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大相撲初のテレビ中継は、NHKの本放送開始から3カ月後の1953(昭和28)年5月16日だった。その日、北海道の洞爺湖畔で、農協職員に男の子が生まれた。後の大横綱にして日本相撲協会の理事長、北の湖である▼テレビ史に刻まれた夏場所の優勝は平幕の時津山がさらうが、「栃若」時代が始まろうとしていた。「柏鵬」から「輪湖」「若貴」へ、北の湖の半生は大相撲の隆盛と重なる。大衆化を担ったそのテレビが昨今、「土俵の外」ばかりを映している。画面の真ん中に、理事長の渋面がある▼露鵬と白露山の兄弟力士に、大麻吸引の陽性反応が再び出た。先に解雇された若ノ鵬に続き、ロシア出身の関取ばかりが同じ「決まり手」で転がるのか。秋場所を1週間後に控え、相撲協会は土俵際だ▼あろうことか、白露山の師匠は理事長その人。不祥事のたびに口をついた「師匠の責任」が、今度は自らの首をしめる。こういう時の無口や仏頂面は、公益法人のトップに似合わない▼辛口で知られる横綱審議委員、内館牧子さんは5年前、理事長と対談した後で「とても頭のいい方です」と書いた。「出るべきところと引くべきところ」を熟知していると▼現役時代は大きいのに速く、憎らしいほど強かった。自ら「引退が近い」と察したのは、最後に優勝した84年の夏場所、場内に「頑張れ」の声援が飛んだ時だという。13歳で入門し、土俵一筋。慣れない説明責任を求める声の中、小さくなってサウナに通う姿は哀れさえ誘う。間違いなく「引くべきところ」である。