一「帰郷」
運命を乗り越えた夏も終わり、めぐる季節が残暑の中でも、秋の気配をはっきりと見せるようになっていた。
圭一、魅音、レナ、沙都子、梨花に羽入の部活メンバーはこの日も、死闘を繰り広げた後、充実した帰路を楽しんでいた。
「この辺までみんな一緒ってのは、珍しいなぁおい」
圭一は一歩抜きん出て、手を広げてはしゃいでみせた。子どもみたいだと思いながらも、魅音はそんな圭一の姿にひとり頬をかく。
「圭一さん、落ち着きなさいませ。今日はたまたまですわよ。みなさん、ご用事があってのことなんですから」
「でも沙都子ちゃん、遠足みたいで楽しいかな、かな? それにこのまま上手くすれば、レナはかぁいいみんなを、まとめておもちかえりぃ〜なんだよ、はぅ〜」
「そんなの、できねーっつうの!」
「みぃ〜そういう圭一は、たまにボクや羽入をこっそり、お持ち帰りしたそうな顔してジロジロ見てるのですよ、にぱ〜」
「はぅ〜圭一くんだけ、ずるいんだな、だな!」
「だーっ。誤解を生むようなことを言うんじゃねぇ、梨花ちゃん!」
「あはは、圭ちゃんだったら、やりかねないから、困りモンだねぇ。もしもの時の証言は任せな。ばっちり『いつかやると思ってました』って言ってあげるからさ」
「あぅあぅあぅ、僕をお持ち帰りしたときのおやつはシュークリームにして欲しいのです圭一!」
ステップの決まったダンスのように、何も変わらず、いつもの通りに回る会話。その中で、圭一はふと足を止める。
「なぁ、あれって……」
濃くなっていく夕方の闇の中、圭一は一軒の邸宅を指さす。
「ええ、わたくしのお家ですことよ。にーにーが帰ってきた時のために、お手入れは怠らず、中身も外見もぴかぴかでございますことよ!」
「ほほぉ〜ならば、このお家鑑定士前原圭一さまが、沙都子のお掃除レベルをビシっと見極めてやるぜ!」
「あ、圭ちゃん。ちょい、待ち!」
魅音の静止も聞かず、一声、駆け出した圭一は道を横切って北条家へとなだれ込む。
「ほほう、なるほど、こいつはしっかり手入れされてるぜ……ん?」
玄関回りを見渡して、ひとり呟く圭一の耳に、微かな土がこすれる音が入ってきた。
「誰だっ!」
人の気配だと察した圭一は、躊躇わず声を上げた。それは影への威嚇でもあるし、近くにいる仲間への狼煙でもあった。
「ちょ、ぼ、僕は怪しい者じゃないよ!」
「ウソつけ! 怪しいやつ程、怪しくねぇとか言うんだよ!」
弱々しい影塗りの人影に向けて、圭一は正論をぶつけてみせる。
「どうしたんだい、圭ちゃん。そんなにテンパった声あげて、おじさん、びっく……」
「や、やぁ魅音……久しぶり」
魅音の言葉が驚きに飲み込まれて、声を詰まらせる。その様をいつも見てきたかのように、影は暗闇からほの暗い夕明かりの元へ出てきた。
「まったくもぉ、騒がしいですわよ。ご近所の評判が悪くなったら、圭一さんのせいでございましてよっ!」
「みぃ、圭一は黙っていると死んでしまう病気なのです。あきらめるのですよ、にぱ〜」
しごく当然な憤慨を圭一へと突きつけて、沙都子は我が家の前にやってくる。その後ろにはレナも梨花も羽入も続いている。
しかし、その顔が一様に玄関前で凍りついていく。
その様子に圭一はひとり合点がいかない。この不審者のどこに、その表情の理由があるのかがわからないのだ。
「に、にーにー! にーにー!」
「はは、ただいま、沙都子……」
ごく短いあいさつだけで破顔して、大きな目の端から、こらえきれず大粒の涙をほとばしらせ、広げられた腕の中に飛び込んでいく沙都子。
「にーにー? じゃあ……」
「圭一……沙都子のお兄さんの、北条悟史なのですよ」
梨花までも……いや梨花だけでなく、この場にいる者全てが、その帰郷を待ち望んでいたように、各々の表情を緩めていく。悟史がそれに足る存在であることは、困惑していた圭一もよく理解している。
沙都子がどれほど兄のことを愛していたか、その帰りをどれほど待ち焦がれていたか、など改めて問いただす必要などない。
それは今までの時間と、眼前の沙都子が体現している。
「はじめまして、だな悟史……俺は前原圭一、よろしくな」
「うん、君のことは詩音から聞いてるよ。沙都子と仲良くして、たくさん守ってくれたんだってね、ありがとう」
「よせよ、礼なんていらねぇぜ。俺にとっても沙都子は大切な存在だってこった」
「あらら〜圭ちゃん、未来のお兄さんを前にして、愛の告白ですか? おねぇ、あきらめたほうがよさそうですよ?」
「ちょ、詩音あんた何いってんの!」
暗がりから突然出てきて、悟史の腕に恥じらいもなく巻きつく詩音。それに動じながらも対処できるあたりが、さすが双子たる魅音だ。
「詩音、いたのかよ。だったらもっと早く出て来いよ」
「はろろん、圭ちゃん。ご無沙汰ですね。ちょ〜っとやり取りが面白かったんで、傍観させてもらっちゃいました」
「おっと、お忘れなく。私もいますよ」
詩音の後ろから、さらに入江の姿が現れる。トレードマークの白衣を翻し、入江は泣きじゃくる沙都子の頭に手を置いた。
「沙都子ちゃん……悟史君は帰ってきました。けれど、旅先で病気になってしまってね。まだすぐにこの家で暮らせるわけじゃないんですよ。とりあえず診療所に入院して、色々検査が終わってからということになります。いいですか?」
入江の優しい問いかけに、沙都子は涙を下唇で噛み殺す。
「か、構いませんわ……もうにーにーはどこにも行きません。もう少しだけガマンすれば、また一緒に暮らせますもの! その程度耐えられないことには、レディの名が廃りますわ!」
沙都子はぐずぐずに曇った目のままでも、力強く言ってのける。圭一は、そんな沙都子を撫でながら褒めて、レナは健気さにかわいらしさを見出して、お持ち帰りの準備に入っている。詩音は悟史の横で微笑み、それを見て、魅音も微笑んでいる。
みんなが笑顔の輪を作っている。
だが、突然のことを表情だけで退け、言葉を忘れているように黙っている羽入は、少しだけその輪に加わることを思案していた。
嬉しがる梨花の背中に、恐る恐るそっと手を置いた羽入は、そのまま耳へと唇を寄せた。
「あぅあぅ……梨花……悟史がおかえりなのは、とても嬉しいことなのです。でも……それは梨花が沙都子とさよならをしなきゃいけないってことでもあるのですよ?」
「え……」
振り返った梨花の目の前にいる羽入の髪が風で逆巻き、黒く大きな翼のように影を作る。
その影は、梨花の心に小さな不安を深く植えつけた。
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