「村の仇敵を抹殺するシステム? 何処でそんなとんでも話を吹きこまれてきたんだい?」
「え? そ、それはその……」
「まぁ、なんとなく察しがつくけどね。大方、診療所に勤めているオカルト好きの若い看護婦あたりじゃないのかい?」
「ぅ……」
図星を指されて口籠ると、母さんはピシャリと私に言い放った。
「馬鹿な話を鵜呑みにしてんじゃないよ。そりゃあ、うちはヤクザだからさ、危ない橋を何度か渡ってはきたよ。――でもね、詩音。私達は今までも、そしてこれからも園崎家の人間であることに変わりないんだ。信仰するオヤシロ様の名を騙って人殺しを行い、それをオヤシロ様のせいにして正当化しようなんて卑怯な真似をするほど、園崎家は落ちぶれちゃいないよ。オヤシロ様を奉じる人間として誇りを持つ者が、それを許すはずがない。その筆頭である園崎本家の鬼婆様に言わせりゃ、そんな卑劣な奴に雛見沢の御三家を名乗る資格はないと、きっぱり断言なさるだろうさ!」
啖呵を切るような母さんの気迫に、私はすっかり飲まれていた。飲まれて……ようやく確信出来たような気がして……心が震えた。
「園崎家は……本当に関わっていないの? ……悟史くんの失踪にも?」
「……北条の家の、昨年いなくなった息子のことかい。お前が地下祭具殿で好きだと叫んでいた……」
私は母さんの視線を逃れるように俯いた。口を開いたら、心の奥底に抑えつけてきたドロドロしたものが溢れてきそうで答えられなかった。
僅かな間の後、母さんの手がくしゃりと私の頭を撫でる感触がした。
「関わっちゃいないよ。……馬鹿だね、お前。ずっと我慢していたのかい?」
「………」
「今までずっと、泣きたいのを我慢していたんだろう?」
「………」
「園崎家の仕業かもしれないって、腹の底にどうしようもない疑いを抱え込んで……ずっと泣きたい気持ちでいたんだろう?」
「あ、あははははは……。そ、そんなこと……」
笑って誤魔化そうとしたけど無理だった。そんなことないですよ――と、何時もの能天気な声で続けられなくて、忽ち視界が涙で霞んだ。
――その時、不意に母さんの手が、私の頭を胸に抱き寄せた。
「……母さん?」
「……馬鹿だね、泣きたい時は泣いていいんだよ。心に溜まったものを思い切りぶちまけりゃいいんだよ。此処には私とお前しかいないのだから遠慮することなんかない。私はお前の母親なんだから、涙を見せても大丈夫さね。笑ったり叱ったりしやしないよ。お前の心にこびり付いた無遠慮な垢が綺麗に流れ落ちるまで、思い切り泣きな。あとで泣き足りないと言って後悔しないようにね」
「母さん……」
「部屋に籠って、家族の誰とも顔を合わそうとしないで……声を殺して忍び泣くことなんかないんだよ。馬鹿な子だね、本当に……」
母さんは私の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
私は……何時しか母さんの胸に頭を押しつけて泣いていた。声を上げて泣いていた。
私はずっと怖かった。悟史くんを身内の誰かが殺したのかもしれない――そんなたまらない不安が、胸の奥の深い部分にずっと横たわっていた。自分の肉親を疑わなければならない辛さは言葉では言い表すことのできない苦しみだった。……私は今、その苦しみからようやく解放された。私が声を殺して泣く必要のない場所を、母さんはちゃんと用意してくれていた。いや……最初からその場所はあったのかもしれない。絶え間なく浮かび上がる暗い憶測が視界を塞いで、死角になって見えていなかっただけなのかもしれない。
「涙は滅多に人に見せるものじゃないけどね、涙を見せなきゃ解らないことだってあるんだよ。昨年の、地下祭具殿の時みたいにね……」
「地下祭具殿……私が爪を剥がした時のこと……?」
涙を拭って顔を上げると、母さんは私に頷いてみせた。
「あの時お前は、世界中が自分の敵に回ったような気持ちでいたんじゃないのかい?」
「………」
「……解るよ。私も昔、同じ気持ちになったことがあるからさ。お前の父さんと駆け落ち寸前までいった時にね」
「母さん………それ、本当?」
「本当さね。私もあの時はお前みたいに鬼婆様に食ってかかったさ。お前の父親を罵倒する鬼婆様を心底憎んで、剣を振り回して暴れたものさ。その場に居た親戚連中は誰一人味方になっちゃくれなくてね、自分以外は誰も信じることが出来なかった。本当に世界中が自分の敵に回ったように感じたものさ」
昔、鬼婆様と大喧嘩をしたことがあるという母さんに、興味本位で喧嘩の理由を聞いたことがあった。でもその時は、あまりにその話が荒唐無稽過ぎて、いまいち本当のことだと思えなかった。あの鬼婆様と真剣で大立ち回りをやらかしたなんて、子供心に信じられなかったのだ。でも……やっぱり本当のことだったんだ。あの時の私と同じ状況を、母さんも体験していたなんて……。
「……ごらん。昔、見せたことがあっただろう?」
そう言って母さんは、自分の左手の指を私に見せた。
「母さん、その爪……」
指の爪が歪に生え揃っているのを見て、私はハッと息を飲んだ。それは幼い頃、母さんに見せてもらったことのある爪だった。
「勘当はもらっちゃったけどね、爪を剥がしてけじめをつけてみせたらさ、その後鬼婆様はわりとあっさり許してくれたよ。そんなに好きなら仕方ないってね。……それを知っているから、私はあの時何も言わなかったのさ。お前が自分でちゃんとけじめをつけたなら、鬼婆様がお前を認めてくれることが解っていたからね。私はあの時お前を見捨てたわけじゃない……それはあの場にいた全員が同じさね。私はお前の覚悟のほどが見たかった。だから、あえて手を貸さなかったのさ」
「………」
「あの時のお前の必死さは、ちゃんと私に伝わってきたよ。私に伝わったんだから、鬼婆様にだって伝わっているはずだ。お前が自分の『必死』に値する覚悟を見せたのだから、鬼婆様はちゃんとお前を認めてくれているよ。……まぁ、最後はちょいと無様ではあったけどねぇ」
くすっと笑った母さんの顔を見て、私は忽ち顔を赤らめた。爪を一枚剥いだだけで根を上げた自分が恥ずかしかった。
それを察したのか、母さんはもう一度、私の頭を優しく撫でてくれた。
「それでもお前はちゃんと爪を三枚剥いで、みんなにけじめをつけてみせたんだ。だから自信を持ちな、詩音。園崎家は……お前の家族はお前の敵じゃないってね」
「母さん……」
「園崎家の人間はみんな不器用な武骨者だからね、目に見えるあからさまな方法でしか相手の真意を確かめることが出来ないのさ。難儀なものだよ、まったく……」
地下祭具殿での私の叫びは、誰にも伝わっていないと思っていた。でも、ちゃんと伝わっていたんだ。少なくとも母さんには……。私の味方は私に協力してくれた、葛西と義郎叔父さんだけだと思っていた。世界中が私の敵になったような気がしていた。でも本当は、そうじゃなかったんだ……。
<続く>
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