコン通信時代の人間なのでどうしても、ネットに全体公開で
書き込むということは他者からのコメントを求めていること、という認識がありますので。
あと、暴力は恐れません。連れてくる人間の空手の段数まで書き込むような
幼稚な方とは席を同じうはできないなと考えるまでです。
書き込み、足跡はこれを最後にします。
お騒がせいたしました。
●SHIN
だから、よそ様の日記でそんなこと書いていないで、なんでわたしの日記にコメントしないのですか。「空手の段位」なんて書いていませんよ。今更嘘をついて、なに考えてるんですか?
ああ、それから、「すみません」だよ。みっともないだけなんだけどね。
上戸さんごめんなさい。
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本当になに考えれるんだろう。わたしの日記に降臨しただけで、殴られるとか思っているのかしら。
しかし、裏亭氏の貴重な意思表明がありましたね。
あと、暴力は恐れません。
だそうです。再三再四、暴力は振るいませんと言ってるのに、暴力という文字に過敏に反応しちまうようです。
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きみばかり相手にしているわけにもいかないし、普通だったら致命傷と言うべきガセが、著作どころか日記にまで満載されているとばれたのに、のうのうと他人様の日記に自己弁護のコメントなんかつけてて、唐沢の面にしょんべん状態なので、小休止。
しかし、今回の件を含め、きみの周囲にはどうしてまあ、きみの劣化コピーのような人物が集合しちまったんでしょうねえ。そんな輩からセンセイ、センセイと煽てられて生きていければそれでいいと居直っているのは分かりますが。ま、忠告してくれるようなお仲間もいないようなので一言。
それはね。小説でも雑学でも芝居でもなんでもいいから、数をこなすのではなくて、じっくり、自分にも他人にも世間にも恥ずかしくない仕事を一つでいいからおやりなさい、ということです。
これがおれの実力だ、文句あっか! と胸が張れたら、もう嘘八百を書き散らして保身に走る必要はないのですよ。
24日付けのきみの日記を読んで、ある意味感心しました。
児童文学館のEさんから丁重なお礼メールいただき、恐縮。「次回はぜひ館で同様のイベントを行いたく思います。ご多忙とは思いますが、その節にはどうぞよろしくお願いいたします」との依頼があったので、ぜひともと返事をしておく。今回の強行軍での大阪行き、正直大変だったがやってよかったと思う。
なんという自己満足でしょう。開会前サインをせがまれていい気になって遅参、わたしが怖かったので、電車に間に合わないと大嘘を付き、15分前に放り出して逃げる。
主催者からしたら「何様のつもりだよ」というところでしょうか。しかも東京の落語イベントには15分の遅刻(何度も書きましたが、岸和田に14:30に着いていたなら、特急、地下鉄と乗り継いで、15:30前には充分に新大阪に入れるのです)。
それが主催者からのメールを読んで――
今回の強行軍での大阪行き、正直大変だったがやってよかったと思う。
これって、仕事にありつけて嬉しいってことですよね。なにもかも中途半端にしといて、次の仕事が貰えれば総て良しですか。
少なくとも広告の仕事は無理ですよ(実はそうでなくても無理なんだけどね)。
純粋に小説一本で勝負してみてはいかがですか。『血で描く』の小生の書評をお読み戴けば分かるでしょうが、「笑い者」にしようという魂胆は毛頭ありませんから。
では。
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殺伐とした話題なので、お詫びのしるしです。
池袋猫。
さて、mixiをみていたら、DAICON7のわたしと唐沢のやりとりについて、わたしの日記(机上の彷徨)と唐沢俊一検証blogを引いて言及していらっしゃる方がいた(全体に公開した日記)。
そうしたら、なんとそこのコメント欄に―
当方の日記もお読みください(笑) http://www.tobunken.com/diary/diary20080823120155.html
と書かれてありました。「裏亭」という方からのコメントです。
「読んでも意見は変わらない」と返答されたら――
それはご本人のご自由ですから。 ただ、あの人もこっちの後の予定くらい調べてから凸して欲しいですねえ。 忙しいんだから、こっちは。
だって(笑)。
個人的な意見を述べている第三者の日記に降臨し、「ひえー唐沢先生! おっしゃる通りでごぜーます」という反応を期待して余裕の「(笑)」だったのに、反論されたら、すぐにさもしい本性がむき出しになる。
なんで、わたしの日記に降臨しないのかしら。
全体に公開しているのに。
唐沢くん。文章なら殴られたって痛くないから。
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“作家”唐沢俊一のアリバイトリック
8月23日、岸和田DAICON7で、唐沢俊一が、終了15分前に中座して帰京した件に関して、伊藤剛さん、京都大学安岡先生が、「唐沢俊一検証blog」に推理を寄せています。これらを加味して、当日、実際にはなにが起きたのか、仔細に検証したいと思います。
8月23日、唐沢俊一は、13:00から開催されていた企画「大阪国際児童文学館を救え」の中途で、出演を切り上げ帰京を図ります。以前も引用しましたが、唐沢の日記から――
1時間半の企画だったが、残り15分、質疑応答に入るという 時間(ママ。時刻だよね)で、帰りの新幹線にギリギリ、と司会のSくんからメモ回って きたので、NさんやK谷さんにお詫びを言って会場を後にする。
この書き方だと、唐沢は「何時の新幹線に乗りたいので、ギリギリの時刻になったら教えてください」と、あらかじめ頼んでいたようにも読み取れますね。唐沢はこの後、日記で新大阪16時発の のぞみ32号(N700系)で帰京したと明記していますから、主催者に、その旨を伝えて時間の調整を頼んでいたのかも知れません。しかし、このあとの記述が妙なのです。
タクシー、岸和田までだと時間が間に合わないので、ちょっと かかるがと思いつつ、なんばまで飛ばしてもらう。
昨日のエントリにも記載しましたが、この時刻には14:50岸和田発、南海特急ラピートβ48号(南海難波行)という電車があるのです。これに乗れば、なんと15:11にはなんばに到着してしまいます。なんばから大阪市営地下鉄御堂筋線で、新大阪まではたったの15分です。接続を思い切り多めに見積もっても(難波の乗り換えに10分)、15:36には新大阪に着いているということですね。いや、頻繁に走っている普通の特急でも22分、急行ですら25分です。しかも、ガラガラの電車ですよ。「浪切りホール」から岸和田までは徒歩でも10分、タクシーなら2~3分でしょう。つまり、「大阪国際児童文学館を救え」の企画、ちゃんと最後までいて、不義理をせずにそのときに来た電車で普通に帰ったとしても、充分に余裕があるのです。
なんで、タクシーなのかに関して、伊藤剛氏は唐沢俊一検証blogのコメントで、唐沢氏は脚が不自由だから、駅の乗り換え等を避けたのではという、好意的な指摘をされています。しかし、唐沢は東京での生活で、よほど疲労したとき以外はタクる(唐沢語? タクシーを利用する)ことなく、電車、バスを利用していますし、岸和田駅はエスカレーター、エレベーターが整備されたバリアフリー。むしろ御堂筋線の乗り換えの方が面倒なのではという環境なのです。
そこへ、安岡孝一先生から、以下のような指摘があったのです。
岸和田出身の私としては、なぜ難波駅でタクシーを降りたのか、の方が結構疑問だったりします。浪切ホールから車で大阪中心部に向かうとすると、普通は阪神高速湾岸線を使うわけですけど、そうすると阿波座ICに着いちゃうんですよね。ならば、本町駅に行く方が近くて、わざわざ難波駅に戻る理由が無い。しかも、阿波座ICまで来たのなら、なにも地下鉄なんか使わなくても、新御堂筋に入って新大阪駅に直接タクシーで向かう方が、圧倒的に速い。何がうれしくて難波駅にタクシーを乗りつけたのか、正直さっぱり理解できなかったりするのです。
これは充分に納得のいく指摘です。無理矢理タクシーで難波までいって、なんでそこから地下鉄に乗るのか。大阪の地理に詳しい方なら、難波の地下の複雑な構造からしてあり得ないと思うのではありませんか。
いやいや、もう、皆さんもとっくにお気づきですよね。
ギリギリの時刻にタクシーで会場を去るというのは、単にわたしから逃げるための姑息な言訳に過ぎないのです。万が一捕まっても(事実、そうなったのですが)、時間がないと言訳して逃げるための手段。
唐沢は岸和田までタクシーで出て、特急列車(運賃480円)で、難波までいったに相違ないでしょう。
しかし、いかにわたしが空手道場の塾頭とは言え(嫌味な書き方だね)、ちょっと時間をとって下さいとメールしただけで、このあたふたぶり。
惨めとしか言い様がありません。
本気で冬コミに殴りこみましょうか(殴りませんが)。唐沢のうろたえぶりをとくと拝見したい所。
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DAICON7で唐沢俊一に声をかけたが、あっさり逃げられました。あらま、といった首尾でしたが、唐沢くんはそのことをネットでとやかく言われて頭にきたのか、滅茶苦茶な言い訳を日記に書いています。
あまりに杜撰で、頭の悪い言い訳なので、ちょっと面白いから逐一チェックしてみましょう。
そのまえに一言。ネットでは、ことさら、わたしの行動を唐沢俊一 VS 藤岡真といった構造で語ろうとする輩がいますが(唐沢くんの取り巻きか、ただの馬鹿か、両方かだと思います)、唐沢くんは万引きの常習者で、わたしはそれを追跡してとっ捕まえる立場なんでね、どっちが勝ったとか負けたなんて話ではありません。もっとも唐沢くんの取り巻きには、唐沢くんに寄生して生きているようなのもいますから、宿主の死は己の死と、必死になっているのかも知れませんね。
さて、わたしは、8月22日唐沢くんにメールを出し、DAICON7に参加するため23日に岸和田入りするので、23日のあなたの企画終了後(14:30)にちょっと話をする時間をとってくれまいかとお願いしました。予想通りなんの返事もありません。で、当日、唐沢くんは企画終了の15分前に会場から出て参りました。そのときのことを、自分の日記、「裏モノ日記」にこう記しています。
1時間半の企画だったが、残り15分、質疑応答に入るという時間で、帰りの新幹線にギリギリ、と司会のSくんからメモ回ってきたので、NさんやK谷さんにお詫びを言って会場を後にする。外に出たら、と学会のKさんや、ROCKY江藤夫妻などに会って挨拶。それから、ナントカと名乗って挨拶してきた中年の男性がいた。SF大会ではとにかく、いろんな人に挨拶されるので、いちいち相手を確認しないで返事をかえす。このときもよく名前聞き取れなかったので(私は人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なのである)
「これはこれは」
とトリアエズ挨拶したら、
「ちょっとお話しできますか」
と言われたので、困ったファンだな、と内心思いつつ、すいません、下にタクシー待たせているもんで、と言って断り、スタッフに送られて階下に呼んでいたタクシーにSくんと乗り込む。車中、さっきのは誰だっけ、と考えつつ、胸にかけていた名札の名前の記憶が浮かんできて、そうだ、私の悪口をブログに書きまくっている人物だった、と思い出し、ありゃりゃ、と苦笑する。コレハコレハ、などと丁寧に挨拶されて、向うも面食らったのではあるまいか
はいはい(笑)。嘘すら下手ですねえ。名前が聞き取れないのと、「人の名前や顔を覚えることが病的に苦手」は関係ないじゃないですか。「藤岡です」と言われたが、「はて藤岡ってだれだっけ、人の名前や顔を覚えることが病的に苦手なんで」なら分かりますよ。あなたは言い訳に保険をかけているのね。「聞こえなかった」うえに「聞こえたとしても、覚えてらんない」。いやはや、一度会った人間のことは決して忘れないが、あなたの売りだったのに、それを捨ててまで自分を正当化したいのですか。で、ここで止めておけばいいものを、「胸にかけていた名札の名前の記憶が浮かんできて」って、あなた超能力者ですか? 誰だか分からないじゃ悔しいし、そんなことわざわざ日記に書くのも、不自然だと、特殊能力でわたしの名前を思い出したらしい。
「私の悪口をブログに書きまくっている人物」
ねえ、唐沢くん、わたしは事実は書いているけれど、悪口なんて一度も書いていませんよ。あなたが、知的財産権窃盗常習犯だから、そう書いているだけでね。それより、朝日新聞の書評委員で、自称作家であるあなたが、なんでここまで罵倒されて名誉毀損で訴えないのですか?
そんなことしたら、旧悪が総て露見して命取りと、自覚しているからでしょう。分かり易いよねえ。
さて。この日、あなたは新大阪16:00発の新幹線で帰京されました。
タクシー、岸和田までだと時間が間に合わないので、ちょっとかかるがと思いつつ、なんばまで飛ばしてもらう。~中略~なんばから新大阪まではスムーズに行き、4時発の新幹線、またN700系
さあ、これがそもそもおかしな話なんだ。14:50には、岸和田発南海特急ラピートβ50号(南海難波行)がある。わずか21分でなんばについてしまう。休日とはいえ、事故や渋滞のリスクのあるタクシーで直線距離にして、26kmもあるなんばまで、なんでタクシーで移動しなければならないのか。
この特急を利用すれば、14:30まできちんと企画に参加して、余裕で帰ることが出来たのに。会場(浪切りホール)から岸和田駅まで、タクシーなら5分とかからないのだから。15分前に逃げ出したのは、わたしの来訪を恐れたからとしか考えられません。
唐沢くんは24日の日記にこんなことを書いている。
パソコンにほぼ二日ぶりに向い、メールなどの整理。
行き違いになってしまっているものあり。送り先が必ずメールを読める環境にあるとは限らない。
うーん。大阪のホテルはLANの具合が悪いので、接続できないと書いていたのだから、「送り先が必ずメールを読める環境にあるとは限らない」なんてことを、なんでわざわざ書くのかね。ま、普通なら「メールを下さった皆様、チェックできなくて返事が遅れ、申し訳ありません」と書くんじゃないかなあ。でなければ、メールをくれた人(わたしは別としても)に対して、随分失礼なもの言いだよねえ。つまり、この一文は「事前に藤岡からのメールなんて読んでないぞ」という苦しい言訳だとすぐに分かるよね。
しかし、義憤にかられていろいろ行動しているけど、全くカスのような奴だね、唐沢俊一くんってさ。