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茜雲 〜祭囃し編 墓参りの前日に〜
(あかねぐも 〜まつりばやしへん はかまいりのぜんじつに〜)



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 犯人も逮捕出来ず、失った現場監督の右腕も取り返せないまま捜査から退くことになれば、亡くなった大恩人に対して、大石はとても顔向けが出来ないのだろう。連続怪死事件に対する大石の執拗なまでの執念――その意味するところがよく解った気がした。それはある種の共感だった。同じだったのだ……失踪した悟史くんの行方を必死になって探し回った私自身と……。もし、悟史くんが何者かに殺されているとしたなら、私も同じように血眼になって悟史くんを殺した仇を探すだろう。何年かかろうと、どんなにこの身がボロボロに擦り切れ汚れようと、仇の息の根を止めるまで探し続けるだろう……。
「……でも、なんで命日の一日前に、大石のおじさまが墓参りに来ていることが解るんです?」
「霊園を管理しているお寺の住職とは昔から懇意にさせてもらっている間柄でね、その住職から聞いた確かな話さ。命日の一日前……6月18日の夕刻頃に、現場監督の墓前に白い桔梗の花を供えている大石の旦那の姿を、本堂の住職が毎年見かけているそうだよ」
「白い桔梗……大石のおじさまのイメージに合わない花ですねぇ。現場監督が生前好きだった花なんでしょうか?」
「……さぁてねぇ。柄にも似合わない清楚な花を、大石の旦那はどうして毎年供えているのか……どういう意味があるのか解らないけれど、毎年決まって白い桔梗の花を供えていくそうだよ」
「ふ〜ん。……でも、なんでまた同じ一日前に、大石のおじさまは現場監督の墓参りに行くんでしょうね? 大恩人なら、命日の日に墓参りに行って然るべきだと思うんですけど?」
「多分、こちらと同じ理由だろうね。現場監督の命日は綿流しの祭りの日だから……祭りの警備に忙しくて、当日は墓参りに行く余裕がないんだろうよ」
「そうか、また今年も怪死事件が起きる可能性があるから、綿流しの当日は持ち場を離れられないのか……。それで大石のおじさまは、一日前に墓参りに行くわけですね。大事な恩人の命日に墓参りが出来ないなんて、警察のお仕事は因果なものですねぇ……」
「それは私らも同じだよ。命日の日に墓参りに行けないなんて……まったく因果なものさ」
 冗談めかして言ったつもりだったが、内心は冗談ではなかった。そしてそれは母さんも同じだったようだ。
 縁側を渡る夕暮れの涼風が、頬を優しく撫でて通り過ぎる。軒先に吊るされた風鈴が、ちりんと微かな音を鳴らした。マリンブルーの空に浮かぶ雲は次第に朱色を深めていき、黄昏の帳をゆっくりと空一面に広げていく。その美しい夕映えを眺めながら、私は再び口を開いた。
「……ねぇ、母さん。どうして毎年、現場監督の墓参りに行くんです? 園崎家にしてみれば、ダム工事を無理に押し進めようとした憎い敵の一人だったのに」
 同じように空を見上げていた母さんは、一拍置いてからゆっくりと言葉を紡いだ。
「確かに昔は敵同士の間柄だったけどね……もう終わったことさ。今はなんの遺恨も抱いちゃいないよ」
「……何も?」
「そう、今は何も恨んじゃいない。ましてや、亡くなった相手に鞭打つ気なんてさらさらないさね。あれはもう、終わったことだよ。だから敵だったとはいえ、生前に深く関わった故人に礼を尽くすのは、不思議なことでもなんでもないよ」

 ――終わったこと? 不思議でもなんでもない? ……じゃあなんで、ダム賛成派だった北条家を園崎家は今も許すことが出来ないの? どうして沙都子は今でも村八分にされなきゃならないの? どうして悟史くんと沙都子は、北条家の子供だというだけで差別され続けなければならなかったの!?

 私はぐっと唇を噛みしめて、喉から出かかった言葉を飲み込んだ。
 オヤシロ様の名の下に毎年秘密裏に実行される、ダム戦争時の仇敵と裏切り者への制裁。
 祟りと鬼隠し。ダム戦争時の仇敵を毎年二人ずつ消していけるシステム――それが雛見沢連続怪死事件。
 園崎家の関与を疑う刑事の大石蔵人の言葉と、雛見沢の暗黒史に詳しい鷹野三四の言葉――そして、今は何も恨んでいないと言う母さんの言葉。どちらを信じればいいのか私には解らなかった。
 私が今日まで自分を保ってこられたのは、沙都子を頼むと電話越しに言った悟史くんの言葉と、村八分に耐えながら悟史くんの帰りを信じて日々を強く生き抜いている沙都子の姿があったからだ。だから園崎家への疑惑を拭いきることが出来なくても、私は自分を見失うことなく今日まで過ごすことが出来た。……でもやはり、園崎家が白か黒か解らない不安は常に付いてまわった。
 園崎家が連続怪死事件や悟史くんの失踪に関わっていない確証は何もない。けど、関わっている確証もないに等しかった。私の元にもたらされた情報は、全て憶測の域を出ないものばかりだ。でも、火のない場所に煙は立たない……だから私は、事件に関わったかもしれない園崎家に今日まで気を許すことが出来なかった。自分の両親さえも……。
「……ねぇ、母さん」
「……ん?」
「本当は、園崎家が現場監督を手にかけたから……その罪悪感から毎年墓参りに行くんじゃないの?」
 膝の上で固く握り締めた両手が汗ばむのを感じながら、私は擦れる声でそう問い掛けた。
 母さんはすぐには答えなかった。その間が酷く重苦しいものに思えて、私は俯いたまま顔を上げることが出来なかった。
「……関わっちゃいないよ。園崎家は現場監督の親父に、一切手を下してはいない」
 静かな……でも強く断言するようなその声に、私は恐る恐る顔を上げた。母さんは労るような微笑みを私に向けていた。その瞳に一点の曇りもなかった。
「裏で暗躍しているように見せかけていた私達も悪かったけどね。あれは、園崎家のブラフ……早い話がハッタリをかましていたのさ」
「……ブラフ? ……ハッタリ?」
「実際よりも自らを大きく見せるために周りに脅しをかける――代々園崎家の頭首が秘密裏に受け継いできた護身術さ。やってもいないことを、いかにもやったように見せかけて黒幕を装ってみせるのさ。そうすりゃ敵対する奴らはみんな、園崎家に対して一目置いたり恐れ上がったりして手が出し辛くなるという寸法さ」
「じゃ、じゃあ、……まさか、ダム戦争時の、建設大臣の孫の誘拐事件とか……も?」
「実際は誰がやったのか未だに解らないけどね、あれは完全に事件に便乗した園崎家のハッタリさね。まぁ、ダム建設を無理やり押し進めていた国の方からしてみれば、疑う相手が過激な反対運動を繰り広げている鬼ヶ淵死守同盟しかいなかったから、他に疑いようがなかったのだろうけどね。こっちも村がダムで沈むか沈まないかの瀬戸際だったから、あの事件は国に脅しをかける意味で願ったり叶ったりだったのさ」
「……う、……う、うううううう、うそぉぉぉぉぉーーッ!?」
 私は素っ頓狂な声を上げて思いっ切り仰け反っていた。
 大臣の孫の誘拐に関しては、園崎家が黒幕に違いないと私は信じ込んでいた。何故なら正真正銘のヤクザを従える園崎家は、ダム戦争に備えて武器弾薬を揃えるという、ぶっちぎりの犯罪行為まで行っていたのだ。私自身も渡米までさせられて、園崎組の男達に混じって狙撃の訓練を受けさせられたものだ。だから大臣の孫の誘拐くらい、園崎家の力なら簡単にやってのけるだろうと信じて疑わなかった。それが実は、見せかけのハッタリだったと言われては、腰を抜かして驚くのも当然のことだった。
「現場監督の親父をバラしたのも、勿論園崎家の仕業じゃない。だから、罪悪感なんて全くないんだよ。罪悪感があるとすれば……大石の旦那に対してだね。園崎家のブラフのせいで捜査をかく乱させちまったからねぇ」
「お、大石のおじさまは、すっかり園崎家が黒幕だと疑っちゃっていますよ! ……憎んでさえいるのかもしれない。いいんですか、このまま見せかけのハッタリを続けたままで……」
 悟史くんが失踪したしばらく後、私は何度か大石と過去の事件について話す機会があった。互いに紳士協定を結び、互いの知りえる情報を交換し合った。私は失踪した悟史くんの行方を掴むため、大石は連続怪死事件の解明のため。
 大石がもたらす情報の全ては、園崎家が事件に関与していることが前提だった。だから私には解る。園崎家への大石の疑いが、どれほど深いものかを……。
 けれど母さんは、静かな声で私の杞憂を宥めた。
「……いいんだよ。今、大石の旦那を支えているのは、園崎家を黒幕だと信じて捜査を続ける執念さね。それを取り上げてしまったら、あの旦那は目標を見失って腑抜けになっちまうだろうよ」
「痛くない腹を探られるだけなのに……本当にそれでいいんですか?」
「それで大石の旦那の気が済むなら安いものさ。大事な恩人を残酷な方法で殺されたんだ。誰かを仇と見定めなければ、旦那は生きる気力を失ってしまうだろうよ」
「殺してもいないのに憎まれるなんて、損な役回りですね……」
「構わないさ。本当の黒幕に辿り着くまで、園崎家を仇と思っている方がまだ幸せかもしれない。真相は予想していたことより遥かに残酷なことが多いからね……」
 現場監督の死に園崎家は関わっていない……ならば、悟史くんの失踪にも園崎家は関わっていない?
 母さんの言葉をそのまま信じていいのか解らない。でも、そのことを母さんに確かめたい衝動に強く駆られた。
「母さん……じゃあ、今まで起こった連続怪死事件や失踪事件に、園崎家はどれも関わっていないんですか?」
「……なんだい、藪から棒に?」
「答えてよ、母さん。本当のことを……私に教えて!」
 全てを受け入れる覚悟で、私は母さんの目を真っ直ぐ覗き込んだ。母さんは避けることなく私の視線を受けとめて……やがて小さく息を吐いてから、一語一語噛みしめるようにゆっくりと語り出した。
「園崎家の仕業じゃないよ。……私の知る限り、園崎家は過去に起きた事件のどれにも関わっちゃいない」
「……でも、村の仇敵と言われた人達が、毎年二人ずつ消されているじゃないですか。オヤシロ様の祟りと鬼隠し……オヤシロ様の名の下に、村の仇敵を綿流しの日に抹殺するシステムが雛見沢の村にあるんじゃ……」
 園崎家の暗部に関わるかもしれない一番聞き難いことを、私は思い切って口にした。すると母さんは、きょとんと目を瞬かせて、穴が開くほど私の顔をじっと見つめた。


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