「んあ……?」
「おんやぁ? お目覚めですか、前原さぁん」
なぜ、起床した目の前にあるものが天井ではなく、大石さんの顔なのか。
「……?」
辺りを見回せば、そこは自分の部屋ではないことが一瞬で理解できた。壁や床は白で統一されていて、壁の所々には指名手配犯の顔写真や交通安全のポスターが張ってある。反対側を見ればカウンターがいくつもあり、大人たちがその向こうで事務の仕事に勤しんでいた。
なるほど、ここは興宮署だ。大石さんがいるのも納得できる。
俺は体を起こし、改めて大石さんを見る。
「何で俺こんなとこで寝てるんですかね」
さっきまで横になっていた待合用のベンチをポンと叩く。
「んっふっふ、外は暑いですからねえ。クーラーが効いているここで一休みと、そう考えたんじゃないんですかぁ?」
俺はソファから降りる。頭の中のモヤモヤが晴れない。一休みするために、普通警察署なんて行くだろうか。そもそも俺は興宮の方に何しに来たんだっけ。
「あ、じゃあ俺もう帰ります」
「お達者で……んーっふっふ!」
一度会釈して、俺は大石さんに背を向けた。自動ドアの入り口へはすぐに辿り着き、俺は気温の境界線をくぐる。
まだ、頭がぼんやりする。
真昼の外はやっぱり暑くて、太陽光線がアスファルトの地面と俺の頭を焦がしてくる。雛見沢と違って、緑は見えても土は見えない。興宮署のすぐ近くの商店街。この時間帯なら視界の中に二、三人は人が見えてもおかしくないのだが、車すらも通っておらず、辺りは閑散としていた。
「ていうか俺は何しに興宮まで……」
静まった町をキョロキョロと見回しながら歩く。
そして角を一つ曲がったとき、それは目に入った。
「大石さん……?」
黒いシャツに赤のネクタイをして、こちらに向かってくる太った中年は、見間違えようもなく大石さんだった。
さっき興宮署にいたはずなのに。
「あの……」
俺は早足で大石さんに近づいた。
「ん? ふっふ」
大石さんもそれに気づく。ていうかなぜ今「ふっふ」をつけたのか理解できない。
「大石さん、ですよね?」
「大石ですう」
「さっき興宮署にいましたよね?」
「大石ですう」
どうしよう、会話が成立しない。
そのまま俺が何を言おうか迷っているうちに、目の前の俺を無視して大石さんはさっさと先へ行ってしまった。
「…………」
興宮署の裏口から出てそれでここにいるとか。それなら考えられる。
「まさか二人いるわけないしねえ」
すれ違った大石さんの背中をずっと見ていたが、フッと鼻で自嘲気味に笑い、俺は前を向いた。
その視界には二人の人間がいた。
一人は、スーツを着た大石さん。
もう一人は、だぼだぼのジーンズを履いた大石さん。
「何で……?」
格好こそ違えど、その顔は間違いなく同一人物。大石さんのそれであった。
「ク、クールになれ、前原圭一……!」
俺は後ろを振り向く。もうさっきの大石さんは見えなくなっていた。
俺は前を振り向く。大石さんは四人になっていた。
「だああああああああああああっ!」
俺は元来た道を全速力で引き返した。そして転がり込んだ先は、興宮署だった。最初に出会った大石さんこそ本物だ。だったら、その大石さんに助けを求めればいい。別に何かされたわけじゃあねえけど、偽者がたくさんいるなんていったら大石さんだってきっと怒るだろうし、なによりあんな脂肪の塊が町中をうろついていること自体立派な公害だ!
「大石さん!」
自動ドアをくぐった、俺の見た光景。
『おんやぁ?』
そこには無数の大石がこっちを見ていて――
「うわあああああああああああああああっ!」
転びそうになりながらも俺は走った。閑散としていたはずの街のいたるところに大石さんがいる。歩く大石さん、喋る大石さん、汗を拭く大石さん、腕時計を見る大石さん。目を逸らしているはずなのになぜか入ってくる周りの景色……大石さんの映像。走っているのに、真夏なのに体が寒い。一体何なんだ? 今日は鹿骨市全体で大石祭りでもやってるのか? 祭られるほど大石さんって偉い奴なのか? そもそもこんなにたくさん大石さんがいたら興宮署はいったいいくら退職金を……って何をわけのわからんことをお!
俺は逃げ場を探した。どこでもいい。この超特盛の大石ワールドから逃れられる場所が欲しい。しかし辺りの店はなぜか全部シャッターが下りている。民家など全く見当たらない。俺は、このままでは自分まで大石になってしまうんじゃないかと思った。どうしよう。もし大石さんになったら、友達はどうなる? レナや魅音や……みんなと普通に遊べなくなるのか? ただのウザいおっさんになっちまうのか? そんなの……そんなの……!
そして新たな角を曲がったとき、奇跡は起きた。
「え……?」
土がむき出しの地面。伸びっぱなしの雑草。周辺三百六十度には必ず山。そして、道の先に続く、白くて大きな家。
それは雛見沢にある、俺の家だった。
「は……何で……?」
俺はさっきまで興宮にいたはずなのに。でもよかった! 家に帰ればもう大丈夫だ。そこに大石さんはいない。いるのは優しい母さんと、趣味が変だけど信頼できる親父。
安心していたら腹の虫が鳴り出した。母さんに何か作ってもらおう。それか、まだ豚骨ショウガ味のカップ麺が残ってたかもしれない。
安堵と期待に胸を膨らませながら、俺は家まで走り、玄関を開けた。
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